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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第2章 もし死角を見つけたら
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もし死角を見つけたら 4




 聴取を終えて全員で書店を出る頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。

 夕飯の支度が…………もう今日はピザでも頼むか。

 こうしてたまに堂々と息抜きを実行するあたり、俺に桂姉けいねえから心配される資格などないように思える。

 母親って存在は本当にすごいよな。

 毎日サボらずにあんな面倒な作業を続けてるんだから。

 俺はもうすでに献立を考えつつ買い物する時点から面倒くさい。



「今日は、本当に、ありがとう……」


 などと武装ゴスロリ少女に天下の往来で両手を握られてお礼を言われるこの状況、余計なことでも考えてないとやってられない。

 チラチラとこちらを窺う通行人の視線が痛い。

 あまりの羞恥心に気が遠くなりそうだ。


「……このご恩、わが身が朽ちはてようとも、決して忘れまい……」

「重いな! そんな大層なことしてないから……」

「そうはいかぬ」


 なんなの?

 たまたま運よく助けられたってだけで、死後まで憶えてられても困るんだけど……。


「……事務所に連れて行かれた時、われは、もうだめだと思っていた…………きっと、このまま牢屋に入れられて、いわれのない罪で処刑されてしまうのだと……」

『断頭台は恐ろしいですものね……霧小路さんがご無事でなによりでした』

「さすがに心配しすぎだし、その返しはどう考えてもおかしい」


 もう疲れてきた。

 みなさん早く帰りませんか?


「われは……こんなことを、自分で言うのも、なんだが…………あまり、友達がいない……まさか、こんな風に助けてもらえると……あんなにも、一生懸命にかばってもらえるとは、思っていなかった…………だから、本当に、うれしかった……ありがとう」


 彼女はそう言って恭しく頭を下げるが、万引きの疑いは俺がなにかしなくても自動的に解消したはずだ。

 ……ちなみに、あの二人はこちらの簡単な聴取が終わると同時に連行されていった。

 霧小路さんが店から出た時点で万引きは成立していたので、その偽装、あるいは営業妨害ということになるのだろうか。店長を見ると露骨に顔を背けられたので、なにか事情があるのかもしれない。

 なんにせよ、まあ悪い子ではなさそうだ。服装と言葉遣いこそちょっとアレだが――むしろそれは人の印象に関わる重要な部分が大幅にアウトなのでは? とも思うが――これほど素直に感謝を口にできるのなら、そう奇抜な人格ということもないのだろう。


「このお礼は、いつか必ず、するから……絶対に……」


 そんな言葉を残して、武装ゴスロリ少女は路肩に停まった車に乗り込んだ。

 高価そうな外車だ。俺にはメーカーの名前ぐらいしかわからないが。

 娘の帰りが遅いことを心配して迎えを出したらしい。黒服にサングラスという『いかにも』な運転手がこちらに目礼して、かすかな駆動音とともに車は走り出した。

 ――いったいどういうタイプのお嬢様なのだろう?

 あまり知りたくないというか、知ったら最後っぽいというか……。

 まあ、そうそう関わる機会はないはずだ。なにしろまず物理的な距離が遠い。駅前も俺の生活圏からはやや外れるので、彼女との接点は皆無と言っても過言ではない。

 自分から近づかなければ大丈夫だろう。

 ……大丈夫かな。


 不安になって隣のライオン少女を見ると、彼女は不思議そうに首を傾げていた。



          ◇



 バスで帰るという芳倉さんとも別れ、俺たちは三人で夕暮れの帰り道を歩く。

 土曜とはいえ人通りはこの時間が最も多い。

 なにか用事でもあるかのように急ぎ足の人々とすれ違いながら、ふいに蕗が思い出したように口を開いた。


「でもさ……なんであのお店、監視カメラをあんな風にしてたの?」


 訊ねる声には、やっぱりいつもの活気がないように感じられる。

 振り向こうとしたら「見んな」と腰を殴られた。こんな理不尽があってたまるか。

 ……まあ、泣いた顔を見られるのが恥ずかしいのだろう。

 頑なに俺のうしろを歩き続ける妹に嘆息しつつ、答えを教えてやることにした。願わくは、それで機嫌を直していただけるとありがたい。


「誰にも言うなよ。あの本屋の迷惑になるから」

「ん」

『はい』


 前置きすると、短い返事が届く。

 隣の織目さんもちゃっかり聞く体勢に入っているが、たぶんこの人なら言いふらすようなことはないだろう。

 俺はさっきの推察の続きを説明することにした。

 とはいっても、数十秒で終わりそうな話なんだけど。


「あのカメラのおかしなところは、店内だけじゃなく従業員室や倉庫にまできっちり設置されていたところだ。おかげでそれ専用のモニターが一台増えている。

 もちろん、それだけなら防犯の厳重な店なんだという印象だけで終わるだろう。

 だが、その中にぽつんとスポットみたいな死角があったら。しかもそれは店の経営陣が故意に作ったものだとしたら……どうだ? すこし見え方が変わってこないか」


 横からハッと息を呑む音が聴こえた。

 遅れて蕗も気づいたのか、背後で短い声が上がる。


「……トラップ、ってこと?」

「正解。――あの死角は、店員を捕まえる(、、、、、、、)ために作られたものだ」


 これは事前に昔なじみからの情報があったから気づけたようなものだ。

 そういう意味では他の人に解けなくても仕方なかったと言える。


「昔、あの駅前の大通りで大規模な改修工事があったのを覚えてるか? 仕掛けができたのはその時だ。考案したのは先代の書店オーナーだろう。仕組みはシンプルで、大通りに面したガラス張りの位置に監視範囲の空白を作り、そして外から隠したもう一台のカメラで撮影する……ってところか。おそらくそっちのモニターは、他の場所に置いてあるんだと思うぞ」


 新刊コーナーと専門書の棚が隣接していたのも偶然ではないのだろう。どちらも盗んで売ればいい値段がつきそうな商品だ。


『で、でも……本屋さんは、なぜそんなことを……? それではまるで、従業員の方を疑っていると言っているようなものじゃないですか』

「店側の事情は俺に訊かれても困るんだが……まあ単純に、店員による窃盗被害が馬鹿にならなかったからじゃないか? なにしろ従業員は万引きを安全に成功させる手段も知れる立場だからな。それに加えて、あの書店で働いてるのは大体がアルバイトだ。全員がそうとは言わないけど、中には店が潰れようが知ったこっちゃないって手合いもいるだろう」


 これも昔なじみの悪友からもたらされた情報だ。

 あの店舗は全国でも万引きの検挙率がトップクラスなのだという。

 監視カメラの数を見ればそれも当然かと思ったが、仕掛けを知れば違う答えが見えてくる。


 ――書店は、積極的に万引き犯を釣っている(、、、、、)


 店にとっての危険因子は早々に排除する、という方針か。

 さらに窃盗犯が頻繁に捕まっていると噂が流れれば、すくなくともそれが目的の人間は近寄らなくなる。

 おそらく隠しカメラは大通りのものだけではないのだろう。そうして疑似餌の陰に仕込んだ釣り針で、なにも知らず喰いついた馬鹿な万引き犯を釣り上げる――


 ……なんともまあ豪快な方針だ。

 書店も生活が懸かっている以上、自業自得の犯人に同情の余地はないが。


「アキにぃ……いつからそんな頭よくなったの?」

「……いや、別に頭よくなったりはしてないが」


 今回の騒動も、以前の時計の件も、解けたのは偶然だ。

 ほんの数週間で天才になれる方法があるなら俺が教えてもらいたい。切実に。

 やがて、蕗はもう真相に興味を失くしたのか、返事の代わりに俺のパーカーを掴んだ。


「おんぶ」

「はあ? ……おいおい、蕗さん? もうさっきから言ってることが支離滅裂なんですが? おんぶってお前、いくつになったと……」

「いいからしゃがんで! ほら! 早く!」


 もうなにがなにやら。

 苦い薬を百錠ほどまとめて飲んだような顔になるのを自覚しつつ、渋々その場に膝をつく。すぐさまぶつかるように蕗の身体が覆いかぶさってきた。


「ぐ……おも」

「――その先を言葉にしたらソッコーで絞め落とす」


 鬼か。なんとかしてほしい、この家庭内ジャイアニズム。

 蕗は中学生とはいえチビだ。同年代でも小柄だろう芳倉さんよりさらに背が低い。

 しかし、俺とこいつはたったの二歳差なのだ。いくら軽いといっても限度がある。

 それでもふらつきつつ気合いで立ち上がると、背中に身じろぎする感触が伝う。


「……ありがと」

「は?」

「さっきの……うれしかった…………あと、そっちのヘンなお面の人も……あたしのこと、疑わなかったから」


 ぽつぽつと心情を語った小さな声は、やがて不機嫌そうに「寝る」と告げた。そしてものの数秒で、あろうことか妹様は本当に寝息を立てはじめたのだ。

 意識を失くした人間の体重がずしりと圧しかかる。自由すぎるだろ、こいつ。

 すれ違う人たちからの生温い視線がきつい。


『変なお面……』


 そしてあんたはそこでショック受けるのか。

 ……まさか自覚なかったのか? 嘘だろ?



『それにしても、ご兄妹の仲がいいのですね』

「この状況でよくそんな微笑ましいコメントができるな。見ろ、この額に浮かぶ汗を」

『甘えているんですよ。きっと気を張って疲れたんだと思います』


 うふふ、と小さく笑うライオン。

 その異形の見た目とギャップのありすぎる楚々とした仕草。早くも順応しはじめたらしい自分が怖い。


『私も兄が一人いますが、新屋さんたちのように親しい間柄ではありませんので……すこし、羨ましいです』


 織目さん、兄貴がいるのか…………兄ライオン?

 脳内に着ぐるみをかぶる名家の兄妹というふざけた絵面が浮かんだが、どうやら冗談を口にする空気でもないようなので、俺は思考を切り換えた。


「あー……まあ、世間一般の兄妹はそんなもんじゃないか? うちはちょっと特殊なケースだしな」

『特殊……?』


 織目さんがよくわからないという素振りをする。

 よそのご家庭は知らないが、うちはその手の事情を隠さない方針だ。

 積極的に喧伝しているわけではないものの、問題がほぼ俺一人の身の上に起因するので、多少なりとも世話になったりした人間には早い段階で打ち明けるようにしている。その方が妙な軋轢も生まれないし、なにより下手に隠し通そうとする労力を考えればより合理的だろう。

 今日、織目さんには身内の騒動の解決に協力してもらったし、おそらくこの人は悪い人間じゃない。

 過去の一端を明かすのに否はなかった。


「俺とこいつ、血が繋がってないんだ」


 短く息を呑む音が聴こえる。

 それには構わず、話を続けた。


「小さい頃に俺の両親が死んで、新屋のおじさんたちが引き取ってくれた。こいつと兄妹になったのは、それからだな」


 できる限り軽い調子で話したつもりだった。

 しかし、俺が止める間もなく、織目さんは勢いよく腰を折った。


『も、申し訳ありません! 私、失礼なことを訊いてしまって……』

「俺から話したんだろうに……なあ、頼むから頭を上げてくれ。こんなとこで女の子に頭下げられたら、周囲の目が痛い」


 そう宥めて、ようやく彼女は顔を上げた。

 ただ、その全身から発せられる『申し訳ない』オーラは消えない。

 ……溜め息を一つ。俺はなんとも言えない空気を誤魔化すように、言い訳を放り投げる。


「こういう事情を後になって話したら、なんか気まずくなるだろ? だからいつも早いうちにばらすんだ。そもそも十年近く昔の話だからな。俺の中じゃもう決着のついた話だし、そっちも気にしないでもらえるとありがたい」


 訥々と説明すると、織目さんもようやく飲み込んだのか静かに頷いた。


「なんというか……俺たちは、努力をしたんだ。『家族』ってやつになるために。

 たぶん、それは血の繋がりがあろうがなかろうが一緒だと思う。俺もこいつも、お互いに兄妹になるための距離を探り続けて、本当にすこしずつ、いまみたいな感じになった。……だからその、適当な言葉が思いつかないけど…………兄さんとの仲がよくないっていうなら、それは織目さんだけが悪いんじゃないと思うぞ?

 片方だけが努力したって、人間同士の関係は上手くいかないだろう」


 ――なんとなく、彼女が、その兄に負い目を感じているようだったから。


 柄にもなく説教くさい弁舌を打った理由は、そんなところだ。

 何年もかけて構築した兄としての立場が身についたともいえる。

 いや、織目さんはひょっとしたら年上かもしれないけど。そしてこの俺は、同時に桂姉の弟という立ち位置でもあるわけだが。


 多少なりとも心に触れるものがあったのかはわからない。

 かぶりものに隠された横顔からは、どんな心境も読み取ることはできなかった。

 やがて、ライオンをかたどる顔がついとこちらを向いた。


『ありがとうございます。……新屋さんは、やさしいのですね』


 まっすぐな言葉がどうにもくすぐったい。

 俺は返事もせず前に向き直った。

 その仮面の下の口許が微笑んでいるように感じられたのが、どうか自意識過剰ではないようにと願う。勘違いだったら恥ずかしすぎるな。


「俺からも、一ついいか」

『はい。なんなりと』


 ずっと訊ねるか迷っていたが、この機に便乗しておくことにした。


「……織目さんは、なんで学校に来てないんだ?」


 ぴたりと足が止まる。

 合わせて俺も振り返り、作り物の顔をじっと見つめた。


 一応、彼女の居どころを学校で探してみたのだ。

 そして、それはさほどの労もなく見つかった。


 隣のクラス。一年C組。

 そこに、入学してから一度も登校していない女子生徒がいた。

 小学校時代の顔見知りに訊いたところ、彼女がどんな顔なのか、はたまたどこの中学校を出たのか、誰も知らないそうだ。


 夕刻の静かな風が頬を撫でて、ようやく織目さんは見えない口を開いた。


『……申し訳ありません…………その質問には、まだ答えられません』


 まだ。

 ……なら、いつかは答えるつもりがあるということか?

 結局のところ余計に謎が深まっただけのような気もするが、慌てて追及するような話でもない。


「ごめん。こっちも踏み入ったことを訊いた」

『い、いいえ……それに、学校で新屋さんと会えたら嬉しいというのは、本当ですので』


 弁解するような言葉を反芻して、一週間前のやりとりを思い出す。

 そういえば、たしかそんなことを言っていたか。

 発言の意図を読解しようと頭を捻っていると、先に織目さんが腰を折った。


『それでは、私はこれで……』

「あ、ああ……」


 踵を返した彼女の姿は、すぐ脇道に入って見えなくなった。

 あの日と同じ、あまりにも唐突な去り際。

 呆然とそれを見送った俺は、背中の蕗がもぞもぞと身じろぎして、ふとわれに返る。


 なんとなく顔を上げると、濃紫の空に一つ、二つと瞬く星。

 間もなく夜がやって来る。

 気がつけば、街路を抜ける風は、もう随分と冷たくなっていた。







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