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霧中の怪異 1

 悪い状況を想定して構えていると、不思議とその通りになるものだ。護符は残り三分の一まで減っている、それなのにマオが帰ってこない。


 コルトは意味もなくあばら家の中を歩き回っていた。


 ――様子を見に行った方がいいんじゃないか?


 ここまでの護符が燃えるペースから考えて、少し外の様子をうかがいつつ長の家を覗き見て戻ってくる、燃え尽きるまでにそれくらいの時間は残されている。裏を返せば、これ以上待っていると時間が無くなるということ。


 コルトはあばら家の中から腕を組んで外を見やった。あたり一面、静かな霧に覆われたまま。視界に入る白ではないものは、入り口の脇で赤々と燃える火だけである。


「マオさん……」


 きっとトパゾとの話し合いがこじれているだけ、そう思いたい。でもそれにしたって、他の住民を呼んできて仲を取り持ってもらった方がいいんじゃないだろうか。ただ待っている以外にも、何かできることがあるはず。


 それに、護符が燃え尽きるまで待った後に二人で脱出するにしても、事前に道筋を確認しておきたい気持ちがある。霧の中ではただでさえ方向感覚を失うのだから、追い立てられるように焦って進むと迷子になる確率が大きい。狭い集落とはいえ山の真っただ中だ、道を外れたら崖からまっ逆さまなんてことも容易に想像がつく。


 少し外の様子を調べてこよう。コルトは心に決めた。マオの言にそむくことにはなるが、少しでも危ないと感じたら戻ってこれば大丈夫だろう。


 次の問題はラフィスを連れて行くかどうかだ。置いていくのが安全か、連れて行くのが安全か、どちらが正解かはわからない。もちろん一緒に来てくれた方が嬉しいし、心強いのは確かである。しかしここは霧に包まれた見知らぬ土地、なにかを掴もうとしたら自分自身にだけでもかなり気を張らなければいけないのに、ラフィスのことにまで気配りをできるだろうか。――自信がない。


 では、ラフィスにとってより安全なのはどちらか。ここまであばら家に異常なことは起こっていない、その事実がコルトの天秤を片方に傾けた。


 コルトはテーブルのところへ戻り、外してあったベルトを装着した。マチェットと小物入れ、これらは身に着けていく。だが大きな背負袋は残していく。戻ってくるつもりがあるのだと、ラフィスに示すため。


 ラフィスもテーブルに両手をついて立ち上がろうとした。それをコルトは両手を開いて制止した。不安げに光る目と目が合い、お互いに動かないでいる。


「僕、ちょっと外を見てくるよ。すぐに戻るから、ラフィスは待ってて」

「アウ……」

「大丈夫だよ。ここで、待ってて」


 ジェスチャーも交えて伝える。これでも付いてくるならしょうがないと思ったが、ラフィスは聞いてくれた。もう一度座りなおす。ただどう受け取ったのか、膝を抱えてしょんぼりと俯いている。


 あまり見ていると心が辛いし、時間を無駄にすることだ。コルトは「行ってくる」と小さく発して、ラフィスに背を向け外へ出た。



 一歩あばら家から踏み出すと、途端に霧が襲いかかってくる。湿気った泥の臭いが鼻をつき、思わず顔をしかめてくしゃみをした。まだ明るい時間帯なのだが、それにしては空気も冷えびえとしている。


 コルトはまず、入り口のかがり火が燃え続けていることを確認した。霧の中でも帰る場所を明確にしめしてくれる目印だ。


 とりあえず、トパゾの家とは逆方向へ進む。先に脱出経路を固めること、そして住民を味方につけることを選んだ。よく地面を見て、草と土に埋もれかけた枕木の道をたどり、集落の入り口方向へ。時々来た道を振り返り、ぼんやりと浮かぶかがり火が思う方角にあり続けることを確認し、迷わないように気をつけながら行く。


 しばらく進んで、ようやく霧の中に見つけた住民は、道から少し外れた場所でくわをふるっている痩せた男の背中であった。


「あのっ、すいませーん!」


 コルトは口元に手を添えて大声を張った。だが男はまったく気づいてくれず、一定のリズムでくわを振るい続けるばかり。


 すいません、ちょっといいですか、などと声をあげながら、作業に没頭している男の背後へ近寄っていく。しかし、どれだけ近づいても反応はない。最終的に彼の汚らしい衣服の皺まで見えるほど背後に寄っても、だ。


 ――もしかして、わざと無視されているのかな。


 コルトは腕を組んだ。思い返せば最初に集落へ着いた時も畑仕事をしている人影を複数見かけたが、トパゾが出て来るまで誰も反応してくれなかった。霧のせいで気づかなかったわけではなく、理由があるのかもしれない。


 そうやって考えごとをしてコルトは口を閉ざした、それで初めて、男が小さな声でぶつぶつと何かを言っているのに気づいた。音の小ささに加え、少し訛りがあって聞き取りづらい。だが意識を集中させると、彼がなにを言っているのかがわかった。


「精霊様は絶対じゃあ、精霊様は絶対じゃあ。食べ物も恵んでくださるんじゃあ。精霊様は絶対じゃあ……」


 彼はそれを延々と繰り返しながら、一心不乱にくわで地面の同じ場所を突き続けている。そう、まったく同じ場所を。コルトはとてつもない違和感を覚えた。


 思えば歩み寄る間も、男は一歩たりとも動いておらず、ただ棒立ちでくわをふるっているだけだった。そんなの畑の耕し方として間違っている。もっと腰を入れて土を寄せたり、少しずつ移動して畑全面の固い土を砕いたりするものだ。


 コルトはその場でしゃがんで、くわが振り下ろされる地面をよく観察した。くわの先はリズムよく地表をとらえているが、まったく耕せていない。耕すどころか、地面は長らく風雨に晒された状態のままで、傷ひとつなく雑草がはびこっている。人が畑作業をしているから畑なのだと思い込んでいただけで、周囲一面ただの野原なのだ。


 うっすら寒気を覚えながら、コルトは恐る恐る横から回り込み、なお無意味に農具を振るい続ける男の顔を覗きこんだ。


「あのう、すいません……ちょっといいですか」

「精霊様は絶対じゃあ……」


 男の目を見た途端、コルトは全身に鳥肌を立てた。顔自体もこけて骸骨のよう、落ちくぼんだ底にある目は虚ろで焦点があっていない。そのくせ口元だけは引きつるように笑っている。とても正気の顔ではない。それで呪詛のような呟きが延々と、延々と吐き出され続ける。


「ごっ、ごめんなさいなんでもないですッ!」


 コルトは転げるように走って離れた。元の道のところへ戻り、ちらと男の様子をうかがうと、彼は何事もなく同じようにくわをふるいつづけていた。それがまた背中に寒気を走らせて、コルトは思わず自分の体を抱く。


「は、はは、話ができる他の人、探さないと……」


 進む先を見回すと、他にも畑仕事をしている人の影が霧に紛れて映る。しかし、彼らに声をかけにいく気にはなれなかった。もし今のと同じように、狂気にとらわれた人ばかりだったら。確かめるのも怖い。


 コルトは道を挟んだ反対側に視線をやった。こちら側にはいくつか建物があったはず、室内に人が居ないだろうか。トパゾが食事を用意させると言っていたのだし、少なくとも指示を受けて煮炊きをしている人が居るはずだ。


 ちょうどすぐ鼻の先に小さな家があった。まずはそこを訪ねてみることにした。


 この家もコルトたちにあてがわれたあばら家とほぼ同じ大きさで、外観もよく似ていた。やはり入り口に戸は無い。


「すいませーん。誰かいませんかー」


 呼びかけながら暗い建物の中をのぞき込む。暗い時点でハズレだろうと思いながらも、念のため。


 入り口からすぐは土間になっていて、正面に小さなかまどがある。その前に、女と小さな子供が寄り添って座っていた。ただそこで暖を取っているわけでも、炊事をしているわけでもない。なぜなら、かまどには火が入っていないのだから。おまけに女たちは、外を、すなわちコルトの方を向いて座っていた。


 コルトは始め、骸骨だと思って息をのみ全身の血を冷やした。だが、二人には辛うじて肉と皮がついていた。見た目はさっきの男よりひどい。そしてやはり虚ろな目をしており、胸の前で手を合わせたまま宙を見あげていた。


「あ、あのう……」


 コルトのことは見えていない、聞こえてもいない。おずおずと近寄っても、二人ともなんの反応も示さない。外の男と違って、言葉を発することもない。


 異常な状態だが、攻撃性は感じなかった。だからコルトは女の肩を叩いてみようと思った。正気を失っていても、体に触られたらなにかしら反応があるだろう。病気やケガで動けないのだったら、助けなければいけないし。


 コルトは女の目の前で屈み、正面からそっと肩を叩いた。


 が。コルトの手が女の肩に触れることはなかった。下ろした指先は、そのまま彼女の肩から胸まですり抜けた。


「うえええぇっ!?」


 コルトは後ろにのけ反って、勢い余って尻餅をつき、さらにそのまま後ずさる。――今のはなんだ!?

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