運命の水先案内人 2
察しの通りだ、行くあては無い。もともとはエスドアに会うことを最終目標として、それに関する手がかりを得られそうな所を探していた。しかし、ここで最終目標自体が無くなって、短期的な目的地すら定める足がかりを失った。
得も言われぬ淀んだ沈黙がのしかかる。コルトは後ろを振り返れないでいる。考える、考えろ。大口を叩いてしまったのだ、未来は自分で決めなければ。
――それとも。
エスドアは死んでしまった。だが、「不死者」なる存在がありならば、死から復活することも可能なのではないだろうか。まさにそうした存在が、神話に語られる主神ルクノールだ。人々の祈りが奇跡を起こし、一度は滅んだ神を再び地上に降臨させた。
コルトはそっとラフィスの横顔を見た。いつもと違って目を合わせてくれず、じっと玄関を見ている。そしてどうにも胸中を読み取れない、煮え切らない顔をしている。
――もしかして、ラフィスがやらなければいけないことって、エスドアを……。
それならばやることはわかりやすい、ラフィスと同様エスドアのことを信奉する同志を見つけ出すことだ。そしてちょうど都合よく、世の中にはそういう者たちだと名乗る教団が存在している。噂でしか聞いたことがないし、いわくエスドアは既に復活したものと騒ぎ立てているから、少し話が噛み合わないけれども。真偽はともかくとして、向いている方向は同じだ。少なくともルクノールを神と崇める世界の大多数よりは。
コルトは回れ右して、憑き物が落ちたような顔を見せた。
「なんだっけ。ナントカって言う亜人の宗教、ほら、エスドアを信仰する」
「バダ・クライカ・イオニアン」
「そう、それだよ。その中心の人に会いに行こうと思う」
「おいおい、会ってどうするんだい。聞こえて来るだけでも厄介な連中だ、それこそ、その子を利用されるかもしれないよ」
「でも、その人たちはエスドアが復活したって言ってるんだ。本当かどうか確かめないと、さっき見たものが嘘になる」
「……バダ、クライカ、イオニアン」
「ほら、ラフィスも知ってるみたいだし。エスドアとカサージュだって無関係じゃない、なにかの手がかりを得られると思うんだ」
火が付いたようにまくしたてるコルトに対し、オブシディアは呆れを隠さず首を横に振った。そしてシトリンはじいっとオブシディアのことを見ていた。
「関わらない、ってのはお姉の取引だもんね」
そう呟くと、くるりとコルトたちの方へ体を向け、そろそろと近くへ歩いて来た。内緒話でもするような距離感だ。コルトも膝を曲げ、目線をシトリンに合わせた。
「バダ・クライカ・イオニアンの本拠地は東の大陸だよ。東の大陸には色々な亜人が居て、その人たちが政府に反乱を起こしているんだって。こっちの南の大陸じゃ、そんなに大事になってないし。これは、ここに出入りする情報屋の人が言ってたから本当だよ」
海の向こうだ、とコルトは圧倒された。海というものが超巨大な水たまりだと知識があるものの、実際に見たことは無いから想像がつかない。ただ、途方もなく遠大なことはわかる。そもそも海に出るまでも、が。
シトリンが再び踵を返し、奥の壁沿いに設置された棚へ手を伸ばす。いくつかの紙束が並んだ内の一つを取ろうとしているが、あと少しのところで届かない。包帯が巻かれた手がピンと真上に伸ばされ、不毛にピョンピョンと上下している。
そして、目的の物は、高い位置から伸びてきた別の手によって先に取りあげられてしまった。
「お姉、返してよー」
「元々あたしのじゃないか」
オブシディアはさらっと言ってから、折り畳まれた紙をテーブルの上に広げた。次いでシトリンのことを抱えあげ、コルトが使っていた丸椅子の上に乗せた。
コルトたちは立ったままテーブルを覗く。広げられた紙は地図であった。左下の端っこにオムレードと銘打たれた町が記され、中央やや左にエグロン遺跡と小さく書かれている、比較的広域の地域図だ。一番くっきりと描かれているのはオムレードも経由する大きな街道で、その街道付近にある集落と、街道から枝分かれする交差点の位置が読み取れるようになっている。この地図を見ながら街道沿いに進めば、そうそう迷うことは無いだろう。
オブシディアがエグロン最寄りの街道上に人差し指の爪を立てた。
「南方大陸から東方大陸へ渡るには、二つのルートがある。一つは大陸を北側へ抜け、中央諸島を経由して東方大陸へ渡る」
シャープな爪が街道をするすると進み、大きな十字路を南から北へ行き、そのまま地図の上側へ飛び出した。地図上の終着地には「大陸統都ミスク」と書かれている一方、海や港らしきものは見えない。
コルトがなにかを言う前に、オブシディアが指し示す位置を振り出しに戻し、次のルートの説明へ入った。エグロンから北上し、大きな十字を今度は東側へと抜けた。
「もう一つは東の果てまで行き、そこの港町から東方大陸へと渡る。この地図じゃ違いがわからないだろうが、実際はどっちも一長一短だ」
「近いのはどっちなの?」
「一般的な移動手段で行くなら、北の方が早くなるだろうね。こちらの方が道も整備されているし、治安もいい。船の数も多いはずだ。……だが、近道が必ずしも最善とは限らないよ」
「どういうこと?」
「なぜこの道が進みやすいか、理由を考えてみな。まあ、わかりやすい所ならこれさね」
と、オブシディアは地図の北端にある「大陸統都ミスク」を指し示した。
「こいつは名前の通り、統一政府がこの大陸の統治基地とするために作った都市だ。要するに、北ルートは政府の鼻先を通り抜けるってわけさ」
「この町を通らないように、ちょっとだけ大回りしていけば……」
「そうしてなんだかんだ渡った先の中央諸島が、政府中枢のある場所だよ」
う、とコルトは声を詰まらせた。つまり、北ルートは政府の懐へどんどん入り込んでいく道程なのだ。異能や亜人を目の敵にする政府の懐へ。普通の人間の異能者だったら目立つことをしなければいいだけだが、残念ながらラフィスは立っているだけでも人の目を引く。トラブルなく進める気がしない。
「じゃあ、最初から東へ行くしかないじゃないか」
「そうとも限らない。こっちはこっちで少し問題がある」
「あのね、東の大陸は縦長なんだよ。しかもまんなかに山脈があって、行き来するのが大変なんだって」
説明役をオブシディアに取られたシトリンが、ここぞとばかりに声をあげた。もっとも、情報の出どころはオブシディアだろうが。彼女は「そういうことだ」と頷いてみせている。
「東に進んで海を渡ると、東方大陸の南部に上陸することになる。だが、大陸で栄えているのは北部なのさ」
「栄えているのがどっちでもいいけど、バダ・クライカ・イオニアンの本拠地はどっちにあるの?」
「まったく、おまえはゴールを急ぎ過ぎだ。こういうのは、情報を積み重ねながら少しずつ進んで行くもんさ。おまえが東方大陸へ行きたいってなら、直近の目的地は――」
オブシディアは東西南北に走る街道が交わる十字路を爪でトントンと叩いて示した。十字路を覆うように円が描かれ、町であることを示す銘も記されている。町の名は「交易都市ノスカリア」。
「ここだ、ノスカリアだ。通り道である上に、大陸きっての大都市だ。物も人もあふれている。手がかりを探すにも、協力者を探すにもこの上ない場所さね」
「エグロンの人も、よく第二の拠点にしてるみたいだよ。大きな町は隠れる場所もたくさんあるんだって」
「大きな都市、かぁ……」
清濁を合わせ持つ大都市なら、常道以外で東方大陸へ渡る方法を知っている人や、亜人の宗教集団に詳しい人だって居るかもしれない。しかし、コルトの表情は浮かないものであった。
「都合が悪いかい?」
「いえ、その、都市ってあんまりいい思い出が無くて……オムレードで、ちょっと色々あって……」
「あァ、オムレードか。そりゃまた大ハズレに当たったものだ」
オブシディアは嘲りめいた苦笑いを浮かべた。
「安心しな。ノスカリアはオムレードと違って開かれている。開かれ過ぎているぐらいだ。亜人だろうが貧民だろうが、悪さしなけりゃ受け入れてもらえる」
でもね、とオブシディアは声量を少し上げて続けた。
「居場所ってのは自分で作るものだ。黙って突っ立ってたって、誰も助けてくれやしない。いいね?」
「わかってるよ」
コルトは大きく頷いた。そんなこと、とうに身にしみているつもりだ。自分で動いて、声を上げる。逆にそうすれば誰かが助け船を出してくれるとも。
次の行き先が決まった。いざ、交易都市ノスカリアへ。
ダンダンッ、ダンダンッ、と、不意にけたたましい音が魔女の家に響き渡った。玄関を激しく叩く音だ。
「誰だい、乱暴な――」
オブシディアが吐息と共に玄関へ足を向けたのと、向こうから扉が開け放たれたのがほぼ同時だった。
「いよぉーっ、邪魔するぜぇい『魔女』」
「……『夜駆け』」
「ジャスパさん!」
「おーし、まだここに居たか! よかったよかった、助かったぜ!」
無邪気に駆け寄るコルトを見て、ジャスパはダハハと笑った。どうやら用事はコルトたちにあるらしく、オブシディアにはあいさつ以外で一目もくれない。オブシディアもふんと冷ややかに鼻を鳴らすと、腕を組んで一歩後ろへ下がった。そしてシトリンも椅子から飛び降り、影に隠れるよう、保護者の背へピタと寄り添った。
ジャスパはニヤと口角を上げたまま、一度ラフィスのことを見つめ、その後またコルトの方へ向いた。
「なあ、おまえら、ノスカリアって都市へ行く気ねぇか? 仕事の都合でそっちへ行くんだがよぉ、あそこはでっかい都市だから、よけりゃおまえらを――」
「行く、行きます! すっごいタイミング、ジャスパさん最高!」
「お、おう? そんなにか? まあ、とりあえずいいや、決まりだな! ノスカリアまでひとっ走りだ」
さっきの地図で見たところ、エグロンからノスカリアまでも徒歩で行くならそれなりに長い道のりだったから、またしばらくサバイバルが続くことを覚悟していた。しかし、ジャスパの馬車に乗れるなら話が別だ。速くて、安全で、楽しい。なんの不安もない旅路になる。
そして何より嬉しいのは、ジャスパの方から誘ってくれたこと。こちらの事情を汲んで、気を使ってくれたのだ。その親切心が身にしみて、ぽかぽかと体が温まる心地だ。
「ほれほれ、そうと決まればボーッとしてないで行くぞ。夜になるまでに支度終わらせねぇと置いてくからなー。……おお、そうだ! そんな小汚い格好させとくわけにゃいかんから、嬢ちゃんには新しい服を買ってやろうな。しょうがねぇから俺の奢りだぜ、特別によぉ」
「えっ、僕には!?」
「あー、だー、しょーがねーなー。その分、いい子してろよぉ?」
「もちろん!」
「じゃあ、これ以上騒がしくして『魔女』にキレられる前に、さっさと出るぞ」
と、ジャスパはコルトとラフィスの肩をがっしり掴んで、玄関の方へと引っ張っていく。かなり強引だ。ラフィスはちょっと嫌そうに身じろぎしたが、ジャスパの手を振りほどくには至らなかった。
コルトは首だけで後ろを振り返った。オブシディアは腕を固く組んだまま、眉間には皺が深く刻まれている。こうして佇んでいると、ただものではない凄みを感じる。
「オブシディアさん、色々ありがとうございました。助かりました」
「……気を付けてな」
「はい!」
そしてオブシディアの影から、シトリンがひょこっと顔を覗かせた。
「また会える?」
「うん。いつかきっと、また遊びに来るよ。ラフィスと一緒に」
「約束だよ。必ず。じゃあね、バイバイ、またね」
シトリンがぴらぴらと手を振った。コルトも、そしてラフィスも手を振り返した。二人とも自然な笑顔を浮かべていた。
悪党の町。名はよく物を示す、確かに一筋縄ではいかない人々が暮らしていた。普通の町とは違う、ちょっと怖い目にも遭った。しかし、人の優しさにも同じくらい触れた。この優しさを礎に、コルトたちは次のステージ、次の町へと進んでいく。あるべき居場所を、ラフィスの同志を見つけ出すために。
(第三章 悪党の町と記憶見の魔女 終)




