424話 民間交通革命 自転車
民間交通革命
自転車産業の誕生と「移動の自由」の確立
1640年代にかけて衣類・家具・家電・食品と、生活の基盤となる産業が次々と整えられていった。
衣類によって国民は安定して服を手に入れられるようになり、家具によって住宅の生活環境が整えられ、家電によって家事の負担が大幅に減少した。
さらに食品製造工場と冷凍・低温物流網が完成したことで、都市住民は安定した食料をいつでも購入できるようになっていた。
つまり日本では、「衣・食・住」という人間生活の基本的な部分が、すでに大規模な工業システムによって支えられるようになっていたのである。
そして次に国家が着手したのは「人間そのものの移動手段」であった。
それまで都市部の交通は、国営・市営バスと鉄道が中心だった。
鉄道は大量輸送には極めて優れていた。
主要駅から主要駅へ大量の人間を運ぶことができ、都市間移動にも適している。
バスも鉄道駅から住宅地、商業セル、工業地帯などを細かく結ぶ役割を担っていた。
しかし、都市が急速に拡大すると、鉄道とバスだけではどうしても対応できない部分が出てきた。
例えば、
「駅から自宅まであと数キロある」
「工場から別の工場へ移動したい」
「休日に少し離れた場所へ行きたい」
「商業セルをいくつか回って買い物をしたい」
といった、鉄道やバスでは対応しにくい細かな移動需要が急速に増加したのである。
都市人口が増えれば増えるほど、「駅から先をどう移動するのか」という問題が大きくなっていった。
そこで政府が注目したのが、自転車だった。
東海・関東に「交通機械産業帯」が築かれる
日本ではすでに重機や軍用車両、鉄道車両などを製造する巨大な工業基盤が形成されていた。
特に東海地方と関東地方には、
製鋼所
機械工場
工作機械工場
軍需工場
鉄道車両工場
ゴム製品工場
電気機器工場
などが集積していた。
これらの工業力を民間生活へ転用することで、新しい産業を生み出すことが可能だった。
そして日本の工業界は、次の段階へ進み始める。
それが、自転車・バイク・自動車・新型トラック・民間重機などを大量生産する、「交通機械産業」である。
これまで軍用車両や大型機械を作っていた工場では、民間向け製品を生産するための生産ライン拡張が始まった。
まず整備されたのは、
大型プレス工場
金属切削工場
金属溶接ライン
樹脂成形工場
ゴムタイヤ製造工場
鋼管フレーム専用ライン
ベアリング製造設備
チェーン製造ライン
ブレーキ部品製造ライン
塗装設備
完成品組立ライン
生産設備の自動化ロボットライン
などである。
一つの自転車を作るためには、単純に鉄のフレームを作ればよいわけではない。
フレーム、車輪、タイヤ、チェーン、ペダル、サドル、ハンドル、ブレーキ、ライト、ベル、各種ベアリングなど、多数の部品が必要になる。
そのため自転車産業の発展は、それらの部品を製造する関連産業の発展も同時に意味していた。
八幡製鉄所との連携
自転車産業の拡大を支えたのが、鉄鋼産業だった。
八幡製鉄所を中心として大量生産される鋼材は、交通機械工場へと供給された。
自転車のフレームには軽量でありながら十分な強度を持つ鋼管が必要だった。
そこで製鉄所と自転車メーカーが共同で研究を行い、「薄く、軽く、それでいて強い鋼管」の製造技術が発展していった。
これにより、それまでの重い鉄製品とは違う、軽量な交通機械用鋼材が大量に生産されるようになった。
さらに、
ネジ
ナット
ワッシャー
ベアリング
チェーン
ギア
などの精密部品についても専用生産ラインが整備された。
軍用機械を製造していた工場では、すでに高い加工精度を持つ工作機械が存在していた。
その技術を民間製品へ転用することで、自転車であっても非常に高い品質を持つ製品が作られるようになった。
天然ゴム産業との連携
もう一つ重要だったのがタイヤである。
日本は種子島やニューギニア島などに広大なプランテーションを建設して天然ゴムを大量に確保していた。
これまで天然ゴムは軍需品や工業用品に使用されることが多かったが、自転車産業の誕生によって民間需要が一気に増加する。
ゴム工場では、
天然ゴム → 精製 → 配合 → 成形 → 加硫 → 検査
という一連の大量生産ラインが構築された。
これによって自転車用タイヤだけでなく、
バイク用タイヤ
自動車用タイヤ
トラック用タイヤ
工場用ゴム製品
なども同じ産業基盤から生産できるようになった。
つまり、自転車産業は単独で発展したわけではない。
鉄鋼、ゴム、機械、化学、電気、物流など、日本各地の工業を結び付ける新しい巨大産業の入口になったのである。
最初の民間交通手段「自転車」の大量生産へ
最初に着手されたのは、自転車だった。
理由は単純だった。
自転車は、
部品点数が比較的少ない
燃料が不要
構造が単純
整備が容易
道路への負担が小さい
狭い道路でも走行できる
都市内移動に非常に適している
子供から大人まで使用できる
鉄道やバスを補完できる
という非常に大きな利点を持っていた。
特に重要だったのは、「個人が自由に移動できる」という点だった。
鉄道は駅と駅を結ぶ。
バスは決められた路線を走る。
しかし自転車なら、自宅から学校、職場、商業セル、友人の家、農園、河川敷など、好きな場所へ直接移動できる。
これは日本人の生活そのものを変える可能性を持っていた。
政府は自転車を単なる娯楽用品とは考えなかった。
正式に、「生活機械製品」として位置付けたのである。
そして国家主導で国産化と量産化が進められた。
大量生産を行うためには、製品の規格を統一する必要があった。
そこで政府と帝国大学、工業メーカーが共同で、
車輪径
フレーム寸法
チェーン規格
ペダル規格
ブレーキ規格
タイヤ規格
ネジ規格
ベアリング規格
などを統一した。
これによってメーカーが違っていても、ほぼ全ての部品を共通して使用できるようになった。
例えばタイヤが摩耗した場合でも、同じ規格のタイヤを購入すれば交換できる。
チェーンが壊れても、全国どこの修理店でも交換部品を入手できる。
この仕組みは後に、「日本式交通機械規格」としてバイクや自動車へも引き継がれていくことになる。
大量生産工場
工場では、これまで一台ずつ職人が組み立てていた方式から、大量生産方式へ移行した。
鋼管フレームは自動切断機で長さを揃えられ、専用治具に固定される。
その後、溶接ラインへ送られ、フレームが次々と組み上げられていく。
完成したフレームは塗装工程へ送られる。
黒、銀、青、赤、白など、複数の塗装色が用意され、国民が好みに応じて選べるようになった。
一方、別のラインでは車輪が大量に組み立てられる。
スポークを均等に張り、リムの歪みを測定し、タイヤを装着する。
さらにチェーンやブレーキなどの部品が組み付けられ、最後に完成車として検査される。
検査項目には、
ブレーキ性能
車輪の回転抵抗
フレーム強度
ハンドル操作性
チェーンの動作
タイヤ空気圧
照明装置
などが含まれた。
こうして工場から毎日大量の自転車が出荷されるようになった。
自転車販売網の誕生
自転車の大量生産が始まると、当然ながら販売網も必要になる。
そこで各都市の商業セルには、自転車販売店が配置されるようになった。
大型商業セルでは、「自転車販売・整備センター」が設けられ、
新車販売
タイヤ交換
チェーン交換
ブレーキ調整
パンク修理
部品販売
定期点検
などをまとめて行った。
これにより自転車は「壊れたら捨てる」商品ではなく、「修理しながら長く使う生活機械」として定着していった。
また、都市部だけでなく地方農村部にも販売網が広がった。
農村では駅までの移動や市場への買い物、農地間の移動などに自転車が非常に便利だった。
そのため都市と農村の双方で需要が急速に拡大した。
自転車の普及によって、国民の生活圏は一気に広がった。
それまで徒歩では遠かった場所にも簡単に行けるようになった。
工場勤務者も、「工場バスに乗り遅れ駅から工場まで徒歩20分」
という距離を自転車で移動できるようになった。
主婦や家庭の買い物にも自転車が利用される。
前部や後部に荷台を取り付ければ、
食品
日用品
衣類
子供用品
などを運ぶこともできる。
さらに後部に小型荷台を装着した、
「生活運搬型自転車」
も登場した。
商店では商品配送用として使われるようになり、都市の細かな物流にも自転車が入り込んでいった。
子供たちにも「移動の自由」が生まれる
特に大きかったのは子供たちへの影響だった。
学校へ通うだけでなく、
図書館
公園
体育施設
商業セル
友人宅
などへ自分で移動できるようになった。
これまで公共交通機関に頼らなければならなかった移動が、自分自身でできるようになったのである。
休日には子供たちが自転車に乗って街を走り回る光景が当たり前になった。
都市の道路には、バスや貨物トラックだけでなく、自転車が大量に走るようになった。
こうして日本の都市では、
鉄道、バス、自転車
という三段階の交通体系が形成されていった。
鉄道が都市間・都市中心部を結び、バスが地域を結び、自転車が住宅地の細かな移動を担う。
これによって都市交通の効率は大きく向上した。
「移動できる」という新しい生活
自転車の普及は、単なる交通手段の追加ではなかった。
それは国民に、「自分の意思で移動できる」という新しい自由を与えた。
衣類、家具、家電、食品によって生活そのものが安定した。
そして自転車によって、その生活圏を自分自身の力で自由に広げられるようになった。
家から駅まで。
駅から学校まで。
学校から商業セルまで。
工場から住宅地まで。
都市から郊外まで。
それまで「少し遠い」と感じていた場所が、自転車によって日常生活の範囲へと変わっていった。
そしてこの自転車産業の成功が、日本の交通機械産業にとって最初の大きな転換点となった。
自転車を大量生産できるようになった工場は、次にさらに複雑な機械へ目を向け始める。
自転車からバイクへ。
バイクから自動車へ。
そして最終的には、国民の生活そのものを支える巨大な民間輸送機械産業へ。
日本の「民間交通革命」は、まず一台の自転車から始まったのである。




