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1-8

 死体は肉がただれ、頭部などは解けた皮膚の中から電脳の外殻が露出していた。黒々とした腐肉の中に浮かぶチタン合金製の脳核は、皮肉にもひときわ美しい姿で鎮座していた。

 死体の周りにはハエが飛び交っている。まき散らした糞尿を、さらに数日間発酵させたような酷い臭い。恭介は思わずスーツの袖で鼻を覆った。

 一方エレンは、自身の感覚中枢にアクセスし、臭覚をカットオフ。感覚をマスキングし、知覚だけをオンにした。つまり、臭いを『知る』ことはできるが、『感じる』ことはできないようにした。彼女は視界上に臭いの組成パターンを表示させ、分子配列だけでおおよその臭いを頭の中で想像した。しかし、想像しただけでむせかえりそうになった。

 エレンは、洋式便器に座る牧の前に立った。そしてなめ回すような目で遺体を見た。

「……死後少なくとも一週間以上は経ってる。下半身を露出していないから、用を足すためにトイレに入ったわけじゃないのかも。あるいは用を足したところで、死んだか……。死因は……少なくとも外傷によるものではない。おそらく内部から。電脳に侵入の痕跡あり。脳核が焼け死んでる。内部から焼き切られた可能性が高い……。牧は、ムシを使って殺されたのかも」

「ムシを使ってて、どういうことだ?」

 後ろで恭介が、鼻を摘みながら言った。

「可能性を示唆しただけ。私は検死官でも鑑識官でもないし。でも、外傷が無いってことは、毒かなんかを盛られたか、あるいは脳を焼き切られたかのどっちかでしょ。おそらくムシに侵蝕されるかして、電脳を内側から破壊された。たぶん、これは事件とは違うムシだと思う。誰かがコイツを殺すために、ムシを送り込んだ……?」

 エレンはそういって、腰を落として遺体を下から見上げた。何かを探すように。なめ回すように。

 そうするとエレンは、牧が何か紙切れを握りしめていることに気がついた。死後硬直し、さらにドロドロになった指の肉のあいだに大学ノートの切れ端のようなものが挟まれている。

 エレンは腫れ物にさわるように、ゆっくりとそれをつまみ上げた。多少彼の腐肉が付着していたが、紙切れは十分に使えるものだった。

 そこには、ダイイング・メッセージらしきものが記されていた。


『サイはなげられた もうだれもカノジョをとめられない ぼくでさえ』


 書き殴られた文字。急いでいたのか、漢字は一つも使われていない。油性のマジックで書かれていたのは幸いだったろう。一言一句、消された様子はない。太く弱々しい文字は鬼気迫る様子を伝えていた。

「……なに、これ?」エレンは紙を広げながら。

「ダイイング・メッセージか。牧は誰かに殺されたとしたなら……」

「カノジョってのが誰だかわからないけど、犯人に近いことは間違いないわね。もう少しヒントを残してほしいんだけど」

 エレンは重いため息をついた。

 彼女は仕方ないとでも言わんばかりにヨロヨロとポケットから証拠品袋を取り出し、紙切れをそのなかに納めた。証拠品袋は、まもなく内部より空気を放出し、圧縮。ダイイング・メッセージにぴったりとくっついて、パウチしたようになる。これは一種の解析スキャナーで、証拠品袋に入れたモノはあらゆる解析をされ、データ化。電脳の中で再現エミュレート可能になる。一般的な捜査技術の一つである。

「はい、これアンタが持ってて。私はチーフに報告するから」

「了解」

 袋を受け取るために、恭介は鼻をつまんでいた手を離した。一気にイヤなにおいが鼻孔に飛び込んできた。顔にしわが寄るのがイヤでも分かった。


 そうして証拠品袋を受け取ったとき、恭介は足に何かがぶつかったような感触を覚えた。牧の部屋はものが散乱していたから、何か踏んだのかと思った。しかし、しばらくしてまた何かがぶつかってきたような気がしたので、彼はにおいに耐えながら足下を見た。

 そこには、最新型の清掃ロボットがいた。人工知能を搭載したパーソナル・クリーナーで、家主の物の配置や趣味などを学習し、家主が片付けるのと同じように清掃をするというものだ。しかし、ゴミ屋敷の主には宝の持ち腐れと言えた。円筒形の小型マシンは、ゴミの中に埋もれて、恭介の足をこづいていた。

「……お前も証拠品に引き取ってやろうか?」

 まるで捨てられた子犬でも引き取るみたいに。

 恭介は上着のポケットから大きめの袋を取り出すと、清掃ロボットを拾い上げた。


     *


 一通りの証拠品を納めると、ちょうど見計らったようなタイミングで一台のセダンが到着した。電磁迷彩《ECS》で緊急車両の容貌に擬態カモフラージュしたそれには、呉石と坂本が乗っていた。

 証拠品の情報は、すべて疑似(VR)物質情報(マテリアル・データ)として捜査関係者に並列化。この事件の担当企業である一之瀬だけでなく、鑑識を担当する部署である他企業や、その他多くのセクションを担当する企業関係者にも送信される。

 現代の警察業務は、その多くが民営化、細分化されている。それをつなぎ止める方法が仮想現実ヴァーチャル・リアリティと電脳技術である。恭介が警察庁から追い出されたのは、そのような電脳化がスタンダードの捜査環境で、お荷物にしかならなかったからに違いない。

 そして、現に出向先でも彼はお荷物になりかけていた。


 鑑識担当である別企業が到着すると、一之瀬の関係者はマンションから追い出された。

 彼らは一度マンションの駐車場に集まって、情報の整理をすることになった。普段はすべて情報の並列化で短縮される作業だが、今回ばかりはそうもいかなかった。電脳施術拒絶症《CBDD》のためである。

 駐車場に停められた黒のセダンと、紺色のバン。坂本はセダンのボンネットに腰を下ろし、エレンはバンのドアに背を預けていた。呉石は仁王立ちでいて、恭介は一人後ろに縮こまって立っている。

「とりあえずまとめておきたいんだけど、いいかしら」と坂本部長(チーフ)が声をあげた。「発見されたムシは、かつて牧留一が作ったモノに類似している。ゆえに牧の犯行か、あるいは彼のフォロワーによる犯行と考えた。だけど牧は死んでいた。そして、彼の遺体から『サイはなげられた もうだれもカノジョをとめられない ぼくでさえ』というメッセージが発見された……。犯人はこの『カノジョ』である可能性が高い。カノジョが誰なのかは他の企業が調べを進めている。で、ウチの仕事は、問題のカノジョが関係していると思われるムシの動向を追い、そのオリジナルを潰す。……ということで、いいかしら?」

「異議なし」と呉石。

 エレンは、もう知ってることを言うな、とでも言わんばかりに知らんぷりを決め込んでいた。

 恭介は、デジタルアイウェアに流れる情報を流し見しながら、ただ申し訳ないと思っていた。自分のために合わせてもらう、ということが。


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