402話 各部屋へ伸びる水道
水を運ぶ生活の終わり
五階建て集合住宅が都市住宅の主流だった時代。
人々はそれまでの暮らしよりもはるかに快適な生活を送っていたが、それでも誰もが一つだけ共通した不満を抱えていた。
「自分の家に水道がない。」
電気は各家庭まで送られている。
夜になれば照明は灯り、家電製品も少しずつ普及し始めていた。
しかし、水だけは違った。
マンションには給水設備が整っておらず、住民は毎日、公園や共同給水所までバケツやタンクを抱えて歩かなければならなかったのである。
朝になれば、まだ日も昇りきらないうちから給水所には長い列ができる。
母親はバケツを両手に抱え、父親は天秤棒に水タンクを吊るし、子どもたちも小さなを持って後ろを歩く。
一日に必要な水は飲料だけではない。
炊事。
洗濯。
掃除。
風呂。
一家七人ともなれば、一日に何十リットルもの水が必要になる。
そのため、一日に何往復も給水所と自宅を行き来する家庭も珍しくなかった。
夏は炎天下の中で汗を流しながら。
冬は冷たい風に手をかじかませながら。
毎日、毎日、水を運ぶ生活が続いていた。
人々は苦笑しながらこう言った。
「昔は井戸端会議だったが、今は公園端会議だな。」
給水所には自然と人が集まり、情報交換の場にもなっていた。
しかし、その裏では「いつになれば家で水が使えるようになるのか」という願いが誰の胸にもあった。
そして1630年代。
東京大再開発は、その何十年も続いた生活へ、ついに終止符を打つことになる。
二十階建てマンション 家の中へ文明が入ってくる
東京再開発の象徴となった二十階建てマンション。
その建物を初めて見た人々は、その高さにも驚いた。
しかし、本当に人々の価値観を変えたのは外観ではない。
中身だった。
入居した住民たちは、次々と驚きの声を上げる。
各家庭には最初から、
全戸への安定した電力供給
各部屋まで引き込まれた上水道
完全な下水道設備
都市ガス配管
ガスコンロ
給湯設備
浴槽
シャワー
水洗トイレ
全館空調による冷暖房設備
これらすべてが標準装備されていたのである。
それが、入居したその日から当たり前のように使える。
今までは、生活を成り立たせるために家の外へ出なければならなかった。
水を汲みに行く。
共同便所へ行く。
共同浴場へ行く。
しかし、新しいマンションでは、そのすべてが自宅の中だけで完結する。
生活という概念そのものが、大きく変わった瞬間だった。
バケツの時代から蛇口の時代へ
中でも、人々に最も大きな衝撃を与えたのが上下水道だった。
五階建て住宅で暮らしていた頃は、水を得ること自体が毎日の重労働だった。
公園で水を汲み、バケツへ移し、階段を上り、部屋まで運ぶ。
飲み水も。
料理用の水も。
洗濯用の水も。
風呂の水も。
すべて自分の力で運ばなければならない。
風呂へ入るだけでも、一日分の水を何度も往復して集める必要があった。
洗濯の日ともなれば、タンクが部屋中へ並ぶこともある。
使い終わった水は排水溝へ捨てるしかなく、場所によっては飲料水と生活排水が近接し、不衛生な環境も残っていた。
特に夏場には悪臭が発生し、衛生問題として政府も頭を悩ませていた。
ところが、新しい住宅では違う。
住民は台所へ立ち、恐る恐る蛇口をひねる。
透明な水が勢いよく流れ出した。
止めても、もう一度ひねれば、また同じように流れてくる。
ある老夫婦は、その場で何度も蛇口を開け閉めしたという。
流れる。
止まる。
また流れる。
何度繰り返しても、水は尽きない。
老婦人は目に涙を浮かべていた。
やがて二人は顔を見合わせた。
「今までの苦労は、一体何だったんだ。」
その光景は新築マンションで何度も繰り返された。
身分を問わず訪れた生活革命
この変化に驚いたのは町人だけではなかった。
旧武家。
役人。
学者。
職人。
商人。
身分を問わず、すべての人々が同じ感動を味わっていた。
特に武家屋敷で暮らしていた者たちは、広い屋敷を持ちながらも、水汲みや排水の苦労からは逃れられなかった。
だからこそ、自宅の中だけで生活が完結する新しい住宅は、彼らにとっても衝撃だった。
風呂は湯を沸かせばすぐ入れる。
料理は蛇口から水を出して始められる。
洗濯も大量の水を運ぶ必要がない。
さらに下水道が整備されたことで、街全体の衛生状態は劇的に改善した。
伝染病の発生件数は年々減少し、乳幼児死亡率も大きく低下する。
人々はようやく、「水を運ぶための時間」を失うことなく、その時間を勉強や仕事、家族との団らんへ使えるようになった。
上下水道は単なる設備ではない。
人々の人生そのものを変えた発明だったのである。




