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かりそめの安息 1

 ミヤノスカの町から西南西に位置したなだらかな丘にある、林に囲まれた木造の廃教会。手入れが途絶えてから十数年が経った今では、漆喰の壁はつる草に覆われ、柱はところどころ腐って折れかかって、さながら幽霊屋敷となっている。周辺の道も自然に帰って林に埋もれており、主街道からも遠く離れているから、なんらかの意思が働かなければ人が近づく由はない。


 そしてミヤノスカの街区を脱出した一行は、この廃教会へやって来た。もちろん偶然ではない、シェリと落ち合う約束をした場所なのである。


 教会の入り口の扉は風にもがれたのか、どこかへ消えて無くなっていた。だからアイルは獣の姿で二人を乗せたまま聖堂の中へ入り、荒れた空間の中央あたりでようやく停止した。


 コルトは床へ降りつつ周りを見回した。外観で見たよりも小さな聖堂に感じた。別の部屋に続くドアがあるから、そちらへ面積を割いているのだろう。教会にありがちな長椅子や説教台などの設備は、持ち去られたか壊れて木っ端になったかで見つからない。おかげで空間としての広さは十分にある。今の状況での難点は、隠れる場所が無いことくらいだ。


 シェリの姿も見あたらない。もともと日没が期限として動いていた――少なくともシェリはそう言っていた――のだから、日が高いうちは現れずともうなずけるが。本音を言えば、先に待っていてほしかった。


 コルトとラフィスが降りると、アイルは人の姿に戻って、そのまま仰向けに転がった。


「大丈夫ですか!?」

「ハハ、さすがに、疲れた……ちょっと休ませてくれ」


 笑ってはいるが疲れ切った声で、弾む息もなかなか落ち着かない。しかたないだろう、二人も背負って長めの距離を走りっぱなしだった。いくら人智を超えた力があっても、無敵とは違うのだ。


「俺のことはいいから、嬢ちゃんのことを、どうにかしてやれ」


 ラフィスの手足には枷が付きっぱなし、首輪もそうだ、鎖を断ち切ってもリングが抜け落ちないでいる。手足の物はいずれも同じ金属性、首輪は磨かれた黒い石が主体になっていて、それぞれ一か所ずつ鍵穴がある。力任せに叩き壊すか、頭を使って鍵を開けるか。どちらにしても道具が必要だ。


 コルトはまず、ラフィスのことを聖堂の奥、段がつけられた祭壇へののぼり口へと連れて行き、段に腰かけさせた。奥まっている祭壇の周辺は淀んだかび臭さがあるものの、入り口から離れていることで外からの風雨や植物の影響は少なく、床も壁もしっかりとしていた。


 そしてラフィスには座って待つよう身振りで伝えておき、コルトは祭壇部の隣にあるドアを通って、一人で教会奥の探索に出かけた。


 奥には複数の部屋があって、全体としては十名くらいが共同生活を送れるつくりになっていた。廃される前は、小さな修道院みたいな場所だったのかもしれない。今となっては生活機能は完全に失われている上、賊に荒らされた跡もあるが、かまどやベッドなどの大型の家具や、持ち出しても金にならない古びた日用品なんかは、ほこりをかぶったまま放置されている。


 色々と使えそうな物を探してみた結果、まず物置の床に工具箱が打ち捨てられているのを発見した。蓋が開きっぱなしになっていた中には、錆びた金づちと曲がった釘が大小数本残されていた。これは工具箱ごと拾うことにした。


 またキッチンにて、教会の裏手へ出られる裏口を見つけた。その横に小さなキャビネットがあり、引き出しを漁ったところ、固い木の枝も切れる剪定ばさみを発見できた。刃はかなりなまっているが、今はきれいに切ることを目的としていないから構わない。コルトはそれも工具箱に入れ、一旦ラフィスのもとへ戻ることにした。


 帰って来た時の聖堂の様子は、探索に出かける前と変わっていなかった。アイルはまだ床に伸びているし、ラフィスは大人しく祭壇の前に座っている。真顔で入り口の方を向いているが、目の焦点は合っていない、宝石の奥にある光がぼんやりと暗く散っている。が、コルトが近寄ると、我に返ってハッと顔をあげた。


「コルト……」

「ラフィス、ごめん、ちょっと怖いかもしれないけど、なんとか助けてみせるから」


 ラフィスの左隣にしゃがみ、工具箱を床に降ろした。はさみに金づちに釘と、中身は決して穏やかな物ではないが、ラフィスは特にびっくりした様子を見せなかった。


 まずは剪定ばさみを試す。両手を繋ぐ鎖は、継ぎ目を狙ってねじ切るようにすれば、どうにか切り離すことができた。だが、はさみより太いリング本体には歯が立たない、それはやってみなくても明らかであった。


 コルトはラフィスの左手を取り、手首にはまっているリングをよく調べた。あまり頑丈そうな造りではなく、鍵で止まっている部分も隙間があってガタガタする。これなら金づちで叩けば壊すことができるかもしれない。心配なのは、的が小さく狙いにくいことと、径にゆとりが無いから、叩いた衝撃がラフィスの手足に響くことだ。


 コルトは金づちを手に取りつつも、なかなか踏ん切りをつけられないでいた。もっと安全で確実な方法があるんじゃないか、失敗して骨を砕きでもしたら、ラフィスに顔向けできなくなる。


 するとラフィスが不意に段を降り、コルトの足下に右腕を伸ばして置いた。ぴったりと床につけたまま動かさず、じっとコルトのことを見つめている。


「ありがとう、やってみるよ」


 信じてくれるのならば、と意が決まった。自分の手でリングを支えて固定しつつ、まずは軽い力で、あたりをつけるために一回金づちで叩く。そして感覚を掴んだら、少しずつ振り下ろす距離を開けて勢いを増していく。金属同士がぶつかる重い音が、何度も教会の高天井に反響した。


 そして。


「……だめだこりゃ」


 多少は変形したような気がするが、肝心の留め具はビクともしない。当たりどころが悪いのか、そもそも無謀なことをしているのか、どちらが正解かはともかく、続けてもあまり意味がなさそうだ。コルトは腕が疲れ切って動かなくなる前に、金づちを放り出した。同時にラフィスも、フゥとため息をはいた。


 はさみと金づち以外には、曲がった釘しか残されていない。だが、小さい物がちょうど鍵穴に入る太さなのである。うまくやれば鍵の代わりになるかもしれない。


 コルトは釘の頭を前にして、今しがた叩いていた手枷の鍵穴の中へ差し込んだ。すると釘の頭がカチャカチャと動くでっぱりに触る。もしかして、と、鍵を回すイメージをしながら、釘をでっぱりに引っかけ、押しこむように動かす。対象が小さいから、一度では思ったように行かなかったが、何度か繰り返したところでカチリと音がし、そして、手枷のリングが開いた。


「やった!」


 ラフィスの右手を持ち上げて、リングを取り払う。浮つくコルトに対して、ラフィスはさほど喜んだ様子が無く、疲れた顔で小さく感嘆の声を漏らしただけだった。


 無理もない、とコルトは思った。ひどいストレスに晒され続けたのだから精神的に消耗しきっているし、あの不自由な環境下では、まともに眠ることすらできなかったかもしれない。第一、まだやっと一つ目の枷が外れたところ、残っている物の方が多いのだ。


 コルトはすぐに残りの枷を外しにかかった。手足の物は同じつくりだ、外し方はわかっているから早い。一つ、二つと進め、手足を完全に拘束から解放した。


「どうにかなったか?」


 遠くからアイルの声がした。振り返ってみると、彼はようやく身を起こすところだった。額にこぼれた前髪を逆なでる、その下は平常のしまった顔つきだった。立ち上がると、祭壇の方へゆっくりと歩いてくる。


「手足の方は外せたよ。でも、首輪がまだ」

「そいつが一番厄介だ。政府の連中も使う異能封じの道具だ。つけてるだけでも力吸われる感じで辛いはずだ。亜人なら余計に」

「頑張って外すよ」

「慌てずやれ、時間はある。シェリもまだ来ていないし――」


 二人の間近まで寄ったのに、アイルは急に足を止めた。理由は、目を合わせたラフィスがビクリと身を跳ねさせたから。


「コルト、俺は外を見張っておく。あいつらが簡単に諦めたとも思えん、きっと行方を探している。力が必要なら、その時に呼んでくれ」


 アイルは自然体で言うとさっと転身して遠ざかり、入り口の地面に座り込んた。木枠に背を預けて、東を覗き込むように顔を向けている。祭壇側はまったく視界に入らない角度だ。なにやら気を使ってくれているというのは、コルトの目にも明らかだった。


 コルトはラフィスの方へ向き直り、首輪を外すのにとりかかった。こちらは鍵穴が大きく構造も少し複雑だ、さっきみたいなでっぱりがいくつもある。とりあえず、今まで使っていた釘一本ではうまくいかない。


 それからはラフィスの横で膝立ちになって、ひたすら試行錯誤である。太く長い釘に持ち替えてみたり、二本を束ねてみたり、両手で別々に動かしてみたり。釘だけではなんともならないから、その辺に落ちていた細い木くずを差し込んでみたり、自分のシャツの袖をよじって強引にねじ込んだり、とにかく鍵穴に入る物を色々と試す。


 首輪という都合上、顔も体もかなり近づけることになるのだが、ラフィスは基本的にされるがままで大人しくしていた。ただ時々、くすぐったそうに身動きすることがあった。すると長い髪の毛が流れてきてコルトの手元を隠すから、コルトはそれをどけ、そうするとまたむずがられて、ということを繰り返すことになった。それは時間が経つほど頻度が増えて来た。


 むう、とコルトは口を尖らせた。時間がかかることは許してほしい、鍵開けなんてやったことないんだもの。そんなの泥棒のすることだと思っていた。


 ――こんなことなら、悪党の町(エグロン)でもっと色々習っておけばよかった。


 だが、エグロンのことを考えると、すぐにジャスパの事を思い出してしまう。そもそもこんな事をする羽目になった原因だ、むかっ腹が立つし、それ以上に悲しくなる。コルトの手が止まり、ため息が漏れた。


「……コルト?」

「ああ、うん、大丈夫だよ。心配しないで。こんなもの、なんとかするよ」


 そう、自分の今の力でなんとかしなければいけないのだ。仮に罪を悔いて奇跡を祈ったとして、こんな廃教会の、偶像一つすら残っていない場所に神様の加護があるはずもない。他力本願ではだめなのだ、自分が動かないと。


 コルトは鍵開けを再開する。ただ地味な作業だ、どうしても集中力が続かず、よくも悪くも考えごとをしながらになってしまう。


 この教会にて奉られていた神様はきっとルクノールであろう。コルトの生まれ育った村と同じだ。だが、ラフィスにとっての神様は、通説上の敵エスドアなのである。そう思うと少し変な感じだ。どっちにしろ、手をさしのべてくれないのは同じだけれども。


 ラフィスは必死にエスドアの背を追っていた。彼女がどんな存在であれ、もし再会できたなら、それがラフィスの悲願なのだろう。その未来が来てほしい、コルトは切にそう思っていた。


 しかし。ふと、シェリからの問いを思い出した。


『あなたは身を粉にして彼女のために働いて、その先に一体何を得られるの? 何になれると言うの?』


 旅の果てにラフィスがエスドアに再会できたなら、導き手であるコルトの存在は、彼女にとって必要ないものになるのだ。――その時、一体どうする? さようなら? それで、どこに行く? 帰るところなんて無い、もう村には戻れないんだ。


 コルトは初めて、シェリの問いを重く受け止めた。


 わからない、知らない、考えたことがない。ただ一つだけはっきり答えられるのは、ラフィスとずっと一緒に居たい気持ちがある、と。それ自体がどうしてだと聞かれても困るが、とにかく、さよならは嫌だった。


 離れ離れになって自覚した、こうなるといつもラフィスのことばかり考えている、と。たとえば空気のように、彼女の存在が隣にあるのが当然だから、無くなると不安になるのだ。


 そして、これからもそうであって欲しいと思う。


 だからラフィスを危ない目にあわせたくないし、たとえばフォウトと対峙した時みたいに、身を呈してかばうなんて危ないことをしてほしくない、させたくない。


 ならば、それを求める者はどうなるべきか。誰からも馬鹿にされない、なめられない、そんな強くて頼もしい大人になりたい。困りごとの解決を人任せにしない、でも卑怯なこともしない、そんな大人だ。ラフィスを幸せにすることはもちろん、他の困っている人にも優しくできるようになりたい。それが亜人でも貧民でも差別せずに、他人を大事にできるように。そんな存在を一言で表すなら。


 ――そうだ、僕は、ラフィスのヒーローになるんだ!


 イメージが固まったところで、手の先に少し違う感触が走り、目の前の世界に意識が戻って来た。また最初に戻って釘を鍵穴につっこんでいたのだが、どうやら木の小さな破片が奥にはまり、ちょうどでっぱり一つ押して固まっているようだ。


 これならもしかしたら、と、二本の釘を両手で操り一気に攻める。押せるところは押し、引っ掛けるところは引っ掛けて、動くところを全部同時に動かす。微妙な角度で繊細な動作が必要だ、気持ちを集中する。


 すると、ガチャリと重い音が鳴り、鍵が開いた。


「イィィやッったぁ! やったぞ!」


 大声にラフィスが身をすくめるのも構わず、首輪をむしり取って遠くに放り捨てた。


 途端、ラフィスの目にまぶしい光が戻り、疲れも一気に吹き飛んで顔色がよくなった。


「コルト……!」


 泣きそうな顔で笑い、ラフィスはハグをしてきた。コルトの左頬に、彼女の温もりを強く感じる。コルトも強く抱きしめ返した。肩口に顔をうずめながら、しみじみと笑みをこぼした。


 ――よかった、本当に無事でよかった。無事に取り返せたんだ。

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