第1章
兵庫県の神戸市にある、進学校でも無い、ごく普通の私学に俺は通っている。創設十五年で、校舎はまだ真新しい。
高校二年生の春。一年生はまだまだみんな友達作りに必死で、バカなことをやったりせず落ち着いていた学校。
でも、クラスが変わって
「やったー! 一緒のクラスじゃん!」
「ほんまや! 席どこなん?」
騒がしい女どもの悲鳴を聞いていると、毎日が少しストレスになりそうだ。
俺の名前は花咲夜騎士。未だに昭和チックな眼鏡をかけて、髪の毛はぼさぼさ、そのくせ名前はキラキラネーム。本当に似合わない名前だ。
そんな俺だが、学校の一部の女子にはかっこいいと言われていたらしい。奥二重でしっかりした瞼、高い鼻がそう感じさせてるみたいだが、教室ではずっと寝ているし、あまりに暗過ぎて誰も近寄って来ない。そうだな、暗さで例えると鍾乳洞の中くらいかな?
それ真っ暗だったな……。
「よう! 夜騎士! 彼女できたか?」
いつも挨拶のように、こんなことを言ってくるこいつの名前は、中居徹。丸坊主で、いつも笑顔な好青年だ。クラスは別々になったが、高校で唯一の友達かも知れない。
「おいおい連れねえな〜。彼女なんてできるわけねぇやろ! ってぐらいツッコンでくれたって良いじゃん」
俺はいつも通り無視をして、教室の窓際の席に着いて、机に顔を伏せて、軽く手を挙げた。
「ところでさ、新入生に雑誌のモデルやってる子、入って来たの知ってる?」
「そんなの知るわけないやん」
素っ気なく返す。
「なぁ夜騎士、俺らってもう高校二年生なんだぜ? そろそろ女の子に興味を持って、彼女の一人や二人くらいできても良いんじゃないか?」
「二人ってお前、真剣に付き合う気ないやろ」
「それは例えの話やんか〜」
女の子はいつも騒がしい。かと言って静かな女の子とも話が合わないからダメだ。要するに俺は恋愛不適合者。だから女の子に興味すら持たないようにしている。
昼までの授業を受け終わった帰り、ふと校舎の裏の楓の木に寄った。
俺は一年生の頃から昼休みや、あまりすぐに家に帰りたくない放課後は、いつもここで寝ている。一年でいろんな顔を見せる楓の木と会話ができるような気がした。
そんな木に、今年もよろしくお願いしますの挨拶を込めて来てみた。やっぱりここは落ち着く、いつでも待ってくれているような、ほとんど誰も通らない。だからこうやって寝ていても……
「あああ!!!」
目を閉じて、うとうとしていると、静かな校舎裏に甲高い女の子の声が響いた。いつもなら誰が通ろうと気にせず寝ているのだが、今日は別に寝るつもりも無かったので、こっそり覗いて見ることにした。
そこには肩ぐらいの髪の毛に、眼鏡をかけて、いかにも図書委員って感じの女の子が、散らばった本を前に立ち竦んでいた。
どうやら運んでいた本の入った、ダンボールの底が抜けてしまったようだ。
「大丈夫ですか? いつもこんな量の本を運んでいるんですか?」
気が付けば声をかけていた。何となく自分の雰囲気に似た彼女を放っておけなくなったのかもしれない。
「い、いや、そんなの悪いです。大丈夫です、一人で運びます」
と彼女は瞬きの回数を増やして、俯き加減でそう言った。誰も運ぶとは言ってないのだが……。しかし、男一人でもダンボール無しでは運ぶのが難しい本の量だった。
「気にしないでください。どうせ暇人なんで」
と言って、俺は散らばった本を集め始めた。久しぶりに女の子とへ話しかけた。約四年ぶりぐらいかな? 優しくしようなんて別に考えていなかかった。もちろん、女の子を口説く気なんて専ら。自然に出た言葉だった。
すると彼女はコクリと頭を下げて、同じように本を集めた。
図書館までの道のりは約5分。会話をするか迷ったが話すことが見つからない。もう四年も話してないのだから、こうなるのも仕方ないか。と思っていると、
「あの!!」
校舎に入る前あたりで先を歩いていた彼女が振り返って言った。急に話しかけられた驚きで俺は本を数冊落としてしまった。
「驚かせてしまって、すいません。 お名前伺ってよろしいですか?」
緊張した面持ちで彼女はそう言った。
「あっ、そう言えば言って無かったですね。俺は花咲夜騎士って言います。あなたは?」
俺は本を拾いながら答えた。
「私は、柚木楓って言います。二年生です」
「あっ、俺も二年生」
「そうなんですか? 何組ですか?」
「三組だけど」
「えっ、私も三組!」
柚木さんが初めて目を見て話してくれた。でもすぐに彼女は目をそらしてしまった。俺もその表情に少し恥ずかしくなって、目をそらした。
「図書館行きましょうか?」
沈黙が数秒続いた後、そう言うと、
「あ、すいません。行きましょう」
あっと思い付いたように、柚木さんも言った。
今の俺にはこれ以上の会話を続けることができなかった。また多分、柚木さんも無理だっただろう。ちょうどいい切り返しだったと思う。
うちの学校は私学と言うこともあり、市のものと同じくらいと言うと大袈裟だが、大きな図書館がある。
図書館に着いて、本を元の場所に戻す手伝いまでした。そして、どんな本があるのかと、借りる気も無いのにウロウロしていた。ある本の前に立って眺めていると、
「花咲くんも、こんな本興味あったりするの? 読んだりするの?」
「あっ、いや……」
俺の前にあった本は、発声の練習の本だった。まさか無意識のうちにこんな本の前にいるとは……。
「私本当は声優になりたいの。じゃ無くても声で人に何かを届けられる仕事をしたいと思ってるの」
俺が首を傾げて苦笑いをしてると、柚木さんがそんなことを言い出した。
「こんな暗い私になんか、無理だろうって思うかも知れないけど、夢は夢で持っておきたいなって」
「夢って素敵じゃないかな? 叶えようとすることも夢だと思うし、叶わなくても夢だし」
ついつい口から無責任なことを言ってしまった。後々話すことになるのだが、ギターを弾いて歌詞を書いたりしている、アーティストかぶれの俺は、こんな事を言ってしまう癖がある。
「うん、ありがとう。その言葉が素敵だと私は思った」
横を向いて柚木さんの顔を見ると、白い歯を輝かせて、こっちを見て笑っていた。でもまたすぐ顔をそらしてしまった。
顔をそらされると、何となく寂しい気持ちになった。あれ?どうしてだろう……。
「そろそろ帰りましょうか」
またしばらく沈黙が続いた後、俺は言った。本当に耐えられない空気。今まで味わった事のない空気。柚木さんは、
「すいません、ありがとうございました。荷物取りに行きましょう!」
と言って、階段を降りた。何だろうこの胸のザワザワは……
「あの! 駅までなら一緒に帰りませんか?」
「おっと」
俺も追いかけるように階段を降りていると、また柚木さんが少し声を張って言った。
俺はまた驚いて、階段を踏み外しかけてしまった。
「あっ、また……。驚かせてすいません」
「いやいや、俺が勝手に驚いてるだけですから」
と笑って言うと、
「あのお礼がしたいので……」
と彼女は目を輝かせて言った。
「俺駅とは逆方向に家があるんだ、だから気持ちだけいただいとくよ」
どうしてこんなことを言ったのか分からないが、一緒に帰るってことが恥ずかしくなった自分と、これ以上仲が深くなってしまうことの恐れに負けて、こんな嘘を付いてしまった。
柚木さんは少し残念そうに俯いて、
「そっか、今日は本当にありがとう! また明日学校でね」
と言って、小走りに図書館を出て行った。今の俺には、「やっぱり一緒に帰ろ!」って言って呼び止めるような真似はできなかった。でも少し後悔をした。明日、普通な顔して会えるかな?
少し遠回りをして駅に着き、電車に乗った。俺の家は高校の生徒の中で、一番通学時間がかかっているかも知れない。片道約二時間だ。
一人が好きな俺にとって、あまり友達と会うことも無く、寝て過ごせるからもう慣れたが、よくよく考えるとかなり苦痛だ。
今日はその二時間を後悔とともに過ごした。電車に揺られながら、何度も嘘を後悔した。
家に着いた頃には、もう空の月が明るく、辺りは真っ暗になっていた。
「ただいま〜」
「遅かったわね? 今日は昼までじゃ無かった?」
心配そうに顔を覗いて、こう言ったのは母の花咲裕子だ。母は俺に似て色白で、サラサラでストレートのロング、昔女優としてスカウトされたことがあるぐらい、鼻が高くて美形だ。
「大したことないよ、いつものように木の下で寝てただけだよ」
と俺は柚木さんの顔を思い浮かべながら言った。少し顔が赤くなった。
「あ! お兄ちゃん珍しく表情が変わったね!」
と言って母さんの方を見て笑っているのは、中学三年生になる、妹の花咲真心だ。色白なのは変わらないのだが、俺には似つかず、父の一重でつり目を遺伝した、ショートカットの女の子だ。
「ただいま〜、どうした? みんな集まって」
後ろから追うように帰って来たのが父の花咲純一。
妹と同じように一重のつり目で、頬が痩せこけているようで、少し無愛想にも見えるが、いつも笑顔で優しい父だ。
俺は部屋に戻って、机に着いた。そして柚木さんのことをまた考えた。お風呂に入って、ベッドに入っても考えた。大好きなギターも触らずに考えた。こんなことは初めてだった。
朝、目覚ましが鳴る前に眼が覚めた。いつも六時半で始業ギリギリの電車も、今日は十五分早いのに乗れた。
清々しい朝、何かが始まるような朝、勝手にそんなことを考えながら、二時間また電車に揺られていた。
いつもなら学校の最寄駅からダッシュで教室に向かうのだが、今日は歩いて行ける。
そんな自分に優越しながら、教室に入るとまだ数人しかいない教室に、柚木さんはいた。俺が軽く会釈すると、向こうは恥ずかしそうに笑って、
「おはよう」
と言った。俺はそれに、
「おはようございます」
とボソッと言った。
横には柚木さんの友達らしき人がいて、その子は何事かのようにこっちを見たが、俺はいつものように教室の窓際の席に座って寝たふりをした。
挨拶がこんなに緊張するなんて、正直自分がバカバカしくなったが、そんなことはどうでも良かった。問題はこれからどうするかだ……。
今日から通常授業だ。昼休み、また楓の木の下に向かった。弁当を食べ終えて、さぁ寝ようと思って目を閉じたその時、
「ねぇ!」
上から覗かれている気がしたので、目を開けると、柚木さんが立っていた。どうしてか満面の笑みだった。
「ん?」
と俺が不思議な顔して答えると、
「いつもこの木の下で寝てるん?」
「そうだよ」
「この木、私の名前と同じなの」
柚木さんは木に手を当てて言った。そういや昨日、自己紹介で苗字を聞くのに精一杯で、申し訳ないことだが、名前なんてしっかり憶えて無かった。 でも言われて思い出した。
「そうだったね。ここは本当に落ち着くんや、どの角度からでも陰になってくれて、人にも見つかりにくいこの場所が、俺にとっては天国みたいなとこなんや」
「ふーん、私もここに来ようかな」
小さく柚木さんは言った。しばらく考えたが、良いともダメとも言えず、黙っていた。すると、
「ダメやんね、一人になりたいから来る場所に、私なんかが邪魔したら」
「そんなことは無いねんけど柚木さんは、こんなとこに来んくても友達がいっぱいいるやん」
と言うと、少し悲しそうな顔になり、
「私だって本当は一人が好きなの。友達はいつか裏切られるんじゃないかっていう不安と隣合わせ、花咲くんも多分同じようなこと考えてるんじゃない?」
柚木さんは言った。俺は一人が長過ぎて友達の裏切りとかは、もう気にならなくなっていたが、結局はそう言うことかも知れない。
「かと言って、ここに来ても俺がいるし、一人じゃないよ?」
「花咲くんは木と同化してるんでしょ? だから大丈夫やねん」
よく分からないことを言われたが、それに対して特に何も言えなかった。
それは、その時の柚木さんの表情が、どことなく惹かれるものだったからだ。
「携帯って持ってる?」
さっきの悲しそうな顔をコロリと変えて、笑って聞いてきた。
「持ってるけど」
「LINEとかやってる?」
「うん」
「友達になりたい人にはLINEを聞くのが礼儀なんやって、今日おはラバって番組でやってた」
どう言う理由か分からないが、家族とはLINEでやり取りをしてたため、一応やっていた。家族、親戚以外で言うと、ギター仲間、中居に続いて三人目だ。
断る理由も無かったので、
「うん、良いよ」
と言って、LINEを交換した。
「ギターとか弾くの?」
どうして柚木さんがそんなことを聞くのかと思ったら、LINEのプロフィール画面をギターとアンプにしていた。
「うん、ちょっとだけ」
「すごい! 意外な趣味! 今度聴かせてよ!」
とテンションを上げて言われると、俺は照れ臭そうに、
「また今度、機会があれば」
と答えた。そうこうしてるうちに昼休みの終わりのチャイムが鳴った。
「急がないと!」
と言って、俺たちは顔を見合わせて、慌てて教室に戻った。何か久しぶりに心から笑えた気がした。また、家族以外と会話をした気がした。
学校から帰って、部屋で携帯を見ながらニヤついているところを、妹の真心に見られてしまった。
「お兄ちゃん! 何かあったん?」
何故か心配そうに聞かれた。
「い、いや、別に何でもないよ」
と吃りながら答えた。すると、首を傾げて出て行った。
危なかった。頭がおかしくなったのかと思われるところだった。いや、思われたかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
この嬉しい気持ちを誰かに伝えたいと思ったが、中居に言うと面倒くさいし、家族に言うのは何か変だし、心にそっとしまっておくことにした。
今日は、昨日手に付かなかったギターの練習をすることにした。俺がギターに手をかけて、チューニングをしようとすると、いつもは決して鳴ることの無い携帯が鳴った。LINEが来たのだ。開いてみると柚木さんからだった。
内容は……スタンプ?ヒヨコが踊っているスタンプ?
『どうしたの?』
俺は慌てて返事した。そしたらすぐに、
『いや、ちょっと暇だったから(笑)』
と返ってきた。普通ならば何だこいつと思うところだが、柚木さんだから可愛いく思った。
『なんだよ〜(^_^*)』
初めて絵文字なんかを使ったりして、ワクワクしながらLINEをしてしまった。俺はふと、昨日の嘘を思い出した。直接は言い辛いけど、今なら……と思った。
『謝りたいことがあって、昨日電車は乗らないって言ってたけど本当は、二時間もかけて電車通学をしてるんねん』
と送った。数分空いて、
『知ってたよ。定期が見えてたもん』
『本当にごめん』
『じゃあ明日は一緒に帰らへん?』
また数分空いて、柚木さんはこう言ってきた。俺は悩んだ、話ができない俺が一緒に帰ったって楽しく無いだろうって。断ろうと思ったら、
『嘘付いた罰としてね』
と追い討ちをかけられた。ここまで言われると断るわけにはいかず、
『分かった、放課後、校舎の裏の楓の木の下で集合で』
と送ると、またヒヨコが踊っているスタンプが返って来た。
何だか今までしたことの無い楽しいLINEに、また携帯を眺めてニヤついてしまった。その姿をまた真心に見られてしまった。
「やっぱりお兄ちゃんおかしい! 病院行った方が良いよ!」
「いや、俺が笑ったら病気みたいな言い方やめてくれよ」
「でも、お兄ちゃん昔からほとんど笑わへんから! しかも携帯なんか見て!」
真心は昔から鈍感だ。人の感情を読むのが苦手で、正直な子だ。父親と母親が喧嘩をして、離婚寸前までなったときも、無意識に笑顔を振りまいて、二人の心を落ち着けた。マイペースと言ってしまえば、そこまでだが、綺麗な心の持ち主なのだ。
だから何も怪しむこともなく、こんなことを言う。
「大丈夫やから、部屋に戻って寝ぇ。てか何度も言っているが、俺の部屋に入る時はノックぐらいしてくれ」
「あっ、ごめんなさい」
と言って、部屋に戻って行った。俺の部屋に来た用を忘れるくらい鈍感なところは、何とかした方が良いと思うが、それでも良い妹だ。
俺はもう一度LINEを開いた。柚木さんの名前を見て、またニヤついた。やっぱり変な奴なのかなとも思ったが、当然のことだとも思った。
何かが変わり始めた二年生。でもまだまだ序章に過ぎなかった。これから待ち受ける波乱の日々を、俺はまだ知るはずもなかった。