322話 気象観測衛星
本格気象衛星群計画 暁星3・4・5号
日本の宇宙軍は、暁星1号と暁星2号の実験成功を受け、ついに本番となる本格的気象衛星計画へ着手した。
それは、単なる気象観測計画ではなかった。
目的は、地球規模の気流の観測。
台風の発生と進路の追跡。
海流の変動の把握。
湿度や気温分布の継続的監視。
そして、それらすべてを統合した、世界規模の気象監視網の構築である。
気象衛星コンステレーション。
複数の人工衛星を連携させ、常時地球を観測する巨大な宇宙システムだった。
もし完成すれば、日本は世界で唯一、海の上で生まれる嵐を事前に知り、大陸の天候変化を先に把握し、農作物の不作や洪水の兆候さえ予測できる国家となる。
それは軍事だけではない。
外交。
海運。
農業。
防災。
国民生活。
国家のあらゆる分野を根本から変えてしまう力を持っていた。
だからこそ、この計画は、日本国内ですら極秘とされた。
知ることを許されたのは、ごく限られた者だけだった。
宇宙軍上層部
気象局
政府中枢の数名
そして明賢本人
それ以外の者たちは、巨大な宇宙計画が進んでいることすら知らない。
日本だけが、宇宙から地球全体の気象を監視しようとしていた。
1641年11月18日 暁星3号打ち上げ
ハワイ宇宙発射基地。
基地は外部に対して、「大規模整備工事中」と発表されていた。
発射場へ通じる道路は閉鎖。
港湾施設も厳重に管理される。
周辺海域では、日本海軍の艦隊が警戒に当たっていた。
一隻たりとも、許可なく発射場へ近づくことはできない。
夜になると、発射場全体が静かな闇に包まれた。
その中央。
発射台には、一機のロケットが静かに立っていた。
白い機体。
しかし、側面には何も書かれていない。
識別文字は伏せられ、国章すら最小限に抑えられている。
外部から見れば、ただの大型ロケットにしか見えなかった。
だが、その内部には、世界初となる本格的気象衛星、「暁星3号」が搭載されていた。
発射台の照明が、白い機体を静かに照らしている。
整備員たちは最後の確認を続けていた。
「暁星3号、最終チェック完了。」
報告が、次々とコントロールセンターへ送られていく。
控室
明賢は、発射管制室に隣接した控室で、大型モニターを見つめていた。
暁星1号の時には、自ら発射ボタンの前へ立った。
しかし今は違う。
宇宙軍も技術者たちも、すでに自立して動ける段階に入っていた。
管制。
軌道計算。
通信。
すべてが体系化され、組織として機能している。
だから、彼が直接指揮を執る必要はない。
だが、最終承認だけは別だった。
この計画の責任は、すべて明賢にある。
モニターには、夜空の下で静かに立つロケットが映っている。
しばらく見つめた後、明賢は小さく息を吐いた。
そしてマイクへ向かって、静かに告げた。
「発射を許可する。」
短いひと言だった。
しかし、その言葉が発せられた瞬間、コントロールセンターの空気が変わった。
技術者たちは背筋を伸ばす。
宇宙軍司令も、ゆっくりと頷いた。
「了解。」
「暁星3号、発射手順へ移行。」
全員の視線が、大型スクリーンへ集まる。
発射
カウントダウンが始まる。
10……
9……
8……
夜の発射場に、機械音が響く。
7……
6……
5……
推進剤が送り込まれ、機体各部の最終確認が行われる。
4……
3……
2……
発射台の周囲へ、大量の水が流れ始める。
赤い炎と白い霧が広がる。
1……
0。
「点火。」
ゴオオオオオオオオオオオッ!!
白金色の炎が、発射台の底から噴き上がった。
夜が、一瞬だけ昼へ変わる。
水の壁が蒸発し、大量の蒸気となって広がった。
巨大なロケットが、ゆっくりと上昇を始める。
そして。
次第に加速しながら、暗い空へ向かって昇っていく。
轟音だけが、島全体を震わせていた。
やがて、白い機体は小さな光となる。
さらに高く。
さらに遠く。
そして、夜空へ溶け込むように、静かに消えていった。
暁星3号は、人知れず宇宙へ向かっていた。
日本だけが知る、地球規模気象監視網。
その第一歩が、再び静かに始まったのである。
1641年12月15日 暁星4号打ち上げ
暁星3号の安定運用が確認されると、宇宙軍は間を置かず次の段階へ進んだ。
打ち上げられるのは、暁星4号。
海流と海面温度の観測に特化した、海洋観測衛星である。
この衛星には、従来より大型化された放射計と、海洋観測用レーダーが搭載されていた。
目的は単純だった。
地球の海を知ること。
どこに暖流が流れ、どこに寒流が存在するのか。
深層水がどこで湧き上がり、海水温がどのように変化しているのか。
それらを宇宙から常時観測するのである。
もし成功すれば、海流と気象との関係を、初めて地球規模で理解できるようになる。
さらに、
漁場の予測。
海軍の航路設定。
台風発生海域の把握。
長期的な気候変動の分析。
あらゆる分野で、これまでとは比較にならない情報が手に入ることになる。
今回の発射は、日没直後に実施された。
西の空に、わずかに夕焼けが残る時間帯。
発射場周辺には、新たな設備が追加されていた。
巨大な遮音壁である。
何層もの特殊構造を持つ壁が、発射台を囲むように建設されていた。
ロケットの轟音を外へ漏らさないためだった。
当然ながら、完全に音を消すことはできない。
しかし、爆発的な音圧を分散し、山岳地帯へ逃がすことはできる。
発射時には、轟音が山々へ吸い込まれるように反響し、海上へは最小限しか届かないよう工夫されていた。
発射場では、最後の確認が行われる。
「暁星4号、最終チェック完了。」
「通信系統、異常なし。」
コントロールセンターに、次々と報告が流れ込む。
宇宙軍司令が、命じた。
カウントダウンが始まる。
10……
9……
8……
発射台周囲へ、大量の水が流れ込む。
7……
6……
5……
エンジンへ推進剤が送り込まれる。
4……
3……
2……
1
「点火。」
ゴオオオオオオオオオオッ!!
白い炎が噴き上がり、巨大なロケットが夜空へ向かって上昇を始める。
轟音は遮音壁へぶつかり、低い唸りとなって山々へ吸い込まれていった。
白い尾を引きながら、ロケットは加速する。
やがて一段目が分離。
二段目点火。
さらに高度を上げていく。
「暁星4号、軌道投入成功。」
管制室に、報告が響いた。
一瞬の静寂。
すぐに続報が届く。
「海面温度データ受信開始。」
大型モニターへ、最初の観測画像が表示され始めた。
赤。
橙。
黄。
青。
色分けされた海が、地球規模で映し出される。
暖かな赤道流。
冷たい海流。
沿岸部の温度変化。
さらに、深層水が湧き上がる海域まで、はっきりと確認できた。
誰も言葉を発しない。
しばらくして、空軍気象部門の研究者が、震える声で呟いた。
「これで、気象学が百年進むぞ」
誰も否定しなかった。
むしろ、百年でも足りないかもしれないと感じていた。
1642年1月25日 暁星5号打ち上げ
そして翌年。
宇宙軍は、最後の一手を実行する。
暁星5号。
雲量。
降水量。
雷活動。
それらを総合的に観測する、高性能気象衛星だった。
この衛星は、暁星3号と暁星4号との位置関係まで計算されていた。
三機が互いに補完し合うよう、軌道が精密に調整されている。
三角配置。
それによって、地球全域を死角なく観測することが可能になる。
海。
大陸。
極地。
赤道。
あらゆる地域の気象を、常時監視できる体制だった。
発射時刻は、真夜中の三時。
月明かりだけが、発射場を照らしていた。
記録は、すべて複数のRSA暗号で保護される。
発射ログ。
通信データ。
軌道情報。
すべて極秘扱いだった。
関係者でさえ、必要な情報しか与えられない。
発射手順は、静かに進められた。
10……
9……
8……
夜の発射場へ、機械音だけが響く。
7……
6……
5……
4……
3……
2……
1……
「点火。」
轟音。
白い炎。
そして、暁星5号を載せたロケットが、暗い空へ飛び立った。
数十分後。
報告が届く。
「暁星5号、衛星機能起動。」
「雲量解析カメラ、正常。」
「降水観測系、正常。」
「雷放電センサー、出力正常。」
三機の衛星データが、初めて統合された。
巨大モニターに、地球全体が映し出される。
白い雲が、海の上を流れていく。
赤道付近で、巨大な対流が発生している。
大陸上では、寒気と暖気がぶつかり合っている。
海上では、小さな渦が少しずつ成長している。
それは、まるで生き物のようだった。
地球そのものが、呼吸し、脈打ち、動いている。
巨大モニターには、かつてないほど詳細な、「気象の鼓動」が映し出されていた。
台風の卵が、どの海で生まれ、どの気流に乗り、どの海流の影響を受け、そして、どこへ進んでいくのか。
すべてが、手に取るように分かる。
長い沈黙の後。
明賢が、静かに呟いた。
「これで、世界の気象情報は日本のものだな。」
誰も返事をしなかった。
ただ、巨大モニターに映る青い地球を、静かに見つめ続けていた。
機密保持の徹底
しかし、この事実を知る者はほとんどいない。
一般市民はもちろん。
多くの公務員でさえ知らない。
国会でも、「気象観測技術の研究が進んでいる」
とだけ報告された。
人工衛星の存在。
宇宙からの常時観測。
全球規模の気象監視網。
それらは、一切語られなかった。
宇宙軍将校の家族ですら、何が行われているのか知らない。
世界各国も同様だった。
誰一人として想像していない。
海を渡る帆船の上も。
王宮も。
砂漠も。
大洋も。
そして戦場となりうる土地さえも。
すべてが、遥か上空から、静かに観測されていることを。




