64話 調査の海軍
初期日本海軍の編成思想
第1次海軍整備計画において、日本海軍が最も重視したのは、個々の艦艇が持つ純粋な戦闘力ではなく、海軍という組織そのものをどのように育成し、どのような形で運用し続けられるか、という点であった。
砲の口径や装甲の厚さ、速度や火力といった要素は重要である。
しかしそれらは、組織として機能する基盤があってこそ初めて意味を持つ。
日本海軍は、その順序を最初から誤らなかった。
それまで日本には、恒常的に運用される近代的な海軍組織は存在していなかった。
海戦とは、必要なときに船を集め、一時的に編成して行うものであり、
戦いが終われば解散する、そのような性格のものに過ぎなかった。
つまり、継続的な訓練、計画的な補給、長期的な展開を前提とした海軍という存在自体が、まだ確立されていなかったのである。
ゆえに、第1次海軍整備計画において最初に必要とされたのは、突出して強い艦ではなかった。
必要だったのは、使い続けられる海軍であり、回り続ける仕組みであり、戦争だけでなく平時も含めて維持できる体制であった。
初期の艦隊編成は、いわゆる艦隊決戦を正面から想定したものではない。敵艦隊を撃滅するための瞬間的な戦闘能力の最大化よりも、領土拡張を前提とした遠征展開、そして未知の海域へ調査隊を送り込むための継続的な行動力が重視された。
戦う前に、辿り着けなければならない。
勝つ前に、生き残り続けなければならない。
その現実を踏まえた結果、初期日本海軍の編成思想は、自然と補給と運用を中心としたものへ収束していった。
補給重視の艦隊
この思想は、艦隊編成の中に明確な形として表れている。
重巡洋艦や軽巡洋艦、駆逐艦といった直接戦闘を担う艦艇に加え、補給艦が多めに配置されるという、異例とも言える構成が採用された。
戦場で砲火を交える艦よりも、その背後で物資を運ぶ艦が重視されるという判断は、短期的な戦果だけを見れば理解されにくい選択であった。
補給艦は戦果を挙げない。
撃沈数も、占領地も残さない。
だが、補給艦が存在する限り、艦隊は引き返す必要がなくなる。
燃料、弾薬、食糧、部品。
それらを港や海上で受け取り、航行と整備を繰り返しながら前進を続けることで、艦隊は徐々に行動半径を広げていった。
一度の出撃で終わらない。
一度の勝利で止まらない。
補給を前提としたこの編成思想こそが、初期日本海軍を単なる艦の集合体ではなく、持続的に機能する「海軍」へと変えていったのである。
遠征と調査
初期日本海軍に課せられた任務は、単純に敵艦と交戦し、撃ち破ることだけではなかった。
むしろ、その比重は必ずしも高くはなく、海軍の初期段階においてより重要視されたのは、海へ出て、知ることであった。
航路の開拓。
未知の海域における安全な航行経路の確認。
海流と気象の調査。
季節ごとの風向、潮の流れ、嵐の発生頻度とその傾向。
寄港地の選定。
艦隊が立ち寄れる場所、補給や修理が可能な地点、将来的に拠点化できる港湾の把握。
沿岸地形の測量。
上陸可能な浜辺、艦船が近づける水深、防御に適した地形の把握。
これらの任務は、いずれも即時の戦果を生むものではない。
だが、将来の戦争と領土支配を見据えた場合、欠くことのできない基礎作業であった。
そしてこれらすべては、補給能力を伴わなければ成立しない。
調査は短期間では終わらない。
遠征は一度で完結しない。
物資が尽きれば、そこで行動は途切れてしまう。
このため、初期日本海軍の艦隊は、常に補給艦を伴う形で行動した。
戦闘のためだけではない。
帰還するためでもない。
繰り返し海へ出るためである。
遠征と調査を重ねることで、航海技術は磨かれ、指揮系統は洗練され、補給と運用の精度は高まっていった。
こうして、艦隊は任務を遂行しながら、同時に海軍そのものを内側から鍛え上げていったのである。
到達点
このような思想のもとに編成され、運用されてきた初期日本海軍は、戦闘力という一点においては、依然として列強に劣る部分を残していた。
火力、装甲、艦数。
いずれを取っても、圧倒的な優位を持っていたわけではない。
しかし、一つの点において、決定的とも言える優位を手にしていた。
それが、行動可能距離である。
補給を前提とした艦隊は、自らの行動範囲を物理的な限界ではなく、計画と運用によって拡張していった。
大洋を越え、大陸を回り込み、寄港と補給を繰り返しながら、行動範囲は次第に広がっていく。
その結果、艦隊はついに、地球の裏側にまで到達可能な存在となった。
第1次海軍整備計画は、単に勝つための艦隊を作り上げたのではない。
世界へ到達するための海軍を、体系として完成させたのである。




