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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第七章 白い軌跡 二年目・秋 うつろう世界
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35 一点の重さ

本日二話目

 先頭打者のアレクに対して、甘いコースのストレートと思えば、わずかに変化したカットボール。

 力んで打ってしまったそれは内野ゴロとなった。

 二番の鬼塚に対しては低めに集めた球で、やはり内野ゴロ。

 ここまではいい。しかしランナーはいないが、一撃で試合を決められるバッターの登場である。


 去年の関東大会は、決勝で神奈川湘南に負けてしまったので、神宮大会はこれが最初で最後の白石大介である。

 聖稜に瑞雲と、二試合連続でホームランを打っている。出塁率は八割以上。

(さて、レジェンドレベルの打者)

 村田は状況から、最善の選択を考える。

 高杉はオラオラ系の投手であるが、敬遠を拒否することはない。

 それもまた武略のうちだと思っているからだ。しかしツーアウトでランナーはいないのだ。


 ここは甲子園ではないので、観客の野次もそれほどひどくはない。

 だがそれとは関係なしに、高杉はこのバッターと勝負したい。


 村田は立ち上がらない。

 勝負だ。




 単純に球速で大介に勝とうと思えば、最低でも160km以上が必要になる。

 高杉の最速は148kmで、持っている球種も極端に緩急をつけるものではない。

 同じピッチトンネルを通すものなので、持っている技術は高い。しかし大介の動体視力はそれを一瞬で見切る。


 村田が三点は必要と言ったのは、ランナーなしの状態では大介と勝負をするという前提があるからだ。

 個人的にはツーアウトからなら塁に出してもあまり怖くないので、それは同時にこの状況では、ホームラン以外なら大丈夫ということでもある。

(試したいこともある)

 おそらく次の打席には修正してくるだろうが、この打席ならば有効のはずだ。


 初球は大きく落ちる縦スラ。ほとんどカーブである。普段の高杉なら投げない球だ。ボール。

 問題は二球目。これに高杉が頷いてくれるか。


 頷いた。高杉もまた、勝負師である。

 投げる球はストレート。

 外角のベルト付近の高さ。ゾーン内だ。

 大介にとってはホームランボール。


 しかし打球は鋭いながらも、セカンドへの内野ゴロであった。

 久坂が処理してスリーアウト。

 相手の主砲を封じる、満点の滑り出しであった。




 三者凡退に違いはないが、明倫館の方がイメージは良い。

 白富東の高打率打者、アレクと大介を無難に打ち取ったからだ。

 三振は取っていないが、その分球数もわずかに六球である。


 苦々しい表情を浮かべながらも、大介は守備に駆けていく。

「ねえ、なんであれ打ち損じたわけ?」

「そりゃ大介先輩だって、打率10割じゃないんじゃないっすか?」

「あんな球を打ち損じるなんて珍しいどころの騒ぎじゃないでしょ」

 シーナとしては大介のミスバッティングの原因は探っておきたい。

 しかしベンチにそれを考えられる者は少ない。

 直史だって、昨晩の大介の素振りをみていなければ気付かなかっただろう。


「坂本の球の残像だろうな」

 そう言えば、とシーナも思い至る。

 他の合点のいかないメンバーに向かって説明する。

「昨日、坂本の最後のストレートと同じコースだったのよ」

 ベルトの高さで外角。昨日はボールの下を空振りした。

 今日は逆にボールの上を叩いてしまった。


「昨日はそれまで全部ゆるい球だったから、山なりの軌道に目が慣れて、ストレートの下を振っちゃったわけよ」

 それでもフライにならず空振りになったのだから、あの坂本の遅いストレートは伸びのあるストレートだったはずだ。

 そして今回は逆に、伸びのないストレート。ひょっとしたら高速チェンジアップかカットだったのかもしれない。

「だからセカンド正面のゴロになったというわけ」

 得意そうに説明するシーナであるが、大介が昨日のバッティングをまだ引きずっているというのは、当然ながらいいことではない。


 それに、それを見越したリードを行った相手のキャッチャー村田。もしくは監督が気付いたのかもしれないが、それを実行出来たバッテリー。

 数字のデータだけを手に入れた、今年の夏までの記録では、村田は公式戦にキャッチャーとしては出ていない。

 彼がキャッチャーになってからは、明倫館は一度も負けていない。

 その事実が他の全ての数字よりも恐ろしかった。

 なにしろ負けてないチームの中に、大阪光陰があったので。

 新チームだということを考慮しても、大阪光陰と引き分けたというのは凄すぎる。




 試合は投手戦と言うよりは、膠着した状態になった。

 ぽつぽつとヒットは出るのだが、得点に結びつかない。

 どちらかというと押されているのは白富東だろうか。相手のピッチャー高杉のリズムが良く、出会いがしらでヒットになっても、後続をきっちりと抑える。

 そして大介の前にはランナーを出さない。

 二打席目の大介はセンターオーバーの二塁打だったが、結局は点に結びついていない。


 スコアは0-0のままで六回の裏、先頭打者としてこの試合三打席目の大介。

 平均して一試合に一本以上はホームランを打ってくる。高校野球の打撃記録のことごとくを塗り替えつつあり、おそらくは二度と更新されないであろう数字を刻み続けている。

 二打席目は一打席目三振した球を、修正して外野の頭を越えてきた。

 一世代上の怪物投手たち、そして海外の怪物投手たち。まともに行って抑えられた者は、短いイニングで一度だけ対戦したような投手だけだ。


 試合の勝利を優先するなら、ここは敬遠である。

 少し外角に外す程度なら、平気でホームランにしてしまう。そういう相手なのだ。


 しかし村田は高杉の性格も分かっている。

 平凡な打者を満塁策で敬遠するのは平然と行うが、ランナーなしの強打者相手に敬遠などありえない。

 別に村田はこんな試合、負けてしまってもいいのだ。

 神宮は全国大会であるが、三年最後の夏の甲子園に比べれば、はるかに重要度の低い大会だ。

 だから問題になるとしたら、高杉がトラウマになるほどのホームランを打たれてしまうことなのだ。


 だがここで打たれても、まだ丸々四ヶ月の時間がある。

 対外試合禁止期間に入ってしまうが、その間に調整をして、万全の体勢でセンバツに挑みたい。

 あとは打たれるにしても、攻略法の糸口をつかんでおきたい。

(白石のバッティングはレベルスイングが基本で、打球はライナー性。そして甲子園で場外を打ち、他にスコアビジョンを破壊したこともある)

 ホームランは記録を調べれば分かるが、場外ホームランというのは記録に残らない場合が多い。スコアではホームランでしかないからだ。

 だが少なくとも、世界大会では小さな球場だが二本の場外を打っている。


 神宮はそれほど広い球場ではない。むしろ打者有利と明確に言える球場だ。

 甲子園のように逆風が極端なこともない。打ち取るためにはかなりの運が必要だ。

(低めに変化球を集める。スライダーなら悪くてもフェンス直撃までで済む)

 初球、左打者の大介に対して、インローに小さく沈んでいくカットボール。

 見逃したか、と思った村田の視界に、バットの残像が映った。


 強烈なアッパースイング。おそらくはドームなら天上に届くぐらいの。

 もちろん神宮にドームはないので、放物線を描いたその打球は……スコアボードの真上に当たり、そのまま場外へと落ちていった。


 村田は冷静な理系人間である。

 なので物理的法則や、物理的な限界を考えて、体格などからその打者がどういう打球を生み出すかは予想できる。

 しかし、この打球の、この弾道はなんなのか。

 強烈なゴルフスイングではあったが、タメを作って弾けるようにボールとバットが激突した。

 大介の使っているのは、木製バットである。

 金属ならともかく、どうして木製でここまで飛ぶのか。

 呆然とする明倫館の視線の中を、悠々と大介はベースランニングを行った。




 後続を抑えて一点差。

 そしてイニングは七回に突入する。

 ここまで球数を多く投げさせられた岩崎は、前の回辺りから少し球が浮き始めている。

 七回の表は先ほどホームランを打たれた五番の高杉からで、今度は自分のバットで取り返してやると勇ましい。

『白富東高校は ピッチャー背番号1番岩崎君に代えまして、背番号10番佐藤直史君』

 おお、と客席から歓声が上がる。

(あ、負けた)

 村田はあっさりと諦めた。


 いいピッチャーの条件とは、安定していることであると村田は思っている。

 特にシーズンを通してリーグ戦を行うプロなどより、一発勝負のトーナメントが多い高校野球では、どんな時でも安定していて、たとえ調子が悪くてもそれなりに抑えてしまうピッチャーがいいピッチャーなのだ。

 その極限とも言えるのが、直史である。

 硬式球に慣れていなかったのか、一年の春ごろには負けたこともあるが、例の魔球が有名になりだした夏以降は、まともに打たれて負けた試合というものがない。

 もっとも野球は打てなくても攻略出来る場合はあるのだが、この試合にはそういう条件が整っていない。


 高杉は高目を打たされてショートフライ。

 その後の打者もまともに粘れもせずにあっさりと三者凡退である。

 打者として傑出した才能を持っていた監督の大庭であるが、直史を攻略する決定的な目算は立てられなかった。はっきり言ってしまえば、才能で打つしかない。

 あるいは昨日の坂本のように決め打ちだ。大庭はちゃんとあの打席を分析している。

 彼もまた村田と同じように、本番は甲子園だと考えている。神宮で勝つのはそれなりに名誉なことだろうが、世間一般に神宮大会などと言っても、全国大会の一つであるとは認識されていないだろう。

 つまりセンバツ、あるいは夏の甲子園で勝つためには、ここで負けてしまっても惜しくはない。


 バックネット裏、そして左右の外野から、これまでの試合の全てを記録している。

 春のセンバツに秋のデータはあまり反映されないとも言われるが、それは短絡的な話である。

 夏の最後の甲子園を考えれば、敵の選手がどういう推移でフォームなどをチェンジしていったか、はっきりと分かるのだ。

 敗北を糧にする。今はまだ負けてもいい。

(監督三年目で甲子園に行ければ、充分すぎるだろ)

 あまり出来すぎの数字を残すと、求められるものもどんどんと大きくなる。


 現在の明倫館の適正な実力は、せいぜい県ベスト4だ。

 村田のような予測外の選手がいたのと、一年目の選手たちが良く育ちすぎた。彼らはシニアで大庭が鍛えた選手たちだが、高校入学後の伸びが凄い。

 来年からはそんな鍛え上げた選手ではなく、各地からスカウトされた選手が入ってくる。

 狙い目は島根と鳥取、そして北九州の選手だ。

 四国は地元愛が強いので他府県に進学する率は少ないし、するとしたら大阪光陰などの超強豪に引っ張られる。

(結局野球でしか食って行けないんだよな、俺は)

 もっと早くそう決断しておけば、離婚することもなかっただろう。そして息子を自分のチームの主砲として使えた。


 もし、明倫館に大介がいたら。

 なぜか三番を打っているのでそのまま三番に置いたとしたら、打つべき時の打率が異常に高い村田を四番に置ける。

 本来なら村田は走力を考えると、四番か五番を任せたいのだ。

 だが決定力を考えると、三番に置いておきたい。明倫館の一番と二番は、出塁するための打順であるのだ。




 試合は淡々と進んだ。

 村田のリードで高杉は白富東打線を単打に抑え、さすがに四打席目の大介は敬遠して、二点目を与えなかった。

 わざとランナーが出るリードをして、敬遠する理由を作った村田である。

 そして直史の前に、明倫館の打撃も沈黙した。

 一点のリードでも充分とでも言いたげに、早打ちすれば内野ゴロ、粘っていけば三振と、まさに手玉に取られた。


 そして最終回の攻撃。

 ワンナウトから村田は、ツーストライクまでバットを振らない。

 その後のボールはファールで逃げて、粘り強く失投を待つ。

 だが結局は直史のストレートを、ピッチャーフライに打ち上げてしまった。


 最後の打者の桂に対しては、スルーを使った。

 当てるだけは当てたボールはピッチャーゴロ。一塁に投げて何も奇跡は起きずにアウト。

 白富東は前評判通りに、エースが抑えて主砲が打って、神宮大会の決勝進出を決めたのであった。

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