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18話 練習試合

疑似戦闘の開始


父の提案により、葛城家は近隣の友軍

同じく徳川方に属する松平家の支隊と、合同演習という名目での疑似戦闘を行うことになった。


表向きはあくまで訓練。

だが実情は、誰の目にも明らかな試験であった。


「どちらの戦術が、次の戦に耐えうるか。」


その問いに答えを出すための、小さくも重い一戦である。


兵力は双方とも三百。

地形は、緩やかな丘陵と森に挟まれた一帯。

中央には開けた平地があり、左右には起伏と樹林が広がる。


松平側は、従来通りの戦法を採った。

号令、太鼓、伝令

人の声と音で兵を動かす、戦国の常道。


対する葛城側は、一切の号令を禁じていた。


使うのは、光と旗、そして沈黙のみ。


兵たちは口を閉ざし、ただ決められた合図だけを待って陣に就いた。


丘の上には、信号塔。

その影に、望遠鏡を手にした明賢がいた。


静寂の陣


午前。

霧がゆっくりと晴れ、視界が開ける。


その瞬間、太鼓の音が鳴り響いた。


「進め――!」


松平隊が一斉に動き出す。

声が重なり、地面が震える。


しかし、葛城隊は、動かない。


陣は静まり返り、風の音だけが流れていく。


丘の上。

信号塔の反射板が、太陽光を受けて鋭く光った。


明賢が作った信号符

短く、明確な合図が送られる。


次の瞬間。


葛城隊の両翼が、ほぼ同時に、静かに後退した。


松平側の将はそれを見て、即座に判断する。


「退いている! 中央を突け!」


敵はそれを動揺と見誤った。

突破口が開いたと信じ、中央突破を命じる。


その刹那。


伏せていた鉄砲小隊が、森から一斉に現れた。

左右から、斜めに食い込むような突撃。


同時に、後退したはずの両翼が反転し、包囲の輪を完成させる。


まるで、見えない糸に操られているかのように。


松平隊の陣は、声が届く前に崩れ始めた。


「なぜだ……動きを、完全に読まれている!」

「伝令も走っておらぬのに、どうして統率が……!」


将の叫びは、混乱の中に溶けていく。


戦は、一時間足らずで決した。


無敗の記録


この疑似戦闘を皮切りに、葛城家は同様の演習を一月の間に三度行った。


相手は異なれど、結果はすべて同じだった。


葛城側の勝利。


しかも、自軍の損害は常に最小限。


無理な突撃はなく、無駄な追撃もない。


兵は疲弊せず、指揮系統も乱れない。


戦が終われば、次の動きに即座に移れる。


それを見た者たちは、口々に語った。


「あの隊は……人ではないようだ。」

「まるで機械のごとく、正確に動く。」


「合図も声も要らぬ軍など、聞いたことがない。」

「一度噛み合えば、崩しようがない。」


噂は、瞬く間に広がった。


そしてついに、徳川家康の陣営にも届く。


「武蔵の葛城家、奇策をもって連戦連勝。」

「静かなる軍、声なき指揮。」


その報せを聞いた者たちは、一様に同じ疑問を抱いた。


その背後で、誰が、この戦を描いているのか、と。


明賢はまだ、名を出していない。

だがその理は、すでに戦場で、確かな形を持ち始めていた。


家康の部下、動く


ある日、葛城家当主である父のもとに、一通の書状が届けられた。

厚手の和紙に、端正な筆致。封蝋には、見紛うことなき三つ葉葵の紋が押されている。


差出人は徳川家康の側近にして参謀、本多正信。


父は一瞬、言葉を失った。

ただの噂話や地方武将同士の内々の競争ではない。

これは、徳川の中枢が正式に動いた証だった。


書状には簡潔に、しかし重みのある言葉が並んでいた。


『葛城家にて行われる新式訓練につき、殿の命により、見聞のため使者を派す。近日中に視察を許されたい。』


父は書状を畳み、深く息をつくと、すぐに明賢の部屋へと足を向けた。


「明賢よ、ついに、家康公の目に留まったぞ。」


灯の下で書物を読んでいた明賢は、ゆっくりと顔を上げた。

驚いた様子はない。ただ、わずかに眉を動かしただけだった。


「早いですね父上。想定より一年ほど前倒しになりました。」


「どうする。見せてよいのか?」

父の声には、期待と不安が入り混じっていた。


「もちろん見せます。隠していては、ここまで積み上げた意味がないので。」


明賢はそう言って、机の上の図面を指で押さえた。


「だが、理のすべては明かさない。彼らに見せるのは結果だけだ。仕組みは伏せる。」


父は黙って頷いた。

息子が、もはや単なる助言者ではないことを、改めて実感していた。


視察の日


数日後の早朝、屋敷の門前に三騎の馬が姿を現した。

整えられた装束、無駄のない身のこなし。

ただの使者ではないと、ひと目で分かる。


先頭に立つ男は、徳川家旗本。

井伊直政の腹心として知られる、鳥居重成だった。


「本日は視察との名目だが」


その眼差しは鋭く、訓練の真贋を見極めようとする覚悟が滲んでいた。


訓練場にはすでに兵が整列している。

私語はなく、足音すら抑えられていた。


明賢は、いつもと変わらず小高い丘の上に双眼鏡と地図を持ち立つ。

年端もいかぬ少年の姿でありながら、その立ち姿には迷いがなかった。


信号塔には清助が上がり、反射板を構える。

朝の光を計算し尽くした位置だった。


「始めよ。」


その一言とともに、光が走った。


反射した太陽光が符号を描き、瞬時に各隊の隊長へ伝わる。

声はない。太鼓も鳴らない。

それでも兵たちは、寸分の狂いもなく動き出した。


斥候が前に出て敵意を誘い、意図的な乱れを演出する。

それを追う敵を、森の縁で伏兵が包み込む。


旗が一本翻るだけで、陣形が回転する。

まるで1つの生き物のように、部隊全体が呼吸を合わせていた。


鳥居重成は、言葉を失っていた。


「これは、戦ではない。」


彼の口から、低く声が漏れる。


「最初から最後まで、すべてが計算だ。」


その日のうちに、彼は密書をしたため、江戸へと飛ばした。


『武蔵国葛城家の若子、明賢。光と理をもって兵を操り、三度の模擬戦に無敗。その指揮、戦国の常識を大きく逸脱す。一見童子、しかし内には老獪なる将の眼あり。』


明賢の静かな計算


訓練が終わり、兵が退いたあと。

清助が丘を登り、明賢の隣に立った。


「見事でした。これで確実に、家康公の目に届きます。」


「届くのは噂までだ。」


明賢は淡々と答えた。


「肝心なのは、その先だ。ただの奇策で終わらせては意味がない。」


「では、次は……?」


「信頼を得る。」


清助は一瞬、首を傾げた。


「信頼、ですか。」


「そうだ。家康が私を使えると判断した瞬間、盤面が変わる。」


明賢は地図を広げた。

関ヶ原、近江、尾張、そして江戸

これから動くであろう戦と国の要所が、静かに並んでいる。


「次は、もう演習ではない。戦場そのものだ。」


少年の声は静かだったが、そこに迷いはなかった。


「理で勝ち、理で治める。その証明を、次で終わらせる。」


夜風が地図の端を揺らし、灯の炎がわずかに揺れた。

歴史の歯車が、確かに1つ噛み合った瞬間だった。

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