12 膠着
一回の裏、勇名館の攻撃。
古賀はここまでの三里の試合を、もちろん全てチェックしている。
三里は初回の失点が多い。先発のサウスポーの防御率は、相当悪いだろう。
それでも先発に使っている理由も、おおよそ把握している。
ピッチャーのタイプを変えることにより、バッターのタイミングやリズムを乱す。
言ってしまえばそれだけのことだ。
サウスポーから右のアンダースロー、そして右の本格派へと、タイプが変わっていく。
単なるサウスポーの一年を先発にしているのは、リリーフの方が精神的に難しいからだろう。
そして徹底的に打たせて取るピッチングをする二番手のアンダースロー。
ここに理聖舎からの転校生がクローザーとして機能する。
遅い球というのは、慣れれば打てるのだ。
しかしその後にそこそこ速い球が来れば、普段よりもずっと速く感じてしまう。
終盤にも星の球速に慣れて、どうにか得点出来ていたものが、これでかなり攻略は難しくなる。
星のアンダースローを活かすために、必ず一巡は東橋に投げさせる。
この東橋から何点取れるかで、中盤以降の動きは変わってくる。
ピッチャーに一番大切なものは、スピードでもコントロールでも変化球でもない。
メンタルだ。
星は打たれても、点を取られても、愚直に最良を探して投げ続ける。
ピッチャーとしての純粋な能力では、プロはもちろん大学のリーグでも通用しない程度のものである。
しかし高校野球なら、地方大会の序盤はもちろん、継投策に一手間加えることで、充分通用するものとなる。
では東橋はどうか。
サウスポーということもあり、元々中学でもピッチャーをやっていた。
入学時点でもピッチャー志望であり、ごく普通の弱小校であれば、充分にエースとして通用した。
だが今の三里は、甲子園を本気で目指している。
夏の大会からは、まず東橋が相手の打線一巡と対決し、そこから星に交代する作戦を採っている。
相手が弱小校ならばともかく、ここまでのレベルの強豪となると、一巡でも普通に打ってくる。
三点までに抑えれば、と国立は考えていたが、試合は選手を育てる。
相変わらず点は取られるが、大きく崩れない。
何より四球が少なくなったことが、成長の証拠である。
秋を勝てたら、春までにもう一つ上のレベルまで引き上げる。
星たちの代がいなくなれば、チームを率いていくのは東橋だ。
(育てながら勝たなければいけない。高校野球の面白いところだな)
これを難しいと言うかどうかは、監督の性格次第である。
初回、初球ボールから入ってしまうことの多い東橋だが、この試合ではど真ん中に投げ込んだ。
国立も、へえ、と感じてしまうほどの度胸。
あえて口にはしなかったが、この試合の勝敗で、センバツへ行けるかどうかが決まる。それは選手たちも分かっている。
負けて、さらに三位決定戦でも負けても、行ける可能性はある。
だがそんな考えでいては、絶対にこの試合には勝てないし、三位決定戦でも勝てないし、当然選ばれない。
そう言ったのは国立ではなく星である。
監督にはそういったことは言えない。言える場合もあるが、国立はあくまでも実力を示して甲子園に行くと明言している。
21世紀枠。確かにここまで勝ち進めば、それで出場出来る可能性は高い。だが、だからこそ、ここで勝たなければいけない。
そう告げる星は、なんだかんだ言って物静かなキャプテンであったが、言葉には強さがあった。
監督も必死で、キャプテンも必死。
それがチーム全体の力を向上させる。
東橋も分かっている。
右に比べて三割増し、などと言われる左のピッチャーである自分だが、勇名館はこの夏まで、日本一の高校生左腕を有していた。
そして現在も左右の主力投手を揃えている。左腕である有利などほとんどないだろう。
左だからどうこうではなく、気持ちで向かっていって、凡退に抑える。
技術も必要だが、ここでは気合で打ち取る。
だが気合だけで抑えられるなら、三里よりもずっと長く、充実した練習をしてきた勇名館には敵わない。
低めに、とにかく低めに集める。
セカンドに打たせれば、あるいは外野の高いフライなら、キャプテンと副キャプテンがどうにかしてくれる。
ストレートの低めと、変化球の低め。
三番に内野を抜かれて四番に回った時はあせったが、深呼吸してまた低めに集める。
鋭い打球は内野の正面で、課題の初回を無失点で乗り切った。
試合はじりじりとした膠着状態に陥った。
三里は東橋が打者一巡を抑えたところで、星へと継投。
普段ならベンチに引っ込むのだが、今日はレフトに入る。
このあたりの普段と違う選手の運用は、事前に言ってある国立である。
もう一度、東橋がマウンドに登る可能性があるのだ。だからこそ今日は三番に入れてある。
全員が、全力で戦って、勇名館に勝つ。
甲子園でベスト4まで行ったチームに、気合で勝つのだ。
心で負けたら、そのまま一気に押し切られる。
一方の勇名館古賀監督も、序盤から三里の作戦は見抜き、その実力を見極めようとしていた。
一応スコアラーが偵察はしているのだが、高校生というのは三日どころか、一試合を終わっただけでも急成長する。
この目で確かめてみて、判断するしかない。
打力は低い。上位打線しか、勇名館のピッチャーからヒットを打つことは出来ないだろう。
だが粘って、どうにか出塁しようとする意識が強い。こちらのピッチャーも粘りが必要とされる。
投手は、とりあえず良い。
左、アンダースロー、本格派という組み合わせは、分かっていても試合中に微調整するしかない。
そして、守備がいい。
内野に指示を出しているセカンドのキャプテンは、カバーやポジショニングが抜群に上手い。
それはマウンドに登った後も変わらない。
ピッチャーとしてバッターに集中しながら、守備全体にも気を配る。
守りの鬼だと言えよう。
勇名館のピッチャーのレベルなら、このまま丁寧に投げていけば、追加点を取られるのはミスか出会いがしらの連打などであろう。
問題はどうやって追いつくか。
(最初の一点が痛かったけど、それにしても向こうのキャプテンはいい選手だな)
セカンドであった時もだが、ピッチャーとしてマウンドに登っても、その背中にチームを背負っているのが目に見える。
重々しく背負っているのではなく、ただ、しっかりと背負っているとでも言うべきか。
選手としてではなく、人間として強い。
(白富東に似てるな)
あのチームも、メンタルに優れた選手が多かった。
白石が不調(といっても超一流打者の成績)でも、それを周囲で支える。
キャプテンの大田も強いし、何があっても動じない佐藤がピッチャーとしている限り、あそこのチームが揺らぐことはないだろう。
この大会の試合運びを見ていても分かる。やってみなければ分からないなどといった、お花畑な感覚では通用しない、明確な実力差が今の勇名館との間にはある。
この秋は、絶対に勝てない。
だが来年の夏までには、やってみないと分からないところまで、力の底上げを狙う。スカウトが一人、即戦力を引っ張ってこれそうなので、少し期待している。
国立も全く同じ考えだ。今は白富東に勝てない。
あそこには世界レベルどころか、世界史上レベルの化物が二人いる。
そのためにも、甲子園に行きたい。
甲子園は人を成長させるという。夏に勝つために、甲子園で一度でも、出来ればたくさん、試合をしたい。
日本最高の投手と、最高の打者が、本当に偶然に揃ってしまった奇跡のチームであっても、勝負は投げない。
諦めない強さ。それを星は持っている。
試合前に想像していた通り、観客は割りと三里の味方だ。
右投や左投げ以上に、星の本当に低い、そして遅いアンダースローは、観客の注目を引いた。
どうしてあんな投げ方をするのか、どうしてあんなに遅いのに点を取られないのか。
野球の不思議を感じて、その場でスマホで調べてみて、野球の知識を増やしていく。
新しい野球ファンは、スターのプレイに魅せられて誕生する。
その意味では星も、立派なスターだ。何しろ名前が星である。
星が投げる。球種はスライダーとシンカー。そしてチェンジアップ。
それよりもはっきりしているのが、緩急差。
速くても遅くても、ストレートならばっちりとコントロールが出来る。
時々狙い打たれることはあるが、連打は食らわない。
バントなどで揺らがせても、判断ミスをすることなく、フィールディングはさすがに上手い。
スーパースターの投手におんぶに抱っこで、守備の下手なチームというのはある。
だが三里は、投手の力量を考えて、守備を鍛えてある。
星に制球のミスはない。合わせて打つと、野手の正面に飛ぶ。
かといって強振させれば、変化球でゴロになる。
古賀は三里の投手力を見誤っていた。
星という投手は、主にその内野陣と組み合わさることで、その力を本当の細大にまで引き出す。
(まさかスミイチ?)
スミイチとは、一回の攻防で取った得点が、そのまま試合の結果となることである。
高校野球の、しかもこのレベルの投手同士の試合では、普通ならあまり起こらない。
だがどちらのチームも、守備は鍛えられている。
(三位決定戦でも勝てる自信はあるが、それでもこういう負け方は……)
顔に出さずに悩む古賀であった。
六回の頭、三里の投手が星から古田へ代わる。
これまでにはなかったタイミングの継投だ。星はこれまで、打者一巡以上しても、必ず六回が終わるまでは投げていたのだ。
普段とは違う作戦。だが古賀にはこの意図がはっきりと分かる。
星の遅さに慣れたところへ、速球派の登場。
分かっていても、この緩急差に対応出来ない。
この両チームの中で、一番投手の能力が高いのが古田である。
MAXで140kmは行かないと言っても、130台後半のストレートはエースとして充分であるし、二種類のスライダーを操る。
緩急を取るのが少し苦手ではあるが、キレの鋭い変化球は、三振が取れるものだ。
(それにしても、投手を代えるのが上手い)
感心する古賀である。国立は確かに大学野球の選手としては有名だったが、こういった選手の起用は、監督としての経験が必要なはずなのだ。
経験の代わりに、嗅覚でもあるのか。
大学野球で選手として成績を残すのには、高校野球とはまた違った、直感が必要なのかもしれない。
そしてその国立の投手運用は当たる。
古田の能力の高さと、守備の堅さがあいまって、勇名館の連打を許さない。
セカンドに戻った星がダブルプレイなどを成立させて、隙を見せない。
(勝負は最終回までもつれるか……)
しかしそれもこのままでは、下位打線にその最終回が回ってきそうである。
ランナーはそれなりに出ているのに無得点というのは、監督の無能以外の何者でもない。
あるいは監督の読み合いに負けているか。
一年目の監督に、負けるわけにはいかない。
(と言っても、この投手相手に力技は難しい)
最終回、代打攻勢。幸い勇名館には、代打専門要員が何人もいる。
星よりもむしろ、古田のような正統派の投手の方が、代打要員としては打ちやすい。
(勝負は最終回か!)
(勝負は最終回、とか思っててくれたらいいなあ)
国立はここまで、想定の範囲内で試合が動いてくれていることに感謝していた。
結果としてはリードして終盤ということで、これもまたいい。
三里は逆転して勝つパターンが多いが、一点を巡る戦いで競り勝つことも多い。
要するにどんな状態でも、最後まで集中力を切らさずにプレイしているわけだ。
星から古田への早めの継投は、この展開のための特別なものだ。
リードされていたり、逆にもう少し点差があれば、いつも通りのパターンであった。
東橋が大胆な方向に成長してくれたのが、まず一番の収穫であった。
星はいつも通りに堅実であり、古田は大舞台に慣れている。
勝てるパターンだ。
あとは最後の〆を間違えないだけ。
ここまで来れば、最後に残しておいた、本当の切り札が使える。
甲子園へ行ける。
次話「切り札、奥の手、裏技」