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あぶはちとらず  作者: 井氷鹿
番外編

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エピローグ 亘編 「手が出せませんっ」

 お昼になり、例のごとくいつもの席で定食を前に座っていたら。

「よぉ! お疲れさん」

 目の前にトレーを持った先輩が現れた。

「お、お疲れ様です」 

 先週から大阪だったはずなのに、もう戻ったのか。

 じっと顔を見られ、意味ありげにニヤリと笑う。嫌な予感しかしないのは何故だ。

「週末、うまい事行ったみたいだな」

「はい?」

「べーちゃんと」

 飲みかけたお茶を吹き出しそうになり、無理に飲み込む。

「ぐっ」 

 やばい、変なとこに入ったぞ。咳が止まらない。

「図星か!」

 何で先輩が、それで喜ぶんだよ。ったく、もう。 

「だったら……ケホッ」

 嬉しそうに、何度も「そうか、巧くいったのか」と繰り返し、椅子に座る。

 何度か咳をして、ふうっ。やっと治まったよ。  

 顔を上げたら先輩と目が合う。

 また、意味ありげに笑ってトレーの昼ご飯に手を付ける。今日は、カツ丼か。

「さっきから見てたらさ、何と言うか、顔に締まりがないというか。まぁ、巧く行って良かったな」 

「え? それどういう事です」

 顔に締まりがない? ニヤケてたって事か。

「どういう事って」

 と言いながら周りを見回し、近くに人が居ない事を確認して僕の方に顔を近づけた。

「べーちゃん、泊ってったんじゃないのか」

 とささやいた。

 何を言うかと思ったら、先輩ってば何期待してんですか。

「え? 顔赤くなってるぞ。もしかして、フラれたとか」

 フラれてたまるか! と、にらみつけたらまた笑われた。

「あはは。ならさっさと食って、午後一の会議の準備しようぜ」

「午後の会議って」

「日向も参加するんだよ。おまえさん、来月の英国出張知らなかったのか」

 ぶんぶんと首を振る。初めて聞いたよ、英国出張。

「! あーーーっ。悪ぃ」

 と頭を掻き、

「金曜、大阪行きで急いでて伝えるの忘れてたわ」

「先輩っ。まぁ、それはいいですけど」

 なんか納得できないなぁ。      

「食ったら、準備してさっさと終わらせようぜ」

「・・・はい」      

「お詫びに、一杯ひっかけながらじっくり話聞いてやるよ」

 なんでいつもこうなる!


 無事? 会議も終わり定時で上がっていつもの居酒屋へと連行される。

 名物の連係プレーで頼んだ生が席に座ると同時に届き、とりあえず乾杯だ。

「ひゃーっ、仕事のあとの一杯はたまらんね」

「確かに!」

 喉乾いてると、しみるわぁ。

「で、ベーちゃんとはどうなったのよ」

 やっぱり聞きたいんですね。

 う~ん。僕も聞きたいことがあるからなぁ。やっぱり素面じゃ恥ずかしくて聞けないや。

 残りも飲み干し、追加でウーロンハイを頼む。先輩は生をもう一杯。

「今日は、飲むねぇ」

「喉、乾いてるんで」

 届いたウーロンハイも勢いをつけて、ごくごくと三口ばかり流し込む。

 その勢いで、屋上での出来事から、崇直の電話で起こされるまでを話したら。

「べーちゃん相手に、おまえマジでキスしたのか」

 と言って、呆れられた。

 言ってる意味が分からない。あそこでキスがまずかったって事か?

「だって、その、気持ちが通じた訳でお互い、だから見つめ合ってたし、えっと勢いと言うか」

「まぁ、べーちゃんもお前さんに惚れてるから、喜んで受けてくれたんだろうが」

 と言いながら、何故か先輩はくすくす笑いだす。

 そんなに笑うことか。キスした相手が腰抜かすって。

「あのさ、彼女の彼氏って知ってるだろ」

「知ってるも何も、付き合いは長かったから」

「ああ、高校までだろ。彼が亡くなってから、べーちゃんは誰とも付き合ってないぞ」

 そんな事言われなくても知ってますよ。だから、それと何の関係があるんですかって。

「子供みたいな相手に、おまえさんキスしたんだろ、その、感情のままに。今まで付き合った百戦錬磨のお姉さま方とは訳が違うってのに」

 ひゃくっ、先輩それ、言い方。

「な、何ですか、そ、その百戦錬磨って」

「だから、経験豊富な女性ならまだしも、感情のまま大人のキスしたらべーちゃんの腰も抜けるって話」

 はい? べーってキスしたこと無かったのか。

「べーちゃん、きっとそれだけ気持ちよかったってことだよ」

 はあぁーーっ?      

「勝手に濃厚なキスしておいて腰抜かされてビビって、結局それ以上何もできなかったって事だろ」

 先輩はまた僕の顔を見て、今度は我慢できなかったように爆笑された。

 膝叩いて喜んでるよ、クソが(ファック)! 何だってんだ。 

「腰抜けたって言われて、立てなくなってたから焦って抱えてリビングまで運びましたよ」

 いきなり力が抜けるからこっちは驚いたのなんのって。声も全然出てなくて、喘ぎ声みたいだったんだから。

「純情だなぁ。とても年上の恋人と一年も付き合ってた男とは思えないわ」

 恋人じゃなくて、セフレですけどね。

「そこまで俺も女心は分からないが、好きな相手にそんな激しいキスされたらさすがになぁ」

 さすがにって。

 え、もしかして。

「マジで感じてたって事ですか」

「だと思うよ。でもべーちゃん経験ないから、驚いたんだろうね」

 ああっ、それでずっと恥ずかしそうに下向いてたのか。

「でも、朝まで一緒に居たんだろ」

「はぁ」

 朝、崇直から電話が来るまで並んで寝てた。

「日向らしいわ」

 それ、どーゆー意味ですか。

「しっかりべーちゃんの心、掴んだな」

 そう言って先輩はまた、ニヤリと意味ありげに笑ったのだった。

 だから、なぜ笑うんですか。


 完      

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