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あぶはちとらず  作者: 井氷鹿
第1章 Grasp all , Lose all. 1 1995年 春 亘編

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本木にまさる末木なし2 The first is the best.

 破顔した(いつき)がカウンターに身を乗り出して抱きついてきた。

 先輩は女の子からおしぼりを受け取りながら、何事だと僕を見る。

「知り合い?」 

「ええ、幼馴染の一人」 

「そうそう。わーちゃんとは小学校からの付き合いなんだ。(たか)ちゃんの大親友」 

 崇直(たかお)のねぇ、などと先輩が言っている。

 そっちこそ崇直知ってるのかよ、その方がびっくりだよ。 

 仲の良さをアピールするかのように、興奮気味の樹が僕と肩を組む。

 そこへママの声が入ってきた。

「え、イギリスから来たあの坊やもしかして」 

 は? やっぱりお会いしたこと…… 

「ほら、紅緒が退院した年の運動会、みんなで一緒にお弁当食べたの覚えてないかな」 

 うわっ、紅緒の叔母さんだ!

「し、失礼しました。ご無沙汰しております。近くに住んでいながら……」 

 慌てて席を立ち頭を下げたら、ママさんがまぁどうしましょうと走り寄ってきて僕を席に戻す。

「そんな恐縮させてしまって、ごめんなさいね。懐かしくってつい」 

 そう言って頭を下げた。またまた恐縮してしまう。 

「いえ、こちらこそ」 

「むこうにお席用意できましたから、行きましょうか」 

 そう言って微笑む。

 うわぁ、やべぇ笑った時の目元がそっくりだ。

「紅緒は今父と下に行ってるから、すぐ呼びますね」 

 と先輩と僕に言う。 

 何だって? まてまて、ちょっと待って。 

 紅緒って言ったよな今。紅緒って。 

 どーゆーこと?

 父って、まー(じぃ)まで来てるのか。

 って、それより何で紅緒まで居るんだよ。

 やばい、すげーやばい。顔が熱くなってきたぞ。

 あーっ、また涙出たらどうしよう。

 そりゃ、ひょっこり出てこないかなとは思ったよ。

 思ったけど、まさかマジで?

 ええぇ……っ

 それより、どんな顔すりゃ良いんだ。 

 あ、いつの間にか持っていたウエルカムドリンクが空になってる。

「わーちゃんそれ、モヒート。それも平川さんばーじょんだから、……濃いよ」 

 そんな呑気な樹の声にハッとなり、我に返る。

「日向、おまえもそんなにテンパることがあるんだ」 

 ふぅ~んと先輩が鼻を鳴らし、意味深な笑みを浮かべ僕の肩を叩いた。 

「先、行くな」

 穴があったら入りたい。もう、消し炭だっていい。

「わーちゃん」 

 と樹が僕を呼ぶ。

 口に手を当てて囁いた。

「紅緒も僕もカウンター専門で、ママの許可出ないとフロアに出られないんだ」 

 うん、とうなずく。思わず飲み込んだ唾で喉が鳴る。 

「まだ学生だからね。でも、平川さんは別格」 

「?」

「変なことしないから」

「はぁ?」

 変なことって、思わず先輩を見たら背中に回した手でピースサインされた。

「あいつも、わーちゃん見たら驚くぞ。嬉しくって泣いちゃうかもな」 

 泣くってまさか、はは。

 はーーーっ。

 帰ってもいいだろうか。

 

「今夜、まーちゃんいいかな」 

 席に行くと先輩がママと話してた。

「どうぞ、父でよければ好きなだけ使ってください」 

「良かった、こいつを紹介したくて連れてきたんだよ」

 と僕の腕を掴み、隣に座らせる。

 ママが隣にしゃがみ、笑顔で僕を見た。

「伝えとくわ。食べ終わったら直ぐ来ると思うから」

 ゆっくりしていってくださいね、と僕にまた微笑んだ。

 だから、その笑顔はやばいんですって。

 全然落ち着かず、ぐるりと店内を見回す。

 座り心地の良いはずの革張りのソファ、間接照明の柔らかな灯り。

 BGMはショパンの、子犬のワルツだ、これ。

 まぁ、どこをどう見ても高そうなお店なのは間違いなさそうで。

 客をもてなす為に、作られた空間なのに。

 ダメだ、じっとしてられないよ。

 居心地が悪くて、ローテーブルを挟んだ出口側の席に座り直したら、先程の女の子がやって来てメニューを広げて見せてくれた。

「何になさいますか」 

 うおおぉ、メニューに値段がない! 

「好きなの頼んでいいよ」 

「好きなのって」

 と言ってる自分の目が泳いだのが分かったよ。

 こんな酒のメニュー渡されてもだ、さっぱりだ。

「あ、ウイスキーダブルで」 

 先輩はそう女の子に言うと、こいつはロックでと勝手にオーダーされる。 

「会員のゲストは基本ドリンクはフリーなんだ」

 それは、お気遣いありがとうございます。

 暫くして、カラカラと軽い音がして樹が何やら載ったワゴンを押して来た。 

「これ、まー爺のね」 

 といってマッカランのボトルを取り、テーブルに置く。

 続いて慣れた手つきでグラスにアイスを入れ、山崎の十二年ものでロックを作ってくれた。

「わーちゃんはこっちね。平川さんはいどーぞ。チェイサーは麦茶持ってきました」 

 むぎちゃ? 麦に麦ってか。

 シルバーカラーのポットから濃い色の液体を注ぎ、先輩に渡す。 

「いっちゃん気が利くなぁ。ありがとう」

 と樹に笑いかけ、グラスを受け取る。

「かんぱーい」 

 待ち切れなかったのか、先輩がウイスキーを二口ばかり喉に流しこみ、チェイサーの濃い色の麦茶をコレまたうまそうに飲んだ。 

「わーちゃんも、これ美味しいからどーぞ」 

 そんじょそこらの麦茶じゃないんだよと、樹が入れてくれた麦茶のグラスを先輩が僕の前に置いてくれる。

 グラスを持つと、煎りたての麦の香りが漂ってきた。

 なんだコレ、香ばしくて。 

「うまっ」

「職人さんが焙煎した本物の麦茶だぞ。それをちゃんとやかんで煮出したら、こうなる」 

 確かに。珈琲と見紛う色の濃さ。

 三人で麦茶談義してたら、カウンターの方が何やら賑やかになってきた。

「おっといけない。たぶんまー爺だ。平川さん、行ってきます」 

 げっ。やばいやばいやばいっ。

 トイレに逃げようとしたら、出迎えに行った樹がまー爺を連れてきてしまう。

 はえーよ、樹。

 「平川ちゃん、ごめんごめん。急いで食ってきた。まだ紅緒はデザート食ってるが」 

 そう言いながら、まー爺一人がこちらに歩いてくる。

 良かった、まだ来ないんだ。

 来る前に挨拶して帰ろっと。

 先輩が立ち上がったので、僕もコレ幸いと立ち上がる。 

「あれ、亘くんじゃないか。何だ、平川ちゃんが言ってた人って君だったのか」 

 と僕の方へ歩いてきた。

「まーちゃん、日向をご存じだったんですね」 

 先輩が自分の席をまー爺に譲ろうと、一歩踏み出す。

「平川ちゃん、わしはホスト側だよ。やだよ、上座なんざ」 

 と言いながら、僕を先輩の隣に押しやる。

「亘くんも、お客様なんだからね」

 そう言って、見慣れた笑顔で僕を見上げた。

「さて、じゃ改めて」 

 まー爺が僕に名刺を渡してきた。

 笠神ビルと印字された名刺だ。

 その肩書きに驚いてしまう。

 いっつも神社周辺に居て、よく遊びに連れて行ってもらってたけど。

「どうだ、驚いただろう。これが必殺遊び人の名刺だ」 

「遊び人の名刺、初めていただきました」 

 捧げ持つようにして名刺を頂くと、まー爺はえっへんと、おちゃめに胸を張り僕を見上げる。

「わしが名刺を渡すまでになったんだねぇ。大きくなったねぇ」 

 僕は苦笑いを浮かべた。

 ええ、見てくれだけは大きくなりましたよ。

 僕も会社からもらった名刺をまー爺に渡す。

「ほー、インターンねぇ。見習いみたいなもんか」 

「そうです。平川先輩の付き人ですよ」 

 ほれ、座ってと言われ僕らはソファに腰掛けた。

 笠神ビルって紅緒のばーちゃんの会社だよな。

 まー爺が取締役員って大丈夫か。

「必殺遊び人って」 

 不思議そうに先輩が僕とまー爺を見る。 

「だってわしの仕事って昼間、暇じゃない。だから」

「実際遊んでたじゃん、ね」

 そう言いながら樹がマッカランのロックを作り、まー爺に渡す。 

「そのお陰で、おまえら色んな所へ連れて行ってやっただろうが」 

 確かに、長期休みや週末なんかよく連れ出してくれたっけ。

 子供をぞろぞろ引き連れて、、フットワークが軽いというか、面倒見のいい人だよな、未だにお世話になってます。

 おっといけない。帰るんだった。

「まー爺、会ってすぐで悪いけど、僕そろそろ……」 

 そう言って席を立ちかけたら、聞き覚えのある声が響いてきた。

「居たーーーーっ」

 右手で僕を指さしてる。

「あ」

 ひょっこり出てきちゃったよ。

 うっ。やばっ、足が、体が動かない。

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