EP 14
「助けるのは、俺一人じゃない」
膝下まで達した冷水が、激しい飛沫を上げて波打っていた。
狭小な旧三号通気孔の最深部、行く手を塞ぐ一・五メートルの隔壁からは、隙間という隙間から高圧の地下水が白煙のような飛沫となって噴き出している。
相澤直樹は、手にした魔導サーチライトの光軸を岩壁の中央、水圧によって微細な亀裂が走る下部の一点へと固定した。
「イグニス、狙いはあのクラック(亀裂)の中心だ! 大斧を振るんじゃない、タガネのように刃先を押し当て、柄の頭を最短距離で打ち込め!」
「おうよッ! 一点集中、風穴開けてやるぜぇッ!」
イグニスが狭い空間で身を沈め、身の丈を超える大斧『クリムゾン・スラッシャー』を槍のように構えた。
竜人の腕に青筋が浮き、真紅の鱗から濃密な闘気が立ち上る。だが、その力に暴発の気配はない。第6話の訓練で直樹から叩き込まれた「力の向きを制御する技術」が、彼の全身に研ぎ澄まされた緊張感をもたらしていた。
「マンミアさん、フェイト、壁の両脇へ! 貫通した瞬間、向こう側の水圧と破片が一気にこちらへ噴き出すぞ!」
「承知! 『アグニ』最大展開!」
「へっ、泥水浴びる覚悟はできてらぁ!」
マンミアが前脚を踏ん張って巨大刺突盾『アグニ』を斜め四十五度に構え、フェイトが両手剣の刀身を寝かせて受け流しの体勢を取る。
「イグニス、穿てぇぇぇッ!!」
「ぬおおおおおおぉぉぉッッ!!」
ドォォォォンッッ!!!
大気を震わせる衝撃音とともに、大斧の切っ先が亀裂の急所を正確に射抜いた。
ピキ、ピキキキッ――ズバァァァンッ!
脆くなっていた岩盤が一気に破砕し、直径一メートルほどの突破孔が開いた。
刹那、向こう側に溜まっていた激しい濁流と砕けた岩塊が、圧縮空気とともに猛烈な勢いで逆流してくる。
「吹き飛ぶなよッ!」
マンミアの咆哮。アグニの分厚い装甲板が濁流の直撃を受け止め、絶妙な傾斜によって水流を左右の壁面へと受け流す。フェイトが電光石火の太刀筋で、飛来した拳大の石塊を空中で正確に叩き落とした。
直樹の足元を激流が洗うが、誰一人として後退しない。
水圧が抜け、ゴボゴボと渦を巻きながら水位が均衡した瞬間、直樹は穴の向こう側へ身を滑り込ませた。
「突入! 二次崩落に警戒しつつ、一人ずつ入れ!」
*
突破孔の向こうに広がっていた地下四番坑道は、まさに水没寸前の絶望に沈んでいた。
天井の主排気ダクトは無残に押し潰され、澱んだ空気の中には冷たい地下水が腰の高さまで充満している。
サーチライトの白い光が、奥の岩棚の上に身を寄せ合い、寒さと酸欠に震えている男たちの姿を照らし出した。
「……ひ、光……?」
「おい……誰か、来たぞ……!」
「救助隊だ! ポポロ村臨時救助班だ!」
直樹は泥水を掻き分けながら叫び、即座に要救助者の状況を視界に収めた。
『状況把握』
要救助者は二十三名全員生存。
だが、水に浸かり続けたことによる重度の低体温症が数名、落盤時の負傷で骨折している者が四名、瓦礫に足を挟まれて自力脱出できない重傷者が一名。
さらに、天井の隙間から流入してくる地下水は止まっておらず、このままでは数十分でこの空間全体が水没する。
「みんな……生きてる……!」
直樹の背後から穴をくぐり抜けてきたキャルルが、感極まった声を上げた。
白銀のショートボブを泥で濡らしながら、彼女は即座に両手を掲げ、全身から眩いばかりのピンクの治癒闘気を立ち上らせる。
「待ってて! 今、あたしが満月の力で全員まとめて全回復させてあげるから――」
「止まれ、村長!!」
直樹の鋭い怒声が坑道に響き渡った。
キャルルがピクリと兎耳を震わせ、驚愕に目を見開いて直樹を振り返る。
「えっ……な、なんで止めるの直樹さん!? 怪我してる人があんなにいるんだよ!?」
「あなたの治癒能力が無制限に使えないことは、前回の訓練で確認済みだ! 二十三人を一度に全快させれば、あなたの魔力と生命力は枯渇し、その場で昏倒する!」
「で、でも、あたしが倒れたって、みんなが助かるなら――」
「助からない!!」
直樹はキャルルの華奢な両肩を、手袋越しに力強く掴んだ。
その瞳には、かつて前世で自分自身の命を疎かにし、現場で命を散らしてしまった男の、痛切な後悔と戒めが宿っていた。
「村長、よく聞け。救助は治療して終わりじゃない。ここから二十三人を地上まで運び出し、危険な狭所を脱出させる長い搬送が待っているんだ。その過酷な退避路で、最大の戦力であり精神的支柱であるあなたが倒れたら、一体誰がこの人たちを背負うんだ!?」
「あ……」
「助ける側の命を切り捨てる救助は、絶対にプロの仕事じゃない。あなた自身の命も、誰かが守らなきゃいけない大切な命なんだ! 第4話で、あなたが俺に言ってくれた言葉だろう!!」
キャルルは息を呑み、唇を震わせた。
胸元に抱えた人参柄刺繍ハンカチを握りしめ、溢れそうになる涙を必死に堪えてコクコクと頷く。
「……うん。ごめんなさい、直樹さん……! あたし、また一人で抱え込もうとしてた……」
「分かればいい。今はトリアージ(優先順位判断)を行う。あなたが治療するのは、呼吸が浅く意識が朦朧としている最重症の二名だけだ。残りの骨折や切り傷は、私が副木と包帯で応急固定する! 村長は体力を温存し、搬送に備えてくれ!」
「了解っ!」
キャルルが迷いのない足取りで重症者の元へ駆け寄り、必要最小限の的確な治癒を施し始めた。
直樹は踵を返し、坑道の最深部――壁際を指差した。
水面下数十センチ、土砂に埋もれた床面に、頑丈な鋼鉄の円形ハッチが沈んでいた。
「マルタ技師の言っていた『自然排水シャフト』だ! イグニス、マンミアさん、フェイト! あのハッチをこじ開けるぞ! 水圧と堆積した土砂で固着している!」
「任せときな!」
三人が水の中に飛び込んだ。
イグニスが分厚い爪をハッチの縁に食い込ませ、マンミアがアグニのパイルバンカーの杭先をテコとして隙間にねじ込む。
だが、上に乗った数十トンの水圧は凄まじく、鉄蓋は軋むだけでビクともしない。
「くそっ……! 重ぇ! 水が上から蓋を押さえつけてやがる!」
イグニスの真紅の角が軋み、喉の奥から黒煙が漏れそうになる。
「焦るな、イグニス! 力任せに引くな! マンミアさんがテコを押し下げたコンマ五秒後、その反動に合わせて真上ではなく『斜め手前』にスライドさせろ! 水流の逃げ道を作るんだ!」
「斜め手前だな……! マンミア団長、合図をくれ!」
「行きますよ! ――せーのッ!!」
ガガガガッ!
マンミアの四肢の蹄が泥土を蹴り、アグニのテコがハッチの端を数センチ跳ね上げた。
その間隙を見逃さず、イグニスが背筋の全筋力を爆発させて鉄蓋を横へと滑らせる。
「うおおおおおおぉぉぉッッ!!」
ゴゴゴゴゴ……ズゴォォォォンッッ!!!
重たい鉄蓋が外れた瞬間、坑道内の水が一気に深層の巨大空洞へと吸い込まれ始めた。
凄まじい轟音とともに巨大な渦潮が発生し、腰まであった水位が、目に見える速さで足首の高さまで引きずり降ろされていく。
坑道内の気圧が安定し、溜まっていた冷気と湿気が一気に竪穴の底へと抜けていった。
「水が……抜けていく……!」
「助かった……! 溺れずに済んだんだ……!」
鉱夫たちから、掠れた歓声が上がった。
だが、安堵の空気の中、坑道の天井から不穏な摩擦音が響いた。
ミシミシミシ……ッ!
水圧という「内側からの支え」を急激に失ったことで、弱っていた天井の岩盤が、自重に耐えかねて崩落の兆候を見せ始めたのだ。
人頭大の岩石が、次々と水たまりへ落下して跳ねる。
「天井が落ちるぞ! 逃げろ!」
「パニックを起こすな! 動くな!」
直樹は怒号を飛ばし、即座に隊員たちへ配置を命じた。
「これより交代制で搬出作業を行う! マンミアさんはアグニを中央通路に固定し、頭上からの落石を遮断する安全シェルターを形成!」
「防壁展開、任されました!」
「イグニスは一番奥の瓦礫に足を挟まれた鉱夫の救出! 周囲の石をミリ単位で保持しながら、慎重に引き抜け!」
「壊さず、支える力だな! 絶対に痛くしねぇぜ!」
「そしてフェイト! お前は通路の側線警戒だ! 落下してくる浮き石をすべて切り払え!」
直樹の指示を受けたフェイトは、右手を腰元へ伸ばした。
その指先が、ポケットの中にある金貨に一瞬だけ触れる。
(……表が出れば能力二倍……一瞬で全員の頭上を覆う防壁が張れるかもしれねぇ……)
悪魔の誘惑が、ギャンブラーの脳裏をかすめる。
だが――フェイトの視界の端で、泥まみれになりながら鉱夫の足を抱え、声を掛け合っている直樹とイグニスの姿が映った。
彼らは奇跡にすがっていない。
己が持てる技術と、仲間への信頼だけを頼りに、泥臭く命を繋ぎ止めている。
(……馬鹿野郎が。俺は元A級冒険者だぞ)
フェイトはポケットから手を引き抜き、金貨を握る代わりに、ミスリル大剣の柄を両手で力強く握り締めた。
その瞳から、軽薄な迷いが完全に消え去る。
「コインなんぞ……クソ喰らえだッ!」
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ!!
フェイトの銀閃が、天井から降り注ぐ落石を寸分狂わず空中で両断していった。
運任せの倍加能力などではない。
彼が十年以上の冒険者人生で血の滲むような鍛錬の末に培ってきた、純粋無垢な『剣技A』の神速。
砕かれた石の破片はマンミアのアグニの天板を滑り落ち、誰一人として掠り傷すら負わせない。
「イグニス、荷重抜けたぞ! 今だ!」
「引っこ抜くぜぇッ! ――ヨシッ!」
イグニスが挟まれていた最後の鉱夫を無傷で抱き上げ、キャルルが素早く添え木を当てて固定する。
「全員、救出完了! 搬出ルートへ入れ!」
直樹の視界に、二十三本の力強いエメラルドグリーンの光筋が、突破孔を通じて地上へとまっすぐに伸びていた。
一人も欠けていない。
隊員たちも、要救助者たちも、全員の足元が緑の光で結ばれている。
「五人ずつ交代で背負って運ぶ! 無理をするな、足元を確認しろ! ――周囲ヨシ! 頭上ヨシ! 全員で地上へ帰るぞ!!」
「「「「おぉぉぉぉぉッッ!!!!」」」」
*
地上へと続く旧三号通気孔の迂回路を、救助班と鉱夫たちの長い列が一歩ずつ進んでいく。
直樹は列の殿を歩きながら、前方を歩く仲間たちの背中を見つめていた。
負傷者を背負い、軽口を叩きながらも一歩一歩を慎重に踏みしめるイグニス。
背後を振り返り、大剣で確実に安全を確保し続けるフェイト。
要救助者たちの呼吸を気遣い、励ましの声を掛け続けるマンミアとキャルル。
(……俺一人じゃ、絶対に助けられなかった)
直樹は、擦り切れた作業用革手袋を見つめ、静かに息を吐いた。
自分には岩を砕く力も、病を癒やす魔法もない。
だが、危険を見極め、正しい手順を敷き、仲間たちの力を信じて束ねること――それこそが、この世界で自分が果たすべき「救助隊長」の役目なのだ。
かつて日本の崩落現場で、一人きりで命を落とした相澤直樹の魂の傷が、仲間たちの逞しい足音によって、温かく満たされていくようだった。
前方から、冷たい坑道の空気を突き破って、懐かしい土と青草の匂いが漂ってきた。
地上の光が、すぐそこまで迫っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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