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19話 見聞を得る

来訪


ある日、屋敷の門前に、はっきりと目を引く葵の紋を掲げた一行が姿を現した。

道中の塵をまとった馬と、揃いの装束に身を包んだ供回り。その佇まいだけで、来訪者の身分がただならぬものであることは明らかだった。


その報せを受け、父と兄は急ぎ玄関へと向かう。

門が開かれ、馬を下りた使者の先頭に立っていたのは、本多正信。

表情は穏やかで、声を荒らげる気配もない。しかし、その目の奥には、数多の政争と戦をくぐり抜けてきた者だけが持つ、冷えた光が確かに宿っていた。


「噂はすでに殿の耳にも届いておる」


正信は静かに周囲を見渡しながら、淡々と続ける。


「光と旗で軍を操る少年がいると。声も太鼓も用いず、陣を自在に動かす者がいる、とな。」


父は一歩前に進み、深く頭を下げた。

その動きには、驚きと緊張、そして覚悟が入り混じっていた。


「はい。その噂にございますのが、我が次男・明賢でございます。」


正信はわずかに眉を動かし、父の顔を見たあと、再び屋敷の奥へと視線を向ける。


「十にも満たぬ子と聞いたが、まことか。」


「ええ。しかし」


父は一瞬言葉を探し、慎重に続けた。


「この子の理と考えは、すでに我らの及ぶところではございませぬ。」


正信は小さく息を吐き、扇を閉じる。

そして半歩前へ出て、穏やかな声で言った。


「ならば、その子に会わせてもらおう。噂ではなく、この目で確かめたい。」


その言葉に、場の空気がわずかに引き締まった。


対面


書院の襖が、音もなく静かに開かれる。

柔らかな光が差し込む室内には、すでに一人の少年が正座して待っていた。


小柄な体躯。だが背筋はまっすぐに伸び、視線には揺らぎがない。

それが、明賢だった。


彼の前には、几帳面に並べられた巻物と図面。

筆致は幼さを残しながらも、内容は緻密で、線に迷いがない。

さらに机の上には、金属で作られた小さな模型

信号塔、地形を再現した縮尺模型、反射板を模した部品が整然と置かれていた。


本多正信は書院に足を踏み入れたまま、しばし動かず、その光景を眺めた。


「……ほう」


感嘆とも、警戒ともつかぬ声が漏れる。


「机上の理を語るだけではなく、すでに形にしておるか。」


明賢は一礼し、深く頭を下げた。


「お初にお目にかかります。葛城明賢と申します。」


その声は幼さを含みつつも、震えはない。

言葉は短く、しかし確かな重みを伴っていた。


正信はその声音を聞き、思わず年齢を疑うように目を細める。


「おぬしが、例の噂の者か。光で軍を動かすと聞いたがいったい、どのような戦術なのだ。」


問いは穏やかだが、核心を外さない。

明賢は図面を一枚取り、机の上に広げた。


「戦場では、声は混乱を招きます。太鼓や笛は届く範囲が限られ、伝令は時間を要します。」


そう前置きし、指先で陣形と信号線をなぞる。


「しかし光であれば、一瞬で命を届けられます。太陽を利用し、鏡で反射させ、符号を合わせれば、数里先であっても、次の動きを正確に伝えられるのです。」


「数里先に、だと……?」


正信の扇がわずかに止まる。


「はい。地形をあらかじめ計測しておけば、可能です。光は音よりも早く、そして乱れません。」


「……地形を計算する、と申したな。」


「ええ。地形は戦術の幅を変えます。事前に地形を計算し、地形に対応して戦術を組めば、どこから命令を下し、どの部隊を動かすのか、おおよその見当はつくのです。」


淡々と語られる言葉に、誇示も虚勢もない。

ただ事実として積み上げられた理だけが、そこにあった。


その場に居合わせた家臣たちは、知らず息を呑んでいた。

父もまた、改めて姿勢を正し、深く息を整える。


この少年は、確かに違う。


書院にはしばし沈黙が落ち、本多正信の視線だけが、静かに明賢を測り続けていた。


試問


正信はしばし言葉を切り、静かな沈黙を置いた。

書院に漂う空気が、わずかに張りつめる。

彼はゆっくりと扇を閉じ、そのまま膝を正した。


「ひとつ、問おう。」


声は低く、しかしよく通る。


「そなたが申す戦、それは、ただ勝つことばかりを考えておるのか。」


その問いは、戦術ではなく、思想そのものを測るものだった。

明賢は一瞬もためらわず、顔を上げる。


「いえ。」


短く、しかし即座に否定した。


「勝つための理は、戦を続けるためのものではありません。戦が始まる前から終わらせるためのものです。」


室内の視線が、明賢に集まる。


「戦は始まってから決着が着くようなことはありません、戦が始まる前から、常に徹底的に準備され、開戦すると、予定通りに進むのです。」


一拍置いて、静かに言葉を結ぶ。


「それこそが、理の勝ちだと考えています。」


正信はしばらく無言で明賢を見つめていた。

やがて、わずかに口元を緩め、扇を開く。


「なるほど。」


その笑みには、驚きと納得が混じっていた。


「その言葉は、家康公が、好みそうな響きだ。」


続けて、独り言のように言う。


「殿も常々、『力ではなく理で国を治めねばならぬ』と申されておる。」


明賢はその言葉を聞き、わずかに目を伏せた。

そして、過剰な敬意も、媚びも含まぬ声で答える。


「ならば……同じ志を持つ方の下で働けることを、光栄に思います。」


その言葉に、場の空気が静かに定まった。


試練の予告


面談を終え、正信は屋敷を辞する支度を整えた。

玄関先まで見送りに出た父に向き直り、足を止める。


「葛城殿。」


その声には、もはや探る響きはなかった。


「この子の考えは、たしかに、尋常ではない。」


父は黙って頭を下げる。


「だがな。」


正信は続ける。


「理が理のままで終わるか、力となって世を動かすかは、別の話だ。」


父は顔を上げる。


「試練、ということでございましょうか。」


「うむ。」


正信は静かにうなずいた。


「いずれ殿が大きく動かれる時、この子の知恵は、机の上では済まされぬ。戦場で試されることになるだろう。」


その言葉は、予告であり、通告でもあった。


馬に跨る前、正信はもう一度だけ屋敷を振り返る。

書院のある方角へ、意味深な視線を送った。


「もし、この子が本物であれば。」


「いずれ国を動かす中心に立つことになるだろう。」


それは祝福でも、警告でもあった。

未来を見据えた者だけが口にできる、重い言葉だった。


夜の灯


その夜、屋敷は静まり返っていた。

書院には1つの灯だけがともり、明賢は机の前に座していた。


揺れる灯心を、じっと見つめる。

昼の言葉が、頭の中で何度も反芻されていた。


そこへ、音を立てぬよう清助が近づき、茶をそっと置く。


「どうでしたか。」


声を潜めて尋ねる。


「家康公の側近という方は。」


明賢は視線を灯から外し、静かに答えた。


「本多正信、鋭い人だ。」

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