37 神宮球場の決戦
明治神宮野球大会高校硬式の部。
実は神宮は軟式野球の大会もやっているのだが、とりあえずは関係ない。
午前中に高校の部の決勝があり、午後は大学の部の決勝である。
関係ないが大学の部の決勝は、東都リーグ代表の東名大学と、関西リーグ代表の立生館大学の対決である。
ブランド力では最高のはずの六大代表は、あっさりと初戦で負けていたりする。
実力でもトップレベルのはずなので、今年の結果は珍しい。
なお六大の代表だったのは帝都大学である。
ちなみに神宮球場というのは元は、大学野球を行うために建設された球場である。
正式名称からも分かる通り、明治の時代である。そこから何度も改修はされてきたが、大学野球の聖地であることに変わりはない。
大京レックスはここを本拠地としているが、立場的には大学野球の方が上。
なんとリーグ戦が行われている時に延長になったりすれば、プロの球団の方が練習時間を遅らせたりするのだ。
神宮球場において、大学野球はプロ野球より偉い。
そもそもプロ野球が発生するはるか前から早慶戦などは行われているので、伝統という点でもプロ野球よりは上。
まあさすがに実力まで上回ってはいないのだが、プロの二軍などとは大学が練習試合をすることはある。
高校野球はプロの二軍とでも練習試合など行わないのだが、そもそも二軍でもプロに勝てる高校は普通いない。
なぜなら高校野球のエリートの中でも、特に選ばれた者のみがプロへと進むからだ。
もっともU-18チームであったら、二軍には勝てるかもしれない。
この後に行われる大学の部を見に来た観客もいるので、客席は満員だ。
東都リーグは一部の試合は神宮で行われるので、そのファンも多くいる。
「東名大ってトーチバの親だよな?」
「親って言い方はなんだけど、まあそうだな」
「あと神奈川の東名大相模原も付属だ」
「付属の高校が強い大学は、やっぱり大学も強くなるのかね」
ベンチの中ではそんな呑気な会話がなされていたりする。
対戦相手は大阪光陰であり、投手は真田である。
準決勝も一人で投げきったとは言え、丸一日空いているので、ほぼ回復していると考えるべきだろう。
それでも本日の対決は、真田に対しては待球策である。
白富東は後攻なので、守備練習は後である。
監督兼マネージャーのシーナがノックをするので、その姿を写真に収めるマスコミも多い。
大学にまで進めば、シーナも普通に試合には出られるようになる。
高校の規約が変わったことで、最後の夏に出られることになったのは喜ばしいが、大学野球では普通に一年から選手登録されることが可能なのだ。
そう考えるとこの大会は、何やら因縁めいて感じられたりもする。
先攻の大阪光陰は、ノックを見ていてもどこかギクシャクした感じがした。
試合前に、直史と大介は旧知の間柄であるので、大阪光陰の木下監督に挨拶をしにいった。
「元気がないってほどじゃないけど、あんま余裕は感じられなかったな」
大介はそう評するが、そもそもワールドカップで木下が半分死んだ目をしていたのは、主にこいつのせいである。
試合の采配どうのではなく、マスコミ対策が大変であった。
今日の木下は厳しい顔をしていたが、その内面はどうであったのか。
「とりあえず三者凡退よろしく」
ジンの声を受けてマウンドに登る先発は直史である。
秋季大会以降の大阪光陰のデータは、かなり充実している。
白富東も研究されているが、大阪光陰は新チームでかなりスタメンも変わっているため、よりその研究は深いものとなる。
エースは一年の真田。豊田は最終学年であるが二番手である。
だがこの二人の成績は、ほぼ拮抗している。
正確に言うと、キャッチャーの大蔵との相性が真田は良くない。
とは言っても大蔵のキャッチャーとしての能力は、総合的には悪くない。真田を甘く見て攻略することは出来ないだろう。
大阪光陰の一番は、一年生の左打者毛利。センターを守っているからには足もある。
府大会と近畿大会では四割を打っているし、出塁率も五割を超えている。おまけに長打も打てる。
そんな粘り強い打者に対して、直史の初球は、外に外れるカーブであった。
直史の変化球で厄介なのは、特にストレートとカーブのコンビネーションである。
落差があって緩急もつけられるカーブと、球速の割には伸びるストレートとチェンジアップ感覚のスローボールで、空振りが取れる。
二球目はインハイにストレート。これはゾーンに入っていたが普通に見送られた。
一番打者として、じっくりと見ていく作戦らしい。
(そう見せかけて打ってくるだけの打力はあるんだよね)
ジンの要求した三球目はカットボール。
甘いところからゾーンぎりぎりに制球された球を引っ掛けてファーストゴロであった。
二番の明石は右打者で、こいつも四割を打っている。
逃げていくスライダーを打たされて、これまた三球で終了。
三番には夏の甲子園で、二年で唯一スタメンであった大谷。
分析によるとこいつも巧打者だ。長打も打てる。だがデータも揃っているし、直史に対する苦手意識もあるだろう。
アウトローを見逃して三振であった。
難しいことではあるが、先取点がほしかった大阪光陰木下監督である。
真田の調子が万全でないことは、木下ももちろん把握している。大蔵のリードが合わないこともだ。
しかし純粋なキャッチング技術に関しては、明らかに大阪光陰のキャッチャーでは一番であるし、豊田と組ませたら数字は上がるのだ。
純粋にバッテリーとしての相性が悪いのだ。性格が合わないとかではなく確執があるわけでもなく、部内でも話さないということはないので、これは時間をかけるか何かのきっかけを待つしかない。
実力的には下級生の真田の方が上というのも、上手くいかない原因なのかもしれない。
大蔵はピッチャーを自分がリードするという意識が強いし、真田に対してはむしろ上級生として、自分がしっかりとしなければいけないという意識が見られる。
しかしそれが真田に首を振らせて、リズムよく投げるのを妨げることになっている。
一回の裏、白富東の攻撃は、当然ながらアレクからである。
アレクは感覚で打つタイプではあるが、当然ながら真田の攻略法も聞いてはいる。
「もし首を振ったら、初球からストライクを取ってくる。それもストレートじゃなくスライダーで」
ジンはそう予想していた。
そしてそれは当たった。
背中側から変化してくる、インローのスライダー。
アレクの打球は右中間を抜けていった。
大蔵にとってはアレクは初対決の高打率打者なので、自分としてはボール球から入りたかったのだろう。
だが真田が拒否した。すると大蔵としては左打者に対する真田の最大の武器で攻略したくなる。
背中から曲がってくるような、高速のスライダーをボールからストライクに。しかも低めであれば、おそらくはヒットにはならないであろう。
大蔵の心理はジンにはよく分かった。
夏の決勝ではこの心理を見破られて、樋口にホームランを打たれたのだ。
もっとも樋口の恐ろしいところはその洞察を、最後の一打席にまで残しておいたことだ。
白富東がリードしていたあの試合では、どこかの打席に使いたかった読みだろう。
とりあえずこれで分かった。
大蔵のキャッチャーとしてのリード能力は、ジンよりも下である。
二番の鬼塚に対しての指示は、併殺以外はなんでもいい、というものである。
無難なところでは送りバントなのだろうが、すると大介が敬遠されてしまう理由が作られる。
しかし鬼塚はバントの構えこそ見せないものの、オープンスタンス気味に立っている。バントの体勢に移行できる。
(ここでバントさせてもいい。いやむしろバントで一塁が空いた方が敬遠しやすい)
高めの吊り球を要求する。真田としてはフライを打たせてアウトにしたい。大蔵はあっさりとバントをしてもらってワンナウトを取りたい。
同じ球でも、バッテリーの目的が食い違う。
高目への速球。鬼塚は足を引いてバットのトップを引き絞る。
ライト前へのクリーンヒットとなった。
一回から連打を浴びることに、真田は慣れていない。
元々立ち上がりが悪いタイプではないのだ。しかし連続で初球を狙われた。
大蔵のリードが悪いとは思わない、自分でも頷いて投げている。
だがそれをあっさりと打たれているのだから、むしろ始末におけない。
(それでも普段ならこんなに連打を食らうことはないのに)
一番の中村アレックスはいい打者だ。甲子園でも大活躍した。
しかし二番の鬼塚には、完全に高目を狙われてしまった。
相手がバントと思い込んでしまったバッテリーのミスだが、引退した竹中などはこんなミスはしなかった。そもそもあの人は涼しい顔でバッターの裏を掻くのが得意であった。
(そんでこの人かよ)
流れるダースベイダーのテーマに合わせて、白石大介が打席に立つ。
真田は強気なピッチャーであるが、無謀な人間ではない。
甲子園で場外弾を浴びた不名誉なピッチャーと自分のことを思っていたが、あのワールドカップを見てから認識を改めた。
人間が素手で獅子に挑むようなもので、そもそも同じ人間と思ってはいけないのだ。
しかしそんな打者を相手に、ノーアウト一二塁というこの状況。
相手の投手が相手だけに、下手をすればここで試合が決まる。
やはり大蔵も同じ考えらしく、タイムをかけて歩み寄ってきた。
内野陣も集まり、ベンチを確認する。
敬遠のサインだ。
ノーアウト満塁で、白富東は五番までは四割を超える強力打線だが、それでも大介との対決は回避する。
よく言われるのが、ノーアウト満塁からでは意外と点が入らないということである。
それに満塁にしてしまえば、フォースアウトが取れる。
「中途半端な敬遠だと下手すれば打たれるので、もう立ってください」
大介が際どいコースでも打ってしまうのは分かっているので、意思の疎通は速やかだった。
白石大介が敬遠される。
現時点で既に、高校ナンバーワン左腕とも言われている真田だが、ここで蛮勇を発揮することはない。
観客も甲子園球場に比べるとはるかに穏やかだ。あそこは下手に敬遠をすると、高校生向けでもひどいヤジが飛ぶ。
敬遠球を無理やり打つなどということもなく、大介は素直に歩いた。
(そりゃそうだ。こんな場面で俺を抑えられるやつなんていねえだろ)
そう思いながらも二人ほどはすぐに思い浮かぶ。上杉と、そしてチームメイトの顔。
あいつとプレイするのは、もう一年を切っている。
大学へ進み、卒業後もプロには行かないとはっきり言っている直史とは、結局公式戦で対決することはない。
国際大会などでまたチームメイトになる可能性はあるが、敵として戦うとしたら、プロになってから二軍か三軍で、大学生のチームを相手にするぐらいしかない。
それも在京球団だ。
直史と戦うことはない。
戦いたい、というわけではない。上杉に対して抱いたような、強烈な敵愾心はない。
あるいはお互いが完全に無名なころから一緒にやってきたから、身内感覚になっているのか。
だが、それでいいのかという思いはある。
どんな状況であろうと、もう直史と自分は戦わない。そんなことを野球の神様は許してくれるのだろうか。
まだ遠い未来のことを、大介は考える。