382話 葵映像株式会社
それまで映画とは、風景や出来事を記録するための映像に過ぎなかった。
しかしこの日、人々は初めて「物語を映像で語る」という新しい芸術を目の当たりにしたのである。
映像。
音響。
音楽。
演技。
編集。
そのすべてが一体となり、一つの物語を紡ぐ。
大学での上映会以降、葵は観客から寄せられた感想を一枚一枚丁寧に読み込んだ。
「この場面は、もう少し間があった方が余韻が残る。」
「音楽が流れ始めるタイミングでもっと感情が動いた。」
「人物の表情を長く映した方が気持ちが伝わる。」
「背景の音が少し大きかった。」
「最後の場面は涙が止まらなかった。」
何百枚にも及ぶ感想用紙は、葵にとって何より貴重な研究資料だった。
もちろん、中には厳しい意見もある。
「映像が長すぎる。」
「話の展開が分かりづらい。」
「人物紹介が不足している。」
しかし葵は、それらを否定することは決してなかった。
作品は完成した瞬間に終わるものではない。
観客がどう感じたのか。
どこで笑い、どこで涙を流し、どこで退屈したのか。
そのすべてを分析し、次の作品へ生かす。
それこそが、本当の意味で作品を完成させる方法だと考えていた。
葵は一本作品を完成させるたびに研究を重ね、新しい表現へ挑戦し続けていった。
卒業研究では、大学時代に映画制作を共にしてきた仲間たちと共同で論文を執筆する。
テーマは、「映像芸術における演出・音響・編集の総合的研究」
映像演出。
音響設計。
効果音。
劇伴音楽。
編集技法。
照明。
カメラワーク。
それぞれ専門分野を持つ仲間が知識を持ち寄り、一つの体系だった学術研究としてまとめ上げた。
芸術を「感覚」ではなく「学問」として分析したその論文は、多くの教授から高い評価を受ける。
「映画という新しい学問の礎になる。」
そう評され、大学の研究資料として正式に採用されることになった。
こうして葵たちは、無事大学を卒業した。
1640年。
大学卒業後、葵は迷うことなく新たな挑戦へ踏み出す。
兄・航大の出資支援を受けながら、大学時代の仲間たちとともに、日本初となる民間映画会社を設立した。
社名は「葵映像株式会社」
撮影部門。
脚本部門。
編集部門。
音響部門。
美術部門。
それまで個人や学生の活動に過ぎなかった映画制作は、初めて一つの企業として組織化された。
これが、日本映画産業の始まりである。
奇しくもその年は、日本とスペインとの戦争が終結した年でもあった。
2年も続いた戦争が終わり、人々はようやく平穏な日常を取り戻し始めていた。
戦場から帰還した兵士たちは、安らぎを求めた。
子どもたちは、新しい娯楽を求めた。
人々は笑いたかった。
泣きたかった。
感動したかった。
映画は、その願いを満たす新しい文化となる。
葵映像株式会社は次々と新作を制作し、日本各地に上映館を設けていった。
笑いあり。
涙あり。
家族愛。
友情。
歴史。
恋愛。
冒険。
様々な物語が幕を彩り、多くの観客の心を動かしていく。
映画は単なる娯楽ではなく、人々の人生に寄り添う芸術として受け入れられ、日本全国へ急速に広まっていったのである。




