13 切り札、奥の手、裏技
九回の表が終わった。
結局三里としては、まともに点数が入ったのは初回だけであった。
二回以降は散発二安打であり、勇名館の方がヒットの数は多い。
(この学校を選んだのは正解やった)
古田は満足している。
国立監督の計算は、この試合のこの展開において、間違いなく正解であった。
多少の運もあったが、それを含んでもこの状況を予想していたのだ。
九回の裏、一点ビハインドの勇名館、最後の攻撃。
マウンドには、星がまた登っていた。
最終回の打順は六番からということで、古賀は代打に出られるよう、選手たちに指示を出していた。
古田の速球とスライダーを打つために、しっかりとそのボールを見させた。
だが、最終回のマウンドに登ったのは星である。
予想していなかった。ここまでまともに打たれていない古田を、代えるとは思わなかった。
なお回の頭で代えているので、状況によってはもう一度古田をマウンドに戻すことも出来る。
ここは、とりあえずは代打は使わない。
古田で上書きされたとは言え、一度は星と対戦しているのだ。
普段対戦するのとは全く違うタイプの星を打つには、既に今日経験している下位打線に期待する。
引き付けてミートしろ。
星の遅い球は、そうやって攻略するべきだ。
内野の守備は堅いが、鋭い打球なら抜けないわけではない。
しかしここで、三里は、国立は、星は、本当の裏技を使った。
初球のシンカーが打たれた。タイミングがずれてファールにはなったが、やはり捉えられる。
新しいボールをもらった星は、大きく息を吸った。
ここからは、賭けだ。
分の悪い賭けではないと、国立とも確認した。
これは奇襲だが、おそらく効果は高い。
星は振りかぶった。
アンダースローではなかった動作。体は沈まず、そのままオーバースローで直球を投げる。
星の速球は速くない。それは上から投げても下から投げても変わらない。
だが球の軌道は変わる。
あまりの意外さに見逃す。ストライク。
慌ててバッターボックスを外してベンチを見れば、古賀も慌てていた。
「星が上から投げた記録は!?」
「ありませんというか、そもそもフォームの記載欄は一つですから」
その通り。普通投手というのは、上から投げたり下から投げたり、簡単に変えるものではない。
いや、待て。
前にも一度、こんな感覚があった。
そう、試合の途中でいきなりフォームを変えてきた――。
(佐藤!)
去年の春季大会、トルネード投法のサイドスローで、勇名館を封じた、白富東の異形のエース。
アンダースローというのは基本的に、王道の投げ方ではない。
普通に投げていても通用しないから、フォームを変える。あるいは逃げとも思われるかもしれないが、新たなフォームに変えるというのは、挑戦ではある。
星もまた、最初は上から投げていたのだろう。あるいは最近までそうだったのかもしれない。
だが夏の大会以降は、確実に全てアンダースロー。
もっとも内野の守備をしているので、ある程度は上から、もしくは横から投げられてもおかしくはない。
球数を投げさせるため粘れ。
結局古賀はそんな指示しか出来なかった。
ツーストライクと追い込まれたバッターは考える。
アンダースローのすごく遅い球を投げるから怖いのであって、普通の球を投げる星は、恐ろしい投手ではない。
そうだ、そう考えれば、打てなくもない。
振りかぶった星は、また上から投げる。
速球のタイミングで待つ。あの遅いアンダースローと混ぜるのだから、上からは速い球を投げるはず。
そんな思い込みは、遅くて大きなカーブで砕かれた。
バットを振ることが出来ず、三振。
古賀はたまらずタイムを取って、七番を呼ぶ。
「常識的に考えて、上から投げても通用しないから、下に変えたんだ。だから本命は下からだ」
そう、常識的に考えればそうなる。
「上からの球は打てる。だが本命は下から来る」
極めて常識的で、説得力がある。
だが実のところ、古賀は悪い予感がしている。
そもそも下と上から投げるフォームを使い分けるようなピッチャーと、それを起用する監督が、そんなまともな考えをするだろうか。
なお、お客さんは大喜びである。
変わったフォームで投げてるな、と思ったら今度は普通に投げる。
野球を少しでもかじった者には、これはとんでもないことなのではないかと思える。
それにこれはおそらく、この試合だけにしか通用しない。
上から投げたといって、ものすごいスピードのボールを投げられるわけではないのだ。
しかしセットポジションから投げる星は、アンダースローではストライクゾーンには投げない。
上から投げるのはストレートと、カーブのコンビネーション。
下から投げたボール球で内野ゴロを打たせ、ついにあと一人。
たまらず勇名館は代打を出すが、星は冷静である。
ホームランさえ打たれなければいい。
低めに変化球を集める。ボールになってもいい。絶対に高めには投げない。
アンダースローのボール球のシンカーを振って、ワンストライク。
上からのカーブを見逃して、ツーストライク。
そして最後は上から投げた、高めにしても高すぎるボール球。
これを空振りして、試合は決着した。
県立三里高校、千葉県秋季大会決勝進出。
そして同時に、関東大会への出場権を手に入れた。
本命は白富東だったのであろうが、この試合はユニークな展開があったので、マスコミが集まる。
国立はそれに対し、丁寧に接していた。マスコミへの印象も、センバツの選考の基準になるだろう。
やはり最後の星の投球への質問が多かったが、答えたくない質問も出た。
「これで21世紀枠の甲子園出場も決まったのでは?」
「いえ、それは一度も選手たちには考えさせてません」
明確な否定。
「確かにその可能性もあるのかもしれませんが、選手は皆、関東大会で勝ち進んで、その結果でセンバツを掴もうとしています。ここはまだ、道半ばです」
浮かれてはいられない。
これで21世紀枠、などと言ってもまだ選ばれない可能性はあるのだ。
たとえばそう、明日の三位決定戦で関東大会に出場したチームが、白富東と共に、ベスト4まで勝ち残ってしまった場合。
明確に決められてはいないが、同じ都道府県から三校というのは、考えにくい。
強豪の多い関東で、ベスト4まで勝ち残るのは至難の技だが、ありえなくはないのだ。
「ここからも一戦一戦、全力で目の前の試合に挑むだけです」
若きイケメン監督は、かっこよくそう言った。
一方の星は、言葉が少ない。
彼は元々口下手ではあるのだ。
「はい、元々春までは上から投げてました」
とりあえずストライクは入る。コントロールもいい。変化球も投げられる。
だからマウンドに登ったが、木っ端微塵に打ち砕かれた。その相手が白富東だった。
それでもどうにかしないといけない。三里には優れた投手はいない。左の東橋は貴重だが、まだ一年。
「大田君と話していて、そういうのもありかなって」
「大田君と言うと、白富東の? 仲はいいの?」
「はい。同じ公立で、私立とは違うから、どうにかお互いに試して行こうって」
元々体が柔らかい星であったが、やってみればアンダースローの適性は驚くほど高かった。
慣れればそれほどでもないが、遅いアンダースローは夏の大会でも充分に通用した。
だが準決勝は、体力の限界があった。
「けれどまさか、オーバースローを最後に混ぜるのは、やっぱり作戦?」
「はい。これも大田君とその時一緒にいた佐藤君が、じゃあ上から投げるのも混ぜれば、って」
佐藤直史。自分の器用さを基準にする男である。
しかし星にはやはり、ささやかながら才能があった。
一度捨てたフォームから、ちゃんとストライクを入れられたのだ。
佐藤直史の名を聞いて、ああ、と納得するマスコミ陣。
白富東の練習を取材に行く記者たちは、直史が普通に左で投球練習をすることを知っている。
左の変化球投手と当たる時、バッピをすることを知っている。
「その白富東と明日の決勝は当たるわけだけど、勝算は?」
「分かりません。だけど、勝ちに行きます」
勝てる要素など、どこにあるというのか。
だがそれでも自然と、星は勝とうという。
諦めない心が、星の最大の武器である。
決勝まで進み、対戦相手は白富東。
ここに負けるなら仕方ない、という相手ではある。
だが同時に、あまりひどい負け方はしたくない、という相手でもある。
国立は打算を己の胸に秘め、選手にはひたすら勝つことだけを、目の前の一勝を掴めと言う。
点を取れずに負けるのは仕方ない。だが大量点を取られて完封されるのはまずい。
なぜなら甲子園は、試合の進行の早さが求められる。
あまりに弱いチームが出てきて、いつまでたっても試合が終わらず、時間がどんどん過ぎていくのはまずい。
だから比較的、守備力の高いチームが選ばれるということになる。投手も含めての守備力だ。
そもそもコールドのない甲子園で、一方的な強者の蹂躙を見せられても、観客は興ざめなのである。
準決勝でトーチバが虐殺されたことで、白富東の凶悪打線は分かっている。
地方大会でも決勝はコールドがないので、下手をすれば準決勝以上にひどい結果が待っているかもしれない。
県大会の決勝で、20点だの30点だのを取られるチームは、甲子園に来て欲しくない。
甲子園の試合もコールドがないため、審判はそこらへんを斟酌して、ストライクゾーンがお互いに広がったりもしてしまう。
もちろんそんな審判の場面は見せたくないが、圧倒的な蹂躙が続くよりはマシだ。
これもまた高野連の、偽らざる本心である。
それを踏まえて、明日の決勝である。
ミーティングを御馴染みの視聴覚室できっちりとする。
以前から厳しい顔をしながらも協力的だった校長や教頭は、最近はニコニコ顔で応援である。
なにしろこの関東大会出場で、ほぼほぼ甲子園の出場が決まったからだ。
もちろん国立はそんな楽観視はしていないし、星も浮ついていない。
星が浮ついていないなら、このチームは大丈夫だ。
「まず、白富東の打線だけど、この間の練習試合で打たれた倉田君が、ここまで多くのマスクを被っている。あと外野の守備にもついてるので、まずは注意。それとまあ、白石君がね、戻ってきた上に、調子も戻ってきたからね」
ここだけは思わず遠い目をしてしまう国立である。
一応単なる速球派よりは、技巧派や軟投派の方が勝率が高いのは分かっている。
だがその基準は高すぎる。それこそ佐藤直史ほどに変化球と制球力がなければ無理だろう。
「敬遠することは選択肢の一つだけど、それによって観客が敵に回るのは怖い。というかそもそもうちの応援以外の観客は、全て白富東の応援と思った方がいい」
状況は正確に把握するべきである。
アウェイ、という言葉がある。
スポーツではよく使われるが、ホームコートアドバンテージの逆と言うべきか、ようするに相手の本拠地で戦う場合、観客の声援がそもそも相手を後押しするというものだ。
国立自身は行っていないが、大学時代のチームメイトには当然ながら甲子園経験者もいて、その中には甲子園の独特の雰囲気の中で、全く実力を発揮できなかったという体験談もある。
この大会は地元でありながら、実際にはアウェイであると言ってもいい。
「その中で戦うわけだが、古田君、今日の試合はどう思ったかな?」
「あ~、さすがに夏の甲子園とは比べられへんけど、センバツ並の圧力はあるかな、と思います」
そう、古田はこの中で唯一、甲子園のグランドを踏んでいるのだ。
甲子園のノリとはまた違うだろうが、白富東を見に来る観客は、基本的に三里のことなどどうでもいい。
白富東の対戦相手、という認識でしかない。その中でどう戦うか。
「プレッシャーは強いだろうし、普段は野球を見ない人からの、心無い野次もあるだろう。体が強張ってエラーしてしまうかもしれない。でも、それはいい」
国立はそのあたり、やはり現実主義者なのだ。
「問題は折れないこと、諦めないことだ。一番難しいことだが、普段どおりにやろう」
こくこくと頷いている星と、甲子園を経験している古田はともかく、他のメンバーには明らかに緊張の色があった。
様々な要因を再チェックし、ミーティングは解散する。
公立である三里の選手は、このまま帰宅して、また明日学校に集まる。
午前中に三位決定戦があり、昼食後に決勝戦だ。
国立も帰り、明日の試合の情報を整理しようと考えていた。しかし、その前に一人、星だけが残っていた。
「どうしたんだい?」
「あの、俺、伝えないと、って思って。でも本当は伝えない方がいいのかもとも思って」
星は口下手だ。だが、伝えようとする意思ははっきりしている。
こうやって前置きが長いのは珍しい。
「大田君が言ったんだけど、佐藤君も調子が、あの、両方の佐藤君です。調子が悪いみたいです」
なるほど。
口下手な星が口ごもる、重要で微妙な内容だった。




