第2章
朝は昨日同様十五分早い電車に乗る時間に家を出た。すると母さんが、
「夜騎士! 傘持って来なさい」
「良いよ、晴れてるし」
この日は雨の予報だったが、朝から雲一つ無い晴天だった。でも母さんの天気予報はいつも当たっていたので、一応持って行くことにした。
「おはよう」
教室に入ると、俺から先に挨拶をした。
「おはよう」
と柚木さんは笑顔で返してくれた。また照れ臭くなって俺は席に座って寝たふりをしたが、本当は嬉しくて仕方なかった。もっと話したかった。
そう言えば今日は一緒に帰る約束をしていた。体育の授業の時も、教室でも、柚木さんのことをチラッと見てしまう。完全に勉強なんて上の空だ。
そして放課後がやって来た。母さんの予報は当たり、雨が降ってきた。俺は一足先に教室を出た。楓の木の下で待ち合わせと言っていたが、雨だったので、楓の木が見える校舎の裏で待っていた。すると後ろから肩をポンポン叩かれて、振り向くと、
「雨だね」
と微笑みながら俺の目を見て話してくれた。
「そうだね、やっぱり降ったみたい」
俺はドキッとして微笑みながら言った。
「朝は晴れてたから傘持って無いんだけど……」
柚木さんは少し下向き加減でボソッと言った。
「良かったら一緒に入る?」
「本当? 良いの? 私なんかが隣にいて!」
「ダメなわけ無いじゃん」
「ありがとう」
自分がこんなことが言える奴なんて、思っても無かった。相合傘と呼ばれるものができる奴だってことも。でも、
「花咲くん肩がビチョビチョだよ? 私のことは良いから、もっとこっちに」
予め大きめの傘を持って来ていたのだが、柚木さんを濡らしてはいけないという使命感から、こうなってしまった。
「俺なんかは良いよ。柚木さんが濡れなければ」
時より、俺の方に傘を押してくるのを戻しながら、風向きを考えながら、歩いていた。
「でも、風邪引いちゃうよ」
と言って、カバンからタオルを出して
「これ使って?」
と言って渡してくれた。
「ありがとう」
タオルを受け取り肩に乗せた。人に優しくされるのが、こんな些細なことでも、幸せな気持ちになると知ったのは、おそらくこの日が初めてだった。
何でもない毎日がこんなんだったら良いなと思った。
「また明日ね」
残念ながら、柚木さんとは家の方向が逆で、駅でお別れだったが、この「また明日」という言葉があったから、俺は別に寂しくなんか無かった。また明日会えるからだ。
「ねぇ! 良かったら、これからも帰ろう」
別れ際に俺は、自然とこんな言葉を発した。照れなんて考えても無かった。ただ単純に思ったことを言ってしまったのだ。
「うん、こちらこそお願いします。じゃあね」
と満面の笑みになって、手を振る柚木さんは、クラスでは地味な子とは思えないくらい輝いていた。
母さんが傘を持って行きなさいと言ってくれなければ、こんな幸せな時は訪れなかった。家に帰って、
「ただいま!」
といつもより大きな声で言ってみた。
「おかえり、何か夜騎士、機嫌良いみたいだけど、どうしたの?」
母さんがニヤニヤしながら聞いて来た。俺は慌てて、
「傘だよ、傘! 母さんが朝持って行った方が良いって言ってくれたから」
と言うと、
「それでテンション上がってるの? でも右肩だけ濡れてるみたいだけど?」
母さんがまるで探偵のような目で聞く、
「これは風向きの影響で……」
「なるほどね〜」
母さんの勘は鋭い。こんな些細な変化でも気付いて、しっかりと問い詰めてくる。父さんから聞いた話だが、高校時代は恋愛ダウジングマシンと呼ばれていたほど、こう言う話には敏感だったそうだ。
常にそう言うセンサーが張り巡らされてるわけだから気を付けないと。
「とりあえずすぐに風呂に入るよ」
と俺は話を切り替え、足早に部屋に向かった。階段を登ってる時に後ろをチラッと見ると、母さんは不気味な笑みを浮かべていた。勘付かれたかも知れない。
でもそんなこともどうでも良かった。その時の俺の頭の八割は柚木さんになっていたから。久々に歌詞を書いてみることにした。今の気持ちをそのままに書いて、
“どうしてだろうまだ知り合って間もないのに、こんなにも君でいっぱいになる。伝えることが必要なのかな、まだ早いよきっと”
恋愛経験なんか一切無くて、こんな歌詞を書くのも初めてで、ストレート過ぎて自分が少し気持ち悪くも感じたが、これが今の思いだった。
『タオルありがとう、今日はあんまりちゃんと話せへんかったけど、楽しかったです。また明日も一緒に帰ろ』
と送ると、
『いやいや、こちらこそ傘ありがとう。自分のなのに私優先にしてくれて、本当に優しいなって思いました。明日はもう少しお喋りしましょ』
とすぐに返信が来た。俺はギターを手に取り、嬉しさを表現するかのように歌った。
そんな毎日が続いた週末、久しぶりに路上ライブをしようと思った。俺は、中一からギターを始めて、高校に入ってから月に約二、三回、週末は外で歌うようになっていた。
「Gloomy Knight」と言う名前で、こっそり活動している。この「陰気な騎士」の由来は、説明するまでも無いかもしれないが、暗い性格と自分の名前の「夜騎士」ってとこから来ている。最初はパーカーのフードを被って、ボソボソと歌っていたため、誰も近寄ってなんて来なかったが、最近では少しだけ立ち止まって聴いてくれる人もできた。
本当に趣味程度にやっていた。最近は気持ちが上向き加減なので、この日はフードを取って、明るめの曲を、いつもより大きな声で歌ってみた。
夕焼けが眩しかったが、それがまた心地よかった。
すると、いつもより人が集まっている気がした。恥ずかしくて顔が火照ってきたが、夕日のせいにできるなんて思っていた。いつもとは違う景色に、俺は柚木さんといる時とは、また違う幸せを感じた。
“上を向いて歌って見れば、違う世界が広がっている。俯くことも大切だけど、大体は上を向いてた方が良い”
小学生の頃から大好きな男性デュオの歌だ。外で歌うのは初めてだった。それに初めて、十人程の人から拍手をもらった。
ワクワクは次の週になっても、その次の週も続いた。四月も末になって、俺は初めてデートに誘うことに決めた。
いつもの帰り道……
「ねぇ、どっか行きたいとことか無い?」
「ん? 何て?」
緊張して声が小さくなって聞き取れなかったようだ。
「いやGW辺りに、どっか行かないかなぁ〜って思って!」
余所見をしながらだが、さっきよりは大きな声で言った。
「行きたい! どこ連れてってくれるの!?」
柚木さんがいつになく目を輝かせて言うから、俺はビックリして顔が火照った。もう随分慣れたつもりだったが、これには柚木さんも顔を少し赤らめた。
「行きたい場所とかある?」
と一度落ち着けて俺が聞くと、
「水族館とか嫌?」
と少し上目遣いで聞いてきたので、
「良いよ! じゃあまた詳細は決めよう!」
と食い気味に、すぐ返事をした。初めての女の子とのデートだ。ワクワクする気持ちとともに、不安要素もある。上手くエスコートできるか、後は私服とか、お金とか……。
でも一ヶ月前の自分からは考えられない今を楽しみたくて、
「母さん! 一万円貸してください!」
今月頭にギターのアンプを買ったから、俺の小遣いは底をついていた。だから、水族館に行くには、こうするしかない。俺が真剣な顔でこう言うと、母さんは
「何に使うの?」
と少し困り顔で聞いて来た。
「えっと、欲しいエフェクターがあるんだ」
「こないだのアンプの借金も残ってるでしょ? 今は我慢して、またお金を貯めて買いなさい」
そう言われるのは分かっていた。でも、ここで食い下がるわけにはいかない。
「限定版で今買わないとダメなんだ」
と何かに追われるように真剣な顔で言うと、困った表情を崩し、軽く笑って、
「何か分かんないけど、仕方ないわね」
と言って、すぐに財布から一万円を渡してくれた。もうちょっと口実を考えていたのに、意外とすんなり貸してくれたことに驚いたが、とりあえず良かった。
「バイトとかした方が良いかもね、まだ二年生だし」
と母さんは言って、俺の肩を叩いて家事に戻った。そうだ、これから柚木さんと遊んだり、趣味のギターの用品を買ったりするのに、バイトをすれば自由なお金が増えるでは無いか……。
でも俺は人見知りが激しくてまともに人と話すことができない人間だ。そんな奴がバイトなんかできるのか? 悩みどころではある。
そう言えば前回、柚木さんとバイトのことについて少しLINEで話したのを思い出したが、一体何のバイトをしているのかまでは聞かなかった。今度聞いてみよう。
楽しい毎日を過ごしていると、あっと言う間にGWが来た。さすがに服を買うお金まで無かったので、パーカーにジーパンの田舎っぽい格好で、集合場所で待っていた。あまりに楽しみにしてたので、予定の三十分前に着いてしまった。
駅の時計台の前で、音楽を聴きながら座って待っていると、目の前に一人の女の子が立ち止まった。デニムのショートパンツに、長めのTシャツを着た女の子だ。誰だろうと思ってチラッと見たが、気にせず音楽を聴いていた。すると、
「花咲くん! 私だよ?」
イヤホンを取られ、顔を近付けて言われた。眼鏡をかけていなかったため、いやあまりにもいつもと違うオーラが出ていたので全く気付かなかった。
「あ、ごめん。あまりに可愛い過ぎて」
「えっ?」
「いや、いつもと全然違うかったから」
最初の言葉を取り消すかの如く、慌てて言った。危うくイケメンが言うような臭いセリフを言ってしまうところだった。最近、本当に思ったことが口から出てしまう。柚木さんは変なのって感じで、首を傾げて笑っていた。
「じゃあ、混むだろうし行こっか?」
「うん!」
周りから見ると、全く釣り合わない二人になっているはずだ。この服装の二人が歩いていると。電車に乗ってる時も、水族館までの道も、そして水族館の中でも、他の人の視線が痛い。
「ねぇ、やっぱり俺の服装変だよね?」
と聞くと、
「うんん、花咲くんらしくて私は良いと思う」
とクスクス笑いながら柚木さんは言った。何気にプライドの高い俺は、少しそれにイラッとしたが、柚木さんだったから笑っていられた。
「ねぇねぇ! あそこで写真撮ろう! 」
柚木さんがそう言って指をさした。そこにはペンギンの置物に顔を嵌めて、写真を撮れるようになっているものがあった。
「え、嫌だよ。恥ずかしいやん」
ついつい本気で嫌な顔をして言うと、
「そんなこと言わんと思い出に撮っとこう?」
俺は写真が嫌いだった。ましてや知らない人のいる前で撮られるなんて、もってのほかだった。でも、グッと手を引っ張られるので、渋々撮ることになった。
すると本当に渋い顔になってしまっていた。まるでキメ顔をしてるかのように。柚木さんは笑顔なのに。
その後はイルカショー、深海魚、チンアナゴまで、水族館を満喫して、お昼はファミレスで食べ、そして時間の許す限り公園のベンチでお喋りをして、本当に最高の一日を過ごした。
「本当に楽しかった! また行こうね!」
と満面の笑みで言ってくれる柚木さんの表情を見るだけで、今日の疲れは全て忘れられた。帰り道で、
「そういやさ、俺も親にバイトしろって言われてるんだけど、柚木さんは何のバイトしてるの?」
と尋ねると、笑顔が少し強張って、
「えっと、飲食の仕事だよ」
と答えた。その後、少し俯き加減になったことから、何か隠しているのは疑えた。でも、その時はそれ以上は聞かなかった。
GWが終わって、本当は憂鬱な学校も、今年は少しウキウキしている。早く会いたいのか、最初は十五分早く乗っていた電車も、最近は三十分も早いのに乗っている。これにはさすがの母さんも疑いを隠せず、
「彼女でもできた?」
と聞いてきた。俺はまだ彼女でもないし、母さんに言うのが恥ずかしくて、
「そんな訳ないでしょ」
とポーカーフェイスで言った。
朝学校に着くと、まだ数人しかいない教室がざわついていた。教卓の前に四、五人の男女が何か騒いでいる。柚木さんは席に座って、顔を伏せていた。
「おはよう」
と挨拶したが、柚木さんは
「おはよう」
とボソッと言うだけだった。何かあったのかと思ったが、とりあえず俺はいつもどおり、窓際の席に座って、寝ようとした。すると、
「このダサい私服のやつの隣にいる、可愛い子ぶった女の子誰だよ?」
教室中に男子生徒の声が響いた。
「これ、柚木さんじゃ無い? 眼鏡かけて無いけど」
女子生徒が言った。そしてまた違う女子生徒が、
「柚木さん? これって柚木さんよね? 何でこんなやつと歩いてるの?」
と言った。こんなやつ? 俺のことか? 顔を伏せていて写真を見てないから分からないが軽くカッとなった。でもまだ俺は座ったままだ。
「男にならこんな格好できるのに、いつも眼鏡で良い子ぶってるのかな?」
またまた別の女子生徒が言う、さらに男子生徒が、
「てかあの丸渕眼鏡野郎も、この地味子ちゃんなら喋れるんだな!」
と言うと、その周りにいる生徒達が笑う。これで俺のことだと分かった。言われたい放題で腹が立つが、俺にはこの空気を一掃できるだけの勇気が無い。
さらに追い討ちをかけるように、
「こいつキャバクラで働いてるんじゃね?」
と新たに教室に入って来た男子生徒が言った。どこでそんな情報を手に入れたのかは分からないが、まさか……。
「こんな地味子がキャバクラなんかで働けるわけないじゃん」
女子生徒が言うと、
「そりゃ、そうだな」
と、その男子生徒が言うと、また笑い声が響く。空気に耐え兼ねた柚木さんは、一瞬俺の方を向いて教室を出て行った。標的は俺の方に移る……と思いきや、
「何で、黙って聞いてるだけなん? 早く追いかけてやんなよ!」
いつも朝、柚木さんの隣で話している、河野優希ちゃんが、俺の机をバンと叩いて言った。
彼女も柚木さんと同じように、地味な子ではあるが、おかっぱ髪で、目に力が入って、人情深い感じの子だ。
「でも、俺なんかが今行っても……」
と言うと、
「待ってたんやで楓は、いろいろ言われてる時に、あんたが出てきてくれることを! 私も期待してたのに、ずっと!」
河野さんがあまりに悲しそうな顔で俺を見る、周りも黙って俺を見ている。
行くしか選択肢がなくなった俺は、机を軽く叩いて、教室から出た。
もうホームルームのチャイムが鳴っていたが、とりあえず真っ直ぐにあの場所に向かった。
「柚木さん!」
やっぱり、いつもの楓の木の下で蹲って泣いていた。
「もう私に構わないで」
そっと手を差し伸べようとすると、そう言われた。初めての冷たい態度に俺は言葉を失った。
「キャバクラでバイトしてるってのは本当なの。地味な感じを装ってるけど、夜にそんな仕事してんの。いつかバレて学校も退学になっちゃう、こんな私なんか構わない方が良いよ」
キャバクラは本当だったんだ。でも、まだどうしてそんなとこでバイトしてるかも聞いてない。何か理由があるはずだ。
「別に花咲くんとの水族館デートをからかわれたくらいで、こんなに落ち込んだりしない。どうして一言でも良いから、何か言って欲しかった」
こぼれた涙は地面に染み付いて行く。俺は考えた、どうすれば良いか。これが正解かどうかは分からないが、一か八か……。
「ごめん、ちょっと来てくれ!」
と言って、俺は柚木さんの手を取り、ダッシュで教室に向かった。ホームルームが終わり、一限が始まるまでの騒がしい教室のドアをガシャンと開けて、
「好きになったんだ! いや、大好きになったんだ! 柚木さんのことが、今までに無いくらい!」
息切れする呼吸を整えながら、俺はこう叫んだ。すると、教室はまるで強盗が入ったかのように静まりかえった。
「だから、これからはカップルなんで、よろしくお願いします!」
と頭を下げた。俺は何を言ってるんだ? 相手の了承も取っていないのに、勝手にこんなことを。柚木さんの顔をこっそり見たが、あまりの驚きに開いた口が塞がらないようだ。
でも、さらに驚いたのは、教室から巻き起こる拍手と、
「やるじゃん、男じゃん」
と言う声や、
「頑張れ! 何気に応援するよ!」
と言う声が聞こえたことだった。俺は横を向いてヒソヒソ声で、
「てことで良いですか?」
と聞くと、柚木さんは首を縦に二回振って泣くのをやめて笑ってくれた。拍手はチャイムと共に鳴り止んだが、後にたくさんの質問責めにあった。これからがまた大変なのだ。
長い一日を終えて、帰り道。
「何でキャバクラでなんかバイトしてるの?」
これだけは聞いておきたかったのだが、
「その話はとりあえずは良いじゃない。でも朝の花咲くん、別人みたいにカッコ良かったなぁ〜」
「もう夜騎士で良いよ?」
「えっ、じゃあ私のことも楓って呼んで?」
「楓……ちゃん?」
「呼び捨てが良いなぁ〜」
「楓!」
「なぁに? 夜騎士!」
あまりに恥ずかしい馴れ合いに、俺は後頭部を掻いて、足早になって駅に向かった。
「待ってよ夜騎士〜」
と言って追いかけて来る楓を横目に見ながら俺は笑った。とてもその瞬間が楽しかったが、キャバクラのことは簡単にスルーされた……。
まぁ、また今度でいっか?
彼女と出会ってちょうど一ヶ月が経った五月七日。俺たちは正式に恋人同士として付き合うことになった。




