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一之瀬警備保障のオフィスは警察庁と同じ千代田区にあった。しかし本庁社ビルの壮観さとは相反し、一之瀬のオフィスは、雑居ビルの四階だけ。ほかに格納庫という名の倉庫はあったが、あまり恵まれたモノではなかった。
そんな小さなオフィスで、ひときわ大声を上げる女性がいた。
「はーい、注目。みんな前々から聞いてたと思うけれど、今日から新人がきますよ。といっても、警察庁からの出向みたいなものらしいけどね。でも、彼が元本社の人間だからって、イジワルとかしないように。いいわね?」
パンパン、と彼女は二回手をたたく。
白のブラウスにパンツスタイルというラフな格好の彼女、坂本真矢は、この一之瀬警備保障で部長刑事を務めている。見た目三十代はじめ、または二十代後半ぐらいに見える彼女だが、その実年齢は老化防止手術によって謎にされている。しかし少なくとも見かけ以上に年を取っていることは有名だった。ただし、年の話題は彼女の逆鱗に触れるため誰も口にすることはない。
「本庁からの出向って。そいつは天下りってことですか、チーフ?」
トゲのある口調で言ったのは、坂本の部下の一人。呉石譲二だった。
スキンヘッドに日に焼けた肌。筋骨隆々の肉体に、アーミージャケット。そして赤い瞳をした義眼という無骨な格好をした男。彼は唇を尖らせて、首を傾げている。
「さあ。アタシにはわからないわ」
「さあって。……チーフ、あんたそれでもウチの責任者ですか? 社長すら頼りねえってのに、あんたまでそれでどうすんですか」
「そう言われてもねぇ。どうやら向こうもワケありみたいで、どこの企業も彼を雇い入れてくれなかったらしいのよ。それで、ウチに回ってきたってワケ」
「それって明らかに貧乏くじ引かされたってことじゃないですか……。やめましょうよチーフ。そんなやつ、本庁につっ返しましょうよ」
「でもねぇ、彼、もう来てるはずだし……」
坂本はそう言って、視界上に時計のアプリケーションを起動。日本標準時を確認した。約束の時間は、もう五分ほど過ぎていた。
「電車の遅延にでも巻き込まれたんじゃない?」
そう言ったのは、呉石より奥のデスクに座る少女。エレン・クロガネ。見かけ十七歳ぐらいにしか見えない彼女は、赤いメッシュの入った前髪をいじっていた。しかし、彼女の視線は宙を泳いでいる。おそらくリニアレールの遅延情報でも開いているのだろうと、坂本は思った。
それからまもなくして、オフィスの扉がバンッ! と大きな音を立てて開いた。息を切らした恭介が、転がり込むように入ってきたのだった。
「あー、遅かったわね。黒田くん。紹介するわね。ウワサの黒田恭介くん。今日からウチの社員だから、仲良くするように。いいわね?」
エレンと呉石が生返事を返す。
「よろしい。それじゃ、今日もお仕事はたくさんあるんだから。呉石くんはあたしと。エレンは黒田くんと組んで。以上、朝のミーティング終わり。何か話したいことがあったら、あたしの電脳回線に入ってくるように。以上、解散」
坂本はそう言うと、呉石の襟をつかんで外へ。
息を喘がせる恭介は、なにがなんだかわからないまま、話が進んでいた。
恭介は、しばらく息を喘がせ、両手を膝についていた。しばらくして顔を上げると、オフィスに自分と少女しかいないことに気づいた。面接で会った坂本はどこにもいない。
キョロキョロとあたりを見回していると、その少女ーーエレン・クロガネが言った。
「何ぼけっとしてるの?」
「いや、その……坂本チーフは?」
「あの人はもう行ったわ。で、わたしが今日からアンタのバディよ」
「きみの?」
「そう。アンタが本庁で何をやったのか知らないけれど、この会社ではわたしのほうが先輩だから。言うことは聞いてもらう。さ、とっととついてきて」
エレンはそう言うと、階段を下りていった。
恭介も彼女を追って降りていくと、途中で階段をそれて、ビルの出入り口とは違う方向へ。彼女はエレベーターに乗り込んで、さらに地下深くへと向かった。
地下には一之瀬の格納庫があった。格納庫と行っても粗雑なもので、メカニックがいる様子もなかった。ダークブルーのトラックが一台、停めてあるだけだ。
「仕事よ。アンタが運転して」
「君は?」
「アタシにはアタシの仕事がある。黙って言うこと聞く」
エレンは助手席に乗り込む。
恭介も運転席に乗り込んだ。
「電磁迷彩つけて。プリセット・スキンの1。実行」
言われたとおり、運転席のECSコンソールを操作し、プリセット・スキン1を実行。まもなくトラックは雷光をまとい、白いトラックに変貌した。コンテナには、『早乙女精機製作所』のロゴマーク。
「出して。ルートは決まってるから、自動運転で」
「わかった」
自動運転……実行。
まもなく、車両は独りでに動き出した。
擬装トラックは、巡回ルートを走り始めた。都内を回るルートだ。下請けである一之瀬警備保障は、毎日このような仕事を続けている。都内に現れるコンピュータウィルスの監視だ。オンライン上での監視はほかの企業が行っており、削除作業がいまこの瞬間にも行われている。一方で一之瀬は、現実世界に表出したウィルスを狩ることを目的とした企業だった。すなわち、なんらかのデバイスを介して現実に影響を及ぼすようになったウイルスを、そのデバイスごと破壊することが仕事だ。そのため、このように指定された区域をカバーするように警らしている。
恭介は自動運転に身を任せ、外をぼんやりと見ていた。しかし、彼の瞳はメガネ越しにまっすぐ前を見ていた。
一方でエレンは、電子タバコをくわえて窓の外を見ていた。電子タバコーー正確には味覚喚起マイクロマシンを含んだスチーム・ジェネレーターは、彼女の舌に「味覚」だけを残していく。エレンが好んでいるのは、エスプレッソのマイクロマシンだった。彼女の口からは、ほのかにコーヒー豆の香りがする。
「ねえ、ところで」と、エレンは口から電子タバコを離す。「自己紹介してなかった。アタシ、エレン・クロガネ。一之瀬で主にムシの破壊を担当している。これからはバディなんだし、堅苦しいのはなしで行きましょう」
彼女はそう言って、煙をふかした。
ムシ――それは、警察関連組織内での悪性コンピュータウィルスの俗称だった。
「アンタ名前は? 本庁の人間なんでしょ?」
「元、だけど。黒田恭介だ。前は警備部にいた」
「そう。まあ、アンタが本庁で何をやらかしたかは詮索しないわ。
ウチも何回か本庁からの出向社員を雇ったことがあるけれど、アンタたちには二種類あるわ。ウエへ行く前に現場を知っとけって、数ヶ月だけ出向になってくる若造。もう一つは、窓際族よ。だいたい年いったヤツが送られてきて、ウチを体のいい追い出し部屋にしてるのよ。アンタがどっちだかは知らないけれど。でもどうせ、数ヶ月のつきあいよ。よろしくね」
エレンはそう言って、また煙を吸い、吐いた。
「そういえば、アンタさっきすごい息切らしてたけど。もしかして、心肺機能の義体化はしてないの?」
「見ればわかるだろう。していないよ。体のどこも、まったく生身のままだ」
「は?」
エレンは、突然頓狂な声を上げた。彼女は身を乗り出して、恭介に問いつめる。
「あんた全身生身なの?」
「そうだ。それどころか電脳化もしてない」
「電脳化もしてない? なんで?」
「先天性電脳拒絶症候群……名前ぐらいは聞いたことあるだろ」
「ああ、なるほど。そういうことね……だから本庁から追い出されたのか」
「そうだ。僕の家系は代々警察官僚と決まってたが、僕だけはそうはなれなかった。電脳拒絶症だったから。……いまやあらゆる物事は電脳がスタンダードだ。だから拒絶症ってだけでいろんなことに制限が生じる。おかげでこの間、障害者認定ももらえたよ。祖父が無理して僕を警察庁まで入れてくれたんだが、結局ぜんぶダメだったってことさ」
「なるほど。それで出向になって、ここにきたってワケか」
「そういうことだ」
「悲劇のヒロインね」
彼女はそう言って、笑った。恭介はあまりおもしろく無かった。