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半機の少女 ラフィス ―古の少女と導きの少年の物語―  作者: 久良 楠葉
第三章 悪党の町と記憶見の魔女
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魔女の試練 4

 しかし。当事者たちがどうこうするより先に、これまで傍観者だった者たちが同時多発的に動いた。いきる男の背後から飛びかかり、引き倒し、集団で殴る蹴る。聞くに堪えない罵倒の言葉や、怒りに任せた意味を持たない叫び声がいくつも上がる。


 もっとも、男もやられっぱなしではない。暴行を加えて来る者たちを跳ね飛ばし、逆に殴りかかり蹴りかかり。一対多とは思えない抗戦ぷり、もはや大乱闘の様相だ。


 一体どうしてこうなった。コルトは唖然として見ていた。


 ――もしかしてラフィスが。


 冷たかったあの目の光、あんなのは初めてだ、催眠術でも使ったのではないか、そう思った。しかし、違う。彼女も今の光景にうろたえ、しきりに目を泳がせている。


 それならやはり魔女のしわざか。なんらかの魔法で周りの人間の心を扇動したのではないか、そう考えた。だが、床にペタンと座りこんで呆然としているのを見て、その考えも正しくないんだろうと判断した。


 コルトはついぞ知りえなかったが、実際のところはエグロンの不文律が人々を動かしたということになる。悪党の町、無法地帯とはいえど、正義と不義の線引きは存在する。でなければ、人の社会として成り立たないから。ただの喧嘩は花形でも、本気の殺し合いは笑って見るものでない。まして直接の因縁があるわけでなく、通り魔的に第三者へ危害を加えた輩へは、法治都市同様に制裁が与えられるべきだと、エグロンの者たちはそう考える。


 他所者の目には意味不明な手のひら返しと映っても、エグロンではままあるできごと。基本的に血の気が多いから、なんでもかんでも暴力で解決しようとする。


 この際細かい事情なんて関係ない、逃げるなら、怒りの矛先がそらされた今の内だ。むしろ、今逃げなければ命の危険すらある。乱闘の熱が高まって来て、周囲に刃物、割れ物、異能のなんやかんやが飛散し始めた。


 幸いなことに魔女の家まで向かう道は閉ざされていない。魔女もとっとと逃げ帰る腹づもりのようで、その方を向き立ち上がろうとしている。


 しかし、魔女は床に両手をついて顔をあげた姿勢のまま、凍りついてしまった。


 前方から早足でやってくる人たちが居る。先頭は黒い服を着た痩身の女性だ。それなりに歳を重ねていて、威圧的なオーラを湛えている。その後ろを追うように付いてくる二人の男がいるが、彼らには例の三人組と同じ紋様の入れ墨がある。


 新手たちを見つめたまま、魔女はぴくりとも動かない。そして向こうの女も、這いつくばる魔女の姿を認めると、ぐっと眉間に谷間を刻んだ。一つに束ねた黒髪が、感情的にぶわっと広がった幻すら見えた。


 コルトの脳裏によぎったのはオムレードの一件。嫌な予感しかしない。あの女がさっき喧嘩を売った連中の大ボスなのではないか。


 だとしたら、固まっている場合ではない。しかも今度の連中は、皆ナイフや剣といった武器をそれぞれ身に付けている。コルトは慌てて魔女に駆け寄った。


「あっちに逃げよう! 急ごう!」


 声をかけながら手を掴む。ローブ越しでは危ないと思い、床に溜まっているローブの中に自分の手を潜り込ませ、生身の部分を強く引っ張り出すようにした。


 そうして魔女の手を掴んだ瞬間、コルトは少しギョッとした。


 魔女は腕に包帯を巻いていた。その固く巻かれた包帯がじとっと湿っていて、下の皮膚が膿んでいると布越しにでもありありとわかる。


「ごめんなさい! 痛かったよね」

「……だいじょうぶ」

「それならいいや、今は行こう!」


 コルトは魔女を半ば抱きかかえるようにして立たせた。繋いだ手は力の加減はしつつも離さないで、共に向きを反転した。


「ラフィスも、逃げるよ!」


 空いている左手でラフィスの手も握って引っ張る。彼女は新たに来た刺客へ警戒しつつ、乱闘の余波を受けないようにも視線を向けつつで、精神的に消耗しているようだった。撤退の意志を伝えれば、彼女も素直に従って動き始めた。


 乱闘が起こっている真横をすり抜け、魔女の家の真逆の方向へ回廊を進む。そうすると、


「こらっ、待て!」


 と女の叫び声が聞こえた。追ってくる足音も。


 しかしコルトたちが騒乱の中心地を抜けた直後、誰かが放った炎が回廊を塞ぐように伸びた。炎はその場で大きく燃え広がり、分厚いカーテンとなってあちらとこちらを仕切る。


 背中に熱さを感じつつ、しかし振り向かないで走り続ける。相手が火に妨害されている今がチャンスだ、この間にどこかへ離れた場所に身を隠さなければ。



 回廊をひた走る。このまままっすぐ行って、あの似たような小部屋と交差点が続くエリアに入り込めば、追手の目を眩ませることができるだろう。


 だが、駄目だ。魔女の体力がそこまで持たない、もう明らかにペースを落としている。


 ちょうど左手に開きっぱなしの大扉があった。そちらへ方向転換する。ここに入ったことは、後方の相手に見られただろう。


 入った先は階段がある部屋だった。上層にも下層にも行けるし、もちろん同じ層の別の部屋や廊下へも繋がっている。取れる選択肢が多い、しめたものだ。


 一瞬だけ立ち止まった後、コルトは上層へのぼる道を選んだ。下へ、エグロンの深部へと進むのは怖い、袋小路に入ってしまう可能性が高いから。逆に上層なら、確実にエグロンの外へ繋がっている。最悪、着の身着のまま外へ逃げだす選択肢もありだ。 


 ただ、体力からして上り階段が辛い。エグロンに来てこの方、まともに休憩を取っていない。いくら健脚と言えど、さすがに疲れがたまって重くなってきた。


 コルトでそれなら、もっと貧弱でもっと動きにくい格好をしている魔女は。


「だっ、大丈夫!?」

「う……」


 数段あがったところで、ふらふらうずくまる。声はなく、ゼェゼェハアハアと仮面の下から湿った呼吸音が発せられるばかり。走った疲れだけでなく、体の具合がおかしくなってしまったのかもしれない。休ませないとまずいが、しかしここでは。


「ほら、つかまって。おんぶするから」


 コルトが魔女の前で屈んでやると、無言で手が伸びてきた。背中へしがみ付く体は存外しっかりと力を持っていて、今すぐ命の危険がある感じではない、しばらくどこかで休めば元気になるだろう。


 コルトは深呼吸してから、半ばやけくそな力を込めて立ち上がった。小さな子とはいえ、一人分の重量が加味されて膝が悲鳴を上げる。その場でたたらを踏んだ。なんとか段から転げ落ちずにすんだが。


「コ、コルト!」

「だい、じょうぶ……ラフィス、そのまま後ろに居てね。何かあったら、支えて」


 と、言い残し、コルトは魔女をおぶって長い階段を上り始めた。歯を食いしばり持てる力を出し尽くし、ペースは可能な限り早く、普通に歩いてのぼるぐらいに。下手にゆっくり行こうとするより、一気に行ってしまった方が精神的にも体力的にも楽だ。


 ラフィスはひどく不安そうにコルトのすぐ背後を付いて来た。胸の前に持ち上げられっぱなしの両手が、びくびくしている内心をありありと語っていた。


 結果、コルトは男気を見せつけた。どうにか姿勢を保ったまま階段をのぼりきった。


 だが安堵する間もなく、階下に追手がやって来た。上層に居るのがばれたかどうか確認している暇もない、向こうの足音はまだまだ元気だ。


 コルトは魔女を背負ったまま、一番近くにあった両開きのドアへ駆け込んだ。


 入り込んだ先は内装と匂いによって一目で明らか、酒場だった。二層にあった淀んだ場所と違い、普通の町にもある大衆酒場の様相である。二十数人は収まるうち半分くらいが埋まっており、賑やかな空気が漂っていた。


 しかし酒場の者たちは開けられたドアの方を見るなり、一斉に口を閉ざし怪訝な面持ちとなった。入店してきたのが場違いな子供三人だから、至極真っ当な反応だ。


 ラフィスがそっとドアを閉める。それを背に聞いて、コルトはふらふらと一番近くのテーブルに居た客へと助けを求めた。


「怖い人に追っかけられてて……助けてください、ちょっと、休ませてください……」

「おいおい、ガキ目線じゃ怖い人ばっかりだろ。まあ、そっちの金キラの子だけなら助けてやってもいいぜ」

「って、こいつ……その仮面、もしかして、魔女んとこの、腐れ小娘じゃ……」


 一人が発した言葉に、酒場が一気にさざめいた。気持ちのいい騒がれ方ではない。近寄ったテーブルの者たちなど、顔色を変えて椅子ごと遠くへ飛び退く始末だ。


 明らかにおかしい反応だが、今は構っている余裕がない。コルトは誰も居なくなったテーブルの影へ潜むようにしゃがみこみ、魔女を降ろし、自分もべったり座り込んで深い息を吐いた。汗まみれの赤茶の髪が今の頭の様子を示しているし、床に伸びた足は木偶になっている。


 やれるだけはやった、後は追手が通り過ぎることをお祈りするだけ。コルトは目を閉じた。


 あいにく、二度三度と都合がいい事が起こるほど、この世界の神は優しくなかった。祈り空しく、酒場のドアが再び開かれた。バァンと思い切り響いた音を聞いてコルトは思った。終わった、と。


 静まり返った酒場に、裁定を告げる女のハスキーボイスが轟いた。


「ここに――」

「居るぞ、居る居る! チビ三人、おまえんとこのも含めてだ!」

「ほれっ、連れてけ。さっさと連れてってくれ、頼む!」


 客たちの手によってテーブルが退けられ、コルトたちの姿が露見した。


 酒場まで追って来たのは女一人だけだった。回廊で見た時と同じしかめ面をして、ずかずかと一直線に近づいてくる。意外にも戦闘の気はないようで、足に投げナイフのホルスターをつけているが、そこへ手を伸ばすことは無かった。そのためだろう、ラフィスもじっと警戒はしているが、攻撃にうって出ようとはしない。


 黒髪の女は子供たちの前にやってくると、魔女の事だけを掴み上げた。そのまま小脇に抱きかかえ、踵を返してさっさと去っていく。終始一言も発せず、コルトたちには目もくれないままだった。


 魔女はなされるがまま。だれんと垂れ下がった両手両足がゆらゆらと力なく揺れている。


 コルトはしばらく脳の処理が追いつかずに固まっていた。が、女がドアの向こうに消えた段階で、はっとした。――助けなきゃ!


 自分でもどこに力が残っていたのかという勢いで跳ね起き、急ぎ酒場の外へ出る。女は階段の方へと向かっていた。


 待て、と呼びかけても女は止まらない。追いすがりながら、なお叫ぶ。


「ま、待てよ! 誘拐なんて、犯罪だぞ!」

「この悪党ばっかの町で、犯罪もくそもあるかね」

「でもっ、その子『魔女』だよ。この町で有名だし、怖いんでしょ? そんな人さらって――」

「あァ? なんだって?」


 階段に足を駆ける寸前で女が足を止めて振り向いた。怪訝な顔をしているから、コルトはしめたものだとして、誘拐しようとしている存在が世にも恐ろしき魔女なのだともう一度告げた。


 女は眉間の皺はそのままに、呆けた顔をした。


「何を言ってんだおまえは」

「ほんとだよ。嘘だと思うなら、他の人にも聞いてみなよ」

「違う。『魔女』はあたしだ」

「……へ?」

「『記憶見の魔女』、オブシディア。それはあたしのことだって言ってんだ」


 今度はコルトが呆けた顔をする番だった。何を言っているのだこの人は、と。しかし毅然と佇む女が嘘をついているとも思えない。


 得も言われぬ空気が漂う中、小さい方の魔女だけが仮面の下でくすくすと笑っていた。

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