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切札の奪還 1

 あばら家から出た瞬間に亡霊に取り囲まれる、なんてことはなかった。ただし霧に包まれた風景は、はじめより重苦しく感じられた。そして、あばら家の入り口で燃えていた火もいつの間にか消え失せていて、姿の見えない敵対者からの拒絶を身に沁みさせられた。


 トパゾの家はあばら家から出て左手方向だ。コルトはラフィスの手を引きながら、そちらへ進んで行った。視線はやや下へ向けられている。空で進むには足下が悪すぎるのだ。草だらけだし、朽ちた枕木も補修されていない。日常生活に使う道がこんなのはおかしいことに、最初に通った時から気付いていればよかったかもしれない。


 視界が不明瞭な分、音で周りを探ろうと意識する。マオの悲鳴が聞こえてこないか、霧の中から襲いかかってくる叫び声が聞こえてこないか。今のところ、これといって鋭い音は届かない。ただ、気味の悪いうめき声やすすり泣くような声、あるいはそう聞こえる風の音が低く周囲に流れ続けている。だからコルトの緊張感はずっと解けることがなかった。


 それでも直接的な障害は、意外なほどに何も起こらなかった。コルトとラフィスは早々に長の家へとたどり着くことができた。集落で一番大きな家は、始めに来た時と同じ姿かたちで霧の中にそびえている。


 コルトはマチェットの柄に右手を添えて、入口のブラインドから頭を中へそっと覗きこませた。


「……誰も居ない」


 トパゾも、マオも。中央に置かれた丸いテーブルとマットはさっき見た配置のままだし、祭壇が荒らされている様子もない。はじめに来た時と変わったことと言えば、トパゾが祭壇に捧げた氷が消えている――溶けたのとは違う、皿に水が残っていない――ぐらいだ。


 もしや別の部屋に居るのか、そう思って見回すが、そもそも他に部屋が存在しないのである。玄関以外は全部ただの壁。


 改めて見てみると、少し違和感を覚えた。こんな集会所のような、寝床もなく生活感が感じられない一室だけの建物を個人の「家」と呼ぶのはどうなのか。もしかすると、トパゾの本当の住居は別にあるのではないだろうか。


 あるいは、眠ったり食べたりといった人並みの活動をする必要がない存在か。あんなに生き生きとしていたのに、彼も他と同じように幽霊や幻影だったとしたら。コルトは背筋に寒気を覚えた。


「でも、じゃあマオさんの笛は?」


 あれは幻ではない、山に来る前からマオが持っていた物だ。仮にトパゾが霧のように消えてしまったのだとしても、笛だけはどこかに存在しているはず。あわよくば、この家の中に。


 コルトは無遠慮にあがりこみ家探(やさが)しを始めた。敷かれたマットをひっくり返し、テーブルの裏も覗きこんで、床にも不審なところが無いか、つぶさに見て回る。最後は奥の祭壇の周りを調べ、仕上げに奥の壁のタペストリーをめくってみた。が、笛も隠し扉も見つからなかった。調べる目は二人分だったから、見落としたということもないだろう。タペストリーを元に戻しながらラフィスと顔を見合わせ、肩を落とす。


「コルト、コレ?」

「んー……ほんとは、あんまり触りたくないけど……」


 ラフィスが次、という風に指を差しているのは祭壇である。今のところ周りをぐるりと見ただけで、祭壇そのものには触っていないのだ。あれこれと祭られているものの意味はわからないが、自分のよく知る教会に置き換えて考えると、どう考えても気さくに触れていいものではない。トパゾに見つかったら火に油を注ぐ状態になるだろう。


 しかし、これを無視したら片手落ちだ。コルトは祭壇の正面側に回り込むと、一度手を合わせて「ごめんなさい」と謝ってから、奉られている物を一つ一つ持ち上げて調べた。最後には上のものを全部床へ降ろして、祭壇の上板を外そうと試みた。しかし結局、笛も仕掛けもなかった。ここは本当に空っぽの部屋だった。


 ――二人とも、どこへ行ったんだろう。


 床に下ろした物を元に戻しながら考える、そんな最中だった。


「何をしている!」


 突然背中の方からとどろいた声に、ラフィスと二人揃って驚き振り返った。


 入り口のブラインドを背にトパゾが立っていた。鬼の形相をしている。この距離でも食いしばられた歯がぎちぎち鳴るのが聞こえてきそうな程で、コルトははずみで手の物を落としながら後ずさった。


 ラフィスが威嚇と思わせる短い声を発しながら、手のひらを前方へ突き出した。だが、トパゾが先に同じことをした。牽制の雷が発射されるより早く、トパゾの背後から白い霧がどっと家の中へ流れ込んできた。そして霧は凝集し、巨大な白蛇のかたちとなって、コルトたちの頭目がけてもたげた鎌首を振り下ろしてきた。


 ラフィスはすぐさま狙いを変えた。向かってくる蛇の頭へ正面から電撃を放った。そして今回はコルトも負けていなかった。立ち上がりざまにマチェットを抜いて、前へ踏み込み、蛇の胴体へ斬りかかった。


「うわァーっ!」


 魔法的なものにしろ、物理的なものにしろ、攻撃があたると蛇の姿は霧散した。やはり実体のない幻だった。マチェットを握る手にも物に当たった衝撃はかけらも伝わってこなかったし、雷はストレートに天井を打ち砕いて土や枯れ草や木片をばらばらと降らせた。


 ただ霧はかたちを失っても、まだ周囲に不自然に濃く漂ったままだった。だからコルトはなおもマチェットを振り回し続け、それが凝集しないよう努めていた。消えろ、消えろと心で唱えながら。


「やめなさい。怖がらなくていいんだよ」


 そう言ったトパゾの声は一変して丸くなっていた。しかも入り口ではなく、祭壇の方から聞こえた。


 コルトはぎょっとして身を反転させた。いつの間にかトパゾが祭壇の真横に来ている。さっきの怒りの形相は嘘のよう、今は慈愛のほほ笑みでこちらを見ていた。


「きみは話せばわかる子だ。さあ、武器を下ろしなさい」


 コルトは嫌な汗をかきながらたじろいだ。霧を払う動きは止めたが、マチェットはおろせないでいる。だって、話せばわかるなんてあり得ないから。トパゾは良くて宗教家だ、その手合とは言葉が通じても話が通じない、よく知っている。


 急変した相手の態度にうろたえているのはラフィスも同じだ。攻撃の手を止め、ちらちらとコルトに目線を送り判断を委ねている。もちろん、なにかあればすぐに動けるよう身構えている。


 コルトは口をすぼめて息を吐き、体勢はそのままにトパゾへたずねた。


「マオさんをどこにやったんだ」

「なんのことだ?」

「僕たちと一緒だった女の人だよ。笛を返してもらうって出かけて居なくなった」

「さあ。自分のところには来ておりません。笛なら、ずっとここに」


 笛が衣服の胸元の合わせ目から取り出された。やたら泥まみれになっているものの、確かにマオの横笛だった。彼女の着ていた服の刺繍と似た、複雑で特徴的な紋様が彫られている。


 コルトはトパゾに向かって左手を上にして突き出した。


「返してよ。マオさんの大切な物なんだ」

「それはできない」

「なんで!」


 反抗的な声にトパゾは眉をひそめる。しかし口元はなぜか嬉しそうに持ち上げられていた。


「まさかきみは、あの女が何をしようとしていたか、わかっていなかったのか」

「知らないよ。ただ笛を吹いただけじゃないか」


 その言葉にトパゾが吹き出した。口元に手をやり、声をあげてなお笑った。


「ハハッ、そっか。なら、いま教えてあげよう。あの女の吹く曲は、精霊様を殺すためのものだったのだよ。それすなわち、自分たち幽明の民を滅ぼすことでもある」

「え……」

「たかが笛で精霊様が殺せるとは思わないか? 違うのだ、あの女にも力がある。……ああ、そうだ、きみの言う魔法使い、そういう類の輩なのだろう。自分は長として、邪悪な者の手から精霊様と同胞の魂を守る義務がある。だから笛は返せない。優しくて素直なきみなら、わかってくれるよね」


 一方的にまくし立てた後で、トパゾは小首を傾げて笑った。外見だけなら年若き少年が、少しのあざとさを計算しながら好意を示しているだけ。しかし、コルトにはとてつもなく恐ろしいものに見えた。だって、目が暗くて無機質なのだ。ラフィスの宝石の目の方が、ずっと生きている感じがする。


 ――わかったぞ、マオさんの倒さなきゃいけない化け物ってのは……ここの奴らなんだ。


 てっきり山を越えた先、もっと西に目的地があるのだと思っていたが。


 だとしたら、なんとしても今すぐ笛を取り戻さないといけない。あれがマオの切り札であり、霧の山から生還する鍵なのだ。

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