14 導き
白富東の大田仁は、色々な意味で油断の出来ないキャプテンである。
そもそも自分の所属していたシニアのメンバーを県内有数の進学校に集め、そこから甲子園を狙うという発想がおかしい。
どうしてそんなことをしたのかを調べれば、それなりに理由はあったりする。
あくどいプレイや審判をも騙すテクニックを持っているが、基本的にはフェアだ。
その大田が言うからには、佐藤の調子が悪いのは確かなのかもしれない。
「けれど、どうしてそんなことが?」
星がずい、と見せてくれたのは二人のチャット履歴であった。
『ナオたちも今、ちょっと家の方がごたごたしてるから』
日付は世界大会の後、秋季大会の直前。
「……確か佐藤兄弟は国体も県予選も、完封記録だったよね?」
「はい。でも直史君の方は、国体でヒットを打たれてるし四球も出してます」
「いや、国体レベルまで行けばそれは――」
と続けようとした国立であったが言葉が止まる。
佐藤直史は甲子園の二回戦で四球でランナーを出して以来、ずっと一人のランナーも出していなかった。
そう、あの世界大会でさえも。
投手有利で短いイニングを投げていたとは言え、世界大会でパーフェクトピッチングというのは尋常ではない。
それは、確かに、調子が悪いのか?
文章だけを見ると、調子と言うよりは身辺の問題のようにも思える。
「よし、直接聞いてみようか」
国立の言葉に、今度は星が驚いた。
『うっす。決勝前に電話かよ~』
かけてみればあっさりと大田は電話に出た。
「あの、監督がちょっと訊きたいことがあるって言ってるんだけど」
『え、今そこにいるの?』
「うん、代わってもいいかな?」
『うん、大丈夫』
そしてスマホを受け取った国立は、ゆっくりと話す。
「お互いに明日を戦う身だけど、ちょっと気になってね」
『はい、なんでしょうか?』
「国体で佐藤君、やっと打たれただろう? 何かあったのかい?」
『へ? ああ、まあ確かにナオもまあ、打たれることはありますけどね。ちょっと身内のことでゴタゴタしたんですけど、その代わりに来年の白富東はさらに強くなりますよ』
「問題は解決したと?」
『ええ。だから全力で戦えます』
電話の向こうで、不敵に笑っている大田の表情が見えた気がした。
「そうか、分かったよ。こちらとしては胸を借りるつもりだけど、その相手が弱くなってるかもしれないと聞いたら、逆に不安でね」
『フハハハハハ! 大丈夫です! うちはダースベイダーも復活したし、間違いなく神宮まで勝っちゃいますよ!』
それは傲慢なのか、それとも若さゆえのまっすぐな自信なのか。
いや、国立の知る限り、大田という選手はそういう人間ではない。
「うちに勝てるなら、それも可能だろうね」
通話を終えて国立は星にスマホを返す。
「幸いなことに、完全に元に戻ってるらしいよ。あのアウトを取るためのマシーンにね」
敵が強いことを嘆いていては、そこで立ち止まるしかない。
何を学べるかという心がけが、さらに強くなるためには必要だ。
「強いですね」
ふん、と気合を入れる星である。
ああ、いいなあ。
国立は思う。
自分が現役だった頃、こういうチームメイトはいなかった。
ただひたすら技術を磨いて、それで甲子園に行けないのなら、最初からそれは無理だったのだろう、と。ずっと思っていた。
甲子園に行った者たちから聞いて、何が必要なのかやっと分かった。
導く者。
それは優秀な監督でも、誰もが背中を追うキャプテンでも、あるいは強大な敵でもいい。
今の三里には、そのうちの二つが揃っている。
(普通の監督を出来れば、甲子園に行ける)
このチームで。常識的に考えれば、これだけのノウハウで甲子園を目指すのは、かなり都合のいい話である。
だが目の前に、わずか一年半の間に、全国制覇の直前まで行ったチームがあるのだ。
選手が揃った幸運はあるかもしれない。話を聞くだけによると、ほとんど運命的な偶然だ。
しかし三里にだって、日本で一番の強豪地区から、絶対王者と決勝を争うチームから、そのレギュラーが転校してきたという幸運がある。
決勝でだらしない試合をせず、関東大会で一勝。それで行けるはずだ。
甲子園へ。
学生時代は届かなかった、あの聖地へ、
選手としてではないけれど、そのベンチに入る立場として。
甲子園へ行こう。
今年の夏にベスト4まで勝ち進んだことによって、三里の野球部は学校から球場まで、専用バスで運んでもらうことが出来るようになった。
野球部だけのものではないが、野球部が優先して使わせてもらえる。
他にも来年度から部費が増えることは確定しているし、卒業生や野球部OBからの寄付もあって、環境はどんどん整ってきた。
そしてこの秋、決勝まで進んだことによって、国立は言わないが、ほぼセンバツ出場が決定している。
球場への途中で、緊張感が漂う車内。
そこで古田が口を開いた。
「そういえばこの間の学校説明会やけど、シニアの後輩とかは見に来てたん?」
そう、普通に公立の学校ではあるが、三里にも中学三年生に向けた、学校説明会は行っている。
その中で実績のある部活動は、特に重点的に説明される。野球部もそうだった。
「私立は夏休みにだいたい終わっとったけど、ここらの公立はこんなに遅いんやもんな」
「シニアって……」
顔を見合わせる選手たち。
「古田、俺らってほとんど、中学軟式出身なんだわ。俺とホッシーはリトルでやってたけどな」
「へ? リトルから中学軟式なん? 意味が分からんのやけど」
リトルリーグは小学生の地域の野球チームであるが、硬式球を使って行われる。
古田の認識としては、そこからは同じ硬式球を使うシニアに進むべきだ。わざわざ中学軟式に戻る理由が分からない。
「まあそこまでの野球ガチじゃなかったんだよ。シニア出身なのは東橋ぐらいか?」
「あ、あと俺もです。まあベンチでしたけど」
頭を振る古田であった。シニア出身でなければ、新一年生が夏までに戦力になるのは、かなり難しい。
夏に勝ち抜くのは難しいにしても、三里を続けて強くしていくためには、後輩の勧誘が大切だ。
「監督、秋大終わってからでも、もっかいシニアとか回れませんか? 夏ベスト4で秋準優勝なら、スカウトされるほどではないけどええ選手が、まだ迷ってると思うんですけど」
古田がこのチームの将来についてそこまで考えるのが、三里のメンバーにとっては意外だった。
転校生で、大阪の強豪私立出身で、既に甲子園を経験している。
そんな古田であるが、むしろそういう私立強豪だからこそ、スカウトにも気合を入れているのか。
「実は夏休みの頃から、ちょこちょこ回ってる。地元だしね。高校時代の仲間とか、けっこうまだ野球に関わっている人が多いからね」
「さ~っすが監督! ずっと先のことも見てるやん!」
古田のこの気安さは、大阪人だからであろうか。
いや、大阪人だけでくくるのは乱暴な気もするが。
「理聖舎は基本、野球部は体育科だけやったからなあ。大阪光陰は全国から集めてきてたから、もっとえげつないけど。あいつら野球のためだけに高校生活送ってるようなもんやし」
だからこそ強かったのだろうが、それを破ったのが選手自らがチームを作った白富東というのは皮肉である。
白富東と違い、普通に集まった普通の才能で、甲子園に行きたい。
三里のチームで傑出しているのは、監督と古田だけだ。
それも白富東の中核ほどの、凄まじい能力ではない。
だけど、ここにチャンスはあるのだ。
「そうだね。即戦力じゃなくても、ずっと野球部は続いていくんだ」
育てながら勝つ。高校野球の醍醐味を、国立は感じつつあった。
三位決定戦では勇名館が3-2で勝利していた。
これで勇名館は去年の夏からの県での成績は、夏優勝、秋ベスト4、春ベスト4、夏ベスト4、そしてこの秋もベスト4と、完全にベスト4の常連となっている。
東雲の地位が若干低下した。これも全ては勇名館が甲子園に行ったからだ。
甲子園に行けば人が集まり、金が集まり、物が集まる。
三里にしても夏のベスト4でもかなりの寄付などがあるのだから、ここで甲子園に行けばその流れには拍車がかかるだろう。
強くなったチームに人が集まり、さらに強くなっていく。好循環だ。
そんな好循環に入ったチームが白富東であり、入りつつあるのが三里だ。
突然変異的に出現した、白富東というチーム。
これから決勝で、そこと戦うのだ。
三万人以上が入るマリスタは、やはりこの日も満員御礼であった。
コアな野球ファンもいるのであろうが、俄かのファンもいる。
そういった俄かのファンを本物のファンにしてしまうためにも、白石などのスタープレーヤーだけでない、魅せる試合が必要なのだ。
先攻は白富東だが、その攻撃が披露されるよりも前に、三里に見せ場がある。
試合前の守備練習。ノックだ。
定められた時間の中で、どれだけのノックをして、守備の緊張を解くか。
ノックに関しては定評のある国立が、ボールをポンポンと渡されながら、内野外野とボールを打っていく。
捕りやすい球を、捕りやすいスピードで、捕りやすい場所へ。
緊張感はほぐれていく。試合前のノックが上手ければ、それだけ三里の守備陣も心の準備が出来、また観客の目も引く。
はっきり言って国立は、ノックにはかなりの自信がある。
長打も打てるミート打者として、大学では有名だったのだ。
内野は簡単な球から徐々に左右に振って、外野はフライで前後左右に動かす。
返球などもしっかりとさせる。
そして最後には、ノックの見せ所とも言える直上へのキャッチャーフライ。
観客の歓声の何割かは、こちらに持って来ることが出来た。
さて、一回の攻防である。
三里の先発はいつも通りの東橋。ここは固定である。
対する白富東は、当然ながら不動の一番中村アレックス。
(中村は一回の先頭でも、初球から振って来る。かと言って明らかなボール球は振ることもない)
国立はこの初回が課題だと認識しているが、同時にここで点を取られても構わないと思っている。
実力差は明白なのだ。だからと言ってかわし続けるほど、東橋は器用なピッチャーではない。
初球から、攻めて行く。
左打者にもかかわらず左投手を苦手としない中村に対して、第一球。
「うわっ!」
ベンチの中で誰かが、あるいは複数が声を上げる。勢いのあるフライが左中間へ。
しかし予め深く守っていた西が追いついた。一球でワンナウトが取れた。
ほっと一息の東橋であるが、二番の打者は鬼塚。
この大会も五割を打っていて、普通にホームランも打っている。
こいつが四番でも良さそうなのだが、ちゃんと他に四番として成績を残している打者がいるのが、白富東の恐ろしいところである。
中村が初球から打ってしまっているので、鬼塚はボールを見てくる。
甘い球が入ってしまっても、余裕で見逃す。いつでも打てるとでも言うように。
(まあ実際、いつでも打てるんだろうけど)
鬼塚は勇名館の吉村や、全国レベルの左腕を知っている。
そもそも同じチームに全国最速左腕がいるのだ。それだけで左を苦手としない理由になる。
ツーストライクまで軽く見逃した後、変化球をファールへ。
ストレートで被弾覚悟のコースへ投げても、簡単に左右へファールを打ってくる。
(元々能力は高かったけど、さらに成長してる)
金髪ででかいということで、やたらと悪目立ちはしているが、実力が伴っていないわけではないのだ。
そして変化球を狙い打たれたところで、鋭い勢いのライナーがサードのグラブに収まった。
三番、ショート白石。
お馴染みのダースベイダー的に、長いバットを振り回す。
身内の不幸でメンタル的に参っていたというが、それでも平気で四割を打つ化物。
しかもそこからはしっかりと立ち直って、国体の決勝でも昨日の準決勝でも結果を残している。
球場全体が揺れるように、スーパースターの打撃を期待している。
対応は既に考えてある。
制球されたストレートでも、変化球でも普通にスタンドに運ばれる。
ツーアウトでランナーがいないというここで、一番点を取られない可能性が高いのは敬遠だ。
東橋のクイックでは二塁までは盗まれるだろうが、それでもまだ無得点に終わる可能性は高い。
だが、勝負である。
ボールの縫い目に注意して、ほんの少し手元で変化させるムービング系のボール。
少しの微妙な変化にもアジャストしてくる打者ではあるが、ホームランにさえならなければこちらの勝ちと思えばいい。
(もっとも下手にランナーを溜められるよりは、ホームランの方がいいか?)
胸元を突いたボール球の次に、外角低めへ。
わずかに変化させた球。白石のバットが捉える。
この打球の軌道。低い。
(よし! 打ち――)
いや、違う。
センターの奥ですらなく、バックスクリーンへそのまま入った。
先制点は主砲のホームランであった。