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その晩、豊洲にある小さな貸倉庫に薄明かりがついていた。カビ臭い店内にまたたくのは、ホロ投影機の微かな光。ホコリの一群がそれに照らされて、スパンコールのように煌めいていた。
そんな貸倉庫の片隅で、一人の男がソファーに横たわっていた。男はオーバーグラスのようなヘッドギアをかけている。ヘッドギアの外面は斑点模様のように光っており、またそれがホコリを輝かせていた。
男はそのヘッドギアを介して電脳接続をしていた。禿げあがった頭頂部に、シワの寄った眉間。一見して朗らかで穏やかそうな外見の男だが、しかし顔中に寄ったシワが彼が憤怒に満ちていることを物語っていた。
男の名前は、妹尾トモキ。NPO団体ヒカリの会代表であり、十年前ディスオーダーによって娘を失った男だった。
妹尾は電脳の中で夢を見ていた。白昼夢だ。
彼はある男と契約し、このヘッドギアとムシを手に入れた
そのムシは、電脳への高度なハッキングをも可能にする超ウィザード級とも言えるもの。すなわち、先日のネオ・ラッダイトの一件で使用されたものだった。
そしてもう一つ。ヘッドギアというのは、そのムシが侵したカラダを遠隔操作できる、というものだった。
本来、他者の肉体というものには、その当人特有の力配分、あるいはミーム汚染とも言うべきクセが残されており、外部から完璧に操ることは難しい。カラダの動きという同じ操作であっても、そのために必要な入力事項が個々人によって差がでるからだ。ゆえに簡単な指令ぐらいは出すことは出来るが、高度な動きは不可能である。たとえば指先をどれだけ曲げるとか、腰の位置をどれだけ落とすとか、首をどこまで回すとか。そのような細かい動作設定はかなり難しい。ましてやハックしたカラダで外装義体などのマシンを動かすことなど不可能な話だ。
しかし、このヘッドギアはそれを可能にするというものだった。ハックした電脳化者を介して意のままにクグツを操ることを可能にする。妹尾は、ある男と契約し、その契約の履行に伴いこの二つを得た。
妹尾に与えられた仕事は二つ。
一つ、ムシを使って娘を殺した者に復讐すること。
一つ、ヘッドギアを用いて、同様に復讐を果たすこと。
そしてその仕事を果たすために妹尾が考えたプログラムというのが、いまの状況だった。
ムシを使い、桜井咲のディスオーダーを再発させる。
そしてディスオーダーとヘッドギアを使い、桜井咲とクグツを接続する。
ディスオーダーは本来、クグツと肉体との感覚を反転させるものだ。しかしその効力を最大にすれば、ヒトの意識は、クグツという外装こそが自身のカラダであると思いこむ。妹尾は、それを利用した。
そうなれば、桜井咲の自傷行為は止まらなくなる。妹尾ヒカリとまったく同じ状況になる。そうすることで、娘を見殺しにした医者に、自分と同じ痛みを味あわせてやる……。
『同じ痛みを味あわせてやる』
それが妹尾のうちにある、ただひとつの思いだった。今まで秘めていた復讐心。クスリを混入させた薬剤師と、それを計画した男と、実際に投与した男……。三人ともに絶望を教えてやる。
今の今まで哀しみを押さえつけ、悲劇の父親を演じていた彼も、力を前にしてはすべてのタガが外れた。やれるなら、やればいい。胸の内に秘めてきた衝動を、開放できるならすればいい。あの男との契約が、彼をそうさせた。
彼は、計画は完璧だと自負していた。自分の苦しみを、今こそ知らしめるときなのだと。娘の死から十年経った今、彼は怒りに震えていた。
しかし、そんな彼にも一つだけ誤算があった。
数分前、彼の電脳に一通のメッセージが届いた。その送信主はVor回線を経由しており、特定も判別も不可能。ただ彼の言うことを信じれば、送り主は妹尾と契約したあの男だった。
彼は、妹尾に一つの警告を寄越してきた。
《民警が嗅ぎ回っている》
その一文には、さらにドキュメントファイルも添付されていた。坂本真矢のIDタグ、そのコピーだった。
――坂本真矢。
妹尾も彼女のことはよく知っていた。ディスオーダー事件を解決に導いた刑事の一人である。もっとも彼女がどこの部署の人間で、いまはどこにいるかは妹尾も知らないが、有能な刑事だとは知っていた。
しかし、妹尾は未だに思うのだ。もしこの刑事がさらに有能だったなら、娘は助かっていたのでは? と。
妹尾は、事件のことをまだ鮮明に記録している。まだそのとき抱いた感情を思い起こすこともできる。そして、いまやそれを原動力として復讐を果たそうとしている。ただ一人、死んでいった哀れな娘を助けるために。
その計画に、有能な刑事は不要だ。できれば、かち合いたくはない。
だから彼は、プロジェクトを変更しようと考えていた。
……せっかく得た力だ。使わなくてどうする……?
*
午前五時三十分。坂本の睡眠を妨げたのは、一本の映話だった。本当は七時ぐらいまで寝ているつもりだったのに、映話のせいで覚醒せざるを得なくなった。
しかし眠い目をこすりながら見てみれば、視界上に映る表示は非通知発信だった。怪しげに思えたが、坂本はそれを受諾した。
しばらくのあいだノイズが流れた。砂嵐が通過していくような騒々しさの後、嵐の後の静けさが訪れる。
《……どなた》と坂本。
やや間があって、向こうが答えた。
《私ですよ、坂本さん》
《……妹尾ね》
声ですぐにわかった。つい昨日の夕方まで、彼の声を再生していたからだ。
《お久しぶりです。あなたの手腕は相変わらずですね。感服しました》
《何の話かしらん?》
《とぼけても無駄ですよ。気づかれたのでしょう? 相変わらずあなたは、無能なフリをしているのがうまい。でも、私はだまされませんよ。いいですか坂本さん、私こそが、あなたが追っているそれです。私は、それを告白しようと考えています。その手伝いをしてくださいませんか?》
《自首しようっての》
《ええ。お気づきでしょう? 私はいま、私怨で動いているんです。娘の仇を打とうって、いまさら罪を犯してるんです》
《みたいね。私の推理が正しければ》
《正しいですよ。……私は、自分の復讐心が恐ろしい。自分の中にいる獣が怖くてたまらない……。坂本さん、どうか助けてください。いまからでもお会いできませんか?》
《レディをデートに誘う時間とは思えないけれど。……でもまあ、あなたがそのつもりなら、いいわよ》
《では一時間後、豊洲にある貸倉庫でお待ちしています。私は一人できます。あなたも、一人できてくれませんか》
《かまわないわ》
《お待ちいています》
直後、映話は切れた。




