切札の奪還 2
奪い返すと言っても、正面切ってトパゾに向かっていくことはためらわれる。向こうには魔法の力があるし、霧も家の中に漂っているまま。またいつおかしくされたり、霧の幻影に襲われたりするかわからない。
幸いトパゾはコルトに対してだけは不思議と好意的だ。そこに糸口をつかめるといい、そんな風に思いながら、コルトはにじむ汗を握りつぶしてトパゾに食ってかかった。
「わかったよ。じゃあ、その笛は僕にちょうだい。僕の物にする」
「何を言っている」
「僕が持っているならいいでしょ。僕には曲が吹けないから」
もう一度強く手を突き出して催促する。しかしトパゾは応じず、不敵な笑みを浮かべた。
「条件を飲むならよいだろう」
「条件って?」
「あの女の魂を精霊様へ捧げることだ」
「それって……」
「簡単だ。手足を縛って精霊様の泉に沈めればよい。たったそれだけ」
コルトは顔を白くして言葉を失った。手もだらりと下がる。――こいつは、なんてことを言ってるんだ。やっぱり頭がおかしい。
唖然とする話相手と対照的に、トパゾは高揚した気をまといながら仰々しく語り続ける。
「誰にとっても良い話だよ。あの女も所違えど精霊様を信仰するという、なら精霊様の贄となれることは光栄なことだ。精霊様が糧を得れば霧も静まる、きみたちもおうちへ帰れるよ。だから――」
「ふざけるなッ!」
それは信仰の違い、宗教の違い、だから頭ごなしに否定してはいけない。わかっていても、コルトは怒りが抑えられなかった。そこまでできた人間じゃないのだ。もう慎重な駆け引きで、なんて思わない。わなわなと身を震わせて、内なる激情をそのまま露わにする。
「なにが生贄だ、単なる人殺しだろ!? そんなこと、していいわけないだろ!」
「ならば、きみ自身の魂でも構わないよ。その時は、そちらの女の子に笛を渡そう」
「そういうことを言っているんじゃない!」
「どうして嫌なんだ。自分が犠牲になる代わりに多くの人が助かるならいいじゃないか。優しいきみなら、わかってくれるだろう?」
自分が犠牲になれば。つい最近、そう考えたことがあった。だけど。あの時についた首の傷はすっかり治って消えているのだが、今じくりとうずいた。同時に思い出される。自分を助けようとやっきになっていた人が真剣に怒る顔、そして隣で悲愴な顔をするラフィスのことも。
コルトは逆に息を静めていた。トパゾに対して抱くのは、怒りを通り越した哀れみだ。
「だめだよ。僕が死んだらラフィスは悲しむ、すごく悲しむ。命がけで僕のことを助けてくれた人たちにも怒られちゃう。自分を犠牲にしたところで、誰も助けられないんだよ」
コルトは静かなまなざしでトパゾを見据えた。彼はなぜかうろたえている。なぜだ、どうしてうろたえる、なんでこんな簡単なことがわからない。
「ねえトパゾ、きみだって同じじゃないの? いくら精霊様のためでも、人が死んだら悲しいし寂しいんだ。きみの家族や友だちだって、きみが死んでしまったら絶対に悲しいし苦しいよ」
「嘘だ。自分は……違う、本当は、ぼくは――」
トパゾは苦しむように胸を押さえてうめいた。下に向いた頭をぶんぶんと振って、よろめくように後ずさる。どうも様子がおかしい。コルトは大丈夫かと一歩前にでた。
しかし。トパゾは不意に顔をあげ、ぐるりと目を剥いてコルトを凝視した。表情は消えていた。
「自分は幽明の民。この魂は精霊様のものであり、力を必要とする精霊様のために魂を捧ぐ義務がある。なおかつ精霊様を貶めるものは排除しなければならない」
恐ろしく平坦で無機質な声だった。まるで別人と入れ替わったような雰囲気でもあり、その異様さにコルトは怖気を感じてたじろいだ。
トパゾが手を掲げた。するとラフィスが空けた天井の穴から、凝集した霧が流れ込んできた。また大蛇だ。顎を開いて威嚇している。
「コルト、ユアーナ!」
ラフィスの声だ。上へ手を伸ばす。――雷が落ちてくる! コルトは身を低くしながら一気に遠ざかった。正解だ、霧の蛇を天井ごと落雷が貫いた。霧の代わりに粉塵で視界がかすむ。
間髪入れずにラフィスは身を反転させ、トパゾ本人へ雷撃を放った。トパゾは怯みつつ腕で顔を覆った。そこを閃光が直撃した。
しかし、なにも起こらなかった。トパゾはガード体勢のまま立っている。
コルトもラフィスもあっけにとられた。だって直撃だった、いつかのように吸収されたわけじゃない。第一、トパゾ本人も痛みに身構えるようぎゅっと目を閉ざしているくらいなのに。
静けさの中でトパゾが恐る恐るという風に目を開けた。そして自分が無傷であることを知ると一転、怒り心頭に顔色を変えた。
「精霊様に仇なすものめが!」
トパゾの一声で地面に散らばった屋根の残骸、そして祭壇の品々までもが宙に浮きあがり、ラフィスの頭目がけて四方八方から同時に飛びかかった。
ラフィスはとっさにしゃがみ、可能な限り姿勢を低くして背を丸める。後頭部は腕で守り、急所があらわにならないように。飛翔物は宙でぶつかり合った後、そんなラフィスの背中に降り注いだ。彼女の背には錆鉄の翼があるから、多くはそこに当たって肉体に傷をつけずに止まるが、砂や木片や石なんかが当たると嫌な音が響き渡った。ラフィスはぎゅっと身を縮めて耐えていた。
「やめろッ、ラフィスになにするんだ!」
コルトがマチェットを振り回しながらトパゾへ飛びかかった。彼はラフィスの方へ気を向けていたから、対応が少しだけ遅れた。慌てて身をよじる、その際に振られた右腕を、偶然コルトのマチェットのみねが打った。
その時コルトの手に伝わった感触は、湿った土の塊を叩き壊したようなものだった。ほとんど脅しのつもりだったから、本気で体を叩き切ろうなんて力も込めていなかった。しかしマチェットが命中した場所あたりから、トパゾの腕の先がちぎれた。
笛を掴んだ形のまま、手が床へ落ちていく。自分のしたことを理解したコルトには、その光景はスローモーションで見えた。切断された体の一部が垂直に固い床へ落下して、着地の瞬間、ごしゃっと曇った音を立てた。
だがその途端、手指は手指でなくなったのだ。ぶつかった所から形が崩壊し、着地点に存在しているのは硬い泥の山だけ。血の一滴も、爪のかけらもなかった。ただ笛だけは泥に混じらず、その傍らにあるがままのかたちで転がった。
一瞬、世界が止まった。
――いや、とにかく笛だ! あれがないとどうにもならない!
コルトは死にもの狂いで体を動かし、我先にと笛を掴み取った。どこも壊れていないようだ、泥汚れなんて拭えばいいだけである。ふうとまず一つ息を吐く。
すると次は見て見ぬふりをしたことを直視しなければ。コルトは軽い吐き気を覚えつつ、足元にある泥の山をちゃんと確認した。しかし何度見ても泥は泥、灰茶色で淀んだ臭いが漂ってきそうな塊だ。
そして改めてトパゾを見た。彼は攻撃性をひそめ、どこか悲しそうにコルトと距離を置いていた。しかしその体は全然怪我なんてしてないようだ。今しがた落ちたはずの腕も、元と同じように彼の一部としてあった。ただし、その部分だけ他と違ってわずかに透き通っている。色も形もちゃんとしているけれど実体がないような、そうだ、さっきの霧の蛇と同じ風に見えるのだ。
「じゃあやっぱり君も……」
「どうしてわかってくれないんだ! きみは自分のことを誉めてくれたのに!」
「ねえトパゾ、君たちは、もう――」
言葉を遮るようなタイミングであたりの空気が一変した。外から流れ込んでいた霧が止まったのである。これにうろたえたのはトパゾだった。
そして――
「お二人とも、こちらへ! 急いで!」
入り口の方から声がした。マオだ。外と中の境界上にしゃがんで例の護符を設置しつつ、コルトたちに手招きをしている。
コルトはラフィスと一緒に走った。
「待て!」
トパゾも追ってくるが、待ってなどやるものか。ラフィスに続いて護符を飛び越えて外へ転げ出た。
宙へ伸ばされたトパゾの手が境界を越えようとする。が、その見えない壁にあたった瞬間に手は吹き飛んだ。やはり今度も泥の飛沫となってあたりに飛び散った。
マオによって家の横へ回り込むよう誘導される。移動して霧に隠れる寸前に、コルトは一度だけ家の中を振り向いた。入り口にトパゾが立っている。こちらを向いて何かを叫んでいる。だがまったく声は聞こえてこない。彼の足下の護符からあがる火花が印象的だった。
家の横に身を落ち着かせると、三者ともが切れ切れの息を整えた。そして最初に口火を切ったのはマオだった。
「申し訳ありません。あなたがたを囮に使うつもりはなかったのですが、結果的にそうなってしまいました」
「今までどこに居たの!?」
「笛を取り戻すため、まずはあれをこの中に閉じ込めようと機会を伺っておりました。でも、ちっとも姿を見せてくれず、それどころかあなたがたの方が先に来てしまい……本当に申し訳ありません」
「閉じ込めたのは、さっきの、えーと、結界? なの?」
「はい、同じものです。あれは思念や精神体――幽霊と言い換えてもいいでしょう、そうしたものが行き来するのを妨げます。だから肉体を持って生きているわたしたちには無害です」
少し含みのある言い方だった。それでコルトは自分の考えを再確認した。最後にトパゾへ言いかけたことが、正しかったんだと。
「トパゾも生きた人じゃないんだね。他の幽霊とは違うみたいだけど……」
「幽明の民の『長』なのです、あれは」
明確に意志を持つのはトパゾだけだった。彼が他の幽霊たちを統率し、霧も含めた怪異を発生させていたのなら納得がいく。この付近で複数の旅人が消えたというのも、彼の力によってこの集落へ引き寄せられたあげく、精霊への生け贄にされたのが真相なのだろう。
コルトはマオに笛を返した。そうしながら、こちらもわかっているとの意思を表明する。
「マオさんの倒さなきゃいけない化け物ってのは、トパゾのことだったんだね」
「はい、半分くらい正解です」
「え? 半分?」
「本命は――」
マオは家の裏手の斜面を見あげた。さっき登った場所だから、そちらに何があるのかよく知っている。
「精霊の泉、ですか?」
「今は悪霊の泉になり果てていますが。では、やっかいな長が戻ってくる前に片づけましょう。……一緒に来てもらえますか?」
コルトは頷いた。元々手伝うつもりだったのだ、断る理由がない。それにここまで巻き込まれたのなら、最後まで見届けたいものである。
ただラフィスの気持ちは汲まなければ。コルトは彼女のことを見ながら、斜面の上を指さして首を傾げた。あそこへ行くけどどう思う。するとラフィスは指示した方を目で追ってから、もう一度コルトのことを見て、首を大きく縦に振った。問題はなさそうだ。
いざ三人で精霊の泉へ。今は悪霊の声は聞こえないが、霧もまだ濃いままである。足下をすくわれないよう、慎重に歩みを進めた。




