悪役令嬢VS暗殺者 03
学園中央の中庭を一望できる屋上に、イーリスとアリスの二人はいた。
幸いにもと言えばいいのか、対象の二人はイーリスとアリスの眼下で作業しているようだった。
二人の位置は、それぞれ対角線上に中庭の角だ。大きな中庭であるため、それなりに距離があるが問題ない。同じ場所にいるということが幸運なのだ。
気になることが一つ。一人の用務員は気配があり、もう一人は気配を感じない。巧妙に隠しているから気配を感じないのかもしれない。だが、はたしてそれに何の意味があるのか。ただの用務員が気配を隠して作業をすることに意味はないだろう。
この時点で一番怪しいのは気配を隠している一人となるが、気配のある用務員がまだ怪しいのも事実。やはりここは、二人を同時に仕留めるべきである。
「アリスさん」
「はい、イーリス様! 任せてください!」
用務員をここから逃さないための極めて単純な策。それは、結界を張るということだ。
アリスの結界はあの聖騎士――今は魔界騎士だが――も唸らせるほど。世界を超えるレベルの術者でなければ、この結界を抜け出すことは不可能。ただの用務員や暗殺者ならば、この結界を抜け出すことは永遠にできないのだ。
「この身、この心、全てはただ一人のために。それは私の心の具現。それは私の愛の――」
「長いですわ」
「省略! これが私の愛の迷宮<ラブ・ラビリンス>!」
五分かかる詠唱――アリスの趣味であり、なんの意味もない。なお、詠唱は頻繁に変わる――を中断し、アリスがよく使う結界『愛の迷宮<ラブ・ラビリンス>』が発動する。
中には入れるが外には出れず、また物理・魔法問わず破壊することは極めて困難という、世界最高の魔法使いである『大賢者』の結界にも匹敵する代物だ。
それを魔力ではなく、愛という謎の力で作り出しているのだから、魔法を究めんとする者が見れば卒倒しそうな代物である。そして、魔法学園の学園長はこの結界を見て卒倒している。
アリスがこの結界に入ることを許可したのはイーリスとアリス、そして怪しい二人の用務員のみ。それ以外の存在はこの結界に入れないように設定している。結界をすり抜ける、もしくは一部を破壊すれば入れなくはないが、先程も述べたようにそれは極めて困難だ。たとえ学園長であろうと、一年かかっても入ることはできないだろう。
こうして結界で隔離された四人。マーブル模様の気持ちが悪くなりそうな空で覆われたここは、世界と切り離された究極の閉鎖空間だ。どこまでも続く平面の世界。永遠にたどり着ける場所のない無限螺旋。
ここで起きたことは、決してバレることはない。
何をやろうと、何があろうと、決して外にバレることはない。
人が死んでも、だ。
重ねて言うが、この結界を破壊する事は困難だ。イーリスであろうと、アリスの結界を真正面から破るには全力を注ぎ込まなければならない。
となれば……。
「そう来ることはわかっていましたわ。そして、それは正解ですわ」
「わかっている攻撃を防げない道理はありません!」
結界が張られたことで校舎がなくなり、結界内の見えない床へと落下していた二人。その二人に向けて用務員――暗殺者たちは奇襲を仕掛けていた。逆手に苦無を持ち、目にも留まらぬ速さで接近すると、イーリスとアリスの頸動脈を掻っ切るべく鋭い斬撃を繰り出してきたのだ。
だが、それを見抜いていない二人ではなかった。二度の襲撃はともに人混み、あるいは闇夜に乗じて仕掛けてきた。そして、二度目の襲撃でイーリスと暗殺者が対峙した時、暗殺者は戦闘ではなく逃走を選択した。
それはつまり、暗殺者自身がイーリスには勝てないとわかっているということ。ならば、格上を相手にした暗殺者が取れる手段は、奇襲しかないだろうと二人は見抜いていたのだ。
イーリスとアリスが油断しているうちに仕留め、結界を打ち消す。それが、相手の取れる唯一の手段だとわかっていたのだ。
この結界は愛の力で張ったもの。世界で唯一人、アリス・イル・ワンドだけが持つ愛の力。結界を維持するには愛の力が必要であり、即ちアリスがいなければ結界を維持することはできないということを意味する。
当然アリスからの供給がなければ結界を維持することはできず、したがってアリスを殺せば暗殺者の二人は結界から脱出することが可能となるのだ。
逃げられないなら始末する。冷静沈着、容赦無用の暗殺者らしく流石の反応と行動の速度だが、いかんせん相手が悪い。世界最強に名を連ねる二人を相手に、見え見えの奇襲など効果はないに等しい。
そして、それは暗殺者たちもわかっていた。イーリスとアリスの二人を相手に直接戦闘など自殺に等しいと理解していた。
それでも暗殺者たちは殺らねばならない。自らの依頼を果たすために、そしてここから生き延びて目的を果たすために。
暗殺者たちの瞳に揺らぎはない。真っ直ぐな光線のごとく、暗殺対象であるイーリスを睨みつけている。
その覚悟。その決意。まるで鋼のように固く、揺るぎない。だからこそその意志は力を与え、二人の――否、一人の暗殺者に奇跡を起こす。
それは一念岩をも通すということだ。自らの命を惜しんだイーリス側の暗殺者は攻撃を防がれ、自らすら顧みずに全生命を注ぎ込んだ一撃を繰り出したアリス側の暗殺者は――。
「グハァ……」
鮮血が踊る。赤く宙へと舞い上がり、空気中へと溶けていき、あるいは美しい中庭を赤黒く染める。
アリスと、暗殺者。裂かれた二人の首から鮮血が吹き上がる。
まさに奇跡。まるで奇跡。その暗殺者の一撃は、見事にアリスの首を裂いたのだ。
命を失い、しかし満足したように倒れる暗殺者。自らの目的は達したと、まるで砂のように消えていく。
そうして暗殺者が影も形もなく消え去った頃には、暗殺者の致命の一撃によりアリスの命が――失われない。
全てが戻る。
時が戻るように。
ただし、戻るのはアリスのみだ。暗殺者は確かに奇跡を起こしただろう。天と地ほどの実力差のある相手に、わずかにでもその牙を届かせたのだ。見事に天へと跳躍してみせたのだ。
だが――だが、だ。奇跡と言うならば、アリス・イル・ワンドという存在こそが奇跡のようなもの。
運命から逸脱したヒロイン<ヒドイン>。ヒーローに守られるのではなく、その敵となる悪役を守るために、愛を燃料として、そして際限なく自らの愛を高めていく混沌の権化。
「ほぼイキかけました」
「油断しすぎですわ」
つまり、致死の一撃など擦り傷のようなものということだ。
確かに暗殺者はアリスを殺し得る一撃を繰り出したが、それと死ぬかどうかは別問題。覇王勇者の攻撃も笑って受け入れるアリスなのだから、暗殺者の一撃を耐えられないなどあり得ない。
朗らかに笑い合うイーリスとアリス。それを見て戦慄しているのは、生き残った暗殺者だ。
せっかく相棒――自らの分身がその生命を犠牲にして一撃入れたというのに、なんと相手は生き残った。苦無に仕込んだ即効性の毒も、効果があるようにはとても見えない。
焦り。そして、恐怖。暗殺者の揺るぎなかったはずの意志が揺れる。わずかな揺らぎは乱れとなり、鋼鉄と化していたはずの精神に罅を入れる。
詰んだか? いや、まだだ。手はあるはずだ。自分は覇王勇者から二度逃げてみせたのだ。ここから逃げることも、きっとできるはずだ。
暗殺者は、そう考えた。考えてしまった。先程までイーリスを仕留めると考えていたのに、自らも気づかぬうちに目的が入れ替わってしまった。
戦うためではない。逃げるために、暗殺者はもう一度分身を作り出す。自らと全く同じ姿かたちをしたそれを、自分の前方。まるで盾に隠れるように配置する。
気づかれては――いない。イーリスとアリスはお喋りに夢中で暗殺者には目もくれていない。ならば好都合。ここからさらに大量の分身を作り出す。
気づかれぬように印を結び、発動させるのは分身の術。暗殺者が最も得意とする術である。
そうして印を結び終え、いざ発動――する前に、イーリスの鋭い瞳が暗殺者を射抜いた。
だが、一手遅い。イーリスが行動を起こす前に、暗殺者は術を発動させた。
瞬間中庭を埋め尽くしそうな勢いで現れる分身たち。百か、二百か。それとももっとか。数え切れないほどの分身が、イーリスとアリスを囲んでいる。
そんな状況であるにもかかわらず、イーリスは落ち着いて周囲を見回している。今にも分身たちが襲いかからんとしているのに、優雅に見えるほどに落ち着いて、何かを見定めている。
そして、イーリスは呟いた。
「そう、そういうこと。理解しましたわ」
いつの間にか握られていた神剣を一閃。それだけで暗殺者が作り出した分身は消え、その場に残るは暗殺者ただ一人。
たった一振り。たった一振りで、分身たちは全て消え、本体である暗殺者だけがその場に残ってしまった。
暗殺者が恐怖に震えるのも、仕方ないだろう。
「どうして目の前にいるのに気配を隠すのかと疑問に思っていましたが……ようやく理解しましたわ」
ドクンと、暗殺者の鼓動が大きくなる。
「あなた、気配はどこにいきましたの? どうやっているのでしょう。気配を消すとか、そういった技術ではなく、そもそも気配が存在しない。実体はあるのに気配は無い。不思議ですわね」
ドクン、ドクンと、暗殺者の鼓動が激しさを増す。
「気配を消すのはあくまでも技術の一つ。不得手ではありますが、ワタクシやアリスさんも察知ができますわ。でも、元々気配が無いのであれば、察知のしようがない。存在しないものを見ることはできません。ワタクシやアリスさんが気づかないのも道理ですわ」
飛び出した理由は、暗殺者自身にもわからなかった。きっと、それほど追い詰められていたのだろう。
音もなく突き出された苦無。それは虚しく神剣に弾かれ、お返しとばかりに繰り出された腹部への蹴撃で暗殺者は悶絶する。
身体中をかき回されるような衝撃。たった一撃のボディブローなのに、立ち上がることもできないほどのダメージ。しばらくは呼吸もままならないと、暗殺者は頭の冷静な部分で判断する。
「いきなり突撃してきたのは、図星だからですか? 気配が無いから、気づくことができない。闘気も、殺気も、おそらくないのでしょう。接近にも攻撃にも気づくことができないとは、本当に恐ろしい能力ですわ」
称賛ではないだろう。クスクスと嘲笑い、冷たい瞳で見下すように、イーリスは語りかけているのだから。
「暗殺者として天に恵まれたとしか思えない能力ですわね。ああ、恐ろしい恐ろしい」
十秒ほどだろうか。暗殺者は何とか身体を動かせる程度に回復した。
ヨロヨロと立ち上がり、暗殺者はイーリスを見つめる。勝てるか? 否、勝つのだ。その決意を秘めて、暗殺者は再度苦無を逆手に構える。
もはや逃げられないことは百も承知。ならば、イーリスに倒すしか、暗殺者にこの場を逃げる手立てはない。
「あら、その構え、見たことがありますわ。まだ戦うつもりですの?」
返事はしない。する必要もない。それに、返事をしてしまえばそれだけで体力を使い果たしそうなほどに暗殺者は消耗している。
「いいでしょう。気を感じずとも、やりようはありますわ。あなたの力が、このイーリス・エル・カッツェに届くと思いまして?」
わからない。わからないが、届かせる。何とかしてこの刃を届かせるのだ。
悶絶しながらも、暗殺者は印を結び終えていた。だが、発動はしていない。発動していないということは、術は発動可能な状態で残っているということだ。
一つ息を吐き、暗殺者は一足飛びで下がる。同時に分身の術を発動させる。イーリスを取り囲むように大量の分身を配置し、囲いの外にいる自分の位置をわからなくする。
「見え見えの手ですわね。分身をダミーに、ワタクシの後ろから奇襲するつもりでしょう?」
しかし、暗殺者の手は読まれていた。分身を出す直前の暗殺者の行動。下がろうと足に力を込めたその瞬間をイーリスは見抜き、暗殺者の狙いも正確に読んでいたのだ。
「安直ですわね。それだけ焦っていますの? それともただのお馬鹿さん?」
イーリスは嘲笑しながら問いかけるも、それに答える声はない。問いに答えずに、足音を立てずに、風も切らずに、暗殺者はゆっくりとイーリスの背後に回る。分身たちを障害物として、イーリスに見えないように死角へと滑り込む。
一縷の望みにかけて。
轟音。そして、衝撃。
神剣で思い切り地面を叩く。たったそれだけ。たったそれだけの行動で、圧倒的な威力の衝撃波が生み出された。
その衝撃で分身が消え、アリスが吹き飛ぶ。数秒アリスが宙を舞い、頭から地面に突き刺さる頃には、全ての分身が見事に消えていた。
幸いにも分身が盾となったため暗殺者は無事だった。これに巻き込まれていれば、今頃暗殺者の意識はなかっただろう。
しかし、そちらのほうが暗殺者には良かったかもしれない。
何故ならば、暗殺者をまっすぐ貫くイーリスの視線を見ずに済んだのだから。
「やはりお粗末、ですわ。一度バレた手品の種が通じると思っていますの? 随分とご自分の能力を評価しているようですが、二度も同じ手を使うのは悪手も悪手ですわ。ワタクシが攻撃を仕掛けた時点で、あなたにワタクシの魔力の痕跡を残しておきましたわ」
おそらくはあの蹴りだと、暗殺者は理解した。腹部に一撃叩き込むと同時に、魔力によるマーキングをしていたのだ。
つまり、最初から全てイーリスの手のひらの上で踊っていたわけだ。暗殺者の思考はイーリスに読まれ、見抜かれ、クルクルと踊らされていたのである。
この時点で暗殺者は諦めた。抵抗は無駄であると理解した。
きっとイーリスは暗殺者への依頼人を聞き出すだろう。尋問か、拷問か、あるいは魅了や洗脳といった手段を使うかもしれない。イーリスが尋問は苦手だということを知りもせず、暗殺者の脳裏に最悪の未来が思い浮かぶ。
それはできない。許されない。暗殺者はイーリスに負けたが、暗殺者の矜持として依頼人がバレることだけは避けなければならない。
答えたら生きて返すと言われても、それは別の話なのだ。吐いたら暗殺者は自分で自分を許せなくなる。自らの仕事を、人生を、誇りを否定することになる。
苦無には即効性の毒が仕込んである。イーリスには効かないかもしれないが、暗殺者自身には効果抜群の代物だ。数秒で苦しむことなく逝けるだろう。
苦無を順手に持ち替え、首を一突き。自ら命を断つ――寸前で苦無は飛んできた何かに弾かれた。
近くに落ちたそれは石だ。どうやら、暗殺者が自殺しようとしたのを見たイーリスが咄嗟に投げたらしい。
予備の苦無を出しても、同様に落とされるだけだろう。もはや暗殺者に打つ手はなし。暗殺者は観念してその場にドカリと座り込んだ。
「クッ、殺せ!」
「殺しませんわ。一瞬で死ぬ、などという楽な死に方はさせませんわ」
楽な死に方とは何なのか。暗殺者が疑問に思った瞬間、暗殺者は自分が縛り上げられていることに気がついた。ご丁寧にも口にも猿轡が噛ませられている。
身動ぎをしようにも全く動けない。腕も、足も、口も、何一つ動かすことができない。芋虫のように身体をくねらせることしかできない。
「殺すのは、時間に任せるつもりですわ」
ゾッとした。暗殺者は、自分の心が底の底から冷えていくのを自覚した。
こんな状態で、こいつらは、この世界に、自分ひとりを……。
「あなたはご存知ないかもしれませんが、ワタクシ、これでも悪役令嬢ですの。悪役として、それなりにコネやネットワークは持っていますわ」
クスリと、イーリスは暗殺者に笑みを見せる。最後の別れになるのだ。別れる時は、笑顔でなくてはならない。
「それでは、名前も知らない暗殺者さん。永遠にごきげんよう、ですわ」
「もしもここから出られれば見逃します。私の結界を破ることができれば、の話ですけど」
悪役令嬢は邪悪に微笑み、愛の少女は慈愛を持って微笑む。
やめろ! 助けてくれ! 頼む!
それらの言葉は外に出ない。暗殺者の口から漏れるのは、意味を成さない呻き声だけだ。
もっとも、暗殺者が声を出せたとしても、二人は聞く耳を持たなかっただろう。
そうして二人はすぐにいなくなり、結界の中に残されたのは哀れな一人の暗殺者。
無論、彼に結界を破る術はない。彼は、永遠に結界の中に取り残され続けるのだ。彼が命を失うその日まで。
暗殺者という一人の悪は、悪役令嬢という巨大な悪に潰されたのだった。




