文也の記憶
「何を言ってる?」
文也は、突然何かに怯え出した。
テーブルに置いた手が、小刻みに震える。
思わずその手を、じっと見詰める翔太と桜。
文也は脂汗をかき、激しく動揺した目が2人の視線と合わさった時、慌ててテーブルの上の手を引っ込めた。そして、身体を丸めた。
寒いの?翔太は、突然様子の変わった文也に動揺した。
確かにクーラーは付いているが、寒いと言うより、今やどこへ行っても省エネを呼び掛ける時代、多少温度は高く設定していて、実際少し暑いと翔太は感じてた。
やっぱり桜が直球過ぎたんじゃないの?大丈夫?
文也の顔は青褪め、生気を無くしていた。
震えを止めようとしているのか、必死に自分で自分の手を強く握って見る。だが、震えは治るどころか益々激しく全身を揺らした。
その様子を、ただ見詰める翔太。
桜の方はと言えば、文也の顔を覗き込み目を合わせ、静かに話し掛けた。
「何に怯えてるの?もう、終わりにしようよ」
落ち着いた桜の声が、何故かその場の雰囲気を一掃した。
暗く淀んだ空気が春風に吹き消され、パッと明るく心地よい景色が現れた……様な気がした。
青褪めた文也の顔が、ゆっくり色味を増して、身体の震えも静かに治って来た。
翔太は思わず桜を見た!
なんだなんだ……この人、時々不思議⁈
これって例の能力と関係してるのかなぁ……そんな力あるなら初めから使って、冷静に話せば良いのに……。
「あなた本当に、大倉さんに会った事も覚えて無いの?」
落ち着きを取り戻したのか、ゆっくり話し出す文也、何処と無く以前と雰囲気が変わった気がした。
「さっき言われて、よくよく考えてみたんだ……もしかしたら会ったかも知れないって思えて来た。嘘だと思うだろうが、夢だと思ってたんだ!夢の中で祐一に会った気がしてた。君に言われて現実だったのか?…って」
「なんなの?そのまだらボケ!」
「まだらボケ……って」
少し困った顔を翔太に向けた。
「確かに仁絵との結婚は、仁絵の財産目当てだった。20歳の時、母さんの職場に呼ばれて、そこで1度会っただけのよく知らない30過ぎの女と、突然結婚させられて」
「何故拒否しなかったの?」
「知らされた時には、既に入籍は済んでた」
「そんなの無効じゃないか!出る所出れば済む話だろ‼︎」
興奮した翔太の声が響いた。
「翔太!興奮しないで。逆らえ無いのよ、ね!」
桜は哀れむ様に文也を見た。
文也は寂しそうに笑った。
「母さんの金切り声を聞くと駄目なんだ!金縛りにあったみたいに何も出来無くなる。もうどうでも良くなっちまう」
「ずっとそうして諦めて来たの?」
翔太も、改めて気の毒そうな目で文也を見詰めた。
文也は翔太の同情の眼差しに、そんなに嫌な感じはなかった。ちょっと照れ隠しに、肩を竦めた。
「看護師辞めて、暫く介護士の仕事をしてたんだ。担当の婆さんを連れてった病院に、仁絵の爺さんも通ってた。いつも付き添ってる仁絵に偶々声掛けて、意気投合したって言ってた。介護の悩み聞いたり、仕事紹介したり、色々世話してやったって」
「偶々?本当に仁絵さんに声掛けたのって、偶々だったのかしら?」
「良く分からないけど……確かに何故だか、東城家の財産に異常に執着してた。だけど、蓋を開けて見れば財産と言っても、仁絵の両親が残した保険金位で、東城家だなんだって偉そうに言ってるけど、代々の財産と呼べる物なんか、100坪程のあの土地と古い家しか無かった。
その家も、仁絵は酷く嫌がったんだが……強引に立て直してしまった。
土地を売って他に家を買う提案も出されたが、あの土地に住む事に強く拘って……おかげで仁絵の保険金も殆ど無くなってしまった」
「東城家の財産に執着ね……何故東城家に財産が有ると思ったのかしら?仁絵さんだったら、東城家の財産って言い方しないだろうし」
「どっかで昔の羽振りの良かった噂でも聞いたんじゃないの?」
「んー……そうなると、病院で会ったのも本当に偶々だったのか、怪しいものね」
『羽振りの良かった昔話?さっきも聞いた様な……』
翔太は東城八重子の話を思い出した。
「古い家を壊したのも、本当は何処かに、財宝でも隠してるとでも思ったのかしら……結果、何も出て来なかったから、腹癒せで厄介払いしちゃった?仁絵さんの事!」
不意を突かれ、文也は瞬きするのを忘れた。
3人の視線が合わさった時、文也は俯き頭を抱え、じっと動かなくなった。
「仁絵さんは……何故亡くなったの?」
相変わらず空気を読まずに、桜が追い討ちを掛ける。
暫く沈黙した後。文也は顔を上げると『はぁー』と、大きく溜息をついた。そして、観念した様に静かに話し出す。
「結婚してたって言っても、戸籍上の事だけで、夫婦だったなんて間隔、俺には全く無かった!
保険金の残りは、母さんが全部取り上げてしまったから、生活する金は俺が稼がなきゃならなかった。昼も夜も必死に働いた。
そんな時、気を使ってか、なんやかんや世話をやいてくる仁絵が鬱陶しくて、好きで一緒になった訳でも無いのに、馴れ馴れしく世話をやく仁絵が正直怖かったんだ。仕事に託けて職場に泊り込んで、殆ど帰らなかった」
そこ迄一気に話すと、文也はもう一度深い溜息をついた。
目の前のアイスコーヒーを一口飲んで、2人に視線を合わせ、反応を確認した。
桜は頷いて見せた。
翔太の方は、ぼんやり仁絵の気持ちを考えていた。
仁絵さんも同じだったんだろうか?
最初から、愛情の無い結婚だって、理解してたんだろうか?
近所の……大河内さん?だったっけ、大河内さんの話しだと、少なくとも仁絵さんは、嬉しそうだったって言ってたのに……切ないなぁ……。
「言い訳する様だが……そんな生活で、家の中で何が起きていたのか、詳しくは分からないんだ。ただ……時々帰る度に、仁絵は窶れて行った気がした。だけど、気にかける気にもなれず、俺は無視を通した。
久々に帰った時、仁絵の様子はかなり変わってた。動く事も儘ならない状態で、それでも俺の顔見て嬉しそうに笑ってた。
そして、次に仁絵にあったのは……母さんから、取り敢えず帰って来いって連絡が来て、気乗りしないまま帰宅した時……既に、仁絵は息をしていなかった!」
仁絵の最後を思い出し、多少の後ろめたさなのか、話をする文也はいつもの興味の無いそれとは違って、辛そうだった。
「少しだけでも、気に掛けてあげられなかったの?」
桜は、今更仕方が無いと分かっていても、どうしても文也を責めてしまう。
翔太は胸が詰まった。
「母さんが……」
「此の期に及んでまだ母さん!母さん!言ってるの⁈」
翔太は文也の言葉に、堪えていたものが弾け、思わず怒鳴った!
「あ、ごめん!違うんだ!あの頃、酷く」
翔太に誤解を招いた事に文也は焦った。被せる様に次の言葉を急いだ。
「怯えてたんだ!」
「怯えてた?」
「爺さんが家中を徘徊してるって……」
「⁈…爺さんって、その頃には亡くなってたでしょ!」
「そうなんだ!……けど、誰も爺さんなんか見てないのに、母さんだけが狂ったみたいに騒いで……呪われてる!古い家を壊さないと皆んな呪われる!とか、池の中に爺さんが立ってるとか……言う通りに古い家を建て替えたり、池を埋めたりしたけど、結局何しても駄目だった」
「へー見えてたんだ……」
翔太はほんの少し、仲間が居て嬉しかった。
「本当⁈本当に見えてるの?そのわりには、病院に来て佐登美さんに浸いてる八重子さんの事、何も言わなかったわよね?」
「あー確かに…うちの爺ちゃん、ガンコツ先生の事もスルーしてたなぁ……」
分かりやすくガッカリした。
「先生戻ってたの?」
すっかり翔太の気持ちを見透かした桜は、その様子に同情しつつ声を掛けた。
「ん?ああ、うん!随分前に……」
「えっ⁈先生?何先生って?お前達、話しがあっちこっち飛んでて、良く分かんないな……」
そう言って笑う文也、すっかり毒気が抜けている。こっちが本当の文也なのか?嫌味で嫌な奴だったのは、ただ虚勢を張って演じてただけだった、のか?……謎⁈
「確かに、婆さんの事は見えてなさそうだったけど、あの時は本当に酷かったんだ」
ふーん。お爺さんだけ見えてたのかなぁ?
だけど、狂った見たいに怖がるんだったら、引っ越せば良かったのに……なんでそんなに執着したんだ?
静かで良い所だけど、それだけなら探せばいくらだって他に有るだろうに……。
「で、……仁絵さんを生け贄にしたって事?」
「……⁈」
「あの部屋に、仁絵さん諸共封印したのよね!」
「…………」




