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S087 マッチ売りの老男老女(中編)

どうにも40000万字超えるとページが停止するので更に分ける事になりました。

ここの話はまとめてセットで読まないと終盤の展開の重みがなくなりますので別々だと思わないでください。

読む日にちが空くのは構いませんのでご自由にどうぞ。

少し話を戻しまして、利権を用いて利害関係者を優先して保護し、実のない流通で実績を作り、その実績を口実に実績の足りない者に譲歩させて利益を提供させ、その利益で実のない実績を補填し、足りない部分は負債として計上しながら、『自分達は役割を果たしているから悪くない』と言う状況を作り出しているのですが、それだけでは正当性は生まれません。利益が得られる根拠部分が必要であり、それが無ければ本来は社会活動とは認められません。


かつて利益が得られる根拠があった行動を、それが無条件に成立しなければ正当性を失い、行動する根拠を失い、利益を得られず破滅するしかない為に、『自分達は役割を果たしている』、『このやり方で|合って[マッチして]いる』と言い合いながら、不都合を他者に押し付けながら徐々に損失を出し続けてやがてどうにもならなくなり破滅するしかない状況を受け入れるのです。誰かが何とかしてくれる、誰かの責任にすれば罪から逃れられると淡い期待を抱いて行われ、そして死んでしまえば結果としては同じ事だと思って、享楽を貪り周囲を巻き込んで自滅するのです。


これは厳しい意見にも聞こえますが、本来はその利益を得られる根拠を維持しながら、場合により作りながら生活する必要がある事を、その重要な部分を他者がどうにかしてくれると依存するのです。その差の分だけ楽が出来、誰も与えてくれなければ損失を生み出し続ける結果になります。間違いだと分かっていても得られる快楽の為に止められない状況は薬物依存症患者と同じ状況であると言っても良く、その場しのぎでしている実感があるのなら同時に状況を改善する努力が必要なのですが、怠慢しツケとして残して誰かに押し付ける方法を選択するのです。


この原因は権力者や既得権益層も助長する要因になる事があります。物事は常に更新され新しくなっており、新たな知識もしくは技術での変化や社会が直面する外敵要因による変化、そしてこれはあって欲しくないですが内部の人間による悪事による変化などが起こります。その為、過去の蓄積としてリザルトセットを扱うのは良いのですが、リーダーや責任者に求められるのは対象とする状況がリザルトセットにある状況と同じかどうかの判断能力です。違いが分からなければ適用して良いと錯覚し、違いが実際にあれば違う結末へと至ります。そして間違った為に求める結果とは違うがなぜそうなったのかが分からない。それでは対策も何も出来ずに何度も同じ過ちを繰り返します。そしてリザルトセットにある状況とは違うと判断した時には"新しい"状況であり、リザルトセットにある過去の状況とは違うのだから新しい対応を考える必要があります。新たな技術や知識により変化した事で抜け穴や死角が出来る場合などが分かりやすいでしょう。つまり、権力者やリーダーの役割はリザルトセットを見て過去の追随する事ではなく過去の積み重ねを基に新しい環境に対して的確な判断をして実績を出す事であり、その能力が求められるのであってリザルトセットをマニュアルの様に扱う事ではありません。それは表面的なもので、誰かから見たかつてのリーダーの真似事であり、リーダーそのものではありません。

そしてマニュアルを見て対応出来る状況は全ての事象が解明された時だけであり、行動を限定する事で行為を一意に識別出来る様にするか、全ての事象が解明されたとするなら大きな変化を与える程の知識の解明はないからこそマニュアルを適用する事が出来るので限定されたルールセットにおいて新たな知識や技術を取り込まない状況を作り出すかのどちらかになります。前者は自由の名で崩壊出来、後者は外的要因により変化させられ崩壊します。つまり初めから成立出来ません。前者は高度になればなるほど厳しいルールで制限されて履行出来ない者が発生し、後者は外的要因がなくならないと競争に負けて崩壊します。そして内部に悪事を働く者がいる影響で不安定な状態を維持し続け、その変化にマニュアルでは対応出来ません。マニュアルで対応した結果に対して変化をするので、マニュアルで対応した結果に対応したマニュアルの行動が必要になり、またその次の結果に対するマニュアルの行動を定義する事になり、制御出来ないシステムは常に不安定になります。それらを定義しても新たな技術や知識で状況が変化し、また一から定義し直しになり、その変化が早ければマニュアル作成が追い付きません。

私達はこの様に自由と称して制限を取り払いながら混同する状況を作り出し、混同する事のない一意に識別出来る状況を作り出した場合に適用出来る方法を選択するという矛盾を平然と行います。自由を得て良い根拠を与えずに自由で得られる権利を手に入れて行動する様になり自由を得た事で生じた義務を放棄し快楽を貪ります。

それが可能なのは先ほどからの話にある様に本来の行うべき行動をしないからです。考えずに他者に依存しながら自身から見て利益になる部分だけを集めて行動しようとしてその整合性の無さから生じる結果は他者に押し付ける事を容認して加害しながら一方で他者の権利を言葉上で認めるという矛盾を行います。状況を判断して識別し正しい選択をする考えを持たなければならないのはリーダーだけではありません。全ての構成員に求められるものです。その中で影響力の強い人物が受動的になり他者依存で行動すればその影響も大きく被害は拡大するので特にリーダーなどの指揮命令系統に属する者に多く求められるだけです。厳密には世界は常に更新され、誰もが世界を見て今まで通りに行動して良いかを判断する責任があり、それこそが生きるという事です。リザルトセットを見て自身の望む結果を選び過去を再生する事で同じ結果を得ようとする、そうする事で必ず同じ状況になるというシステムにより与えられた根拠を用いて、システムが正しいかの根拠を作り出す事は出来ません。この場合は仮に成功したとしてもシステムが正しい事が限定的に証明されただけであり、システムが正しい根拠が外的要因などでまだ失われていない事を間接的に証明したに過ぎません。これを分からずにシステムに与えられた知識や技術という枠組みでクリッピングされた状態で選択を繰り返しながら、自身の意思で選択していると錯覚する状態を"システムの奴隷"と表現し、リーダーとしての素質を充分に満たしておらずプレイスホルダーや代用品として機能している事になります。システムが内包される環境情報はシステムが与える境界の外にも存在しその境界情報を持ち判断出来る様になることがリーダーに求められる資質です。そしてその境界の外にある情報が自身にとって不都合であるからあえてシステムの中にある情報だけを見る状況を"自閉症"と表現します。


こうした基本姿勢を集団行動の中で役割分担しその利点だけを見て欠点を考えずに行動する様になれば気づかない内に他者の権利を侵害し、もしくは加担する事になります。

研究する為に国家に雇われたとして、その国家が間違った行動を取っていないかを判断せずに自身の保身と生活と目的の為に研究したならその成果は悪事に使われ周囲に被害をもたらす結果になります。誰かに雇われて研究する選択をする時に研究成果が悪用された時にどうなるかを考えずに行動すれば常にその危険性が生じ、自身は社会活動をしているつもりにはなれるのですが、実際にはテロ行為や破壊活動を支援している事になります。雇われた先が企業などでも同様になり、破滅しない為には利益を出さなければいけないから判断能力を欠如させて研究して良い事にはなりません。この錯覚は普段から他者の決めたルールに従っていれば問題ないと考えている者に起きやすく、それまでの生活そして前世代から前にさかのぼる期間も含めて誰かに環境を作って貰って行動してきた習性がある為に行動の結果がどういった影響を与えるかを考えなくて良いと思い込んでいる事に起因します。雇われて研究して武器を発明しました、悪用されました、自分は作っただけで誰かに使用して加害していないから『悪くない』では済みません。しかし誰かに雇われて研究している者は自分の意思で研究内容を決める事は出来ず、スポンサーの意向で決める事になり、その基本方針に意思を介入させる事が出来ません。

その為、研究とは本来個人で行うものであり、それが生活を支える重要な要因でない必要もあります。生活に大きな影響を与える要因であるなら生活出来なくなれば破滅するので研究しなければならなくなり受動的に行動させられます。そうなればその研究成果を公表する事で社会が混乱する可能性が高くとも公表しなければならなくなり、そこに自身の意思を介入させる事が出来ません。

何を研究するか、どの様に研究するか、どの様な結果を望むか、結果が好ましくない時には廃棄するかどうかの判断が出来るかなどの判断を行う自由があるからこそ、自制するからこそ社会を混乱させる要因を制御出来るのでありそれを放棄して研究する事は、他者に依存する事であり、依存した他者が悪人なら悪事に加担しているだけになります。

元々社会では、そうやって個人が研究し、その研究が社会に役立つを判断した国などの集団が個人の研究を支援して予算を割り当て成果を国として受け取り反映させて社会レベルの向上に役立てるという方法がされていました。個人は集団からの要請を受けて研究を支援してもらうかどうかの判断が出来、リスクが高いと判断すれば断る権利を持っている状況でした。

しかし対立する事で集団は破滅するリスクを回避する為に他の集団に勝たなければならなくなり、国家の繁栄に寄与する研究をする者を育成する必要が生じます。どの様なものも初めはうまく行き、自身の研究を役立てつつ自身の研究予算を確保しようと国家の研究機関に明確な目的を持って参加するでしょう。教育も必要になるでしょうから高度な教育機関も用意されるでしょう。そして結果として国家に保護されるなら生活が安泰である結果が作られ、生活の為に研究を行う者が出てきます。明確な目的を持って教育機関や研究機関を目指している状況から、研究機関に雇われさえすれば生活が安泰であるから研究機関に雇われる目的を持つ者が増えます。

ここでの重要な問題は、教育期間や研究機関が出来れば良い研究が必ず生まれるわけではないという事です。機関が出来た時には在野に研究を続けていた者が長年の蓄積としてある程度の数を成していて、予算がない、何かの条件が揃わないなどという理由で研究が頓挫もしくは途中である者がいたでしょう。そういった者達が研究する機会を得る為に機関へと雇われる状況になり、元々が社会の役に立つ研究をしていた者であるからその成果が出れば社会への寄与も大きくなります。ではそういった研究をしていた者はすぐに次の者が生まれてくるでしょうか。初期の段階で樹が栄養を吸い上げる様に成長した後に、土壌に栄養はなくなれば成長も遅くなります。そして土壌に栄養を供給する者がいなければ樹は残った栄養で細々と存続するしかありません。この場合の栄養が社会に役立つ研究目的を持った研究者になります。

こういった研究者は都合良く現れませんので当初得た実績から徐々に低下していく傾向を示します。また、雇われた研究者の生活が安定しているのを見てそれを目指す者が居る為に明確な研究目的がないにもかかわらず雇われるための研究をする者が増えます。研究者の研究目的を達成させる為に研究者の生活に問題がない様に支援するのですが、その支援は目的を達成するための手段の一つです。しかしその手段が魅力的であるから手段を手に入れる為に目的を用意する様になり、目的と手段が逆になり、手段を得る為に目的を達成する様になります。そしてその人物には手段とされるものこそが目的ですから、その手段を提供する側の目的がなんであっても良く、同時に自身の目的であるスポンサーが提供する手段が手に入るならスポンサーの目的の成否など、手段である良い生活が失われないならどうでも良いのです。

簡単な例では、戦争需要が欲しい商人、雇用確保の名目になる戦争がしたい軍人、利権を得る為に政策が欲しい政治家などが挙げられます。その中に自身の利益の為に相手が誰であろうと良い生活を保障してくれるなら研究する研究者が並びます。

そうなれば状況は変わり、機関も利権を得ようとする者がいるでしょうし、研究する側も媚びや賄賂を用いる様になります。研究者は本来媚びや賄賂を嫌う性質を持ち、その根拠は、媚びや賄賂を渡しても自身に優れたアイデアが湧くわけでもなく能力が向上するでもなく媚びや賄賂に逃げる事は能力を向上させる事を諦める事と同義であるという理由があります。しかし生活の為となれば話は変わり、生活出来なければ研究などする必要もなく、生活出来なければ研究も出来ないので媚びや賄賂を用いる様になります。そうして媚びや賄賂で能力を含めた総合評価を水増しして選ばれた研究者が機関に雇われます。

アイデアがあって機関に雇われようと思ったわけではないのでこれと言った良いアイデアを持っていないのが一般的であり、過去に誰かが出したアイデアでまだ実現していないアイデアや誰かが実現したアイデアを拡張出来る部分などを重箱の隅をつつくように拾い上げて研究内容として研究します。それが悪いとは言えませんが同時に果たして他者に予算を貰って研究する事かどうかに問題があります。個人で行っている場合は自身で予算を出して自身で消費しているのでどうしようと自身の裁量範囲内ですが、他者から雇われて予算を貰うものはその成果が必要です。そして実利の面でその様なアイデアで与えられる環境は予算に見合う研究になっているかどうかの判断が必要になりますが、生活する為であればその判断が必要ない為に、あえて時間のかかる若しくは時間をかけて研究出来るものを選ぶ事も出来ます。研究機関は初めに自分達たちではなく他者である研究者にその成果による利益を期待し、その結果を見たものが研究者になり、他者である研究機関にその成果による利益を期待する様になります。研究機関は初めにそうやって利益が出たのだから以降も同様で良いと思い、研究者は研究をして成果を出したのだからそこから生まれる利益は研究機関でどうにかしてくれ、と思う様になるのです。そして誰も実利を考えなくなります。

その頃には媚びと賄賂を用い保身目的で馴れ合う集団が出来ており、研究機関の役員は研究成果が出ない事での懲戒を恐れ、研究者は研究成果を認められない事での懲戒を恐れ、誰も正しく評価しようとしない状況が作られます。ここで専門性の弊害があり、実際にはたいして効果がないが一定の効果があると主張されても専門知識がなければ矛盾に気づけない為に研究機関を設置した集団はそこに一定の成果があったと評価してしまい、場合によりここでも媚びや賄賂と馴れ合いで評価してしまう状況になります。そうして実際には実利上で採算の合わない研究が雇用対策として続けられる事になります。


また同時に、対立を前提に研究が進められば破滅を回避する為に、その研究はして良いかどうかの判断は疎かにされます。"戦争は技術を飛躍的に向上させる"という様な言葉はこうして生まれます。実際には既にその原案などが出来ている状況で、必要に迫られ技術を提供するか採算度外視で非効率でも目的を達成するなどの理由で結果が生じ、リスクを抱えた状態が軽率な判断をさせたり過度に研究に執着させる原因となり、その状態を作り出すのが戦争であるだけで、戦争そのものが技術力を飛躍的に高める為に絶対不可欠なわけではありません。その土壌として先にその結果に結びつく環境が出来ている状況で、死のリスクを与えて追い詰める事で無理やり出させる結果になっただけです。だからこそ対立させられる可能性も生まれます。

技術を悪用されるのを恐れ公表する事に問題があると判断して公表しない者も、自身の生死にかかわる問題に直面させれば、リスクを取り除く為に公表する可能性があり、そうすれば他者からアイデアや知識を自身は特に労せずに奪う事が出来ます。直接凶器で脅せば相手も誰が何の目的で行うか分かりやすく反抗するでしょうが、戦争という誰が原因かも分からないものでリスクを押し付けられ脅されればそれに対抗する為に知識やアイデアを出す可能性があります。

例えば特許と言う言葉で利益が得られると思わせながら発明をさせその利権を共有するが、特許の期間が過ぎたり他の発明で廃れたとしても発明者はその期間だけ利益を得ますがそれを扱う者、大抵は既得権益層ですが、そういった人物は他の発明をした者と同じ様に利権を共有するだけで良く、相手が誰であっても良く発明などのハイリスクハイリターンな方法は他者にさせて利益だけを受け取る事が出来る状況というのも、視点を逸らさせている事に関しては似たようなものです。


しかし一度設立した機関を潰す事も問題になり、かつてその方法で利益を上げた実績が再度得られる可能性を捨てる事でもあり、また、一度潰した後にもう一度必要になった場合にかかるコストは維持費に比べて莫大になります。そうして『勿体ない』という理由で存続され徒に損失を増やします。実績を上げる可能性がもうないと思われるだけの期間存続した後には解散されるでしょうが。


少し話を戻しまして、どの様な理由であれ、対立構造により研究成果が出た時にそれが相手側を破滅させる可能性のあるものを作ってしまうと問題は深刻になります。破滅させられない為に手段を選んではいられず相手側の研究成果を無力化出来る研究成果もしくは相手側の研究成果を上回る研究成果を出そうとします。戦争時は顕著であり相手の武器を上回る武器を作り出して圧倒しようとします。この時には判断能力など期待できず、不毛な争いを止めろと言われても、『先に相手側に止めさせろ』という展開になり、それで止めてしまえば他者に有利な状況を与えて不利になり破滅する状況に陥る可能性が生じるのでどちらも止める事が出来ません。そうして本当に不毛な争いと言える状況になるまで続けられ、その結果としてお互いに容易く服従させられない、服従しないという実績が出来た後でしか利害の再計算はされません。そこに研究者の良心や自制は不必要とされ、そしてそういう状況になる事も厭わない雇われ研究者を民間の研究者は軽蔑します。


しかし国家などの競争相手や仮想敵に勝つために研究をする自治体にとってはその様な民間学者の考えは都合が悪く不利益になります。もっと自然に、善悪の判断や良心の呵責などを感じずにアイデアや知識を簡単に手放す様に発明してくれれば効率が上がり、自治体で利権を持つ既得権益層はそういった人材を欲します。自分達にとって思いもよらない方法で利益を生み出してくれる都合の良い存在を欲し、都合の悪い物事を片付けてくれて利益を得る根拠を作り出してくれる存在を欲するのです。

そうなると社会の風潮を変える事で容易に誘いにかかる研究者を手に入れようとします。民間の研究者は駄目で自治体に雇われている研究者は無条件に偉い、良い生活が出来る、研究予算は使いたい放題、特権が得られる、などで誘いだそうとします。同時に、利害関係者を使ってめぼしい民間の研究者を煽り、誰かに先に発明されたら利益を奪い取られるから急げ、発明したら一躍有名人で偉くなれる、などの話で誘い出そうとするでしょう。利権に与かるという事は自身がその利益を齎す根拠に対してそれほど努力をせずとも利益を得る事が出来る状況を作り出すので、その可能性のある者を唆す事で利益を得ようとします。煽る側からすれば失敗しても損はなく成功すれば利益が生まれるのだからやらないよりやった方が得をするという考えで行動出来ます。

欲につけこもうとしてそれでも誘いに乗らなければ弱味に付け込みます。研究しなければ生活出来なくする、家族が病気や事故で大金が必要になるなどの状況を作る、などがあります。

それでも誘いに乗らなければ子供を浚う、明確に脅迫する、場合により、子供に戻った後に成長する過程で投薬と洗脳教育で都合良く操れ、かつ必要な能力を有する様に調教します。

優秀な人間の子供を浚ってきて、服従するのが当然だと思い込ませればそこから産まれる利益は全て洗脳した者の利益に出来ます。善人の子供程直に従うので好都合です。モラルやマナーが欠如すればこういった方法も可能です。


そういう可能性もあり、ブレーキの効かない構造の研究機関に自発的に雇われる研究者は嫌われます。自分から喜んでそういった状況と同じ状況を受け入れるのです。その選択をする者が増え好ましい実績が出れば更に利益を求めて行為はエスカレートするでしょうから事態を悪化させるだけになります。誰かにとって、他人の優秀な子供はまさしく『他からもの』であり自身の努力に関係なく利益を齎す金の成る木です。


一方で国に雇われるには能力が必要とも言えますが、受け取る報酬が相応かどうかに問題があります。権力を持つ事で相手に譲歩を促す事で出来、正しくなくとも利益を要求する事が出来ます。この事実が利権を発生させる要因です。間違ってはいないが、最善とも言えない計画を実行してもそれを批判するなら排除される為に批判出来ず、一時的には批判により修正されますが、そうなれば長期間の行動によって、まず批判する者を排除してから利権を得る行動をするだけなので権力を持つ者と権力を持たせる者の質が向上しない限りは利権を求める構造はなくならず、だからこそ利権を求める者が権力を得ると、自身と同じ様に利権を求める者を選別します。正しい判断をする者は排除され、利権を求める者とそれに気づけないもしくは黙らされる者のみを残す様にし、配下にある者、この場合は民衆ですが、民衆に必要以上の知識や知性を与えない様に作り変えようとします。そうすれば利権を得る事を邪魔する者はいなくなります。丁度、動物の社会でボスが自分に従わない者を排除するのと同じです。そこに正しさはなくとも良く、出来るからするだけであり、それが欲望を満たす最も効率の良い手段だとそれまでの体感から知っているからそうするだけです。

利益を得る口実があり、権利を得た者がお互いにそれが平等でもなければ正しい方法でもない事に目を瞑れば、つまりは考慮しなければそれだけで利益が得られるのになぜそうしないのだと思い、それをしない者は非効率極まりなく低能だと考えるのです。その弁解の一部として『どうせ自身がしなくとも同じ事を他者がするからしない様に努力しても無意味だ』と言い、そして実際にしなければその様な弁解をして実行する者や弁解すらせずに実行する者との差を作られて不利な状況に追い込まれます。

ではそのまま続ける事が正しいかと言えばそんな事はなく、私的な理由での選別を表す利権という名の特権は計画に求められる能力基準では選ばれない事を表し、利権を生み出す集団に本来あるべき展開との差において損失を与えます。しかし実際には起きていない展開であるためそれに罰を与える事は難しく明確に汚職と言える証拠がなければ追及出来ず、結果として一部の集団にのみ、集団全体から集めた資源が使われ集中し富の偏在化につながります。そして利益を得る為にあえて必要なくとも計画が実行され利権を使って利益を得る方法が繰り返されます。


この様な利権を排除するには利権を嫌う者に権力を与えるしかなく、システムで制限をするにも限りがあります。システムで利権の発生を阻止するには、条件を厳密に定義し、個人の意思の介入をなくす事でしか達成出来ません。しかし競争し、また、世界は常に更新され新しい環境が作られそれに対応する判断が生じ、固定化したシステムでは対応出来ない様に、システムが作られた瞬間の世界環境とズレていきます。そのズレを利権を発生する様に調整さえすればかつて利権を発生させない様に組まれたシステムも利権を発生させるシステムへと変貌し、そして利権を発生させないシステムとしての実績を得たシステムを使っているのだから行動に問題ないと主張される様になります。また、ズレの原因はシステムの維持を考えないで欲望を満たす為や利益を得る為に行動する結果が生じさせるのだからあえて難しい調整をしなくともズレさえすれば利権を生み出す構造へと変貌します。その簡単な例が水増し、偽装、媚び、賄賂、暴力などになります。


では利権を極力失くす方法はないのか、という考えから生まれたアイデアが『最小の政府』です。政府は政策を実行しますがそこには常に利権がつきまといます。なら国として形を成せるだけの最小の政策を実行し、それ以外は経済の流れに任せるというものです。そうすれば利権は最小に抑えられ利権により利益を得る悪人を減らす事が出来、社会は正常に機能するのではないかという発想です。利権の発生は、他者の資源を預かりそれを使用するから生まれるのであり、それが自身の資産なら効率の悪い計画は立てないだろうから利権の生まれる事はないという考えであり、自身の資産を出した計画において、媚びや賄賂で選別して計画の結果から得られる利益が大幅に減少するなら本末転倒になります。ですのでこの場合は利権は発生出来ません。

この考えが1人の権力者、全てを保有するとされる権力者を立てる王制の狙いでもあります。どんな悪人でも自身に損失を与える行動を取る様な事はありません。あるのは善人が施しとして長期的な視野で投資をして短期的に損失を被る場合のみです。悪人であろうとも自身が他者から利益を掠め取るのは良くても自身が他者に利益をかすめ取られる事を良しとはしません。そして配下が以前に自分がしていた様な不正をしないかをチェックして管理する様になります。そうしてかつての自分がしていた事がどれ程の迷惑行為かを知りその悪人は行動を是正する事を期待され改心すれば良いのですがシステムによっては改心する事はありません。

例え1人の権力者に全ての権力を集めたとしても、その権力者を愚鈍にしてしまえば利権を得る事が出来ます。私達は生を繰り返し未熟から成熟へと成長し、その一生にはどうしても弱くなる時が存在し、その時を狙って攻撃すれば容易に打倒出来、操り人形にする事が出来ます。その為、その権力者の周囲にもそれを支える集団が必要になりカバーする事が必要になります。

こうして悪人とそれ以外での対立構造は望まずとも出来上がり、悪人は自身がトップに立った事がなくそして考えない為に自身の迷惑行為がどの様な影響を与えるかを考えずそれが可能だったのはその迷惑行為の方向が自身のテリトリーではない外部へと向けられていたからであり、その外部がなくなると内部にしか迷惑行為の方向が向かないという事実に気づけないからです。逆に言えば自身がトップに立ち全体をまとめる存在でなければ迷惑行為の方向を外部へと向ける事が出来、自身は同じ迷惑行為をしても配下の悪人含めて皆が同じ方向を見ているから損失を与えられる事は少なくなります。そして傀儡や操り人形を作り出し、責任や不都合は全て押し付けて自身は安全な場所で利益を得る様になります。

愚王、暴君、圧政者が誕生する時、その周囲の人間も悪人である場合が多く、場合によりトップが善人で悪人を排除する為に圧政や暴政を行う場合があります。

簡単な例えでは、盗賊団が他者を襲って利益を上げたとして、その他者が居なくなればその盗賊行為の矛先は盗賊団に向きます。それぞれがそのやり方でしか利益を上げる事が出来ず、利益を得られなければ破滅するからです。そして対立して分裂し争い続け、何が問題かと言えばその在り方です。他者を襲う事でしか利益を得られないから争い続ける事になり、争いを止めればその能力において弱体化する可能性があり、また、仕返しをしないのは弱いからだと思われて他者に襲い掛かられる要因になる為に争いを止める事が出来ません。その方法自体が集団を成して行動するシステムでは扱えない方法ですが、より簡単で分かりやすく知性が低くとも実行出来る方法であるからこそ利益に直接結びつく実感があり欲望を満たすために実行されます。


そしてトップに立ち外部に襲い掛かる事が出来ない状況になり始めて自分のしてきた事の矛盾を知るのです。外部を襲って資源を獲得する方法が使えないなら実績を出す事が出来ず配下は誰も従わず内乱になり資源を浪費して争い、争った結果として口減らししてバランスを取り戻しますが浪費した資源や狂わせた環境は元に戻っておらず、その影響で争いがなくなっても以前と同じ規模にはならず縮小しています。そしてまた外部から資源を獲得出来ないから実績が出せずに配下が従わず内乱になり結果として口減らしでバランスを取り戻し浪費した資源や狂わせた環境は元に戻らないという状況を繰り返します。これの視点を変え、トップに上り詰める側の行動を対象にして"パイの|占有率[シェア]を上げてパイ自体の大きさを小さくする"と表現します。


最小の政府は利権を最小にしますが同時に中央に権力を集中させないという事でもあります。その結果として内部での反乱などを鎮圧出来ないもしくは外部からの侵攻に対応出来ない可能性が高くなります。利権を扱わないという事はそれだけ従っても不当に利益を得る事がない、つまりは旨味がなく政府の指示を聞くよりも悪事を働き不正に利益を得る方が得策だと考える者もいるでしょう。そうしてかつて利権に集まっていた様な人物は他の部分に利権を求める様になります。政府が最小の利権しか扱わないという事は予算がそれだけなく、予算を確保しなかっただけの資源は社会の中にあり、それを我先にと争う様に求める結果につながります。そして政府の求心力と治安維持機関の機能が低ければ別の勢力が内部で出来上がり代わりの政府が出来上がります。利権を得る為に特化した政府です。

民衆と呼ばれる者は、一生を安定した生活で過ごせるだけの基盤がありません。今日を健やかに過ごせたとしても明日以降は分からずいつどんな変化があってもおかしくない状況では確かな基盤を求めてしまい、分かりやすい利権に縋りつこうとします。

少し前で話しました様に、自身の役割を正しく認識しているならその行為が社会を潰すものだとして利権に縋りつこうとせずに自らの能力で状況を改善しようとするでしょう。しかし破滅するしかない状況に追いつめられたなら潔く破滅を受け入れるかどうかは分かりません。そして自身の役割を正しく認識していなければ利権に縋りつく事に何の違和感も感じないでしょう。自らを正当な理由もなく特別扱いしてくれる権力者は民衆にとって生活の不安を払拭してくれ確かな基盤を与えてくれる存在であり都合の良いものです。他者が苦難に陥っても『自分だけは助けてくれる』という安心感を与えてくれる政府と与えてくれない政府とでは与えてくれる政府を選んでしまいます。

そして庇護を得た者に同じ様に庇護を求める者が口利きをしてくれないかと頼む事で上下関係が生まれます。頼む際に謝礼という名の賄賂を有形無形で払う事にでもなればそれで商売が出来る様になります。これが正しい様に見えて間違いなのはその庇護がそこに参加した者に平等に行われるべき権利を歪めて得られるものだからです。こうして集団と化した利権に群がる集団が自分達には庇護があると無条件な自信を持ち、庇護のない者に要求する様になります。多少の能力があっても数の暴力には対抗出来ず、そして財産という持っているバッファの大きさが例え小さな政府や集団の財源であっても個人よりは大きい為に、相手を屈服させる事で能力があっても下につけ、その結果から自分達が強いと更に増長し、勢力を増しながら今までは勝てなかった相手に勝てる様になるまで勝てる相手を屈服させ続けて大きくなります。

こういった活動を止めるにはそれだけの情報収集能力と抑止力が必要になり、"最小の政府"ではその予算も人員も確保出来ない可能性を生み出します。本来はその役目を民衆自身が担うのですが、既に媚びや賄賂を許容して劣化した構成員に役割を期待出来ません。こういった暴動に対処する為に軍隊の規模を大きくして対処すればそこにある利権は大きくなり、最初の主張と矛盾し、そして徐々に膨れ上がり形骸化します。

また、外部からの侵攻を止める為の軍事力が必要になった時、最小の政府では軍事力が足りずに負けるかも知れません。抑止力が他にあれば良いですがそうでなければ数での勝負になり兵員を確保する事はそれだけの雇用が必要となり利権の温床になります。

もしこれに最小の政府が立ち向かう場合は、場合により民兵で対応する事になり、構成員に求められる能力が高くなります。また、民兵を投入する際に現状の社会を維持し続けるためのシステムが必要になり、その変化に対応出来る能力も必要になり、これは非常時の体制に合わせて構成員が無駄なく効率的に再配置を受け入れる事を意味し一丸となって対応する事を表しますがそれだけの能力が求められるという事です。

常時においては利権に縋りつく事なく、非常時においては状況に合わせて臨機応変に対応するという難易度の高いものが求められ、戦争にもなれば死ぬ可能性があっても選ばれる事に何の介入もせずにリーダーの選択に任せる高い精神性も必要になります。そこで保身を行うなら皆が同じ様に行動し始め計画も混乱し内部で争い外部の敵に付け入る隙を与えます。自身の行動が与える結果も推測出来る能力も必要になるでしょう。

この様に民主主義の理想の一形態である"最小の政府"というのはその実現に大きな問題を抱えます。そこに属する構成員に与えられる自由の高度さに比例した高度な義務を課し、能力がなければ権利を主張出来ない状況を作り出します。

しかし民主主義を望む者は大抵において自由な権利を得られるからそれを望みそれに付随する義務を見る事はありません。義務を果たすには能力が必要であるが、民主主義の与える皆が平等に自由な権利を有するという幻想に錯覚します。

そして重要な事はその能力があれば、最小の政府など実現せずとも極普通の政府でも構わず、皆が高い知性を持って利権を扱う危険性や媚びや賄賂を行う実の無さと破滅する事になっても受け入れる潔さを持つならば、どの様な思想の元でどのようなシステムを作っても成功します。なぜなら"最小の政府"や民主主義の抱える欠点を生み出すのはその思想にあるのではなくそれを扱う私達の在り方に存在するからです。

媚びや賄賂に頼る事なく正しく能力で競争し、他者を加害する事なく生活し、不当に他者の権利を奪わない為に利権に頼る事なく、社会の状況に合わせて対応する、と言えば分かる様に夢見事や空想の世界と錯覚してしまうものを求めているのと同義だからです。それを成すには能力が必要で皆にそれを求めれば脱落する者が多くなり、皆が条件を達成する基準にすれば社会の質も低下せざるを得ません。荒いルールで行動すれば行為を一意に識別出来ずに争いを生み、厳しく精度の高いルールにすればそれを実行出来る者は限られ、民主主義の真の実現には高い能力が必要になり、これも一つの選民主義の代表例になります。民主主義を実現しようとするなら社会が高度になるにつれ能力が足りずについてこれない者を切り捨て、能力が足りない者でも達成できる基準にすれば社会は高度になれない。高度になれない社会は他の社会に差を付けられその社会が戦争を容認する社会であれば攻められて破滅します。それは最早民主主義ではありません。

これを回避して民主主義を実現しようとする為にも知性が必要になります。"なぜ"それが必要か、"なぜ"そのルールなのか、"なぜ"与えられるのか。与えられたルールに従っているだけではなくその根拠を求めて知識を得て矛盾を排し、繋がりを得て知性を高め更なる知識を得る繰り返しにより能力を高める事になります。

ルールで決められている為に媚びや賄賂はしてはいけないという認識はあっても考えない者は体感でしかその理由が分からず経験するしかありませんが、それを体感できる状況というのは既に手遅れな状況であり失敗した後になります。成功する経験なら得させても良いですが、失敗する経験は疑似体験だけで良く、あえて失敗させるだけのコストを払う価値があるかどうかが実行するかどうかの基準になります。あえて失敗させる環境を用意して取返しの付かない状況にならない様に舞台を整えるならいざ知らず、日常の中で取返しのつかない失敗をさせるわけにもいきません。特にその影響が小さく見えてもグローバルな問題に発展し問題が表面化した時には深刻な問題になっている様な事を経験させるわけにはいきません。

ではそれを経験ではないもので補完するにはどうすれば良いかとなり、考えるという手段が必要になりますがここでは割愛します。


では民主主義はあり得ない幻想だと諦めてしまうのが正しいのでしょうか。高い能力が無ければ実現出来ない状況に皆の能力を高めてたどり着く事は出来ないと諦めるのが正しいのでしょうか。

この問題は実の所、どの様な思想にも起こり、諦める事自体は必要ありません。民主主義、社会主義、全体主義、個人主義、共和制、封建制、王制、多くの主義や思想や制度がありますが、それらの目指す所は繁栄と平和である事に変わりはありません。そこに至るアプローチでしかなく、それが正しいのではなくそれを正しかった事にする為に理念を掲げて実行しています。

悪意のあるものはこの様な考え方を、どの様なものでも自分に都合の良い考えを事後承諾させてしまえば良いと錯覚しますが、元々が正しいとされているものは今までの実績からほぼ間違いがないから正しいとされており、世界の初めから正しいとされていたわけではありません。それを何度も試行錯誤を繰り返しほぼ間違いないと実績を積み上げて証明しただけに過ぎず、その積み重ねと積み重ねを行った経験則により推論し正しいとされる方向性を予測し、その予測を試行錯誤して正解を導き正しかったという証明をする事が求められています。その過程を、正しいとされた結果を強引に作り出して結果が同じだから過程においても問題ないと錯覚させる事は間違いです。こういった場合はその後の結果において同じで問題ない事を証明する必要がありますが、その証明が不都合な為に強引に結果について問題ないと主張します。こうして"押し付け"という行為が出来上がりさも正しい様にみなされる状況も作られます。

ここで押し付けが成立する根拠は、自身の主張する結果に対して相手側が間違いを指摘出来ない事で成立します。しかし今まで言いましたように、自身の主張は数ある方法と結果の中の1つであり、その間違いを指摘するにはそれを含む少なくとも1つ上の次元での正解を知る必要があり、難易度が違います。相手が間違いを指摘出来ないからといって自身の行動が正しい事にはなりません。自身の出来ない事を相手に要求して相手が出来ないから自分が正しいと主張しても論理性や正当性がある根拠になりません。その結果に問題がないという証明が必要になります。

こうして、本来ならその結果に対しての証明期間が必要になり、その行為行動が影響を与える規模によりその期間が設定されます。証明期間後に正しいとされた結果と同じ結果を真似て出された結果が同じ影響を与えている事が確認されてようやく"恐らく正しい"と証明されます。本来ならここで報酬を受け取るのですが、対立構造を作り競争して煽る社会ではそうはなりません。相手よりも先に結果を出す必要があり、多少の瑕疵や定量化出来ていない部分を考慮する時間は非効率でもある為に決められた条件のみを達成すれば同じ結果が出たと判断する様になります。時間をかけて実際に同じであったかを確認する事自体が非効率とされそれが本当は必要であっても、ほぼ間違いがないだろうという結果を待っていては他者に競争で負ける要因になるのでリスクを伴いながらも結果を先に出します。これを"みなし行為"と呼びます。

みなし行為が行われると実際には正しいとされた結果と違う結果であっても"正しい"と判断されれば成功となり、正しい結果を出した実績として報酬を得ることが出来ます。みなされた行為は予想によって出された結果が実際には違いがあれば後になり表面化します。しかしみなし行為をしてしまった後では支払った報酬を取り返す事は難しく、返還要求をしても『あなたがたも正しいと認めた』と主張され返還される事は多くありません。その差は損失として計上され、つまりみなし行為をさせてしまえば正しいとされた結果との差を用いて多くの利益を得る事が出来ます。

そしてみなし行為は必要に迫られて行われるものであり受動的な状況で発生します。競争させて煽り、結果を急がせてその証明期間を取れなくする事で"みなし行為"を発生させる事が出来、そこに付け込んで利益を得る悪人は多く居ます。みなし行為はいわば信用取引と同じであり、それだけリスクを抱えます。

簡単な信用取引の例として企業間の荷物の収受を考えます。ある企業Aが企業Bに商品を依頼して物品が届けられたとします。その際に多数の物品を数えるのは手間がかかります。そうすると企業Aと企業Bの間に信用があれば、企業Aは企業Bを信用して検品を省いて取引を終えます。そこで企業Bが信用を悪用して物品の個数を誤魔化していた場合、企業Aが気づけば苦情を入れますが既に取引は終えており、検品は"した"事になっており、それを省いたのは企業Aであり企業Aは検品を省いたが納品数に問題ないと"みなし"た事で、実際に企業Bからの納品数に問題があったのかどうかが分からない、もしくは納品数に問題があったとしても、納品数に間違いがないとみなしてしまった為に企業Bに対して正当な請求が出来ない様になります。しかし企業Bとの信頼関係が良好なら口頭でもその事実を告げて後日数量調整が行われます。そこには両者の効率を前提とした関係があり、競争に勝つため、そして要らぬ苦労を追わない為に行われます。両者が信頼関係というより実利で結ばれ互いの利害関係が一致しているなら納品数の確認や検品というものは二度手間であり、省けるなら効率が上がります。ほんの僅かな個数を誤魔化して利益を得る事とその取引自体がなくなる事で得られなくなる利益を天秤にかければ大抵は後者に天秤は傾くでしょう。

しかし、初めからみなし行為を悪用しようとしていた場合は別になります。ある企業Aが新しい取引先の企業Bと取引をしました。最初は少量の取引でしたがある日大口の取引を持ち掛けられ、企業Bは企業Aに商品の納品を依頼しますが代金は後払いだと企業Aに言います。これまでの取引実績を信用して商品を納入した結果、企業Bの経営者は行方をくらまして商品全てが損失となり大損する、という事例があります。この際に企業Bは『今しかこの儲け話はない。大金を掴むチャンスなんだ』と欲を煽り企業Aの判断能力を低下させて信用させようとします。この様に時間の制限があるかの様にみせかけて騙す方法は良く行われます。この例の逆もあり、先に代金を受け取って商品を渡さないという方法があります。

信用取引にはこういったリスクが伴い、結果に対して報酬を払うかどうかの判断も結果と報酬を対価とした信用取引です。事態を複雑にする要因は結果が目に見えないものを含む事が多く形だけで行われるのは稀だからです。概念を定義し組み上げ社会を構築出来る条件を定義し、また、同様に企業なども同じ様に定義します。そしてその活動における目標も同じ様に定義し、その結果に対して報酬を払います。概念定義はその根拠を他の概念に求めるなどして最終的にはその概念を実現する形そのものを根拠として定義が正しいかを示す事になります。しかし世界の全てが解明されたわけではなく厳密に正しい精度の高い概念を扱うわけではない為にそこに曖昧な部分が存在し定量化出来ない部分が存在します。その部分を意図的に曲解する事も出来、また、精度の曖昧さから明確な定義にならない為に、解釈の違いを生じさせます。曖昧な部分は形を伴うものであっても明確な形として表現出来る定義にならない為にその差を利用して悪事を行う事が出来ます。

明確に形に出来る定義でもその定義を支える根拠を曖昧にする事で定義の根拠自体を定義した条件を達成して正しい結果を得るための根拠としては正しくない状態にする事が出来ます。その場しのぎで間に合わせる事がそれにあたり、与えられた条件は達成したがその悪影響を残す結果というものが出来上がります。つまりは元々達成する条件の根拠には考慮されてないものがあり、それはもっと包括的なルールから与えられ自明である為に明文化や定量化されないものや明確に定義出来ない為に定義されていないものがあるという事で、考慮されるべきだが定義出来ていないものに関してはその能力で判断する事になっています。

しかし能力で判断する事になっているという事は扱う者の裁量次第であり、正しく認識しようとしなければいくらでも利権として使用する事が出来るという事です。相手が他者でなくとも利権は生じ、他者を選んで相手に利権を行使する時は相手側から対価を要求しますが、判断する際に使用する知識を選んで利権を行使する時は選んだ知識によって得られる対価を手に入れる事になります。概念や知識は概念は概念として、知識は知識として定義されて形を与えられたときから静物となります。抽出した時の状況のスナップショットから抽出した一部です。抽出したものを見本に照合して現状を認識しようとしますので現実が変化してしまえばズレが生じ問題が発生します。抽出したものも精度が荒いと照合しても正しく認識出来ずぼやけた視点で眺める事になります。その為、通常は現実の変化がなるべく起こらない様にルールを厳しくして再定義をしなくて済む様にし、わずかなズレを調整しながら概念や知識を用います。しかしあえてぼやけた輪郭から自身に都合の良い実像を割り出す事で利益が得られるならそこに利権が発生し間違ってはいないが正しくもない選択で利益を得る事が出来ます。定義には適合しているが、出来るなら定義する必要があるが定義出来ない部分にある差により問題を残す選択が可能になります。知識は静物であり、その使用者に主体性があり、使用者が使用しなければ現実に実現出来ません。故に知識は受動側となりそれを扱う側が意図的に悪意を持って扱うならば悪事に使用出来ます。

よって明確に定義出来ない部分は信用取引になり、取引相手がそこに悪意を忍ばせると"みなし行為"は多くの危険性を持ちます。商売で現状での目標達成の為に資源を切り売りして将来の利益を前借りする形で目標を達成しても達成自体は成功しています。それを失敗とみるか成功とみるかにおいて、定義出来ていない部分を自明として定義していない事を理由に『自分は悪くない』と主張し、『目標は明確に達成されたのだから報酬を要求する』という主張に結びつけようとします。この時点で基本的なスタンスからも間違いである事に気づいていない相手に目標は達成出来ていないと話しても水掛け論にしかならず、明確に間違いが指摘出来ない為に客観的に見れば目標は達成されているとみなすしかなくなり報酬は支払われる事になり、残された状況は依然より悪化した状況となり、本来なら正しく目標達成していれば現状維持か改善されているはずの状況とは違う結果になります。

その原因は知識を見て知識を学ぶ事にあり、暗記して詰め込む者の限界が生じている事です。与えられた知識はかつてのスナップショットの一部でしかなく、それを照合して現実を認識している状況においてスナップショットと現実の差を判断する事なく、判断する必要がある作業を行っている事に気づいていない事が原因です。知識は無条件に現実に適用出来るものではなく、それがどういった状況から生まれたのかを知り、その情報と現実との差を調整して適用する事がその仕組みから元々義務付けられていますが、それを与えられてしまうが為に気づけないまま使用してしまうのです。与えられたものを競争して覚える事でそれがどういった環境で定義されたのかを考える事もなくただ覚え、テストや問答で明確な正解不正解を示される事により、無条件に成立するものだと考え現実との差を判断しない様になります。そして更にその影響で本来あるべきではない利益を得る事が出来ればその方法を行ってしまうのです。罰せられなければ問題なく、合法とされていれば誰にも批判される事も社会的にはないとすれば利益を出せる方法なのだから実行してしまえば良い、と快感原則から判断出来てしまいます。

この錯覚は形に見える物を基準として他の物を照合して同じかどうかを判断する時の錯覚が伴っているという事でもあります。

形のある物を基準として配られた者はその物が正しいとするしかなくそれに合っているかどうかの判断しか出来ません。その形のある物がなぜその形で良いのかという根拠を知っていなければその形が間違いであっても認識出来ずそのまま使ってしまいます。物の場合は成果物なのでその結果のみが残りその過程にあった概念は残らず、残るのは形を実現している概念となる機能性や造形美に関するものだけです。どの様な手段を用いても基準の形に合わせれば良いとするなら強盗も恐喝も成立し、基準となる形にはその様な情報は含まれませんが、その物を作る際に物を作るという概念を通して社会のルールを連想し選択出来る行動を実行して物を作るでしょう。この時にモラルが無ければ先程挙げました強盗や恐喝を用いても成果物は同じになるので実行するかも知れません。同じ様に概念を定義して条件を作り上げた目標という成果物を達成するに当たり、そこに概念定義する際に使用した情報は残りません。しかし概念定義して条件を作り出す時には確かにその使用した情報があります。ではその成果物である目標から一意にその情報が辿れず欠けた情報は推測する事しか出来ません。残っていない情報量の分だけ成果物である目標の輪郭はぼやけていると言えます。そのぼやけた範囲から実像を決める事になり、そこに選択の余地が生まれます。本来非合法な方法を選択しない様に作られた条件も罰せられなければ合法だと考える者が居れば、最初に意図した方法とは違う方法も選択肢に加えられ成功してしまえば成果物としては問題ありませんので、実行されてしまいます。そして目標にいくつもの解釈の余地があればその中で実行者にとってより利益になる選択がなされる可能性が高くなります。その選択に依頼者の意図した目標を定義時に使用した概念を含めた上で達成する必要はなく、目標として明文化した条件の中に明確に含まれないものの履行を迫る事は出来ません。しかし一方で実行者の行為行動は社会の中にあり社会における基本的なルールや方向性を共有していますので依頼者の意図した定義されていない条件が社会のルールや方向性が示すものであれば明文化されていなくとも履行の義務はあります。しかし明確に示されない理由が条件から基本的なルールや方向性までの明確なつながりを解明していない事にあるので実行者が義務を果たさずに実行者の自由な選択で実行した事に対して何が間違いでありどう間違っているかを指摘出来ません。実の所、その指摘が出来るなら明確に条件として提示しています。しかし同時に自明であったりそうするものだと思い込めるものについては明確に定義する事はありません。条件に世界の全ての可能性を網羅して情報を書き連ねる事は非効率ですからあり得ません。その契約が成される段階において、今までに成立してきた実績がその契約の基盤として存在している事をまず認識する必要があります。


しかし依頼された者は条件が複雑で難易度の高い依頼はしたがらず、増して報酬と難易度が不利益なアンバランスなら受ける者がいない状況になり、それでも依頼を受けるものは基本的なルールや方向性を無視して明確な条件のみを達成すれば成功報酬が貰え、後の結果は考えなくとも良いと思う、明確な条件に付随する根拠部分を罰せられない合法な範囲で削り落として基本的なルールや方向性を無視した後に報酬と難易度のバランスが取れるか報酬と難易度が利益に傾くアンバランスになると思う者だけになります。

そしてその結果から、罰せられない範囲がおよそ推定出来れば罰せられない行動を続け、他者に競争で勝ち、他者も生き残る為に同じ行動をする様になり環境は劣化します。それを止めるには明確に全ての条件を定義するしかないが明確に全ての条件を網羅しようとした契約は非効率でもあり実際には出来ません。定義した条文を形作る一つ一つの単語の定義を盛り込み、単語の定義同士の整合性を示し、一意に解釈出来る様にしなければならず、その為には基盤となる社会システムを安定化させそこで用いられる言葉や概念を整備して間違えない様に全体での意思統一が成されている必要がありますが、大抵において競争原理を取り入れる社会はその整備を疎かにします。それは管理という面でコスト部分に分類され利益を生み出さない行為は競争に負ける要因になります。そして言葉は混乱し概念は曖昧になり、その基盤の上で行われる契約は曖昧な定義で作られ常に瑕疵が存在する様になります。その瑕疵が利益を生み出す程に大きい場合に実行者の自由意志による選択で依頼者側の意図した結果とは違う結果で目標が達成され、争いの原因を生み出します。どれだけ契約の条文を長くしてもそれは一方からみた世界の出来事で構築された条件であり、多面的に見た場合にはそれぞれの単語や文にいろいろな解釈を生み出す結果になります。ですが同時に条件を多く設定する事で解釈出来る範囲は狭まり目標を達成した結果が満足出来る範囲に収束出来る可能性もあります。しかし同時にそれは一方に利点がある解釈を立場や権力を利用して押し付けている可能性があり、2つの状況は同じ状況として混同されてしまいます。


ここに村人と村長の話で出した状況と同じ状況が出来上がります。知識を与えられた者はその与えられた知識を使ってさえいれば良いと思い錯覚して、自身は知識を与えられたままに使っていたのだから『悪くない』と主張します。しかし実際は先ほど言いましたように知識は現実との差を調整して使うものであり、また、その知識の再定義をする役割も存在するのです。その目に見えない、実際には全ての者に与えられている役割だからこそ自明として明文化されてない役割を、誰かが知識を作ってくれる、整備してくれると錯覚して使う事自体に問題があります。


そして『あなたに任せるのではなかった』という結論に至ります。実行した側は明確に目標を達成した"つもり"でもそこに依頼者の意図した条件が組み込まれておらず、組み込まれていないのは最も達成したい目標を阻害する要因になってはいけないと考えるからでもあり、出来るならば定義されていない条件を満たしながら達成して欲しいという意向が存在しますが、明文化されていないならその条件に関係する物事は自由に変更して構わないと実行者の考えで実行すればその結果に不満を残す事になります。しかし同時に明確に定義しなくとも依頼が達成されるのなら依頼者は能力を向上させる事なく済ませて自身が明確に定義出来ない原因を取り除こうとしないという問題も発生しますがここでは割愛します。


そして取引は時間制限により必要に迫られて行われ、目標は達成されなければならないからそこに付随するその他の条件は切り捨てられる事になります。そしてその指摘をすれば『その他の方法はあったのか。(ならお前がすれば良かったんだ)』と反論され、結果を受け入れるしかない状況になります。そしてその結果が成立するからこそ、追い詰められた状況の者の所に行き取引が行われます。


そしてその情報を持っている者がそれを実行出来る者に情報を提供します。


『あなたに|相応しい[マッチ]する条件を知っている。だからこの機会を買わないかい?」と言うのです。


また、システムが生み出す瑕疵により適合してしまう場合や悪用すれば利益を生み出す条件に該当する人間がこう言います。


『私はその条件に|合って[マッチして]いる。だからこの機会を買わないかい?」と言うのです。


こうして、基本的なスタンスが分からない事により悪事が合法的になされます。先程の話の中にありました保険証の悪用などです。


話を戻しまして、最小の政府の構成員の知性が低ければ、自身の権利を売る事に何の躊躇いも無く『あなたを支持するから見返りに利益を要求する』と言う様になります。支持されたい側のニーズに自身の権利が|適合[マッチ]しているので売り渡すのです。勿論生活に追いつめられて売る者も居ますがここでは割愛します。


この様にどの様な理想もそれを実現する為の最低限の能力が必要になり皆が平等に権利を得るためには個人の努力が必要になります。生活の為に必要な努力と言えば分かりやすいですが、その努力は権利を維持する為にはどうすれば良いかを考える事も含まれており、ただ指示に従っていれば良いものではありません。しかしそれは状況により常に考え続ける事を意味し、快感原則とは相反します。快感原則に負け、欲望の誘惑に負けて堕落すれば自身はシステムの維持をする事なくシステムから与えられる権利を主張するようになり、その負担は全て他者に押し付ける事になります。そしてそれを他者から罰せられる事はほとんどありません。なぜなら表面上には見えにくいからです。

ただ呆然と立っているのと真剣に考えているのとその違いを判別しろと言われても判断がしにくい事から分かる様にほとんどの場面で指摘出来ません。本来求められる行動とは行動している時に常に確認と判断を繰り返し現在の状況が問題なく、以前と変わらない状況である事を判断する必要が求められます。しかしそんな確認や判断をせずとも、行動とは以前に誰かがその手順を実行し間違えなければ形としての成果は常に現れる様に組まれます。その手順を盲目的に信用し常に成立すると考えればそこに考える必要はなく、誰かが信頼出来る手順を組み立てたので考えなくとも確認や判断を省いて考えない様に行動しても結果は変わりません。しかし先程から言います様にその手順が本当に正しいか、現状に対して問題ないかを考えるのも役割の内の一つです。考えれば競争に負け、考えなければ本来の役割を果たせず、競争に勝ち残るとズレた現実を悪用されて不正に利益を稼ぐ悪人が居ても気づけない様になります。過度の競争はこの様に本来あるべき役割を果たさせない為に効力を発揮します。そしてだからこそ競争を煽り、考えさせない事で不正に利益が得られる様に企てられます。しかし手順が確立している部分を考える時間そのものが無駄であり非効率だとされ、それ自体は正しいのですが現状と手順が確立された状況がズレていないか判断する必要があり、再認識する事で現状が正常に維持出来ていると確認されます。つまりは定期的に確認する癖を付け、問題ないと判断したなら日常で多く繰り返す行動一つ一つはその信用を適用する事で効率を上げる方法が基本です。

自身の生活において思考を失うという事はその他の物事についても考える事がなくなるという事につながります。自分から見た世界は自分を中心にした出来事で作られます。その最初とも言える自身の行動がどの様な影響を与えているのかを考える事もなくルールに従っている時点でその外側になる社会そのものの出来事を考える事はありません。本来の在り方として考える対象になる領域が広がり以前と違う知識や物の見方を手に入れてもう一度自身の中になる『自分から見た世界』を外部からの視点である客観性を用いて判断して行動を修正し知性を深めていくのが精神を未熟から成熟へと成長させる事になり、これは子供から大人になる過程で行われている事と同じです。そして大人になったとしてもこの行為は続けられる必要があるという事になります。子供の時は主に親や庇護者の主導で、大人になってから自身の主導で行われる必要があります。

この繰り返しにより、自分から見た世界が現実の世界、この場合は私達の集合知である客観的な知識を用いて整合性が取れた概念により構築された世界概念と同規模になった時、初めて自身の行動はその社会においてエラーを出さない行動になります。


そもそもが知識を与えられるという事が問題を発生させています。本来なら自身の経験と思考の繰り返しにより知性を育み新たな知識を得ながら更に知性を育み精神を成熟させる過程が必要である所にいきなりその過程が終わった後に得られた知識を与えるとどの様な過程により得られたか分からず、その過程において数々の試行錯誤により生まれた失敗がある事も知らないままに扱う事になります。そしてその知識がなぜそうであるのかの根拠となる部分にあるはずの足りない知識が知識を扱う上で守るべき条件を省けると考える根拠になり、それがルール違反や合法ではあるが正しいとは言えない選択肢を増やしてしまいます。

この例えとして辞書があります。どんな人物にも配られる標準的な辞書と自分で作った自分用の辞書があったとして、標準的な辞書はそれを読む人物の知性を考えずに出来る限り全ての事項を書いており、どこから読めば良いか分かりにくくそれぞれの事項がどの様な経緯で載せられているのかが分かりません。一方で自分で作る自分用の辞書は自身の経験と判断から必要なものを自身の使いやすい様に優先順をつけたりタグをつけたりして分かりやすくします。ですので知性の高さによって、それぞれの事項の関係性や優先順位や禁止事項や条件などが分かりやすく作られます。それは自身の中に立体的なつながりを持った知識があり、それを辞書として表現しようとした結果、文字の羅列である辞書が作られるという事であり、標準的な辞書は1人もしくは少数の人物の中になるその立体的な知識を集めて書きだしたものでしかなく、構成情報を失った辞書から自身に取り込む際に自身の中で再構成する必要があるという事です。しかし辞書には全ての情報がなく、あっても知性の高さがなければそのつながりを読み解く事も出来ず、自身の中で再構築する時には自身の経験と知性で補完する必要があります。その基礎部分が出来ていなければ辞書の知識を自分の中に取り込んだとしても精度が荒いかブラックボックスを含んだ知識が出来上がるでしょう。

辞書というのは誰かが持っていた知識をエンコードして作られ、それを読んで取り込む際にはデコードしているという事であり、デコード出来る能力がなければ正しくデコード出来ずに間違いを含んだ知識を取り込むという事です。そして欠けた部分に自由度が存在し、能力が足りなければそこに自身の欲望を満たす機会を見つけてしまい、間違った行動をする事になります。そして自身の知性ではそれが正しいと認識している為に間違いに気づけない事が多くあります。この様に与えらえた知識を自分のものに出来るように知性を育む必要があります。


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