記憶見の魔女 1
オブシディアと名乗った女は、少し眉を下げて、小脇に抱えた魔女に目線をやった。
「シトリン。おまえ、ずいぶんと遊んだね?」
「そうだよ」
仮面の魔女あらためシトリンは、だらんとぶら下がった格好はそのままに答える。相変わらず平坦でボソボソとしているが、どことなく浮ついた調子をまじえている。
「今日は体の調子もよかったから。それよりお姉、おろしてよー。自分で歩けるから」
「だめさ。洗濯するのは誰だい、ボロボロのドロドロじゃないか」
「ドロドロはいつものことでしょー」
少女はじたばたと手足を振っている。が、本気で振りほどこうとしていないのは明らかだった。
ひとしきり睦まじい雰囲気をふりまいた後、魔女たちは再び進み始めた。姿が徐々に階段の影へと消えていく。
しかし、オブシディアはくだり階段の中ほどで再び立ち止まり、いまだポカーンとしているコルトへと向いた。一時柔らかかった空気は影を潜めて、またも当初のような険しい顔を見せている。黒々とした髪や服が、いっそうシャープさを際立たせている。
「付いて来ないのかい」
「えっ、え?」
「記憶見の魔女に、あたしに用事があって来たんだろう」
コルトはとりあえず頷いた。それは正しい、だけど状況をまだよくわかっていない。突然出てきたこの人が魔女ならば、今まで魔女だと思って来たあの子はなんなのだ、そう混乱していた。
オブシディアの容貌が魔女という感じでないのも、納得を遠ざける一因となっていた。体にぴったりフィットし動きやすさを追求した衣装もそうだし、痩せているが健康的に筋肉がついた体もそう。シャキッとした佇まいも、キリリとした顔つきも、ピシッと束ねた黒髪も、魔女のイメージとは遠い。怪しさや不思議さが無いのである。身一つで戦う格闘家か、一般人を装う暗殺者か、そんな肩書きの方がしっくりくる。
なおも煮え切らない様子でいるコルトを、オブシディアは鼻で冷笑した。
「黙って待ってたって、誰も助けてはくれないよ。知りたいことがあるなら、自分で掴みに行かなけりゃだめさ」
と、かすれの目立つ声で言い残し、オブシディアは階段を降りて去っていく。今度こそコルトの視界から消えてしまった。
信じていいのかどうなのか、どちらとも意を決しがたい。ただ、真実を知りたいのはやまやまだ。
コルトは助けを求めるようにラフィスを見た。彼女も彼女で困惑している。だが、危険を察知している様子はないし、黒い女に警戒心を剥き出しにしてもいない。
迷い迷って、とりあえず付いて行くことに決めた。もし両方が嘘つきだとしても、他に行くあてはないのだし。そしてコルトは、おずおずと黒い後ろ姿を追い始めた。
帰りついたのは正しく魔女の家だった。まずは一安心、少なくともどちらかが本物の魔女であることは間違いない。
招かれて家の中へ入ったところで、魔女たちは、コルトたちに少し待っているよう言ったきり、奥の部屋へと行ってしまった。部屋の入り口には目隠しのパーティションが置かれており、無効の様子はうかがえない。何か話しているようだが、小声だからはっきりとは聞こえない。
待ち時間はすなわち休憩時間である。コルトは部屋の片隅に重ねてあった、背もたれのない丸椅子を二脚引っ張り出してくると、テーブルの前へ設置した。
「イス?」
「座って待ってようよ、すごく疲れたよ」
久しぶりに椅子に座ることができ、足が重圧から解放された。ラフィスも同じく着席し、ホッと疲れの混じった溜息をこぼしつつ、金色のブーツのような両足を宙に伸ばしている。
テーブルにはジャスパからもらったパンが置きっぱなしになっていた。食べる物を目にしたとたん、思い出したように腹が空を主張する。ここぞとばかりにコルトはパンを手に取り、半分に割って、片割れをラフィスへ渡した。少しずつむしって、よく噛んで。疲れた体には、粗末な食事でも染み入るものがある。
しかしパンはどうしたって口を砂漠にする。部屋を再度見渡すと、炊事道具が置かれた台の上に小さな水瓶を見つけた。コルトは磁石で引かれたように近づき、すぐ近くにあった適当な椀へ水を注ぐと、一気に飲み干した。室内に放置してあったにしては、不思議とよく冷えた水だった。
「コルト、コルト、レシャーヤ、ヒナ」
「ラフィスも飲む? 水」
「ミズ」
同じ椀に再び水を注ぐ。ここで、水瓶を傾けた時にカラコロと小さな音がすることに気づいた。水瓶の中をのぞいてみると、底にぼんやりと光を放つ小石が沈められていた。青色と緑色の二色がある。コルトはふーんとうなった。きっと魔法の石なのだ、魔法の力で水を冷たいままにしているのだろう。
水をたたえた器をラフィスに渡すと、彼女はコクコクと喉を鳴らしてそれを飲んだ。あっという間に椀が空になった。
そんな折、奥の部屋で動きがあった。足音がして、どちらかがこちらの部屋へやって来る気配だ。コルトは慌てて水瓶を台上へ置き、自分は椅子へ飛び戻った。勝手に飲んだ事を怒られるかもしれない、そんな後ろめたさが体をつき動かした。ラフィスも習って同じようにするが、こちらはやや困惑気味だ。
やがて奥の部屋のパーティションがずらされて、オブシディアが姿を現した。一人だけだ。腕に抱えた布地の山は、どこかで見た黒ローブと山盛りの汚れた包帯でできている。それらは部屋の入り口横に置いてある洗濯かごへと投げ込まれた。
そしてオブシディアの目がコルトたちへと向いた。途中で配置の変わっている水瓶が視界に入ったはずだが、特に何も触れなかった。
「うちのシトリンがずいぶんと世話になったみたいだ。悪かったね」
「あなたは……」
「さっきも言ったろ。あたしが記憶見の魔女、オブシディアだ。あの子はシトリン。あたしの、まあ、妹みたいなものさ」
血の繋がりは無いけどね、と、サラッと続けた。確かに、普通の姉妹と言うには歳が離れすぎていて不自然だ。どうせ義理の家族だと主張するなら、むしろ母娘とした方が納得できるような気がする。が、そうしないのは、「母」と「姉」で気分的にハードルの高さが違うのだろう。
オブシディアはロッキングチェアに浅く腰かけた。椅子は床にしっかりと足がつく高さで、主が誰であるのかをしかと物語っていた。
コルトはテーブルに肘をつき、それだったら、と前のめりになってたずねた。
「あの子は嘘をついていたんですか」
「ああ、そういうことだ。シトリンは『魔女』じゃない」
「なんでそんなこと」
「ちょっとしたお遊びのつもりだったのさ。自分の事を知らない人間だから、ふざけてみたくなったんだよ。まあ、悪党の町で嘘つきなんて珍しくもない」
それはある種子供の性なのか。コルト自身にも、いたずらに大人をからかってみた心当たりが色々とあって、騙されたと知っても怒るに怒れなかった。やられた方はこんな気持ちだったのかなぁと、過日の村での出来事を反省する。
しかしコルトとて、感情を綺麗に包み隠せるほど大人になりきってはいないのだ。いい迷惑だと感じていることが小さく顔に書いてある。そして対面する魔女は年齢を重ねた大人、相手のちょっとした顔色も見過ごさない目が育っていた。
だからオブシディアは吐息と共に眉を下げた。
「付き合い方が不器用なのは許してやってくれ。まともな人と過ごすのに慣れていないんだ。どうしても家にこもりがちでね。だから、正直なところこっちも驚いたよ、あの子があたし以外の誰かと外を出歩くなんて」
コルトも目と口を丸くした。あの小さな魔女は、エグロンのすべてが勝手知ったる庭だと言わんばかりにふるまっていたではないか。あれだけ横暴、もとい自由にいきいきとしていたのが、普段家に引きこもり人と関わりが無いだなんて、とても信じられない。
「全然普通にしてたし、みんなあの子のことを知ってたし、それに、怖がってるみたいだったから、あの子が魔女だって思い込んでいました。格好もあんなだし」
オブシディアは曖昧な笑みを浮かべ、椅子に深く腰かけなおした。ロッキングチェアがゆったりと揺れた。
そして少しの間の後、ぼんやりと話し始めた。
「シトリンは、病気なんだ。生まれつきのもので、全身の皮膚がただれて、体もあれ以上大きくならない。ちょっと普通じゃない病気だが、他人にはうつらないから安心しておくれ」
「じゃあ、あの仮面とかは、それを隠すため……」
「自分で見るにもあんまり気持ちがよくないって言うから、買って来てやったのさ。まあ、亜人とあたしらで姿形が違うのと同じだ、あんまり気にするんじゃない」
オブシディアはハハッと軽妙な笑い声を漏らした。
保護者はなんでもないように言うが、聞かされた方はただごとと流せなかった。あの時つないだ手のじっとりとした感覚が、オブシディアが持ち出してきた大量の包帯のイメージが、コルトの脳裏に続々と蘇る。どう考えても軽い病気ではない。生まれつき病んでいて体が弱く、大きくなれない。そんな子供に許される人生の短さを、コルトは不幸にも知っていた。亜人が異形の姿をしているのとはわけが違う、だって人間だし、病気なのだから。
「……治らないの?」
「無理だ。症状を軽くしてやることはできるけど、根治は今の人間の力じゃ無理なんだ。できるならとうにやっているさ」
棚にある大小色々の薬瓶やらハーブやら書物やらが、急に存在感を増した気がした。なおかつここは悪党の町、一般の人が眉をひそめる邪法だって入手できてもおかしくない。それでも無理だと言うことは、真に無理なのである。
コルトは思わずラフィスの顔を見た。今の人間の力じゃ無理、それなら、古の世界から来た亜人の少女だったら。……いや、無理だ。縋りついたものの内心ではわかっている。ラフィスも優しいし、察しもいい。シトリンを治療してやれるなら、とっくにもう手を差し伸べているだろう。彼女は神様などではない、いくら強く勇敢でも、人の手に余る奇跡は起こせないのだ。




