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後編

 かゆちゃんに慰められながら帰宅して、家でもやっぱり泣いていた。何度も何度も足立君の言葉が脳裏によみがえり、そのたびに悔しさと悲しさが湧き上がって来てしまうのだ。

 告白したからと言って、じゃあお付き合いしましょうとかそこまで期待はしていなかった。なにしろ言葉さえまともに交わした事がない相手なのだ。わたしが同じ立場だったら、きっと断っていただろう。

 高校三年生の二月なんて、受験勉強の追い込みの時期なのだから、恋愛にうつつを抜かしている余裕などない。わたしはともかく、足立君はそうだろう。けれど卒業がすぐ近くにまで迫った今だからこそ、ただ、足立君が好きだという事だけ知っていて欲しかった。それだけだったのに。

 バレンタインチョコの魔力なんて、あるはずがないと分かっていたのに。

 断られただけならば、振られただけならば、これほど辛くはなかった。誰かの言葉に唆されたり、ましてや賭けやゲームで告白したのだと思われた事が悲しくて。そんな理由で人の心を弄ぶような人間なのだと思われた事が、悔しかったのだ。

 泣いて泣いて泣きまくって、文字通り泣き寝入りをしたせいで、今朝起きた時の顔は、自分でも驚くほどにひどいものだった。タオルで冷やしたり氷をあてたりしていく分ましにはなったけれど、それでも母と妹が心配する程度にはひどい顔だったらしい。腫れが引いても、目の下にできた隈は、冷やしたくらいでは取れないのだから。

「ひーちゃん、大丈夫?」

 出がけにも、一つ下の妹で別の高校に通っているまーちゃんが、心配そうに声をかけてくれた。わたし達姉妹は、とても仲がいい。年が近い事もあり友達同士のように、親には言えない事も相談し合っている。その分けんかをする事も多いけれど、基本的に相手を気遣う思いやりは持っているつもりだ。

「うん。平気」

 まーちゃんに心配させたくなくて、わたしは無理に笑顔を作って答えた。本当は平気なんかじゃないけれど、失恋したくらいで学校を休むわけにはいかない。

 バレンタインだった昨日、わたしが泣いて帰って来た事で、両親も妹もその辺りの事情を察してくれているらしく、今朝になっても誰も涙の理由を尋ねようとしなかった事がありがたかった。




 いつものように途中でかゆちゃんと合流したけれど、わたしの顔を見るなり、予想通り大きな目をさらに大きく見開いて驚いた。そして眉根を寄せて難しい顔をすると、今度は眉間に縦じわが寄ってしまう。

「か、かゆちゃ、ん?」

 恐る恐る声をかけてみると、かゆちゃんがにっこりと微笑んだ。けれどどこか凄味のあるその表情に、すぐに目が笑っていない事に気がついた。

「早く学校に行かなくちゃ、遅刻しちゃうわよ」

 口調だけはいつもと同じように、おっとりとしている。

「あ、うん」

 かゆちゃんとは、かれこれ六年のおつきあいになる。何度も自宅を行き来している仲だし、お互いの性格は知り尽くしていた。そして過去のわたしの経験が、今のかゆちゃんがかなり怒っているのだと知らせて来ている。

 日ごろ穏やかでのんびりおっとりタイプのかゆちゃんは、滅多な事では怒らない。もちろん感情があるのだから腹が立つ事があって当然なのだけれど、それを表に出さずに上手に感情をコントロールできるからだ。にもかかわらず、ここまで明らかに怒っているという事は、かなり危険な状況だったりする。

 その原因に心当たりがありすぎるわたしは、どうやって彼女の怒りを鎮めたものかと思案した。表に出すほどのかゆちゃんの怒りは、一見静かに見えるけれど、短気で単純なわたしからは想像がつかないほどに深くて大きいものなのだから。

 そんな事を考えている間に学校に着いてしまい、三年生の教室がある二階の廊下で、かゆちゃんと別れた。彼女とは、中学一年生の時以来同じクラスになった事がないのだ。

 教室に入ると足立君はもう既に登校していて、友人達に囲まれながら楽しそうに談笑していた。昨日の気まずさから、わたしは彼を見ないように心掛けつつ、自分の席に着く。今日ほど席が離れていてよかったと思った事は、なかったかもしれない。

 そんな事を考えていたのに、

「いーさん、どうしたの、その隈?」

一年生の時から同じ光学部にいる原ちゃんこと原田菜緒なおちゃんが、びっくりした顔でこっちに駆け寄って来た。それにつられるように、いつもお弁当を一緒に食べている仲のいい女子達まで寄って来てしまう。こんなに大騒ぎをしたら、足立君に気付かれてしまうのに。

「寝不足? 昨日まで何ともなかったよね」

「どうしたの、なにか悩み事?」

 気を遣ってくれてか小声で尋ねてくれるのだけれど、わたしは曖昧な笑顔を浮かべて適当な返事をするだけに留めた。気になってちらりと足立君の方を窺うと、こちらを見ていたらしい彼とばっちり目が合ってしまい、びっくりして、不自然なまでにあからさまに俯く事で視線を逸らしてしまう。

「井沢さん、どうしたって?」

 足立君と話していたはずの吉野君の声が、近くで聞こえた。どうやら今の騒ぎで、わたしの事を気にしてくれたのかそれとも興味本位からなのか、様子を見に来たらしい。

「昨日買って帰った本が面白くて、最後まで読んでたら寝そびれちゃって」

 苦しい言い訳だけれど、常日頃から図書室に通う事が多いわたしの言葉に、どこか不自然さを感じながらも周囲はどうやら納得してくれたようだ。

「もー。こんな時期に本を読んで徹夜だなんて、いーさん、余裕だねえ」

 原ちゃんがぽん、と軽くわたしの頭をはたくと、周囲の女子達の雰囲気も明るくなった気がした。

「余裕ってわけじゃないけど、読み始めると続きが気になっちゃうんだもん」

「まあ、いーさんらしいけどさあ。ほどほどにね」

 呆れたような、けれど気遣うような響きを含むその言葉にこっくりと頷いた時、始業を告げるベルの音が校舎内に鳴り響いた。




 窓側二列目二番目の席にいる足立君が、授業中にわざわざ、対角線上の位置つまり右から二列目の後ろから二番目の席にいるわたしを見るはずもなく。そうとは分かっていても妙に緊張してしまい、授業内容なんて全く耳に入って来なかった。もともと受験向けではない授業内容のために内職も黙認されている状況だから、指名されたり注意を受けたりする事もない。機械的な作業として、板書だけはルーズリーフに書き写していたけれど。

 極度の寝不足と泣き続けていた疲労で緊張が長続きせず、わたしはいつの間にか机に突っ伏して眠りに落ちてしまっていた。

「いーさん。いーさんってば」

 原ちゃんに起こされるまでひたすら惰眠を貪っていたわたしは、目覚めてからもぼんやりとしたままだった。よほど間の抜けた顔をしていたらしく、別の友人が渡してくれた濡れタオルで顔を拭き、ようやく意識がはっきりとした。

「かゆちゃんってさ、足立に気があるのかしらねえ」

 原ちゃんの言葉をすぐに理解する事ができず、わたしはタオルを頬にあてたままきょとんと彼女の顔を見つめてしまう。

「は? なんで?」

「いや、さっきかゆちゃんが、足立を呼び出してたから。男子の間でちょっとした騒ぎがあったんだけど、いーさんは気が付いていないよねえ」

 ぶんぶんと勢いよく頭を左右に振り、わたしは原ちゃんの言葉を否定した。

 かゆちゃんは取り立てて美人だとか飛びぬけて可愛いなどといった顔立ちではないけれど、くっきりとした二重瞼に大きな目が印象的だ。顔の輪郭も体型も少しふっくらとしているけれど、それがかえっておっとりとした気性とぴったりで、見ていてとても心が和む。一緒にいてほっとする、やさしい雰囲気を持っているのだ。そのため、一部の男子から密かに人気を集めていたりするのだけれど、きっと騒いだ男子達の中にもその一部の人が含まれていたのだろう。

 そんな事はともかく、わたしが足立君に告白するかどうかの相談に乗ってくれていたかゆちゃんが、まさか足立君の事を好きだなんて、絶対にあり得ないのだ。何しろかゆちゃんには、最近お付き合いを始めたばかりの大学生の彼氏がいるのだから。この事を知っているのはまだ、わたしくらいなものだけれど。

 ふとわたしの脳裏を、今朝のかゆちゃんの表情が過ぎる。なんだかとても嫌な予感がした。

「呼び出した、って、どこに行ったか、分かる?」

「たぶん、水飲み場じゃない? 告白の定番だから。って、いーさん、邪魔しちゃだめよ!」

 原ちゃんの言葉を背に受けながら、わたしは教室を飛び出した。




 校舎の各階の二か所に、手洗い場と給水機が置かれた広いスペースがある。掃き出しになっている窓からはテラスに出る事ができ、そこがいわゆるカップルの定位置なのだ。こんな真冬に外でいちゃつく物好きなカップルがいるはずもなく、いるとすれば告白や悩み事相談をしようという人くらいなものだろう。

「か、かゆちゃんっ!」

 教室から一番近くにある水飲み場に駆けつけると、原ちゃんの予想通り、テラスにかゆちゃんと足立君の姿があった。さすがにすぐそばにまで行くような出歯亀根性丸出しの人はいないけれど、二人の様子を遠巻きに眺めている何人かの生徒の姿が見受けられる。

「ひーこちゃん」

「な、なにしてる、の」

 急いで走って来たために乱れた息でかゆちゃんに尋ねると、彼女は至って涼しい顔をしていた。そのいつにない冷やかな表情に、ぞくりと背中が寒くなる。

「わたしの大切なひーこちゃんを泣かせた男に、自分がした事の重大さを教えていたのよ」

「ななななな、なに、言ってるのっ!」

 予感的中。昨日と今日の憔悴しきったわたしを見たかゆちゃんは、その原因である足立君をとっちめるために、お呼び出しをしてしまったのだ。振られたくらいで泣いていたなんて、知られたくなかったのに。そんな鬱陶しい女だと、思われたくはないのに。ただでさえ軽蔑されているのに、これ以上印象を悪くしたまま卒業なんかしたくないのに。

「チョコレートを渡すまで、ひーこちゃんがどれだけ悩んでいたのか知りもしないで、勝手に勘違いをしてひどい言葉で傷つけるなんて。こんな最低なクソ野郎、ひーこちゃんが許しても、このわたしが許さない」

 さりげなく汚い言葉を使ってしまうかゆちゃんが、それだけ本気で怒っているのだと悟らずにはいられない。それがわたしのためだと思うと、とても嬉しい。嬉しいのだけれど、遠巻きに見ていた男子が悲鳴を上げているのが見て取れるだけに、なんとも複雑だ。

「井沢さん」

 足立君に名前を呼ばれ、肩が跳ねた。このタイミングで呼ばれるなんて、最悪ではないか。

 そしてその最悪のタイミングで鳴り響いた、二時間目の始業を告げるベル。わたしはこれ幸いと、かゆちゃんの腕を掴んで引っ張った。

「授業、始まっちゃうよ!」

「授業なんか、どうでもいいわ。どうせ出ても出なくてもかまわない内容なんだから」

 そう言い切るかゆちゃんは、普段のおしとやかさなど感じさせないほどに男前だ。

「わたしも平気だけど、足立君には迷惑だから、それ」

「好きな人の事を気遣う気持ちは分かるけど、そんな隈ができちゃうくらい泣かされた元凶なのよ?」

「うん。でも、やっぱり、ね。かゆちゃんなら、分かってくれるよ、ね」

 腕を絡めたままでかゆちゃんを見つめると、怒りで色が変わっていた彼女の眼が揺れた。わたしの事を誰よりも理解してくれているかゆちゃんなら、分かってくれるはず。

 かゆちゃんの体から力が抜けるのが伝わって来た。

「ごめんね、足立君。授業始まっちゃったけど、今から急げば、遅刻にはならないと思うから」

 とてもではないけれど、目を合わせる事はできなくて。だからこの時足立君がどんな表情をしていたのか、わたしは全然知らなかった。

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