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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第三章 悪党の町と記憶見の魔女
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ラフィスの記憶 3

 ラフィス、と名を呼ぶ。そうすると彼女はゆっくりコルトのことを見あげた。何も言わない。しかし、わずかに浮かされた手の動きで、どうして欲しいのかはわかった。


 コルトは一歩ラフィスの方へ歩み寄った。そして胸に縋り付いてきた彼女のことをしかと抱きとめた。


 嗚咽を漏らしているのを直接肌身に感じる。ぎゅっと心が押さえつけられ、居ても立ってもいられないのはコルトも同じだが、しかし黙って抱きしめる以外のことはできなかった。愛しい人を、尊敬する人を、目の前でうしなった深い心の傷を癒やす術など持っていない。もし大人だったらできた、それも今回ばかりは思わなかった。


 オブシディアからの慰めはなかった。記憶見の魔女はなんの余韻もなく鏡へ布をかぶせると、元あった場所へと押して行く。鏡はあっという間になんでもない家具の一つに成り果てた。


 それからオブシディアは元のロッキングチェアへと向かった。椅子に身を埋める動作は重く、かなり疲れた様子だ。深く背をもたれさせ、ゆりかごのような揺らめきに身を委ね、固く目を伏せている。あまり気持ちよさそうな顔をしていない。眉間には変に力がこもり、右手はずっとこめかみに添えられている。


 しばらくはラフィスの泣く声だけが響いていた。しかし、突然にオブシディアが呟いた。ポーズはそのままに、おまえ、と。


「これ以上、深入りしない方がいいよ」


 声音からして突き放すものだった。言うからには相応の理由があるのだろう。コルトは首だけをひねってオブシディアに迫った。


「もしかして、他になにか見えたの!?」

「いいや。おまえに見せたものとそう変わらない、ほんの少し先の結末までを覗いただけだ」

「じゃあ、何か知ってることがあるんじゃ」


 オブシディアは乾いた笑い声を鼻であげた。そしてうっすらと目を開けてコルトを見た。


「はっきり教えられるようなことは無い。でも、長年の勘がそう言っている。神がどうこうなんて、人間が関わることじゃないんだ。政府中枢の、あたしが元居た異能事件を専門に扱う機関ですら、手を引け、関わるな、って言われるような案件だよ、これは」


 今はどうだか知らないが、とオブシディアは付け加えたが、そんなものなんの慰めにもならない。知識も能力もある大人が束になっても敵わない、真実を直に知ったオブシディアがそうだと判定した事実は覆らないのだから。


 コルト閉口して視線を落とした。ちょうどラフィスの錆びついた背中が視界に飛び込んできた。今までより更にボロボロで、傷だらけで、弱々しく見えた。


 覗きこんだ記憶の中にあったものは、今に語り継がれる神話歴史の真実だ。誰かが独自の解釈や脚色を入れて紡いだ書物や、体制にとって都合よく作られた教典とは違う、人が生で見てきた事実そのものである。それが世界にとってどんな意義があるのか、幼き身でも察することは容易だ。


 神話に語られるには、遥か遠い昔、世界の存亡を巡って主神ルクノールと反逆の使徒エスドアとの間で戦いがあったとされている。はじめはエスドアがルクノールを殺め、世界は破滅へと向かい、地上には異形の化物があふれかえった。しかし人々の祈りによってルクノールは再臨し、使徒たちと共にエスドアと戦いこれを封印、そして現在へ連なる安寧の世を導いた、と。


 今しがた見たものがまさにその戦なのだとして、すると語られる話とは若干の食い違いがある。まず、エスドアは異形の怪物と共にあった人間の敵とされているが、ラフィスの記憶の中では、彼女は異形の悪魔を撃ち払う側であった。見えた範囲でエスドアに直接刃向かった人は、たった一人の魔法使いだけであった。世を滅ぼす巨悪であるならば、もっと大勢の敵に囲まれてもおかしくないのに、だ。


 それに最後、ラフィスの知っているエスドアは自死を選んだ。神ルクノールらの手によって魂を封じられたという通説とは様子が異なる。もっと言えば、自ら死を選んだのであれば、エスドアが封印を解いて現代に蘇り、亜人の教団を率いて世界を滅ぼそうと画策している、という噂はどうなるのか。


 事実との相違というだけでなく、もっと単純な部分での大事もある。それは、ラフィスが主神ルクノールの姿形をも知っているかもしれないということ。特に宗教家や歴史学者、世界の支配者たる政府の人々などにとっては、神の素顔が暴かれるということは良くも悪くもとんでもないことだ。この場に居る三人ともが各方面に狙われ、本意ではない形で利用されることになるだろう。


 世界が変わるような大事なんて、小さな体ではとても抱えきれない、押しつぶされてめちゃめちゃになってしまう。その点に関しては、コルトもまったく異論がない。ぐっと唇を噛むだけだ。


 オブシディアの感情を殺したようなかすれ声が、追い打ちをかけるように耳をついた。


「別にさ、おまえが関わらなくてもいいんだよ。わかってて自分から災難に飛び込んで行こうだなんて、そんなの子供がやることじゃない。真実を知ったからこそ、自分を守るために逃げを選ぶって手もあるんだ」


 逃げ。それが負けと同義になるとは限らないと、コルトもよくわかっていた。ラフィスとの今があるのは、村から逃げることを選んだからだ。この場に居る三人しか事を知らないのだから、逃げても責められないとも確信できる。


 だが、しかし、それでも。コルトは腕に込める力を増し、同様に強い意志のこもるまなざしをオブシディアに向けて、宣言した。


「でも、僕が助けてあげないと。ラフィスは一人ぼっちだ、僕しか頼れないんだ」


 ラフィスの方が強いし、足手まといなのは自分じゃないか。本当はもっと強い人が護衛につくべきでは。そんなもやっとした思いが頭の片隅にずっと漂っていた。だが、いま自分にすがりついて泣いているラフィスを見ていたら、モヤモヤは消えて無くなった。


 自分ができることなんてたかがしれている、それでも、彼女にとって確かに支えになれているのだ、自分じゃなければいけないのだ。他に頼るあてがあるのなら、より心を許せる相手が居ようものなら、ラフィスはとっくにそちらへ向いているだろう。かつてエスドア背にずっと追いすがっていた、あのようにして。


 まっすぐなコルトの視線に射抜かれても、オブシディアはなおも態度を変えなかった。むしろうろん気な目つきを強めている。


 なにか言いたいことがあるのかと、コルトはわざとらしく胸を張り強気に問うた。するとオブシディアは椅子の手すりで頬杖を付きながら、相変わらずの淡白なトーンで答えた。


「それはおまえの本心かい。おまえは、本当に自分の気持ちで彼女のことを守っているのかい?」

「もちろん」

「本当にか」


 コルトは眉をひそめた。率直になんでそんなことをきくのだろうと思った。自分の口から出る言葉なのだから、自分の気持ちで当たり前なのに。


 するとオブシディアは探るようにある言葉を紡いだ。


「カサージュ……カサージュ=クレヴェイン」


 コルトは軽く肩を跳ねさせた。ラフィスもが、その名に反応して顔を上げ、おずおずとオブシディアの方を振り向いた。 


「その者について、おまえは何も知らないのか」

「ううん。会った。ラフィスと会うより先に、カサージュに会ったんだ。さっき見たのと同じ格好をしていて、魔法使いみたいだった」


 オブシディアは深々と溜息を吐いた。やっぱりそうかね、と漏らす。


「それもあんまり人にペラペラ喋るんじゃないよ。場合によっちゃ、エスドアか……いや、ルクノールと会って話したってのと同じくらいとんでもない話さ」


 いまひとつ要領を得ずコルトはポカンと口を開けていた。だって神に並ぶ有名人なら、もっと多くの人が知っていなくちゃおかしいじゃないか。しかしオブシディアは心底真面目な顔して言ったから、脅しや冗談でないことも確かだ。


「オブシディアさんは、何を知っているんですか」

「知りたいかい」

「もちろん」

「じゃあ取引だ」


 オブシディアは上体をもたげて顔を前に突き出した。少し威圧的に感じ、コルトはわずかにたじろいだ。顎を引いて生唾を飲む。


「カサージュについて、あたしが知っていることを教えてやる。その代わり、おまえはその子のことでこれ以上あたしたちに関わるな、関わらせるな。いいね?」


 コルトは大きく頷いた。もとより選択肢などないだろう。飲めない条件だと言ったら、きっとその時点で腕ずくに家から閉め出されるだけ。結果は大して変わらず、単に情報を得られないコルトたちが損をするだけだ。


 ――優しいな、オブシディアさんは。


 なおもつっけんどんなオーラを消さない魔女を見て、コルトはそう思ったのだった。 

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