運命の水先案内人 1
まず前提として、かつてオブシディアは政府中枢にて、異能関連犯罪を捜査し取り締まる組織に所属していた。これから話すことも当時に知り得た情報だ。もう二十年は昔のことで、今や昔話になっているかもしれないし、さらに政府側という立ち位置で知ったことだから、偏りがあって真実とはいささか離れているかもしれない。
「――だから鵜呑みにするな、とまでは言わないが、是非は自分の頭で考えておくれ。あたしは知っていることを話すだけだ」
オブシディアはロッキングチェアを前に傾け、両側の肘掛けに置くべきものを据えて、両手を腹のあたりでゆるく組んだ。やや前かがみになりながら、視線はまっすぐにコルトのことを貫いている。
「西方大陸に魔法使いの都市があるのは知っているか。……いや、そういうのがあるんだよ。そして、そこは統一政府の介入を拒んでいる。これは今も変わらないはずだ」
「つまり、カサージュはその町の人だってこと?」
「結論を急ぐんじゃないよ。なぜ魔法都市が世界に対して閉鎖的になるのかだが、理由は色々ある。その中で一つ大きなものが、あの町ではルクノールは神だと見なされないということだ」
「それってつまり、エスドアを神様だって言ってるってこと?」
ここでオブシディアがもとより尖り気味の目をさらに鋭くした。だからコルトはピタッと口を閉じて身を縮めた。
「魔法都市では、神に等しい存在として古の魔女が崇められている。連中の言い分では、ルクノールはその魔女とは別流の、邪悪な心を持ち神を僭称する……僭称ってのは、勝手に名乗るってことだ。それだけの強大な力を持った一人の魔法使いに過ぎない、ということだそうだ」
「要するに、神様じゃなくて人と同じってこと」
「まあ、そうだ。そしてさらにもう一つ、魔法都市でもルクノールでのどちらにも属さない、第三の魔法の流派がある。その中核に居るのがカサージュ=クレヴェインという人物だ」
コルトはゴクリと息を飲んだ。主神ルクノールと並列の魔法使いとして語られるなら、その力量も等しいに決まっている。そして表面的な意味通り、この世界のどこかにはカサージュを唯一神と崇める人々だって居るのかもしれない。オブシディアが「とんでもない」と言ったわけを理解したと同時に、なんとなく、世界がうんと広くなったように感じられた。
オブシディアが不意に立ち上がった。壁沿いにある棚の、数冊の本が収められている前へ行って手をもたげる。が、途中ではたと動作を止めた。そして、その場でコルトの方を振り向いた。
「カサージュは西の魔法使いには有名な、とある魔法の本の筆者でもあるんだ。他にも、魔法に関する記述と共に、色々な本で名前がちらほら出てくる。実はここにも一冊持っていたんだが、ちょっと前に売り飛ばしていたんだった。少しまとまった量のカネが必要だったものでね」
オブシディアはちょっと肩をすくめ、軽妙に笑った。
「カサージュについて、逸話も色々とあるが、まずは二つ名だけで大概の存在だってわかる。『夢幻の住人』、『運命の水先案内人』、『真実の伝道師』、そして『不死者』」
不死者、死なざる者。その言葉にコルトは違和感を覚えた。
「でも、僕の出会ったカサージュは消えてしまったよ。幽霊みたいだった。死なないなんて、そんなことないよ」
「あたしは実物なんて知らないし、記録を書き残した連中だって同じかもしれない。だけどね、火のないところに煙は立たないんだ。記録が残るってことは、脚色の程度はどうであれ、何かそれらしい事実があったってことさ」
オブシディアは腕を組み、毅然と言い切った。この人には詭弁も疑念も通じない、立ち姿だけで小心な相手を怯ませられる風格がある。恐れと敬意を込めた魔女とのあだ名がぴったりだった。
「普通はね、こっちの異能者だろうが西の魔法使いだろうが、時間を操るとか生き死にの道理をひっくり返すとか、そんな神様じみた真似はできない。いくら超常の力を操るにも、人には限度がある。だがカサージュは違う、それができた魔法使いだった」
「わかってる。時代を越えて僕にラフィスを会わせたんだもの、すごい魔法使いだよ」
「あたしが言いたいのはね、そんな魔法使いにとって人の心を操るなんてのは、赤子の手をひねるより簡単なんじゃないか、ってことさ。本人にもそれとわからないようにしてね」
オブシディアの瞳がコルトのことをまっすぐにとらえた。研ぎ澄まされた剣のようにキラリと反射した光が、コルトの心をぞっと震わせた。
すなわち、自分が本心だと思っているものすらも、無自覚のうちに呪いをかけられ創り出された虚構なのではないか。ラフィスを守れ、離れるな、そうした意志はコルトのものではなく、カサージュが植え付けていったものなのではないか。
もちろん可能性の話で、証拠はない。しかし否定することはできない。神の見えざる手による仕業だとしたら、どうしたって知覚できようか。
ラフィスの身を抱くコルトの指にギュッと力が篭った。急に不安に襲われた。体の中に寄生虫が巣食っていて、あらゆる行動を知らない内に操作されているのだとしたら、それはとても不気味なことだ。そして、もしそうだとしたら、魔法が解けた時に自分はどんな感情に陥るのだろうか。ラフィスのことを見る目が変わってしまうのだろうか、故郷の村や城塞都市のひどい大人たちのように。
でも。それでも。自分が神の操り人形になっているのだとしても、今この指先に感じる彼女の温もりは虚構でも幻影でもないのだ。
「オブシディアさんが見せてくれたのは、真実なんだよね」
「ああ。あたしが暴く記憶は言わば源泉だ、実際に彼女が見たそのままで間違いない」
「そうだよね」
いま一度、さっき見たものを思い起こす。
ラフィスはずっとエスドアの背を追っていた。だけど一度だってその手は届かなかった。隣に寄り添うことすらできなかった。戦いの中で多くの人の死と滅びを見て、自らも傷つき翼を失い、あげく最大の心の拠り所を失ってしまった。それからの経緯はわからないけれど、一人ぼっちで現世に投げ出されてしまった。これらは紛れもない事実である。そして、出会ってから二人で経験してきた色々も。
もしも自分の心が誰かに操られていたら。その疑いを頭に置きつつ現状に至るまでをなぞっても、結局、ラフィスに対する思いは変わらなかった。
コルトはしかと意志のこもった目でオブシディアを見た。
「それでもいいよ。僕がラフィスと一緒に居たいと思ったのは事実だもの。だから僕は一緒に行く、ラフィスが幸せに暮らせる場所が見つかるまで、どこまでも一緒に行くよ。もしオブシディアさんが言う通り、魔法使いに操られているんだってわかったら、その時はその時で考えるよ」
オブシディアは苦々しく表情を歪めた。あるいは、急に外へ出て太陽の眩しさにあてられたような顔だった。
「おまえ……馬鹿か。やめておきな、おまえに得はない、苦労するばかりだよ。絶対に」
「僕が馬鹿なら、オブシディアさんだって馬鹿だよ」
「なんだって?」
オブシディアは軽く憤慨して腰に片手をやった。子供が何を偉そうに。そんな心の声が漏れている。
その時、小さな衣ずれの音と共に、奥の部屋から黒い人影が覗いた。
「そうだよ、お姉も同じだよ。そうじゃなかったら、お姉はなんでわたしを拾ったの? って話だよ。なんの得もないのに、苦労するばっかりだってわかってたのに」
「シトリン、おまえ……」
「壁、薄いもん。全部聞こえてるよ」
シトリンは仮面の無表情を貼りつけたまま、ゆっくりとオブシディアの隣へ歩いていき、彼女のことをじいっと見上げた。
オブシディアはばつが悪そうに視線を逸した。
「シトリン……ごめん、後でちゃんと話そう、だから今は引っ込んでおいで」
「わたし、別に怒ってないよ。お姉に拾われた時どんな風だったかも全部覚えてるし、わたしのことでお姉が大変な思いをしてきたのも事実だもん」
オブシディアとシトリンの間に一切の血の繋がりは無い。また誰かの縁故で養子として引き取った、というわけでも無い。シトリンは捨て子だった。幼いながら自我もしっかりする年齢になってから、エグロンの市場にあたる天使の足下区に捨てられていた。栄養状態は悪く、さらに持病がかなり進行していて、単にみすぼらしいの一言では片付かないひどい状態だった。
うずくまるシトリンのことを見ていた人は数多い。だが、誰も手を差し伸べようとしなかった。自分に益があるかないか、エグロンの住民はほぼそれでしか動かない。あんなもの助けたところで損するばかり、下手に関わって懐かれたら大変だ、変な病気を移されても嫌だ。挙句、「後腐れが無いよう、死んでから片づけさせよう」なんて、本人にも聞こえる距離で言ってのける者まで居た。
そんなシトリンをオブシディアは拾った。別の買い物で通りすがりたまたま目にし、少しだけ考えた後、買い物袋と反対の腕でひょいと抱えて持ち帰った。なぜ拾ったのか、今日に至るまでオブシディアが語ったことはない。それはあえて語るような理由も打算も無かったから。かわいそうだ、助けてあげないと、そんな人間らしい衝動だけがあったのだから。
子供の精神は単純だ。ゆえに大人が理屈で隠そうとする感情も敏感に嗅ぎ取れることがある。シトリンはもちろん、コルトですらも魔女の人間性を察していた。――だって、ろくなことにならないって言いながら、僕たちのことをすぐ追い出さないじゃないか。
「お姉はずるいよ。自分が意地張るのはよくて、他人がやるのはだめだめばっかり言って」
「僕が子供だから、何も考えてないと思ってだめだって言うんだ。僕だってちゃんと自分の頭で考えてるのに」
小さな者たちから責めの視線が突き刺される。どちらも頑固で揺らぐ気配もない。オブシディアは対抗する手を持ち合わせなかった。
「わかったわかった。別に、そうしたかったらそうすりゃいい」
ため息混じりに言い捨てると、立ち位置はそのままに棚へ背を預けた。そして疲れたように軽くうつむき、胸の前で腕を組んだ。
「あたしには過去は見えるけど、未来は見えない。過去を見て、現在してやれるアドバイスをくれてやった。それがあたしの仕事だからね。でも、未来を作るのはおまえ自身だ、だから、最終的にどうするかは好きにしな。誰にだってあたしはそう言っている、子供にだろうが馬鹿者にだろうがね」
最後は皮肉めかして、フンと鼻で笑った。
「一つだけ言いたいのはね。おまえの『運命の水先案内人』が悪魔なのか天使なのかは知らないけど、それに付いていくって決めたのはおまえ自身だ。そうやって大口叩いたんだ、決めたことは後悔するな、文句も言うな」
「そんなつもりないよ」
オブシディアは眉間に皺の寄った表情を変えなかった。そして、そのまま背を向けてしまった。
「じゃあもう終わりだ。取引は成立した、あたしはもう関わらない」
コルトも頷いた。取引と約束はほぼ同義、そして約束とは当然守るものである。
ラフィスは落ち着きを取り戻し、とうにコルトの胸からも離れている。目は腫れているし、少し気恥ずかしそうにうつむき自分の服をクシャッと握っているけれど、大丈夫だ、自分の力で立って歩いて行ける。
よし、とコルトは心の中で呟いて、自分の気を引きしめた。やり残したことは無い、だからもう行かなくては。二人の生活がにじみ出る魔女の家の雰囲気は、もやは不思議奇天烈よりも居心地のよさが勝り始めている。あまり長居すると、きっとどんどん家主に甘えたくなってしまうだろう。
「お世話になりました。さあ行こう、ラフィス。次の場所へ」
コルトは頭を下げ、ラフィスの手を引いて促しながら、魔女たちに背を向けた。しかし玄関にたどり着くより前に、シトリンの声が背中に突き刺さった。
「次って、どこへ行くの。行くあてはあるの?」
コルトの足がピタと止まった。




