祖母の記憶
「あんた……近藤……佐和子⁈」
すっかり記憶の隅に追いやっていた名前を、やっとの思いで吐き出す。
「またあなたですか?相変わらず病院で騒ぎを起こすのがお得意で……」
近藤は腕を組み鼻で笑った。
そして、敏子の頭から足元迄ゆっくりと視線を落とし、また敏子の目線迄視線を戻した。
敏子は、皺の寄った眉間に更に皺を寄せた。
「お久しぶりですね。石上敏子さん」
余裕の笑顔で、近藤は軽く会釈した。
「へーあんたこの病院に居たの?まーだ看護師なんかやってたんだ」
近藤とは対照的に、後ろめたそうに顔を強張らせる敏子。
平静を装って見せているが、気不味い出会いに、さっき迄の威圧感はすっかり消えていた。
「ええ、お陰様で、わたしにはこれしか無いですから。敏子さんは?……倉田先生と結婚なさったんでしたっけ?」
近藤は嫌らしい笑みを浮かべた。
「ああ…そうだった!倉田先生海外に行って、あちらの方と再婚なさったとか、ご存知でした?」
近藤は愉快そうに手を叩いた。
敏子は忌々しげに、近藤を睨み付けている。
「母さん……この看護師さんと知り合い?」
誰にでも強気で強引な母が、なんとなくこの看護師にやり込められている感じが、文也は不思議に見えた。
「煩い‼︎引っ込んでな!お前には関係無い!」
敏子は近藤への苛々を、文也にぶつけた。
「大きい声出さないでよ。本当みっともない!聞かせてあげたらいいじゃない。聞きたいんじゃない?父親の話……そして、あんたのやったこ・と」
文也は不審そうに近藤を見ていた。
紀代美、早苗と晴夫の3人は何が起こっているのか、思いも寄らない展開に戸惑っている。
「もしかしてあの話!……倉田先生の元奥さんって……近藤さんだったんですか?」
思わず翔太が口を挟んだ。
「あら、正解!分かっちゃたー」
そう言って、近藤は翔太に向かって戯けて見せた後、一瞬で真顔になると、
「兎に角!病院ですから静かにして下さいね‼︎」
敏子を一瞥して、部屋を出て行った。
敏子は腹の虫が収まらないのか、近藤が出て行った扉をずっと睨んでいる。
「お前等!また何か知ってるのか?」
文也が翔太の肩を掴む。
「文也‼︎余計な詮索するんじゃないよ!それ、とっとと持って来な!」
敏子はそう怒鳴りつけると、扉へ向かって歩き出す。
遣り場の無い苛立ちを、力いっぱい扉にぶつける。扉は勢いよく開け放たれ、大きな音を響かせた。
怒りを露わに、肩を揺らし出て行く敏子。
遠くに消える足音を聞いて、全員ほっと息を吐いた。
「なんか疲れるわね……」
「そうだな」
早苗と晴夫はうんざり顔で文也を見た。
文也は目を逸らし、後ろにいる翔太に
「何を知ってるんだ?」
さっきの続きを問いかける。
翔太は桜を見た。
「取り敢えず今日は、これで終わりにしましょう。文也さんこの後時間有ります?」
「えっ?ああ…」
桜は振り返り、紀代美達に向かうと
「少し時間下さい。わたし達の力で何処まで出来るか……それに、やっぱり根源は文也さんの家に有るみたいです。準備も必要ですし……1度様子見に行って来ます」
「来栖川さん!文也さんの家に、わたし達は?……」
「辞めた方が良いわ。翔太が感じてたけど、結構邪気が強いらしいの」
「そうですか……わかりました。でも気を付けて下さいね。こんな事を頼んでしまって……藤城君も、よろしくお願いします」
「え?」
翔太は紀代美に向かって、自分を指差した。紀代美は戸惑い桜を見た。
この期に及んで、何故自分は部外者だと思うんだろうと、桜は何も言わず頷いた。
桜と翔太、それに文也の3人は、以前近藤と待ち合わせした魔法の箒へやって来た。
看板の横を通り、重圧感の有る扉を先頭の桜が開けた。
落ち着いた雰囲気の内装は、翔太も気に入っている。
この間の店員さんがにっこり出迎えてくれた。
「あら、いらっしゃい!」
そう言ってメニューを持ち先を歩きだした。
昼時からは大分経った、もうすぐ3時と言う時間帯だが、割と混んでいる店内を奥へと進んだ。
以前来た時は『随分と静かな店だなぁ』と、感じたものだった。
仕切りで目隠しになっていて座席が見えなくなっているが、他に客居るのか?なんて、勝手ながら心配したものだ。
割と混む時は混む店なのかと、余計なお世話ながら、安心した!
客層は病院の見舞い客が多い様に思える。よって、今日は手術が多いのか?などと、翔太は1人考えていた。
空いた4人掛けのテーブルにメニューを置くと、にっこりして『どうぞ』と言う仕草をして戻って行った。
奥の席に桜が座ると、向かいに文也が座った。翔太は迷わず桜の隣に落ち着いた。その時一瞬、微かだが鼻で笑った文也が、翔太は気になった。
「なに?」
「いや!お前等、相変わらず仲良いなって」
いい加減聞き飽きた台詞だが、文也に言われて改めてイラっとした。
「そんなでも無いよ!ただあんたと仲良く無いだけだよ」
「そうね!」
「ああ、確かに!」
3人は納得して、メニューに目を落とした。
それぞれ飲み物と、ケーキを頼んだ。
「へーこんな店、近所にあったんだ」
文也は珍しそうに、店内を見回している。
桜は運ばれて来たアイスティに、ガムシロとミルクを入れた。ストローでグルグルと掻き混ぜると、グラスの中で氷がカラカラと音を立てる。
「さっきの質問ですけど、どうしてあそこ迄お
母さんに忠実なの?親孝行なのは良いと思うけど、あなた達親子を見てると、違和感だらけ、異常だわ!」
「違和感?異常?……酷いなぁ。あれで小さい頃は優しかったんだよ」
翔太は、相変わらず訳の分からない文也の言動に、ふざけてるとしか思えなかった。
「小さい頃?」
桜は確認する様に、文也の目を見た。
「ああ、朧げだけど微かに覚えてる。小さい頃住んでた近所の商店街に、良く一緒に出掛けた。店の人に声かけられると、俺の事嬉しそうに話してて……父親に捨てられて、苦労して育ててくれたんだよ」
遠い目をして、懐かしそうに話す文也。
「??それって……お婆さんの事じゃないの⁈」
本当にふざけているのか?
真剣に話しているのか?
翔太には不可解過ぎた。
「?……だからさっきからなんなんだよ!俺には婆さんなんていないって!」
文也はまた、鬱陶しそうに声を荒げる。
「どうしてそこだけ記憶が飛んでるの?」
冷静な桜の声。その声に、翔太も文也を見詰めた。
真剣に見詰める2人の目に、『冗談だろ?』で、終わりに出来る空気は無い。文也は腕を組み眉間に皺を寄せオーバーに悩んで見せたが、その後の対応に困っていた。
「あなたは産まれてすぐ、お婆さんに預けられてるのよ!」
「……?」
文也は、まるで他人の話を聞いている様子。
「そのお婆さんは、あなたが3歳の時に亡くなってる。あなたは発見される迄、ずっと亡くなったお婆さんに縋り付いてたって……」
あれ?文也は、記憶の流れの中で、微かに反応した部分が脈打った気がした。
「ちょっ、ちょっと待って……えっ……と……」
掌を翳し、桜の話を遮る。必死に記憶を辿る。
「その後、母親に引き取られたらしいけど、施設に入る迄どこかの空き家に放置され、殺されかけたって聞いたわ。そんな母親の何処に愛情を感じるの?」
「んー…………」
文也は遠い記憶の中に、時々感じる違和感を探していた。しかし、それが何なのか、自分が何を思い出そうとしているのか、未だ手繰り寄せる事が出来ず唸り声を上げた。
「そんなに綺麗に忘れる⁈大好きだったんでしょう?お婆さんの事」
「大好きだったって言われても……覚えて無いし……」
文也自身も、後ろめたい気さえして来た。
「いくら幼い記憶だとしても、どうしてお婆さんの記憶が、お母さんと摩り替わってるのかしら?何か相当ショックな事があったとか……」
「ショックと言えば、文也さんはお婆さんが亡くなった時、一緒に居たんだよね……本当に自殺だったの?」
「記憶が摩り替わってる?亡くなった時一緒に居た?……自殺⁈あー駄目だ!訳が分からない……」
文也はぶつぶつと独り言を言いながら、頭を抱えた。
「文也さんあまり思い詰めないで、何かの拍子に思い出すかもしれないし……それより……」
桜は頭を抱え、苦痛の表情を浮かべる文也をじっと見詰めたまま
「開かずの間に何を封印したの?」
「⁉︎……」
文也は飛び上がる勢いで顔を上げた。
「なんて?……」
やっと喉の奥から言葉らしき音を漏らす。
桜に釘付けになった文也の目は、怯えていた。
ド直球!だなぁ。相変わらず配慮の欠片も無い……翔太は呆れた。