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S082 四葉のクローバー

ちょっと話が逸れ気味になりましたが関連があるという事で何とか一つ。


ちょっとした丘に遊びに来た親子は一面に咲き誇るクローバーを見てお互いに笑いながら、丁度良い場所を見つけて座った。エマはメイにお花遊びをさせるためにここまで連れてきたのだ。


「良い?四葉のクローバーを見つけたらちゃんと言うのよ?」


「はぁーい。」


エマはメイにそう言った。



あの子、ちゃんと分かっているのかしら。言われた通りにしてくれないと何を見つけたら周りに言わないといけないのか漠然とでも覚えさせる事が出来ないわ。クローバーは土に栄養を与えるけど、薬も毒になる様に、ありすぎても困るの。偏った栄養で他の草花が住めなくなるわ。そうやってクローバーは他の草花を住めなくして自分達を増やすの。この一面に咲くクローバーはそうやって増えたもの。勿論、クローバーがそうやってもそこで増える草花もあるわ。でもそんなしぶとい草花はタチが悪くて、抜いても抜いても、少しでも残っていたらすぐにまたたくさん増えるくらいしぶといわ。そんな雑草に良い所なんてなくて、あっても見た目綺麗なだけで害にしかならない。そんな見方をするとクローバーは土に栄養を与えてくれて周りで育つ草花にも土を伝って栄養を与えてくれるから良い花だと言えるわね。でも、四葉は別。突然変異な四葉のクローバーは今までとは違うクローバー。3つしかない葉が4つもあるクローバー。たくさんのお日様の光を浴びてもっと多くの栄養を作るクローバー。そんなクローバーばかりになったら他の役に立つ草花が住む場所を失くしてしまうかも知れない。

だから見つけたら、抜いてしまう。これがルール。そうやって身体で覚えさせて、生活する中で周りに似たような事をする人が居たら気づけるようにするんだけど、メイはちゃんと分かってくれるからしら。



ジュリーは今日も料理を作る。愛する愛する人の為、愛さない夫に料理を作る。炭水化物をたくさんたくさん愛する男への愛情を込めて愛さない夫の為に料理を作る。栄養を偏らせて病気にかかりやすい様に、身体が弱くなるように。そうしてこの夫が周囲に競り負け、勝つために無茶をして事故死でもしてくれたら一番良い。弱らせているから病死でも良い。出来れば自殺でも良い。そのどれでも周囲はジュリーを夫に先立たれた可哀想な未亡人と思ってくれる。そこを優しく手助けしてくれる愛する男。周りは美談として受け入れてくれるだろう。そして私達の側がまた一つ、あいつらの数を減らしてこの場所を合法的に自分達のものに出来る。徐々にで良い。徐々にで。焦ってばれそうになれば争いになりうまく奪い取る事が出来ない。そもそも、私達がこれほどうまくあいつらを騙して乗っ取る事が出来るのは私達が優れているからだ。だからあいつらを容易く騙せて勝つ事が出来る。だからあいつらは私達に搾取されて良いのだ。低能なのだから。だからあいつらは私達の為に、働き、道具を作り、税を納めて、私達に差し出さなければならない。それが当然だ。なぜなら私達の方が優れているから。そして私と愛する男の為に奴隷として働いてから死んでくれなければならない。さあ、今日もあの夫は私にどんな利益をもたらしてくれるか楽しみだ。"アイシテルワ"と囁けば旨味を持ってきてくれるのだ。私の"アイシテルワ"にはそれだけの価値がある。だから売ってあげるのだ。恩に切ると良い。



レドリーは困惑していた。今のグループを結成して5年、最初は小さなグループだった。街と言っても村をすこし大きくしたようなこの街は皆で役割分担をしても充分なバランスがなかった。大人数がいないと専業出来ないものや大人数の助けがないと出来ない事など色々とあり、レドリーは有志を募って率先して行った。自分の仕事もあるが自分の住む街が良くなり困っている人が減るならと、建築の手伝い、外壁の修理、荷物の運搬など街でちょっとした問題が起こった時には手を貸した。

そうして5年も経つと周りから信頼されるようになり、レドリーに共感した他の人間も参加するようになりちょっとした大きさになった。だからかも知れない。グループではそこそこ古いメンバーのパトリックが幅を効かせてきた。後から入ってきた者の中でうだつの上がらない、というかあまり目立たない連中をまとめ上げて派閥を作ったのだ。レドリーや初期メンバーが街の問題を片付ける為に街の顔役や自警団のリーダーや商人達と交渉している間にパトリックは他のメンバーを贔屓する事で自分についた方が利益になると思わせて勢力を大きくしていた。気づいた時には既に遅く、レドリー達が他のメンバーに指示を出しても快く引き受けてもらえなくなる事もあり、一々パトリックが出しゃばってきて話に絡もうとするようになった。仕方なくパトリックの指示に従う連中を使う時はパトリックの承諾を得る様にしたが、その街の問題を優先した対応が、パトリックに対してレドリー達が弱腰だと受け取られたらしく、グループの中で態度を決めかねていた他のメンバーもパトリックにつくかパトリックには逆らわない様になってしまった。そうなるともうパトリックの指示がないと何も出来ないグループになってしまい、レドリーはこれ以上のこのグループに居ても無駄と悟り、グループを抜ける決心をした。パトリックに使われる為にグループを作ったわけではなく、パトリックに使われる為にグループに居るわけではない。街の問題を片付けられないのは残念だが後はパトリックがどうにかするだろう。


パトリックは心の中で喜んだ。表には出さず、うまくいったとほくそ笑んだ。ある日、うだつの上がらない自分が退屈な日常を過ごしていると街の噂を耳にした。レドリーとかいう奴がグループを作って奉仕活動のようなものをやっているらしい。中々に評判でレドリーという奴の事を皆が誉めて一目置いていた。その噂を聞いてそんな事で良いのか、とパトリックは思った。パトリックには商才はなく、細工の腕も平凡、話せば普通、見た目もそこらにいる若造だった。そんなパトリックから見たレドリーも似たような者でちょっと自分よりうまく立ち回っているだけに見えた。なら俺でもやれるんじゃないか、とパトリックは思いグループに参加した。その後はしばらくレドリー達の様子を見てどう真似ればここでやっていけるのかを確かめた後に仲間を募った。自分がリーダーになった時に、今のレドリーの周りにいる連中と同じ事をしてくれる奴を集めたが、皆がパトリックに賛同してくれてパトリックはレドリーを真似て賛同してくれるメンバーを優先して指示を出していると、他のメンバーもどうやらパトリックと一緒に居たほうが得をすると思ったようでどんどんパトリックの近くにいるメンバーは増えた。

そしてレドリーもパトリックにお伺いを立てないとメンバーを扱えない様になり、レドリーは人の使い方が下手だな、とパトリックは心の中で見下した。そうこうしている内にとうとうレドリーがグループを抜けて行った。そうなると次のリーダーはパトリックを推す声が多く当然パトリックがリーダーになった。レドリーが居なくなった後に自然と来なくなってグループを抜けた者も居るが残っている者のほうが多いからパトリックには何の問題もなく、これからは俺が全て指示を出し街の有名人になるのだ、と息巻いた。



ボビーは今日も苦々しく近くで騒いでいる連中を見る。かつてはボビーもグループの中に居たのだがいつの間にか雰囲気が変わってしまい居づらくなったのだ。あれはレドリーからパトリックにリーダーが代わった後だった様に思う。レドリーは良い奴だったがパトリックとその取り巻きがうまく周囲を丸め込んでいつの間にかリーダーがパトリックになっていた。そうなるとレドリーはあそこに居づらくなってグループから抜けていった。すると櫛の歯が欠ける様に1人、1人とボビーの知り合いも抜けていき、ボビーも偶にしか行かなくなった。あいつらとは話しが合わない、とボビーは呟く。


付和雷同、イエスマン、ヨイショ、言い方は何でも良いが、それだけなのだ。パトリックはとにかく威張るのが好きでそれしかしない。リーダーらしい事などせずに威張り、自分を持ち上げてくれる奴ばかり贔屓しようとするから贔屓する奴ばかり集まり、パトリックにしっかりリーダーらしい事をしろと言ったハリソンは煙たがられて居場所を失って抜けた。終始そんな感じでやるものだから、パトリックは凄い、俺達は凄い、だとか、俺たちはちゃんとやっている、だとかそんな事ばかり言っている。そうやって自分達だけで外を見ずに内向きに誉めあっているだけだから周りからどう見られているかなんて考えもしない。だから折角レドリーや皆が築いた信用をぶち壊して、今じゃあのグループの評判はかなり悪くなってる。そりゃ俺たちはちゃんとやっていると言っているだけの連中だ。実際には出来てないんだから周りも冷めた目で見るに決まってる。レドリーと一緒に作り上げたものが欲しくてリーダーになったパトリックは自分でそれを潰しているわけだ。そりゃまともな奴は誰もついてこない。だから媚びて贔屓にしてもらった奴だけが、媚びて居場所を貰ったから媚び続ければおこぼれに与かれると思って媚び続け、実質、難しい事や苦労する事は誰もやろうとはしない。媚びて手に入ったポジションだ。そうしていれば誰かがしてくれると思っているだろうし、そして媚びる事でしか手に入れられなかったから出来るかも分からない。実際、媚びている間にパトリックがリーダーになったからその方法でこれからもうまくやれると思い込んだのだろう。そしてレドリー達と一緒に築いた信用が周囲に通用しなくなると、蜘蛛の子を散らすように去り、またどこかのグループに入ろうとする、そういった奴らだ。


そんな連中を横目に見ながらボビーはもうこのグループには参加しない方がよいな、と思い立ち去る。そして少し歩いた後、ふと前を見ればあれ以来顔を会わさなかったレドリーとハリソンが並んで歩いているのを見かけた。ボビーは何を思うでもなく、今しかないと心に決め、声を掛けるべく足を早めた。



モンティは今日もほくそ笑む。媚び、賄賂、馴れ合い、実に良い。囲い込み、リベート、素晴らしい。そうして成し上げたこの財産、実に心地よい。満足気な顔でモンティはそう言い、思う。


媚びた甲斐があった。今や媚びられる側だ。賄賂を贈って良かった。今や賄賂を貰う側だ。馴れ合いに参加して良かった。今や馴れ合う相手を選ぶ側だ。囲い込み、実に良い手だ。仲間意識と優越感で目を眩ませたいした努力も無しに付加価値を付ける事が出来る。一度でも囲い込んだ枠の中から抜ける事を『勿体ない』と思わせる事が出来たら滅多な事では取引先を変えない。そうなれば競争相手を締め出す事が出来る。取引する機会も与えなければ取引先を変更される可能性もない。変えさせるにはそれだけの旨味が必要だからこちらが余程の失敗をするか大きな資本を持った相手でなければ割り込む事も出来ない。

そうやって馴れ合う相手を選び、馴れ合わない連中を排除すれば、残るのは馴れ合う連中だけ。するとどうだ。媚びるだけで媚びない連中と差が付けられるからこぞって媚び始め、誰も私の地位を脅かさない。脅威に感じる程の能力など持ってないからだ。時々居るが一言言っておけば向こうも充分分かってくれる。やはり同じ様な考えをする連中は使いやすい。ライバルとは同じ利益を共有し合っている様なものだがお互いにその利益を生み出す元が無くなっては困るから協力し合える。本当のライバルの様なものは私達の作り上げた馴れ合う環境を変えようとする不届き者か媚びてはいるが虎視眈々と立場を狙っている者だ。大抵は協力相手と共に叩き潰せるから良いし、「私のポストの次でどうだ?」と提案すれば叩き潰されるリスクと天秤にかけてバカな奴以外は提案に乗ってくる。そうして黙っていても金が転がり込む世界が完成だ。こんな旨い話を断る奴は本当にバカだ。媚びない者、馴れ合わない者は旨味を味わうのに邪魔でしかない。


モンティはこれから得られる利益を今日も夢想するのだった。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。薬も過ぎれば毒になる、という話ですね。身体に良いとされる、必須栄養素でもその量が極端に過剰になればバランスが崩れた事により悪影響を及ぼす事になる、という話ですね。」


「概ねそう。やっぱり四葉のクローバーは駄目かの?」


「ええ、あまり良くはありません。既に他にも色々な問題が生じていますが、だからと言ってこれまでの問題がその中に含まれ、たいした差がないと言えたとしても問題そのものがなくなったのではありませんから対処は必要になります。

四葉のクローバーというのは本来ある三つ葉のクローバーの変異です。一定の割合で発生する可能性があり、葉の表面積が増すという事は、光合成する量も増える事になります。

元々、三つ葉のクローバーの用途は窒素肥料を土壌に蓄える為にあります。マメ科の植物の根には根粒菌と呼ばれる共生菌が感染しています。この菌がマメ科の植物の光合成生産物を受け取り、窒素を作り、栄養として植物に返します。その過程で土壌にも窒素を蓄えます。そうして成長に必要な栄養を作るので、マメ科の植物は土壌に含まれる窒素肥料が少ない土地でも栽培出来、そして窒素を作り出して土壌を肥やしてくれます。また、緑肥などと呼ばれる方法で、クローバーをすき込んで肥料にする事も出来ます。

クローバーは有用な資源なのですが、勿論短所もあります。クローバーによって窒素固定が行われ土壌に窒素が蓄えられる事自体は良いのですが、植物は窒素が過剰にある土壌では生息出来ないものが多く、その差を利用してクローバーは他の植物が芽を出せない様にしてしまい自分達の居る場所から追い出してしまいます。クローバーは自身で共生菌の力を借りて窒素を作り出しており、他の植物より窒素過多の土壌に強い性質を持ち、クローバーよりも繁殖力の強い植物以外は排除してしまいます。こうやって場所によってはクローバーの群生地が出来上がります。

そのクローバーの突然変異である四葉のクローバーはそれまでの三つ葉のクローバーと同じ性質だと確信を持つ事が出来るでしょうか。変異したという事は何かが変わったという事です。それも意図しない変化であり、私達が制御したものではありませんので、窒素固定する量が変わってもおかしくありません。窒素固定する量が多くなり、クローバーが生える場所では他の植物が育たなくなる様に変化するかもしれませんし、逆に一般的に野生化と呼ばれる、役に立つ効能を失ってただの雑草になるかも知れません。

もし仮に、私達がその環境において、問題なく過ごせているとして、そこに三つ葉のクローバーから四葉のクローバーが変異して現れたとします。四葉のクローバーとしての性質が受け継がれやがて四葉のクローバーばかりになり、もしその影響で窒素固定される量が増え今までとは違う環境に変化してしまったらどうなるでしょうか。それがどれ程のリスクかの予測を私達は持てません。そうであれば、変化の無い方が、変異しない方が、今の環境をそのまま続ける事が出来、リスクも発生しない事になります。ですので、子供をクローバーの群生地で遊ばせる時に、ついでに四葉のクローバーを摘み取ってしまおうという慣習が存在します。それは同時に、私達の社会の中で、四葉のクローバーの様な存在に注意して、見つけたら誰かに知らせるルールを教えている事でもあります。知識としての抽象概念を話されても分からず、書物を読んでも分からないような知性の者に体感で覚えさせるのです。


では窒素が増える事でどのような影響があるでしょうか。窒素が増える状況は私達が炭水化物を多く摂取しすぎる状況に似ています。栄養のバランスが偏り、体が酸性化しやすくなります。実際に酸性化はしませんが、酸性化しないために体の栄養を使い一部の栄養が不足します。栄養が偏る事で一部の栄養が不足する状態になれば病原菌に対抗するための栄養を確保する事が出来ず、病気になりやすくなります。植物も同様に、カリ成分が足りない状態では酸性化し、窒素を多量に摂取して成長は早いですが病弱になり病害虫に負け、生き残れなくなります。


私達も植物も、偏った栄養では、表面的には同じに見えてもその質において差が出てしまいます。カリ成分が足りない為に病害虫に弱くなるように、私達も不足したカルシウムにより病気に弱くなり怪我もしやすく、窒素に栄養が偏りリンが足りない果実などの生産物はおいしさに欠ける様に、私達もリンを含む栄養素をバランス良く取らなければ充実した生活を得る事は出来ないでしょう。


では私達の中で四葉のクローバーとして表現されるような者はどういった者か。表面上は役に立っている振りをして、薬も過ぎれば毒になる様な事を平気で行い、他者を加害する者を指します。或いは、良い面だけを見せて実質的に損失を与えて加害する様な者も指す事があります。

食事を提供する役割において、あえてバランスを崩す事で他者と相対的に差を作り競争に負けやすくしたり、病気になりやすくしたりする者などを良く表します。こういった悪事を働く者の共通点として、気づかれない様に少しずつ行い、気づかれない範囲で最も効果的な段階を見つけて加害します。気づかれないなら罰せられる事もなく、そして証拠も残らなければ後になって追及されても無実を主張できます。

こういった類の悪事の共通点として、気づかれるのはその違いを認識出来るからだ、という根拠があるので、なら気づけない様にすればよい、と考え、違いを認識出来る知識を隠したり、間違った知識を与える事が良く行われます。そうすれば悪事を働く側は知っていて、被害する側は知っていないという相対的な差を利用して、楽に利益を得る事が出来ます。

その為、悪事を被害するのは情報を与えられない者、まだ知性が未成熟な子供になる事が多く、知識を与えられるか与えられないかの違いの為に、大多数の側に属して少数の側を加害する目的の者もいます。

本来、知識を与えるか与えないかはその知識を与えても間違った使い方をしないかを基準に決める事ですが、その行動を見た者が自身に利益になるかどうかで知識を与えるか与えないかを決める事が出来ると錯覚し、錯覚したまま行動する事でデファクトスタンダードになり、誰もが自身も与えられたはずの知識を相手に与えない事で差を作って利益を上げようとする様になります。その弁解は対価を払って得たのだからそれをどうしようと自分の裁量の範囲だと言いますが、その主張が成立するかどうかは検証されません。こうして、知識を与えるか与えないかはその知識を与えても間違った使い方をしないかを基準にしていたはずが、対価を払うか払わないかが基準になってしまい、更には対価を受け取るか受け取らないかを決める事が出来るのだから教えるか教えないかは客観的な判断ではなく自身の主観で決めて良いと偏向し、自身に不都合なら知識がある事を隠す事で、そもそもが正当な手続きをさせなければ他者が自分に対して差を失くす行為を止めさせる事が出来ると考える様になります。隠す事が出来なくても対価を払えないようにすれば教えなくとも良くなり、差を作り出したまま利益を得る事が出来ると思う様にもなります。


こうして、行動として、目に見えるものとして、対価を払うか払わないかを基準としてしまい、その行動が正当性を持つ根拠が考慮されなくなり、その行動を見て錯覚し、対価さえ払えば手に入る、そして対価を払わなければ手に入らない、から自身の都合で与えなくとも良い、と考える様になり元の行為の根拠を失い、行動を基点として"Vの視点"で行為を見る様になります。"V"の下部が行動を表す点として、片側の線の端が元の行為の根拠を表す点、もう片側が錯覚して見た行為の根拠を表す点です。

結果として、元々の行為の表現としての、対価を払って知識を手に入れる、対価を貰って知識を与える、という行為から生まれる結果とは違う結果が生じるようになります。こうして、行動を基準とした事で、クロス、つまりは"Xの世界"に入り込み、本来のあるべき状況とは違う状況を作り出します。錯覚した"Vの視点"の端から始まり行動をした結果、その線の延長上は違う方向になり、本来あるべき結果との違いが"X"を形作る、という表現です。行動の使い方自体が変わり同じ行動をしていても似て非なる世界が実現されます。


対価を払えなくするのは簡単です。極普通にルールを守らず生活するだけで良く、集団行動し役割分担する為には集団の意思統一が必要になり、管理する人物が必要になります。集団行動のコストを払う為に集団からリソースを集め、それを自由にでも客観的に公正にでも扱う事で権力という概念が出来上がります。ある人物からは全体を把握して管理しようともリソースの限界でどうしても全ての情報を把握出来ずに偏りが生じます。偏りを生じさせると管理する人物の近くに居る方が、自身の情報が管理する人物が取得する情報に含まれる方が役割を与えられやすく利益を得やすくなり、公正に選別をしているつもりでも意図せずに、管理する人物の限定された客観的な情報で、個人の主観との違いが曖昧になりがちな情報で、選別し、そうして権力が生じます。

権力が生じると、そこに錯覚する者が現れます。世界において、自身を肯定して行動する為に必要な根拠を最も簡単に与えてくれるものは、"相手がしたから"です。それと同様な"皆やっている"も簡単に根拠を与えてくれるものです。良くわからなくとも皆がしているのだから自分もしても構わないだろうと考えて行動し、これがデファクトスタンダードの基本です。そして"相手がしたから"という根拠はその中でももっとも簡単に行動する根拠を与えてくれます。実際に"相手がした"事実は必要なく、自身が錯覚しさえすればそれで根拠として自身の中で成立し行動出来ます。"皆やっている"と言われる状況は、まだ自身が被害していない場合が多く、そこにまだ罪悪感が存在する場合は行動する事に躊躇しますが、"相手がしたから"では実際に影響を受けている状況になり、"相手がしたから自分も同じ様にする"という単純な根拠でかつ正当性を持って行動出来ます。殴られたら殴り返す、奪われたら奪い返す、という様なものです。そこに殴り返してよいかという判断はなく、相手と同じ様な行動をして奪い返してよいかという判断も必要ありません。

この場合も、公正に選別をしているつもりでも意図せずに管理する人物の限定された客観的な情報で選別する為に、周囲がその状況を見た際に、管理する人物の主観で、管理する人物の好き嫌いや利己益で選別している、と見る事も出来ます。錯覚した結果、容易く自身の欲望を満たす為に間違った行為をして利益を得る方法を実行する様になります。

そうするとその偏りを利用して利益を得ようとする者が現れ、管理する側は権力を私利私欲を満たす為に行使し、管理される側はそのおこぼれに与かろうとします。また、それを貨幣に置き換え数字にしグロスでかつ行動を実行する為に必要な情報だけを残す事で、自由な裁量を行う余地を作り、間違った行為を実行する事に拍車をかけます。行為を間違っても行動が同じなのでその結果でしか間違った行動をした事が立証出来ず、そしてより大きな枠組みに対して行う行動というものは問題から生じる影響がグロスしてしまい立証するのが難しく、そしてだからこそ曖昧にして無責任にやり過ごそうとします。


こうして偏りが生じるようになると富を持つ者と持たざる者の基準がルールを破るかどうかに変わり、誰もまともに行為しようとしなくなります。そして社会が荒れ、悪人がはびこると悪人は楽して利益が得られる為に、善人は悪人に利益を差し出すのは自虐的な為に、誰もまともに行動しなくなります。しかし管理する側の能力が低ければ、その事実に気づかず、対処をせずに手をこまねいて事態を悪化させます。


そして集めたリソースの恩恵を受ける者と受けない者という枠組みが生じ、富は偏在化し、その集団に属するか属さないかで持つ資産が変わり、属さない集団は対価を得る手段が無いか少ない為に対価を払う事が出来ずに、能力の有無にかかわらずに知識を得る事が出来ません。そうして、差を作り、ますます悪人がはびこるようになります。結果、一部の能力のある人物が作り上げた、システム、知識、技術は能力が低いはずの悪人に乗っ取られ、その能力のあった人物でさえ、自身の作り上げたシステム、知識、技術を悪用され差を作られて弱者の側に転落します。世界を見て分析し、多くの思考と組み合わせと試行を行い問題を解決するよりも、媚び、賄賂、暴力で同じものが得られるのです。これほど効率の良いものはありません。そして乗っ取った後に、作り上げられたシステム、知識、技術を使って今までをなぞる様に真似ていれば罰せられずに利益を得続ける事が出来、死のリスクから解放され安心出来ます。実際にそれで問題が解決しているかどうかは優先順位が低く、まず最初にあるのは利益を得る事が出来るかになっているという事です。

本来は問題を解決し、その結果から生じる利益を分配する形で自身の受け取る利益を確定するのですが、罰せられない様に行動する事で問題を解決せずとも利益を得る事が出来るために、快感原則に従い最も楽な方法を選択しようとします。それを選ばない理由がないからです。このように、私利私欲、利己益を基準に考える事で、行動を基点に本来あるべき行為とは違う行為を錯覚させ利益を得ようとするようになり、利益を得るために行動する根拠として表向きの行為を選択するようになります。目的と手段が逆になるという事です。

規制緩和もそのように使う事が出来、その分野で得られる利益が少なくなったから、あえて規制緩和して利益を得続けようとする、という展開になり、利己益を基準に考えている為に、自身とその周囲に利益が出さえすれば良いと考えて実行し、その大義名分として"経済活性化の為"と銘打ちます。結果として、適切もしくは最善ではない行動の実行により、問題は先送りされるか、それを実行する様に命令した者の周囲のみが利益を得て、一時的に好景気になりますが、目的が違う為に、本来の目的は達成されずに、利己益を求めた目的だけが達成されます。この様に、本来求められる目的とは違う目的を達成する為に、本来求められる目的を達成する為に行なわれる行動の一つを現在の状態から目的を達成するには不適切でも選択し、その行動を正当化する理由として本来求められる目的を大義名分として利用する、という手法が行われるようになります。


そして、悪人とはこういった状況において、その解決策を考えるのではなく、その状況からいかに利益を得るかだけを考え、どのようにすれば利益を得られるかだけを考える為に利益が得られる状況になれば事前に用意していた大義名分や取って付けた様な理由を持ち出して周囲を欺きます。本来ならその問題や状況がどのように発生したか原因を調べて解決策を見つけ出すのですが、発生した状況に対して行われた過去の事例を基にして、罰せられないようにしながらいかに利益を得るかを考え、気づかれるリスクと得られる利益を天秤にかけ、最も効率の良い方法を選択します。そうして本来の目的を達成出来ずとも罰せられない様にしながら利益だけは確保するという状況を作り出します。つまり、本来問題を解決する為に思考し、その結論を試行する段階において、利己益を得る為に思考し、その結論を試行し、その行動は混同出来るものを選び、行為は行動という形でしか見えず、心理も形に見えない為に違いを実行時に識別しづらい事を悪用して他者より優位に立とうとし、その違いは結果のみがその事実を証明する事になります。

そのため、実際には付け焼刃、その場しのぎと言われるものでも結果としては実績が生じる為に、成功した、一定の成果があった、とみなされ、その実、問題を先送り或いは未来に得るべきリソースの前借りすらも成功とみなす結果を導きます。

そして成果がなかった、求めるだけの成果がなかった、とされればそれが継続的に維持、発展可能な計画だとしても失敗とみなされ、求めるだけの成果が生じるその場しのぎの計画が優先される様になります。その場しのぎの計画が成果を出しやすいのは、本来あるべき計画に比べて制限が緩く、結果から生じる問題も考慮しない場合がほとんどだからです。本来あるべき計画はそういった事後の対処や実行時に生じる諸問題に対処する要素を組み込むために時間がかかりかつ成果としても低い実績になりますのでその場しのぎの計画に比べれば短期的な利益は低くなります。その違いを識別出来なければ常にその場しのぎの計画を実行し、また、他者に実行され、利己益を稼がれている事に気づけないままになるでしょう。


更に問題が解決されない為にまた対処する必要が生じ、同じ様に、目的と手段の成立が逆の方法が実行され、問題が深刻化しどうにもならなくなるか、他の要因により問題が解消されるか沈静化するまで繰り返され、出来る限り最大限の利益を上げる様に行動される事になります。


こうした理由により、私達は知識自体を間違った使い方をするかどうかだけではなく、知識の有無により生じる差自体を間違った使い方をしないかどうかも考慮する必要が出てきてしまい、より厳しい条件により選別しなければ正しい運用すら出来ないようになります。しかしそこにも錯覚が生じ、もしそういった間違いをしない者にのみ知識を与える事が出来る環境を作る事に成功しても『知識を与えないのは利己益を得るためだ』とその根拠を理解出来ない知性の低い者に暴動を起こされる結果になります。彼らには基準の根拠が分からない為に目に見える行動を自分達で理解出来る根拠で理解しようとします。そして止むなく知識を与えると、間違った使い方をして社会を混乱させ、それを批判すれば、利己益を得る為には何も間違っていない、と開き直り収拾がつかなくなります。そして批判されても行動する根拠は"あなたがたもしていたから"や"皆やっている"となり、自分から見た世界の主観で物事を語り客観性を得る事を放棄します。そこからデファクトスタンダード化して皆が同じ様に行動するようになります。そうなれば"皆やっている"から客観性を有している、と事後の結果で正当化します。

そして、対価を受け取る際に、元々は手数料、教育費などのコストであったものに、個人の裁量で利益を不当に上乗せするようになります。その価格が明示されずわかりづらく、そして知識を与えず隠して差別化する事で、より高い価値があるように思わせ利益を得るようになります。そこから更に劣化して、本来社会の中で活動する為に必要な教えるべき共通のルールでさえ対価を払わないと教えない様になります。これらは罰せられなければ、気づかれなければ、相手から追及されない為に行われる様になり、情報を与えずに取引をした後に相手に気づかれても証拠がない場合がほとんどなので追及されずに済むから行われます。


この様に悪人は社会にはびこり、能力のある者が作り上げた社会を占有して、悪事をなそうとする際に邪魔をする者を排除していきます。その様子を表現する際にもクローバーを例えにする事があります。『経済活性化の為』、『皆のため』と大義名分を前面に押し出し周囲を錯覚させ、その裏で利己益を得て他者より優位になろうとし、その結果による損害で徐々に他者を追い詰めて排除します。


これまでに言いましたように、快感原則と制限の無い競争原理により悪人であればある程有利になります。ルールを破ればその差で優位に立つ事が出来、社会を劣化させながらでも競争に勝ち生き残る事が出来ますが、善人はルールを破った結果がどのような予測のつかない事態になるか分からない事を要因として慣習による教えから、若しくはどうなるか分かっているからその結果からルールを守ろうとし、その差を悪用され競争に負け生き残れなくなります。こうして、表面上は"社会の為"、"経済活性化の為"、"皆の為"、"暮らしが良くなる"というもっともらしい綺麗な言葉で飾りながら、その実、利己益を貪り社会を潰しながら利益を上げる事を常態化させ、それに従わない、ルールを守る者達を排除します。排除した後に、その影響が表面化したならば、そこでまたルールを守ろうとします。既に目的である利益を得て生き残る事が出来ており、他者を排除して口減らしも終わっておりルールを破る理由がなくなるからです。

しかし、大抵において椅子取りゲームの様に、博打の様に、リソースを集めてそれを勝者が総取りという様な考えで行動する為に、実質的にそういったやり方でしか生き残れない状況を作り出した原因は解決されていない為に、総取りした利益による余裕がなくなるまでは平穏に生活出来ますが、やがて枯渇し、全体として少なくなった利益をまた、椅子取りゲームの様に、博打の様に集めて、総取りルールで競争します。

そもそもが、役割分担をする為に管理する人物が必要になり管理権限による権力が発生し、リソースを集めて予算として活動する事により利権が生じ、その恩恵に縋ろうとする者、その利権で利益を得ようとする者が集まり権力に寄生する事で、その特定の集団に客観的な根拠もなく互いの保身と利益の為に集められたリソースを優先的に分配し、不当にそれ以外の集団に相対的な損失を与えます。本来得るべきものを得られない側と本来得てはならないものを得た側に差が生じ、その差を用いて交渉を有利に進めて更に差を広げます。こうして特定の集団が力を強め、それ以外の集団が弱くなり排除されていきます。この遷移をクローバーの群生に例える事があるという事です。そのクローバーたちには競争原理の名の元に深く考えずに行動し、長期的視野での損失に気づけず、ルール違反を行う事で、他者より速く効率的に行動する事で差を作り出し競争に勝ちます。一方で長期的視野において損失になるからこそルールがありそれを遵守しようとする側はその制限により速さにおいても効率においても劣る事になり競争に負け排除されます。役割における行動自体は効率が良い様に見え社会に寄与している様にも見えますがその行動を含むシステムの状態に害を成している為に他者がその不都合を押し付けられる結果になります。


ではその利権の原因となる、管理する人物の持つ情報量の不足による偏りはどの様に解決出来るでしょうか。一番の解決策は時間です。管理する人物の周囲に居る者が利益を得やすい状況は情報収集能力の限界と役割分担における情報伝達の不徹底により生じます。ある場所において管理する人物が情報を集めているとして、そこから遠くに離れる程に情報を得るには時間がかかり遅延が発生します。また、管理する人物の居る場所が中心だとして、情報が僻地まで伝達されるにも時間がかかります。これは技術力不足から生じる問題です。また、全ての人員が一同に会して会議をして情報を共有し合うという方法は現実的ではなく、代表を立ててそのグループ毎の情報を持ち寄ります。末端の構成員が話し合いをし、情報を伝える為に代表を立て、その代表が集まり情報を伝える為に代表を立て、その繰り返しにより選出されたメンバーが管理する人物と情報を共有する、という形式になります。その際に、時間が限られる為に優先順位が決められ問題として発生しているが他の問題を優先した為に伝えられないものが生じます。また、その問題が発生して被害している人物もしくは集団が選出された代表と仲が悪い為に情報として伝えられない場合もあります。伝えられた情報に焦点を当てたとしても、その情報が中心にいる管理する人物に伝達されるまでに時間がかかります。

この時間が中心に位置する管理する人物にとっては情報収集の限界を与える大きな要因になり、過剰な情報量とは違う問題を生じさせます。問題が生じた時、その対処に時間がかかればかかった分だけ損失を拡大させる場合が多く、より早い決断が迫られます。そうなると末端にまで情報が行き渡る前に対策を施す必要が出てくるのがほとんどとなり、限定された情報の中で最善の方法を選択する事になり、管理する人物の周囲に居た方がより利益を出しやすい結果になります。この不平等を回避するには、例えば輪番制などが行われる場合があります。これはそうやって他者を出し抜こうとする人物を、同じ目的で集まった集団が互いを牽制してニーズが発生した時に誰がそれに対応して利益を得るかを予め決めておくものです。しかしその輪番制のメンバーに入れない側が生じた場合、ここにも不平等が発生します。この不平等には先ほど言いましたように、教えない事で知識を与えず資格を得させない事で排除する方法も含まれるために、単純に能力の有無や高低だけで済まされる話ではありません。しかし最初の状態である、近くに居るものが利益を得やすい状況からはまだ客観的な平等に近い状態になっています。

次に入札制にするかも知れません。しかしその場合も情報伝達の差により有利不利が生じ、そもそもが入札を知らなかったという事態になる可能性があります。しかしこれも表面上は以前より客観的な平等に近づいたと言えます。

最終的に理想である状態は発生した問題に対処する事で利益を得たい者すべてに同時に情報を発信するシステムを作り上げる事です。その中で対処する時間があり参加したい人物がその案件に入札もしくは依頼を受諾する方法がより客観的な平等を生み出します。情報の受け手が忙しい為に依頼を受ける事が出来ない状況は、発生する問題がいつ起こるか分からない為に不可抗力になります。緊急ではない場合は定刻に発信するというルールを用いる事で不平等を失くす事も出来ます。この方法により、情報伝達の途中で利害の不一致などにより情報伝達が遮断される恐れを防ぎ、発生した問題の状況に対応出来ると判断した者が依頼を受ける事で能力を競わせながら平等に依頼するシステムを作る事が出来ます。ただし、これが国家など自治体であるならばそれが独占や寡占にならない様に制限を設ける事になるでしょう。

しかしそれも一面的な解決策でしかありません。利益を得たい者すべてに同時に情報を発信すると定義してもそれを知るには本人からの申請が必要です。ならその事実を知らない様に、知識を与えない様にすれば申請しようもなく、参加出来ずに利益を得る機会を失い競争に負けます。そうなれば解決策を講じたのに悪人の手助けをしている様な結果になります。それならまだ輪番制の方がましだった可能性も状況によってはあり得るでしょう。

この様にある問題とはその一面的な解決策では解決出来ません。解決策を提示した結果、本来はそれをサポートするべき周囲に悪人が居ると欠点を利用され利益を得る為の機会に変えられます。解決しようと現状を分析して出した方法とその結果を見て、更に悪用する為の方法を考えるのです。そして解決策に自身が望むだけの利益を得る方法が無いと知ると、利益を得る為に解決策を支える根拠となる条件を崩しにかかります。すぐに崩す事が出来なくとも、虎視眈々と狙っていればいつか必ず機会は訪れます。新たな知識、新たな技術による環境の変化、新たな問題による対応策の変化、知性の低下による理解度不足による対応力、判断能力のの低下といった要因により崩す機会は必ず訪れます。火事場泥棒がいつか火事になるのを待っていれば火事は必ず起こり、その時に効率よく動けば気づかれる事なく利益を上げる事が出来るのと同じ事です。


結果を見て分析し対応策を考えると、その結果を見て分析し対応策を考えられ、そこに善悪の基準はなく、対応策に瑕疵があればその瑕疵を利用されます。悪人は悪人の望む形に、善人は善人の望む形に作り変えようとし、知性の高低によりその精度、そして実際に目的通りに出来ているかが変わります。知性が低ければ錯覚し錯覚させられ、自身の望む結果とは違う結果へと変えてしまいます。正しく認識出来ているかどうかが問題になり、判断能力が必要で、判断能力がない為に操られる結果になります。

チャレンジアンドレスポンスもその為にあえて推奨される事が多く、殊更にチャレンジアンドレスポンスを推奨するのは、深く考えさせずに行動させ、その行為の瑕疵を利用して利益を稼ぐためです。ですのでその対策として、状況を変える為に対策を取ろうとする時に、自らが行おうとする行為を分析して瑕疵がないかを確認しますが、その瑕疵とはその結果から生じる問題も含み、対処が出来ているかを確認する必要があります。確認出来なければその瑕疵を使い悪用されるだけの結果に終わるでしょう。

フィードバックの話で言いました様に、対策に対策を重ねて最終的にその瑕疵が誤差の範囲に収束させる事になりますが、それではいつまでも同じ事の繰り返しをする事になります。そこに知性はなくただ与えられた知識を使い受動的に対処しているだけのその場しのぎを行っているに過ぎず、その知識に瑕疵があると間違っている事に気づけない為に間違ったままの状況を作り出します。そして悪人とは、その誤差に収束するまでの状況で瑕疵を悪用して利益を稼ぐ事に焦点を当てて行動している為に、その状況を最大限伸ばそうとします。知性が低い為に、考えが足りない為に、その瑕疵を使って利益を得られる状況を作り出され、その対策をしてもその対策の瑕疵を利用され、またその対策をするがその対策の瑕疵を利用され、という方法を悪人に実行されます。

更に悪人は権力を持つとあえてそういった段階的に物事を解決する策を提示して、解決する振りをしながらその瑕疵を利用して利益を得、その稼ぎ方が問題になれば次の段階へと移行させる、という方法により利益を得ます。ただし問題が直ぐに解決できない為に段階を踏む場合もあり、その混同により利益を得ます。そして悪意なく実行した計画でも段階的に行うのであればその瑕疵を悪人が利用する事になり悪人程有利になり生き残ります。この様に経過措置は悪用される事が多く、その為に最大限の期限を設定される事が多くなります。先程の例えの通り、火事場泥棒に火事場で悪事を働くな、と言った所で火事場泥棒がその罪の重さを理解していなければ従う事もなく、最大限の効率を求め、そして火事の期間が最大限になるよう願います。本来は火事においては消火活動や避難誘導などを行い支援するのが社会の構成員として当たり前の事であっても、知性が低い為に、欲望に満たす事を優先する為にそれを理解する事はありません。罰せられないのだから行っても問題ない、"皆やっている"と正当化する理由を探すだけになります。

そういった被害を出さない為に考える必要があり、知性が必要になり、問題を解決する為に対応策を考えますが、その結果から生じる問題を事前に推測して、その対策を用意するか、そもそも問題を解決する為の方法が適切ではないと判断して別案を考えるかを行う事で、チャレンジアンドレスポンスの結果の繰り返しによる行為の一定範囲への収束と同じ効果を得る様にします。そうする事で無駄なリソースの浪費を抑え、悪事に利用される事を抑止出来ます。だからこそ悪人は"考えない"状況を作り出そうとします。その浪費こそが、悪人が利益を稼ぐ元であり、誰かの損失こそが悪人の利益につながるからです。本来正しい対応がされているならそこに利益を得る機会はなく、本来あるべき状況とそうではない状況の差から利益を得る方法であり、他者に損失を与える事で利益を得ています。自らがしっかり考えて準備が出来ていればそういった損失を出さないで済み、また、その周囲に居るのが悪人でなく善人であるなら間違いや瑕疵を指摘して正しい方向へと修正されて損失を出さずに済むか損失が少ない内に修正出来ます。


では"考えさせない"状況とはどうやって作り出されるか。それは制限のない競争と強制的に動かされる受動的な状況です。競争に打ち勝つ為には速さと効率が必要になり、考えているとその時間が遅れを生み効率を低下させ負ける事になります。ですから、さも正しいかの様に見え、短期的には利益を得るが長期的には損失を発生させるような行動を教え、実行させる事で利益を得る事が出来ます。

例えば利益が還元されない特定の集団からのコンサルタントの使用料は、そのコンサルタントの内容により一時的には利益が増える様に見えますが、コンサルタント側が得た利益が自らの属する集団に還元されるシステムになっていないなら一方的に収益され自らの属する集団の持つリソースが減少するだけになります。自らも増益、コンサルタントも増益、で互いにWIN-WINの関係と言えるように見せかけ、実の所、将来得るべき利益を先細りさせている可能性が生まれます。"社会の中では"という大きなグロスの枠組みでは問題ない様に見え、これはブラックボックス法の欠点ですが、その中の"誰が"その利益を得るかで結果が変わっており、あえてそれを判断しないで実行すればさも表面的には問題無い様に扱う事が出来ます。社会の中で派閥が作られる事がないなら能力を基準とした競争が行われますが、それを止める事が不可能なら必ずその派閥間で壁が作られる為にどこに属しているかで結果が変わります。なぜなら特定の集団は権力を持つ事で、自分達に有利に権力から生じる利権を得る事が出来ますがそれ以外の集団には同じ事は出来ません。特定の集団に属する事で安全を確保し富の偏在化させている状況において、それ以外の集団の利益にコンサルタントという形で介入して一部を収益とする事が出来れば更に富の偏在化は促進されます。派閥を作った場合にその中で流通する金銭が外部に流れる事により、その派閥は弱体化し、コンサルタントの居る派閥が強大化します。これを錯覚させるために殊更自由経済という言葉を前面に押し出し、その実、差を作る方法も行われます。

派閥の形成の仕方は地理的なものだけでなく、その分野、権力、場合により趣味などでも作られ、同じ地域に居ても異なる派閥を形成します。経済という一面を見てもその金銭の流通する経路は派閥によって別となり、それに気づかないで自由経済という名の元に競争が行われていると錯覚すれば自分の属さない派閥に自分の属する派閥のリソースを流出させる結果になります。そういった事を意識せずともうまくいく場合はありますが、それは単に自身が何も考えずとも誰かが考えて調整しているか奇跡的にバランスが取れている場合になり、自身から見て制御不能である事には変わりなく受動的であるとも言えます。同様に知識についても同じ状況が作られ、簡単な知識でも知識を有する者と有さない者が極間近に存在する状況になります。そうするとその差を用いて優位に立つ事が出来、そしてその結果を知るからこそ差を作り出そうとします。


知性が低い為にどうであれば自身の権利を守りながら他者の権利を尊重し社会を維持出来るかが分からない為に争わないと決めて始めたグループ内で自身の主観で差別し派閥を作り争う要因を生み出し競争を激化させ、競争を激化させた結果を利用して他者に譲歩を促し利益を得る様になります。

競争が激化した為に考える余裕はなく、考えたなら考えた分だけ他者に遅れを取る為に、効率良い定型パターンを実行する様になります。もしそこに瑕疵が、欠陥があったとすると瑕疵に気づかないままその効率良い方法を出来るだけ早く繰り返す結果になります。例えば利益10損失10の方法がありその損失に気づかないまま10回実行すれば利益100損失100になります。利益は分配しますが気づいていない損失は処理しないのでそのまま残ります。そして損失が蓄積して問題として表面化した時に初めて自身の失敗に気づく結果になります。考えない為に問題を未然に防ぐ事が出来ないようになります。誰かに教えられた方法がそのようなもので損失に気づかないまま利益だけを見て効率よく実行すればするほど、利益を分配される他者は利益のみを得て、その損失を押し付ける事が出来る様になります。

この時の例えとして、「他者を使い捨てフィルターにする」という表現も存在します。この方法は利益だけを得る事が出来、損失を被るリスクはない為に良く使われる手段となります。その機会を増やすには『教えない』事が一番効率良い方法になります。自身は他者から知識を与えられて知っている為に未然に防止するが、知らない者は未然に防止出来ずに実行して成果を出しますが、その利益だけを貰い損失は押し付けたままにする、というのが詐欺行為の常套手段になります。

表面的には合法であるため規制しづらく、また、自身は対価を払って手に入れたのだから教えないのが当然だ、と主張します。一見、正当な主張に見えますが、それが富の偏在化を生み出すシステムを運用しながら主張される事で矛盾を生み出します。対価を支払えない様にして、教えない事を正当化した状態で主張しても正当性は得られないのです。この様に、一見正しい主張に見えるがそれをつなぎ合わせると矛盾を発生させて正当性が失われる主張を、相手がその主張の瑕疵に気づけない為に、場合により自身も気づけない為に行い、結果として詐欺行為をする場合が良くあります。そのシステムが自身に利益をもたらすから肯定して、その欠点を押し付けられる相手に自身の利益になるシステムだから受け入れるのが当然だと強引に押し付けている事と変わりなく、例えるなら権力や武力で相手を制圧した後にその優位な立場で自分達に利益が出る様にルールを押し付け、それを受け入れろと相手を脅しているのと大差ありません。あえて酷い例えをするなら強盗が凶器を用いて被害者より優位に立った状況でその力関係を用いていいなりにしようとする事と大差ありません。

しかしそれぞれの主張は、あえて瑕疵がある様に作られる事もある法律で罰せられないものであり、合法とみなされ、大元の原因を正す事がなければ、罰せられないからして良いとみなされ実行されます。

『対価を払って手に入れたのだから対価を払わない相手に教えないのは当然だ』と主張したいのなら、対価を払えば手に入れる事が出来る状態を形成維持する為に自身は協力しているか、そして『対価を払えば手に入る』という定義において、対価を得る方法は不当に捻じ曲げられていないか、対価とは何か、と言う様に厳密に定義が必要になり、その定義が甘く曖昧であるからこそ自らの主張が正しい様に見え、その曖昧な部分、考えない部分に瑕疵を隠して主張しているだけになっていないかを自ら検証する必要があります。しかし大抵はそういった検証を行いません。自らは役割分担において与えられた役割を全うしているからそういった調整は他の人物の役割だと現実逃避して考えない様にするかそもそも与えられて当然だから従っていれば良いと錯覚しているのかのどちらかで、自身の矛盾に気づかない状態を作り出します。考えずにシステムに依存して従う事は効率的であり、楽な状態を作り出します。そして社会は誰かが作ってくれる、誰かがなんとかしてくれると他者依存して思考を放棄すれば、知識は高度になる必要もなく、知性も必要ありません。そして深く考えると効率的に利益を稼ぎ楽な生活をする事が出来なくなると薄々気づいている為にあえて考えない様に、問題から目を逸らして生きるようになり、出来る限りその期間が長く続く様に努力します。


それぞれの主張は正しい様に見えるがそれをつなぎ合わせると矛盾を生じているという状況の例えとして、「粘土細工の様に強引にひっつけている」、「うまく接合しないものを強引に溶接してつないでいる」、「ネジでむりやり組み合わせている」などがあります。そのどれも、本来は一つながりの整合性が必要な社会を構築する根拠を組木や一本の樹として例え、うまく組み合わせる事が出来ない為に先程挙げた例えの様な方法で強引につないで代用している、という意味であり、その差によりどこかに不都合が生じている事を暗に指します。それと同じ様に合法ではあるが詳細に追求すると矛盾を持つ主張をつなぎ合わせて行為行動の基準にしている者を比喩する表現です。個々の場面において罰せられない事を基準にして利益を追求すると、明文化、法律化されている部分のみを遵守しそれ以外のルールやモラルを切り捨てその時々で違う基準で行動する事になりますが、合法であり、制限を撤廃した事により効率的な為にデファクトスタンダード化します。明文化されているものはあえてその状況において特に守られるべきものを明文化しているのであってその根底にあるルールやモラルをないがしろにしてよい事にはなりませんが、同時に世界の全てを解明し分析し明文化していない状況においては明文化されていないものは何が明文化されていないのかを把握するのは難しく、共有の認識にする事も難しい為にないがしろにされます。言うなれば、『何が悪いのかしっかり説明してみろ』と反論されるのです。ここに問題点があります。


つまりは、その元々の主張をしている人物も世界の全てを分析解明したわけではないが、自身の主張を否定するには少なくとも自身の主張を含む環境、自身の主張の1つ上の次元での分析解明が必要である事を相手に求めているのです。自身は自身の都合の良い部分だけを分析解明し、罰せられない様だと判断しただけに過ぎず、自身では出来ない、更に難易度の高い問題を解く事を相手に要求し、相手が解明出来ないなら論破されていないから自分は正当性がある、と錯覚している様なものです。これは単純に言えば、m次元のマトリクスの組み合わせを検証する事と少なくともm+1次元のマトリクスを検証する事を同じ難しさだと言っているようなものです。


これには古い慣習が錯覚を与えており、その原型として、ルールやモラルを遵守して新たな行動をしようとする者が、何度も思考を繰り返しながら問題を考えてその結果がどの様に影響するかを考え抜いた末に問題はないと結論を出し行動を起こし、他者と論戦になるが他者はそれを論破出来ない為に、否定される事なく自由に行動する、というものがあり、その表面だけを見て、相手に否定されなければ、論破されなければ行動して良い、と錯覚する様になります。元々の原型では、論破されないという条件の前にその人物がルールやモラルを含めた条件を自身で推論した後に、目に見える行動をしていますが、錯覚した場合には、論破さえされなければ行動して良い、という安直な行為に変わってしまっており、それは表面には見えない為に、知性の低い者には気づく事も出来ずに、自身から見た世界の出来事で置き換えているのです。本来は推測される結果を含めた大きさで考えその中でルールやモラルに合致したものだけを選び出し、まだ生じていない結果を除いた大きさのm次元のマトリクスに該当する行為行動を行うのが基本であり、それを見てm次元のマトリクスだけを考えて相手側がその間違いを指摘出来なければ行動して良いわけではなく、そもそもが自身の行動であり、自身が責任を持たなくて良いはずがありません。ですからそのリスクを考慮した行動をする必要があります。このリスクを考慮出来ないで行動するものは、普段の習慣から誰かに許可を貰って行動する癖がついており、その様に行動すれば許可が貰えたからして良いと錯覚出来ているだけです。


話を戻し、制限のない競争と強制的に動かされる受動的な状況により"考えさせない"状況を作りだす方法では、競争による期限、経済的な理由により必要に迫られる切迫した状況、発生した問題に対応する為に生じた期限、などで時間的な余裕がない場合が多くなります。より切迫した状況で時間の余裕、時間的リソースがなければ緊急避難的措置のようなその場しのぎの対応が行われるでしょう。そうなれば、充分考慮されていない為に付け込む隙が多くなりがちで、瑕疵を悪用して利益を得る事が出来る様になります。逆にそういった状況に追い込みさえすれば緊急避難的措置でも許される状況を作り出す事が出来ます。

そのような状況を作り出す為に最も良く行われる方法は"対立"です。競争という枠組みだけでは、互いに高め合う競争もあり、また、相手を貶める事や相手を排除する事とは競争単体では全てがそうだとは言えません。ですから競争の中で更に限定して対立する状況を作り出す事で、切迫した状況、行動せざるを得ない状況を作り出し、限られた時間内で選択する事を押し付けます。

敵対する側が居る事で、負ける事は死のリスクを高める事だと意識させ『目的を達成する必要がある』という状況から『達成しなければならない』という受動的な状況に追い込み、達成しなければならず更に相手より先に達成しなければならないという状況が緊急危難的措置が許される認識を生み出します。達成出来ずに相手に先に達成されれば負ける事になり、相手側の情報は分からず『負けるかも知れない』という不安感が増すことで、多少の損失や瑕疵があっても実行する様になります。

対立する状況を作り出す事で相手に軽率な行動を促す事でそこに発生した瑕疵、いわゆる隙を悪用して利益を稼ぐ方法が常套手段になり、競争させる事で瑕疵のある、失敗しやすい行動を誘発させ、かつ、譲歩を促し、要求を受け入れざるを得ない様にします。瑕疵を悪用して利益を稼ぐ事で浪費させ、瑕疵を悪用されなくなるまで対策を繰り返させる事で浪費させ、また、瑕疵の事実や失敗という弱みを使って長い期間にわたって、譲歩という形でも搾取を行う事が出来ます。

また、強い立場にいれば当然ながらどちらを選ぶかで譲歩を促せます。つまり、強い立場に居る側が弱い立場の側を生死をかけた椅子取りゲームの様な状況に追い込めば合法的に恐喝する事が出来、故に利益を搾取する権力者に多用される方法です。雇用者、被雇用者の関係でも被雇用者の定員より多くの被雇用者を雇う事で競争させて譲歩を引き出す事が出来ますし、競争の中で相手に勝つために、深く考えない行動を実行させる事が出来、その瑕疵を利用する事が出来ます。こういった状況が合法的ではあるが不正に利益を稼ぐ事が出来る方法を生み出す為に欲望に負けた誰もが権力を得ようとします。

そして、対立している事にすればその配下にいる者の失敗を誘発する事や熟慮しない行動をさせる事が出来、ある程度都合良く操れるために、あえて対立を演じる事もあります。世界を二分し対立しているようにみせかけた上層部が、互いの利権の為に対立はするが、その実、対立する事によって生じるコスト部分に利益を見出す為に行われ、必要だとされる本来なら必要ではない軍事予算、相手側に勝つための本来の競争原理では必要のない投資などで浪費する形で利権を発生させ利益を得て富を偏在化させます。対立しており戦争に負ければ死ぬリスクもありまた不利な状況に陥る為にやむなく軍事予算の増強を受け入れるしかなく、その計画を実行する側は既定路線においてどうやれば利権に与かれるかをセオリー通りに実行して利益を得ます。権力に近い場所に居ない者は予算として税金を浪費され、自身への還元はほとんどないままに一方的に財産を流出させられます。そして対立が生む競争により資源は浪費され、資源が浪費される事は活動が活発化している事を表し、高回転する事で既得権益層にそれだけ早く利益が集中し富が偏在化します。いわばこの方法で利益を稼ぐ既得権益層がいる場合、末端から貧困が広がり経済は不況になり、戦争になる事は必然だと言えます。

私達は私達の不完全さから容易く間違い、それが原因で収拾がつかなくなり戦争へと発展させる場合もありますが、あえて利益を得る為に、欲望を満たす為に戦争に至る事が分かっている方法を選択する事に悪意があります。

権力の集中により発生した利権の悪用、利息などのシステムとは合致しない方法、バランスの取れない人口増加による役割不足などで、生死を賭けた椅子取りゲームに強制的に参加させられる状況になり、権力者の都合の良い様に操られないと生き残る事すら出来ない状況になります。ここでの重要点は、個人が個人でどれだけ努力して自身から間違いを発生させない様に完璧に行ったとしても、環境から崩されている為に影響を免れる事が出来ない点です。個人としての行動の正当性を得るのは、それを含む環境の正当性が必要だという事です。個人がどれだけ規則正しく生活しようともその周囲が怠惰であるがそれに関心を寄せずに生活した結果戦争に至ったとして、個人の行動が正しかったと言えず、自らが正しいと仮定した規則正しい生活が、実際に正しいと証明できる環境をまず作るという問題から焦点を逸らしていただけに過ぎない事に気づけるかどうかになります。勿論無駄にはなりませんが、自身の考えているだけの価値をそれを評価する他者は恐らく見出さないでしょう。

しかし同時に正常な社会を維持するための一要因としては認めるかも知れません。ですがそこにも悪意を潜ませる事が出来ます。そうしてある程度の評価がされるなら、規則正しい生活をしながら気づかれない様に悪事を行い、結果として社会が壊れた後に、"自分は悪くない"と主張して他者に原因があったのだと責任転嫁して平然と新しい社会に居座る可能性が生じます。


こうしてクローバーと例えられる悪人は、善人を生きる事が困難な状況に追い込んで排除し、悪人は数を増やし群生します。一度群生させてしまえば強制的に排除する以外に手がなくなり、暴動、クーデター、内乱などの物理的手段を講じる以外に方法がなくなります。善人は悪用せずに行動しますが悪人は悪用するのが常です。そこに制限の程度やルールを順守するなどの差があり、かつ悪人は曲解して物事を受け入れようとするので、どの様な正論も意味を成しません。その正論をはぐらかす為に、権力を行使し、それでも無理なら相手を排除するだけです。正論を受け入れると罪が確定し破滅するなら、『いけるところまでいってしまえ』と半ば自棄になり周囲を道連れに破滅する道を選びます。」


エールトヘンは締めくくる。


「この様に、一度権力を握らせてしまえば物理的手段で争う事になり社会は荒廃する事は確実になりますので、そうなる前にクローバーを見つけ出し排除する必要があります。その為にも知識を増やし識別能力を得る必要があります。さあ、今日も頑張りましょう。」


-->しかし栄養が偏る事で一部の栄養が不足する状態になれば病原菌に対抗するための栄養を確保する事が出来ず、病気になりやすくなります。植物も同様に、カリ成分が足りない状態では酸性化し、窒素を多量に摂取して成長は早いですが病弱になり病害虫に負け、生き残れなくなります。

<--「インスタントラーメンばっか食べてるとヒョロヒョロになるよ。」とか「もやしっ子になるよ」とかそんな事を言われる原因です。窒素(炭水化物)だけで急成長させたから病気になりやすいって事です。見た目は同じ、中身がスカスカ。まさしく現代社会です。


-->栄養のバランスが偏り、体が酸性化しやすくなります。実際に酸性化はしませんが、酸性化しないために体の栄養を使い一部の栄養が不足します。

<--牛乳の所と同じですが、酸性化を防ぐためにカルシウムが必要になり、骨が溶け出してバランスを取ります。


これは信用しないで欲しいですが、たんぱく質が腐敗してアミノ酸に分解され、そのアミノ酸が、という流れになるので、酸性化するという事は腐敗する状況に近づくと思っても良いかも知れません。


「プレミアムフライデー」なる妄想がありますが、これにひっかかってはいけません。確かに貨幣が動けば経済は活性化した様に見えます。がしかし、経済は回せば回す程に税や資本提供者や既得権益層の利益を生み出します。そしてそれらが平等に還元される事はありません。つまり、富の偏在化を促進し、それは不況により低下した特定の集団の利益維持に寄与します。だからこそ、さも経済の為に「金銭を流通させないといけない」という大義名分を用いて消費を促します。大多数の消費者が安易にその思想に賛同して消費した結果、既得権益層に利益を与えるが、既得権益層からその消費者達に還元がない。既得権益層は自分達に都合良く従う者の中で特に良く従う者にだけ得た利益を還元する事で影響力を強めます。結果として消費者側が特定の集団からの還元がない状態がほとんどとなり、一部の者だけが利益を確保し、その差を用いて更に譲歩を促し差を広げます。自由経済の名の元に、制限を失くした為に義務が必要なくなり権利を主張するだけになり、義務とは権利を維持する為に存在し義務を維持しない様になると権利を維持出来なくなります。すると権利を自身で守らなければならない状況になり、権力などを有する優位に立っている人物にその差を利用されて罠に嵌められ権利を気づかない内に譲るもしくは乗っ取られる事になり、更に苦しい状況に追いやられます。


「自由」とは、制限の無い心地よい解放感があるものだと良い印象を与えるものを映像や話などで見せられる事が多く錯覚させられがちですが、正しくは制限の無い状態であるとは「制限を与えて保護してくれる人物やシステムがない寄る辺無き不安定な状態」を指します。個人の強さがあればそれなりには立場を維持出来ますが、大抵の者には難しいです。なので、"今の権利を維持したままで"「制限の無い心地よい解放感がある」ものが「自由」だと錯覚させて、「制限を与えて保護してくれる人物やシステムがない寄る辺無き不安定な状態」を自ら望んで受け入れる様に錯覚させるのが詐欺の常套手段です。


-->誰かに教えられた方法がそのようなもので損失に気づかないまま利益だけを見て効率よく実行すればするほど、利益を分配される他者は利益のみを得て、その損失を押し付ける事が出来る様になります。

<--㈱チッソ、水俣病。ある視点から見れば、それが故にその暴挙は誰にも止められる事なく実行された、と言えます。恐らくその事実を知っていても利益になるから止めなかった人物は当然居るでしょう。現代社会の利益とはそうやって稼ぐものだという風潮がデファクトスタンダードの現状です。


-->普段の習慣から誰かに許可を貰って行動する癖がついており、その様に行動すれば許可が貰えたからして良いと錯覚出来ているだけです。

<--酷い例えになりますが、パパやママに話して許可を貰って行動する癖がついていて、自立したつもり、成人したつもりでも同じ習性を繰り返している、と言えます。誰かに話して間違いがないなら"しても怒られない"という基準になっており、自身でその結果に責任が持てるように充分考えたわけではない、という事です。


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