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S081 終末救世主伝説ホウトのケン

現代版ならこんな感じでしょうか。

パロディにしたかったんですが後半につなげる為にこうなりました。


照り付ける太陽が容赦なく日の下で働く者をジリジリと焼き、吹きすさぶ風は砂ぼこりを舞い上げまるで煽るかのように顔や体に叩きつける。舞った埃は空気を燻ぶらせそこに生きる者達の先行きを表しているかのようだった。誰もが見通しの立たない暮らしに疲れ、だが捨ててしまう事も出来ずに空を見上げる事さえ忘れて日々を過ごしていた。


「ヒャッハー!お前の物は俺の物なんだよー!」


「ヒィッ。こ、これだけは、|種籾[たねもみ]だけはどうか、どうか。」


「ケチくせぇこと言ってんじゃねぇ!さっさと寄越せやゴラァ!」


そう言って男は目の前の初老の男性を蹴り倒した。躊躇いなく奪うその男は七三分けの髪とメガネ、スーツといった容姿で、前のボタンを外しネクタイも緩めたかなりリラックスした状態だった。一方で蹴り倒された初老の男性は筋骨隆々で髪も短く多少の事ではビクともしない頑丈さを持っているように見えた。

そんな両者を分けたのは力。そう、力なのだ。

力無き弱者は暴力に屈し全てを奪われる世界。世界は既に終末を迎えようとしていた。


初老の男性からもぎ取った種籾を袋から取り出しヒィ、フゥ、ミィと顔の緩みが止まらない男性はその小さい粒を先ほどの初老の男性相手に見せた荒々しさとは全くかけ離れた丁寧さで数え上げる。


「ヘヘッ。ちゃんと持ってんじゃねぇか。」


数えた種籾を大事そうに袋に戻しながら男は縋ってくる男性を突き放しながら言う。


「世の中、強ぇモンが勝つんだ。世の中、|理論武装[チカラ]だよ、チカラ!」


「でも、それを、|原資[それ]を持っていかれたらもうどうしようもなくなる!」


「ああーーーん?そんなこたぁ、知った事じゃねぇんだよ!契約は契約だ!売れるモンは売れるだけ売って足りない分補充してもらうぜー?この種籾もきっちり買い手を探してやるよ。適正価格でな!もっとも、すぐに買い手がつくような値段にしないとなぁ?」


「そんな!?捨て値で売るなんてしたら何の足しにもならない!か、返してください!」


「うるせぇ!法こそが正義なんだよ!なんだぁ?お上に逆らうのかぁーー?逆らっちゃうのかぁ?駄目だなー、ダメな奴だなぁ?契約違反は法律で罰せられるよぉー?ほら、ほらね?ここにあんたの名前がちゃあぁんとあぁるだろぉおう?分かったらいつまでもベタベタ触ってんじゃねぇよ!」


なおも縋る男性を足蹴にするも初老の男性も退くわけにはいかないのか縋り付いこうとする。周囲の人間は誰もそれを止めようともせずに、ただ目を逸らしているだけだった。


その時、風が吹き抜けた。


その男は爽やかな風と共に現れ、いや、恐らく爽やかに感じたのは男が付ける香水がそう感じさせたのかもしれない。男は短髪でスーツ姿だがネクタイもしっかり締め服装も乱れておらず、何が嬉しいのか笑みを浮かべながらネクタイを締めなおし悠々と歩いていく。何よりその眼にやる気が満ちていた。周りの者がその匂いに惹かれ顔を向けるが男は周りの目を気にするでもなく今もなお縋り付く初老の男性を引き剥がそうとするメガネの男へと向かっていった。

メガネの男は縋り付く相手を引き剥がすのに必死でそれに気づかず、突如として現れた男が背後に立っても分からず、そして男がメガネの男に声を掛ける。


「|理論武装[チカラ]こそ全てだ、そう言ったか?」


その声にメガネの男が振り返りながらこう言った?


「ああーん?なんだてめぇは?今取り込み中なんだからよぉ、ちょっと待ってろや。」


首だけ後ろを向いたメガネの男の歪んだ顔を見ながら短髪の男は突然メガネの男の顔に向かって拳を突き出した。いや、その手には何かが指でつままれていた。


「わたくし、こういう者です。」


いきなり目の前に拳を出されたメガネの男は驚いたが拳は寸止めで顔の前で止まり、視界一杯に広がった紙に視線が集中した。それは名刺だった。


「てめえ、弁護士だとぉ?」


メガネの男は縋り付く初老の男の事など無視してその名刺を手に取り確かめる。確かに弁護士と書いてある。しかもこの地方のではなく、それはつまり、彼のボスの権力の届かない相手だという事だ。縋る男を引きずりながらも向きを変え短髪の男を訝し気に見て言う。


「その弁護士様が何の用だ?俺はアンタを知らないんだが。」


その言葉に短髪の男が返答する。


「あなたが知らなくても私には用がある。その男を離しなさい。」


掴まれているのは俺なんだがな、とメガネの男は思いながらとりあえず腰にまとわりつく初老の男性に離れる様頼み、そして初老の男性も状況が良く飲み込めないからか何が起こったか分からないまま瞬きしながら一旦離れた。

周囲の見守る中、短髪の男性は話し始める。


「いいですか?まず不当に相手から奪い取る行為は許されておりません。そしてあなたは奪われた物を取り返そうとしたその方に暴力を振るった。例え契約上の対価や担保を要求する場合でもその様な事は許されておりません。そして差し押さえなら法的な手続きが必要です。その様に私的に執行して良いものではありません。そもそも法的に許されているのかすら怪しいものです。期限は?担保権は?優先権はどうなんです?さあ、その袋を返しなさい。まずはそれからです。」


短髪の男の台詞にメガネの男はたじろいだ。その捲し立てる勢いも然ることながら彼は取り立ててこいと言われただけで少しは法も知っているが詳しくなど知らなかった。彼に出来る事はおべっかとヨイショ、そしてイエスマンだけだった。いや、まだ一つあった。彼は弱者に対しては強気になれるのだ。日頃のヨイショの鬱憤をここぞとばかりに吐き出せる能力があった。しかしどの能力も目の前の短髪の男には通じそうもない事はその雰囲気から感じ取れた。こいつは強い、そう感じさせる何かがあった。


(ボス、ボスに知らせなければ・・・)


メガネの男はそう思い、袋を初老の男性に押し付けながら逃げて行き、後に残るのは短髪の男と初老の男性だけだった。初老の男性は何が起こったのか良く分かっていないながらもどうやら種籾は守れたと安堵の息を漏らし、周りの者もどうやら無事に済んだらしいので笑顔を浮かべいつものに日常に戻った。

突然の不作で契約が履行出来なくなって途方に暮れていた初老の男は突然に現れた目の前の男をまるで救世主を見るような目で眺める。すると短髪の男が初老の男性に目を向け話しかける。


「さあ、これでひとまず落ち着いた。私はこういうものです。」


そう言って短髪の男は名刺を差し出した。初老の男性がその名刺を見るとそこには『法斗法律事務所 弁護士 法斗健一郎』と書かれており、初老の男性は各地で悪者を退治している弁護士の噂を思い出した。『この男が?まさか、そんな』といくら何でもそんな都合の良い話などあるはずはないと考えるもそうであれば良いと思わずにはいられなかった。

初老の男性が名刺から目を離し短髪の男、健一郎の顔を見ると健一郎は微笑みを返しながら話し出す。


「災難でしたね。とりあえず私に話してみませんか?今は何かと都合がつかないかも知れないが、報酬を払うのは全て片付いてから払える時で良いから私に任せる気はないですか?あいつらの好きな様にはさせませんよ。」



メガネの男は急いで部屋の扉を開けた。


「ご、御区長!ウィガル御区長!大変だ!」


「区長に『ご』を付けるんじゃねぇ!バカみてぇじゃねぇか!」


「へい、スイマセン。それより変な奴が現れて俺らのする事邪魔しやがるんです。そいつがこんなものを突き付けてきました。」


そう言ってメガネの男が名刺を差し出す。その差し出された名刺をウィガルは顎をさすりながら見る。


「ほう、お前もようやく名刺を持つ気になったか・・・。ん?なんだ御大層な名刺じゃねぇか。法律事務所?お前いつ法律事務所なんて作ったんだ?それに言葉遣いもいい加減直せ。ここを乗っ取ってから何年になると思ってるんだ。」


「いや、そうじゃなく、御区長!これを持ってた男が俺らの仕事の邪魔をしやがるんで。」


「だから言ってんだろう!何でも『御』をつけりゃ敬語になるなんて思ってんじゃねぇ!」


「ヘイ、スイマセン。ですが|頭[かしら]・・・」


「|頭[かしら]って呼ぶんじゃねぇ!何度言わせりゃ気が済むんだよ!言い直せ!」


「ヘイ、スイマセン。ですが御頭・・・」


「舐めてんのか!てめえ!なんでそっちで言い直すんだよ!お前はいつもいつも・・・」


そう言ってウィガルとメガネの男が口論をしている所に、近くで話を聞いていた男が割って入る。


「こいつ、あれだ。噂になっている奴だ。群斗のシンを負かした奴だ。なんでも手酷い敗北をした後に舞い戻ってきて完全勝利したとか言われている奴です。」


「なに?あの郡斗のシンをか?チキショウ、そんな奴がなぜウチのシマに・・・。いや・・・、これはチャンスか?そいつをやっちまえば俺らの名にも箔がつくってもんだ。」


「さすが頭!」


「だからそう呼ぶんじゃねぇ!」


「さすがお「だからそう呼ぶんじゃねぇって言ってんだろうが!。キリがねぇ!」」


そう言ってウィガルは目の前のメガネの男を怒鳴った後に、後ろに居る男に声を掛ける。


「出番だぜ。あんたのお仲間をやった奴だ。盛大に叩き潰してくれるのを期待してるぜ。群斗法律事務所のレイさんよ。大手の意地って奴を見せてくれよ。あんた確か妹の治療費が必要なんだよな?成功報酬は色をつけるぜ?なんなら俺の女にしてやっても良い!」


そう言ってウィガルはハハハッ、と笑いだし、レイと呼ばれた男は一言「着手金は用意しておけ」とだけ言い残して立ち去った。




「というような事は起きるのじゃろうか?」


「なるほど。なぜか次回に続く形式でお話されていますが救世主についてのお話ですか。興味深くはあります。ですがお嬢様が聞きたい部分は救世主でしょうか、勧善懲悪でしょうか、」


「えー、救世主だったんじゃが両方かの。スポ根ものは好きじゃし。」


スポ根が分からなかったエールトヘンの為にローレンシアが説明した後、エールトヘンは話し出した。


「救世主という存在は、いつか現れるが特定の人物ではない事をまず知る必要があります。例えば救世主の子孫が救世主になるかと言えばそうではありません。それは一流のスポーツ選手の子が必ずしも一流のスポーツ選手になるかどうかは分からないのと同じ事です。素質はその要素かも知れませんが大成する為にはその他の要素が必要になります。最も、素晴らしい素質があればその分大成しやすいでしょうから、素質と環境を足した総合値が基準に達するかどうかと考えた方が良いかも知れません。

どのような者も環境が悪ければその影響は避けられず、それでも基準に届こうとすれば努力が必要になります。しかし全て努力でどうにかなるかと言えばそうではありません。牛と単純な力で荷物の引っ張り合いをして努力で勝てるかと言えば元々のスペックが違うから難しいでしょう。太陽に手を届かせようとジャンプした所で、努力しても届かないでしょう。息を止めたままで一日過ごせるかどうかを試したとして、努力してもまず成功しないでしょう。成功するにはまずその行おうとしている事に成功する可能性があるかを知る必要があります。


救世主、言葉にすれば何とも頼もしい存在で、誰もがその存在に頼ろうとします。ですがその考えが救世主の出現を阻害します。なぜなら誰もが誰かに依存しようとする状況では誰も世の中を改善しようとはしないからです。

例えば、かつて救世主が出現した時に1億人に1人だったとしましょう。すると1億分の1の確率で出現すると考えたとします。そして、1億分の1の確率で出現するのだから待っていれば必ず救世主が出現して救ってくれる、と考える様になると救世主は出現しません。その情報を得て行動を変える事により、状況が、環境が変化して、1億分の1で出現すると想定された環境とは違う状況になるからです。

統計というものの錯覚がそこには存在します。統計に使った情報というものは要点を抽出する事と同じです。その他の情報は記載されません。その情報にも関連する要素が存在していた場合、情報自体は不確定な情報になりますがその識別が出来ない限りは情報そのものが正しい、と認識してしまいます。正しくは、間違っているか良く分からないが正しいのだろう、という考えで運用してしまいます。

つまり、自身はその良く分からない救世主の出現というものも、自身には何の関係もなく行われ、待っていれば必ず起こり、自身も一緒に救ってくれる、と夢を見るようになります。しかしです。自身も社会や世界に属し、救世主もまた社会や世界に属します。関係がない事はありません。そう思えるのは、知識としてかつての結果を、事例を見るからです。そこに表面的な展開だけが述べられた記録があるからです。ある所に救世主が現れ、そして行動し、私達が救われた、という記録だけが残るからです。それを見た者はどこかに勝手に救世主が誕生して自分達を救ってくれる、という夢を見る事が出来ます。

そうして、皆、|行動[play]する事なく|祈る[pray]ばかりするようになり、形だけで救世主を待ち望むようになります。社会とは皆が担う者であり、それを忘れて祈るだけになるなら、誰かに負担を押し付ける事になり、祈るだけで救われたい者が居れば居る程に、その怠慢により蓄積した負担は誰かに押し付けられ、その負担を担わない限り状況は変えられない事になります。問題はそれが目に見えない負担であり、その達成すべき総量も社会全体を俯瞰して統計を取らない限りは分からない事です。つまり、個人だけでは個人の負担量は分からずそしてそれが必要かどうかもさえ分からない為に、考えない者、知性の低い者、そしてそういった者達に多い弱者と呼ばれる貧困層にはその必要性が分からない事が多く、ルールや規則として与えられても、個人がどれだけ遵守しても全体が遵守しない為に効果がない事から遵守しなくなり、1人、また1人と遵守しなくなり、その度に遵守する側の1人当たりの負担量は増し、そしてその増加により負担しきれなくなり、また1人、また1人と遵守しなくなり、やがてルールを守る者は居なくなります。そうなると状況を改善出来ず、ただ祈るだけになるでしょう。誰かこの状況を変えてください、と言う様に。こうして祈るだけの状況というデファクトスタンダードが作られます。

その状況では誰も本来あるべき行動をしていないので元の状態に戻すためのエネルギーは多く必要になり、それを与えられる存在というものはまず現れないでしょう。これは考えない為に起こる状況であり、獣が自身が努力しなくとも美味しい餌を食べた事が忘れられないか、もしくはそうなった他の獣を見て自分も同じ状況にならないかと終始考えている状況と同じになり、そうしながら日々の生活を状況に対して受動的に行動するだけになります。誰かが救ってくれるのなら自身は現状を維持しているだけで良く保身的に行動している事が最も効率良くなり、誰かの失敗で一緒に破滅する事を防ぐために他者とのつながりも連携も効率を落とす場合が多い為に切り捨てます。破滅しないままならその内誰かが救ってくれるだろうという考えで行動し、状態を悪化させるがそれに気づかないまま待ち続ける為に救世主は現れません。現れる土壌がないからです。

しかしそのような行動を取るのは日々の習性ともいえる場合が多かったりもします。自身が保身的な行動を取っている間に状況が変わり、問題の方が先になくなってくれる場合があり、そうして生き残った者はその方法に頼りがちになります。


それはあたかも草食動物が肉食動物から逃れる状況に似ています。群れを成す草食動物は肉食動物から逃れる際に状況により、最も弱った個体を生贄として残す形で逃れる事で肉食動物の脅威から逃れます。しかし時折その肉食動物が何かの原因で死ぬなりして居なくなる事で危機を脱する事がありそれと似ています。

また、台風などの自然災害に対して家で雨露を避けて通り過ぎるのと似ています。

前者の例えでは肉食動物に食べられる数と産まれる数との均衡が取れればその環境そのものについては維持出来ており変わりがないとは言えますがそこに生きる草食動物にとっては日々が命がけの生き残りになり、当事者かどうかでその状態に対する見方が変わります。そこにいる草食動物から見れば環境が維持されていると言われても何の助けにもなりません。このような状態は草食動物が肉食動物に生殺与奪の権利を握られているとも言えます。

台風などもそれが今までの様に凌いで無事に済めば良いのですが、台風の規模により同じとはいきません。その状況が受動的な立場である事には変わりません。


ではそれらの状況は本来あるべき姿からはどのように見えるかと言えば、何も努力せずただ待っていれば誰かが何とかしてくれる、と考えている様に見えます。そして変えられない現状をどうにか変えたいと思うがその為の損失を自身は払いたくない為に、そして自身の力では変えられないという無力感が、せめて少しは足しになるかもという気持ちを抱かせて祈るだけの状況を作り上げます。そしてその代償行為で危機感や不安感を原因とする問題を打開するための欲求は満たされますが、一時的なものであり、そして問題を解決する為には役に立っていないので問題は再発し、そしてまた祈りを捧げるという状況に陥ります。そしてその行動を見た者がそうして祈りを捧げていればいつかきっと、神様が、神様の使いとしての誰かが何とかしてくれる、と思う様になり、皆がそうして祈るようになればそれだけ問題を解決しようとする者が減ったために、増々問題は解決出来なくなっていきます。


祈る事の原型とは何でしょうか。祈りとは偶像に捧げられるものではなく、神に、知識に、捧げられるものでした。普段の生活において神を、知識を想い、その実現に、その恩恵に縋るにはどうすれば良いかを考えるものでした。

自由が欲しい?ならその自由はどうやれば実現出来る?平等が欲しい?ならその平等はどうやれば実現出来る?平和が欲しい?ならその平和はどうやれば実現出来る?

そう考えるのが祈りであり、その祈りから行為行動が生まれそれは実現されていき、社会を良くしていくのが常でした。しかし、それも変化してしまいます。誰かがそうやって実現した時に、その結果を見ていた者にとっては自身が祈っている間に誰かが実現させてしまい、自身は祈るだけで何もしないでも実現してしまう結果を得てしまいます。そこから祈りというものは劣化して変化しました。自身が変えたい、変えたいと思っていた事を実現する者が現れ、それは自身が祈った事で神様が遣わしてくれた存在なのだ、と思う様になります。そして実現した者の行動と結果は語り継がれ、それを聞いた者は同じように夢見るようになります。祈りを捧げていればいつか必ず神様が、神様の遣いが救ってくれる、現状を変えてくれる、そう思う様になります。自身が簡単には解決出来ない問題を他者に解決してもらおうと依存する様になります。

そして祈りというものが他者を宛てにして行われるようになり、その対象が必要な為に偶像が作られます。偶像に縋りつく事で、かつてあったリザルトセットの中の一つの結果である、自身が祈りを捧げるといつか必ずどこかから救いの主が現れる、と考えるようになり、そしてそれ以外に希望が見いだせない為に"そうでなければならない"とまで思い込みます。それ以外の方法では自身は救われないからです。

こうして祈りの焦点がずれる事により、祈る者は自身の行動が自身を祈る問題の解決に役に立たない事も分からないままに祈り、その祈るというロスにより自身の状況を解決できない状況へと陥らせます。


つまり祈りとは本来、意識付けの為のものです。対象とした概念、事案を忘れずに意識の片隅に留め、生活をする中で考え、そのヒントがないかを探り、調べ、そしてその経験をフィードバックして行動を改め実現の為の原動力にする、というものが祈りという行為であり、祈りという行動です。偶像崇拝という他者に依存する為の代償行為は、その目的がすり替わっている為に表面上は同じ行為に見えますが似て非なる行為となり、行動のみが同じでしかなくだからこそその表面だけを見る者にはその違いが分からない結果になります。ですから偶像崇拝は禁止されるのです。


例えば、神の偶像がメッセージを伝える窓口だったとしましょう。各地にあり、信者の声を集めて、より良い生活を実現するための意見集約用の装置だったとします。ご意見箱と言った方が分かりやすいかも知れません。そこに陳情を書き込み投函すれば読んでもらえ、場合により解決してくれるかも知れない、というものです。

では、それを集約して優先順位をつけて実行しようとしたとしましょう。しかしそれを投函して意見を述べた者はただ投函して意見を述べれば"誰かが"してくれると思っているなら実現しません。自身はただそれだけで実現すると思い込んで怠慢をしている者の意見、つまりは甘い幻想を見る者の意見など聞く必要もないからです。それが有用なものなら多少は取り入れるでしょうが、単に救ってほしいだけだや、自身の生活向上したい為だけの個人を優先した意見などを聞いた所で新たに問題を発生させるだけになります。救ってほしいだけの者の意見を聞いて救えばその者は調子に乗って更に怠慢になるでしょう。自身の生活向上したいだけの意見を聞いて実行するにはそれが他者の権利や利益を侵害していないかを知る必要があり、大抵において実行は不可能でしょう。そのような意見には考慮されていない部分がその甘えから多々あるでしょうから、詳細に吟味すれば誰かに損失を押し付けて実行する以外にない場合がほとんどになります。そのような者を実現すれば誰もが縋り付く様に祈って利益を求め実際には行動しなくなるでしょう。そうなれば、もはや祈りとは呼べず、そしてすでに代償行為としての祈りでもなく、単に利益を貪りたいだけにかつての祈りを真似るだけになります。

これは選挙にも例える事が出来ます。自身では叶えられない希望を実現する為に実現してくれそうな人物に託すという意味では同じです。勿論、その場合本来あるべき行動は、自身が立候補する、です。しかし保身から行う事もなく、自身は"今まで通りに"生活しながら誰かに託す事で実現出来る夢を見て、立候補者という偶像を崇拝する事で代償行為を行います。そして本来考えるべき事を考えないようになります。

このように、自身の掲げる希望や願いを実現する為に本来あるべき行動を集めた基準から相対的に見て自身の行動が自身の願いの実現を阻害している状況が作られますが、誰も教えてくれない為に気づけずそのままでいようと続けます。既に考える事を放棄している為に、考えない為に気づけないのです。


さて、その様な状況で救世主は現れるでしょうか。まず、1億分の1だとして、その中に先ほどの様な祈りという行動を形だけを真似る者が存在するためにその確率の母集団から除外します。そうして形として祈りだけの者が増える程に母集団は小さくなり、発生する確率自体は、元々の条件を示す状態からは同じ確率ですが、その条件を適用できる母集団が小さくなり、それ以外の集団が大きくなることで、全体の規模から見れば確率は低下します。可能性のない者をその母集団に入れる事はあり得ません。

そうして、祈るだけの者が、本来あるべき行動から比べるとはるかに楽な方法で代わりになると錯覚した者が増えていき、救世主が現れる確率は低下し続けます。


救世主とは何か。それは祈りを実現しようと行動し、日々努力を重ねた者でしかありません。その願いが大きければ大きい程に実現性は難しくなります。さて、例えば救世主の素養を持つ者が現れたとしましょう。しかし、その周囲が形だけの祈りをして他者に依存しているだけの集団だとした場合、彼は救世主になれるでしょうか。救世主として大成するには能力も経験も必要でしょう。しかし周囲は彼にそれを与えられるでしょうか。ただ形だけの祈りをして問題から目を背け何もせず保身と利己益だけに終始する者は救世主になろうとする者を助ける事もなく保身と利己益を繰り返し、救世主となるべき存在を妨害する結果になるでしょう。高い理想の実現には制限が多く、制限があるために非効率になりがちで、競争原理で不利になり、勝つためには高い能力が求められます。しかし、そのように目を逸らして生活する集団が高いモラルやマナーを持っていることなどほぼあり得ず、大人になっていても子供相手だろうと競争して勝ち利益を出そうとするでしょう。そして、やがて高い能力を持つ素養があったとしても未成熟の段階で負かされてその願いを実現出来なくなります。"早いうちに芽を潰す"という例えが適切かも知れません。このように、母集団の減少だけでなく、その状態が劣化している為に更に救世主の出現は困難になります。

では救世主はもう出現しないのか。いつかは必ず出現するでしょう。それはそこに居る集団がもう救世主などは夢物語で訪れやしない、と思う様になってからです。形だけの祈りを、効果のあるものだと妄信し縋るような事を止め、自分の手で自分の生活を向上させようと行動し始める事で、保身や利己益を優先しているだけではどうにもならず、モラルやマナーが必要だと再認識して行動を変え始めるようになって初めて可能性が生まれます。保身や利己益の為に他者を切り捨てるといった行動が、実際には集団行動を選んだ時にタブーとされる行動を含んでいる事を知り、他者を錯覚させ騙してでも利益を得ていた行動が、生き残るためにお互いが協力する為にはタブーである事を再認識し、生き残るために集団を成すという事がどういった事なのかを再認識をした後に、可能性が生まれます。

作るより壊す方が簡単で、エネルギーは高い所から低い所に落ち、その落差で利益を得る、それが最も簡単な利益の出し方です。しかしそうやって利益を得た後に残った状態は以前と違い、劣化したと言える状態です。その状態で得られる利益は劣化前とは違います。その状況で生きて行けるかどうかという問題になり、大抵はその差により苦しみ、以前の状態に戻そうとするでしょう。では元に戻すだけのエネルギーはどこから得られるでしょうか。外部から?どうやって?なら内部から?どうやって?という考えになり、安易に考えれば戦争、つまり争いを選択し、自分と属する集団の外から奪ってくる事を選びます。しかし、その選択の結果としてお互いに損耗し合い環境を劣化させてきた結果の後にその選択はもう出来ません。そうなれば富国内産などと言われるような状況を作り上げる必要があります。

環境の劣化により収益が減少し予算がない状態で、元に戻すエネルギーを取り戻すには、微差を積み重ねるような努力が必要になります。互いに苦労し、しかし、お互いに騙し合う事なく、互いを心の底から信用出来なくとも、他者の隙を伺って貶めて利益を上げるような真似をせず、最低限のルールやマナーを守りながら、少しずつ、少しずつ改善していく事になります。もし相手を騙したり隙を伺って襲い掛かるような事をすれば、誰も改善するための余裕など持てず、互いに牽制し合うだけになり状況は改善されずこれまで通りに苦しい状態を続ける事になります。その最低限が分かるまで状態は改善しません。その集団にいる構成員のほとんどがそうなるまで状態は改善しません。仮に改善しはじめても、そこに元の苦しい状態との差があり、その差から利益を得られると思った者がモラルやルールなどを無視しまた劣化させて利益へと変換しようとするからです。


そうして、行動がかつての祈りを捧げてきた者達と同じではありませんが、それに少しは近づいてきた状況になり、誰かに頼る事なく自分達で行動する様になってから救世主の出現の可能性は出来ます。その中でこの苦しい現実を変えたい、と願った者が祈り、その人生において佳克したい問題に終始取り組み、常日頃から考え、行動しその結果をフィードバックして更に考える事で願いを実現する可能性を高めます。そしてその周囲も誰かに頼るわけではないが、その個人に頼るでもなく自身は行動しながら支援する事で行動を後押しし可能性を高めます。そうして失敗を繰り返しながら経験を集団の中に蓄積し、その経験を持った構成員の元、新たに願った者を支援する事を繰り返し精度を高め能力を高め合いながらようやく救世主としての可能性が芽吹きます。そして更に|篩[ふるい]に掛けられるように失敗した者が除外され数が少なくなりますがやがて基準に達した者がそれを支える者の協力もあり救世主として世界を救う、というものがその流れになります。そこに形だけの祈りをしている者の寄与などありません。


ではなぜ形だけの祈りで済むと思ったのか、となります。それは単にこれまで説明してきた状況が局所的にも発生し救世主が自分の知らない所で出現したからでしかありません。だからその者にとっては、良く分からないがいつか必ず救世主は出現し自分を救ってくれると妄信するのです。


さて、救世主の存在を危惧する立場が存在します。救世主を望む状況を生み出した権力者です。彼らにとっては救世主は自分達の既得権益を奪う存在でしかありません。そして彼らの罪を突き付ける存在であり、受け入れれば罰せられ、そしてその罪の重さは彼ら自身が分かっているから受け入れられない、という状況になります。

では彼らはどうするか、救世主を生み出す可能性のある状況を排除します。簡単にはそういった素養を示したり、活動をする人物を排除します。やがてそれは社会の仕組みを変える事でそういった排除と同じ事が出来ると経験上知ることで方法が変化します。

救世主を生み出す環境を作り出すには考える必要があり、また、環境を改善する為に協力する必要があります。ならそうさせなければ良いと考えます。常に競争させる事で考える余裕を失くし、社会のシステムの作り変える事で、常に椅子取りゲームのような競争をさせて過剰な争いを生み出し、モラルやマナーを考える暇を失くします。そうすれば生き残る為に犯罪スレスレの行動や今まではタブーやマナー違反とされた行動すら容認する様になり、行動も現状の問題をのその場凌ぎの様な行動ばかりになり残った問題を互いに押し付け合う様になります。そうすると互いに信用出来なくなり連携など取れず、隙を見せれば付け込まれる為に改善する余裕など出来ず、誰も改善出来なくなります。

そうなればいよいよ救世主という存在は、権力者の行う私利私欲を貪る行動を正して民衆の生活を苦しみから解放しようとする存在は、出現する可能性を失います。

社会のシステムを作り変え、中央に権力を集めつつも私欲で行使できるようにする事で、媚びを売る者、同じ考えが出来る者、他者を踏みにじっても罪悪感がない者を優先的に集団へと組み入れる事で、既得権益を、今まで行ってきた効率の良い、不正であろうとも構わない方法を維持し続けようとします。


そしてかつて救世主などと呼ばれた者の子孫がいるならば排除するでしょうし、似たような経歴を持つ者も同じになるでしょう。排除しなくとも監視される事になり、その行動は制限され、かつ、そうやって成功した事実があるのならその結果から生じた利益を分けて貰おうとして近寄る人物が多くなり、その周囲は私利私欲を満たす事を優先する者が多くなる傾向があります。その状態ではその素養や能力があったとしても可能性を生じさせる事は難しくなります。

故に、救世主とはほとんどの者が注意していない場所から出現する事になります。他者によって排除されず、他者の悪意により過度な競争に巻き込まれず、自身の考えで行動する余裕がありそれを許す環境に居る者がその適性を示し新たな救世主となります。かつて同じように出現した者で生き残っている者は、行動していてもそれまでに生じた問題に対処しそれ以上の余裕がない場合がほとんどになり、また、そうして余裕のない状態に追い込まれている場合があり、処理能力を飽和させられている為に新たな問題に対処出来ず、だからこそ新たな救世主という存在が必要になり、出現が待ち望まれます。


一方で、救世主という存在を悪用しようとする者も存在します。救世主という存在が既存の社会を壊し、新たな社会を作り出すという事は、それまでの状態がリセットされるという事です。つまり、負債は帳消しになるという場合がほとんどになります。なぜならそれまでの社会の間違いから救世主という存在が望まれ出現したのだから、その間違いが原因で差を作り出している状況というのは不当な状態になります。ならそれをリセットして元に戻す必要があり、皆平等に同じスタートラインからやり直す必要があります。なら、あえて負債を大量に抱え、負債を抱える事で得た財産で放蕩の限りを尽くした後に、救世主に救済してもらえば、メリットだけを受け取りデメリットを失くす事が出来ます。別のパターンとして企業における計画倒産が同じ事をします。融資を集め、浪費して良い思いをしながら、協力者と商取引して後で回収されない利益に還元し、倒産して回収不可能にしながらも、利益を与えた協力者から生活の保護と融資を貰う、という方法です。それと同じ事が実行できます。

そのため、人工的に救世主を出現させようとする事は良くあります。社会が荒れた時に救世主が出現するなら時期を見て社会を荒れさせれば救世主は現れそれまでの問題を解決しようとしてそれまでの状態をリセットしようとする。そうなれば自分達が抱えている負債を返さなくて良くなるから、都合の良いタイミングで救世主を登場させよう、と思うのです。

そして悪役は自分達ではなく他の者にさせる事で逃げようとします。革命と称して暴動を起こさせながら政治家を切り捨て亡命する商人、世の中を正す為だという理由での内乱により混乱が生まれそれまでの記録が破壊され、誰の所有物か、誰が行ったか分からないようになる事で管理している多額の財産を持ち逃げできる管理人などは良い例になります。


では次に救世主になる側について考えます。これまで言いましたように、その存在を排除しようとしたり、その願いの実現を妨害しようとしたりする者が現れます。それらはこれまでの流れの通りにその試練を潜り抜けた者が実現させる事になると言いました。それとは別に願いを実現させようとするかどうかに問題が生じます。利益を最大限得るために救世主を妨害し続け、長く利益を得続けた後に、救世主の出現を許してリセットしようとする存在が発生した場合、救世主になろうとする者は居るでしょうか。それは実質的に利益を貪る悪人の尻拭いをする結果になり、また、悪人が汚した後の掃除を担当する事になります。そうなれば悪人は救世主を都合の良い存在だと認識し、利用し続けようとするでしょう。そうなる事が分かっていながら、悪用されるのが分かっていながら願いを実現させるような救世主は居ません。

そのため、そうなる状況を排除できない場合は、仮に実現の為の道筋を見つけたとしても実行しないようになるでしょう。願いを実現してもその場しのぎでしかなくなるからです。救世主が汚した場所を掃除するので悪人は調子に乗り同じ事をするようになるでしょう。それでは意味がありません。

ですので、そのような悪人が存在する様になった社会では、救世主の出現は更に難しくなり、それが分かっているから悪人は調子に乗り、これまでに言いました様な行動を行い最大限に利益を稼ぐようになります。そうして、救世主は出現しないままに世の中は劣化しつづけ救世主が現れないままに争いを、戦争をして自滅するようになります。

そして、残念な事に、その様な悪人をのさばらせた集団にはその痛みが必要だという結果になります。自らを自滅させる行動を繰り返し、改善しようとする者の存在を排除し、または妨害し、実現させない様に生活し、社会を作り変え、結果として問題を解決しない為に蓄積した問題によりどうにもならなくなり、生存をかけた戦争へと辿り着きます。その代償を痛みとして支払う必要があり、更に残念ながら、その結果になるように企んだ者が、失敗した経験として蓄積しないのなら何度やり直しても同じ結果に辿り着く事になります。


そして悪人とはそういう行動をする生き物です。自身の能力では正当な方法を行っても得られない利益が生み出す快楽が忘れられず、何度失敗しても次こそは、と思い行動します。失敗しても失うのは己の身体のみ、という状況が多々ありますので、失う事を恐れないのです。現状のままでは苦労を繰り返すだけで何も楽しい事がないが、どのような手段でも使って一度でも成功すれば快楽を貪れるのです。そして行動に移さない場合に待ち受けるのも自身の破滅であり、成功した後で世の中がどうなろうと待ち受けているのが破滅であるなら、楽をして利益を稼ぎ快楽を貪る方が自身としてはメリットが大きいと考えて、周囲の事など考えずに行動します。後はチャレンジアンドレスポンスで成功するまで繰り返すだけです。それがルール違反だろうと、それが詐欺行為だろうと、それが火事場泥棒だろうと、成功しさえすれば良いのです。

個人にとってはそれで良くても周囲にとっては大問題です。その人物を社会に参加させた為に、自身が快楽を得る事と引き換えに周囲を巻き込んで自滅しようとするのです。その行為はかつて集団行動を選択した時に否定したがために、集団の中に、社会の中に参加する事が出来た事を忘れ、自身の欲望の赴くままに行動するのです。

そしてその人物は最初に社会の中に参加する時も恐らくは同じ根拠で参加しているでしょう。つまり、自身にとって利益になるかどうかです。それは最初は皆そうとは言えますが、その時に受け入れる約束をした条件を守るかどうかに問題が生じます。個の強さに限界を感じ個の強さで生き残る事を否定し、死なない為に受け入れた集団行動の中で死のリスクが高まり、死なない為に集団行動の為にあるルールを破り、ルールを破る事で出来る差で得られる優位を自身の強さと錯覚します。その錯覚は集団行動をしない前提の行動における個の強さを求めた時に発生する、個の強さで他者より優位に立った状況と同じ状況がルールを破って得られる差で作り出した状況と似ているためです。

簡単に言えば、良く分からないがマウントポジションが取れるからそれで良い、と思っているだけだと言えます。集団に参加する事で得られる知識、リザルトセットを用いて利益を出している間はそれで良いですが、不利になり集団の為のルールが自身の利益を出す為に邪魔になれば容易く捨て去り破る事が出来るという事です。

なぜこうなるかと言えば、一つはそもそもが集団を形成する過程に参加していないから。もう一つは忘れるからです。集団を形成する際に、個では環境や外敵に勝つ事が出来ず群れを成す事で生き残る選択をした者達はその価値を知ります。そして利点と欠点がある事も経験から知ります。何をすれば争う事になり何をすれば群れを維持出来なくなるかを知る為にルールを破る事は重大な違反だと知り、体感しています。この場合の知っているという事は根拠を知っているという事です。何をしたから争い、それを失くすためにルールが出来た、という過程と結果を知っているから、ルールを破る事に対して、"なぜ"してはいけないか、と自身の中では連想、他者に対しては説明出来ます。

では最初からその集団が成される過程に参加していない者はどうでしょうか。過程を知らない為にそのルールの根拠を知らない場合があり、そして重要なのは、その集団に参加する事で得られる利益を目的として参加するという事です。稀な例ではそのルールや理念に共感してという部分がありますがそういったものは本当に稀です。大抵において理念ではなく実益とそこに見る自身の認識の甘さが参加の動機になります。集団を成す事で互いに守り合う、助け合う、と思うのではなく、自分も守ってもらえる、と思い、集団がルールを守り互いに助け合う事で利益を出す部分を見て、自分も利益を、分け前を貰えると思うのです。ですから一度、状況が不利になれば、自身が夢見た状況と違う為に何か理由をつけてルールを破ろうとします。


残念ながら、そういった行動をするのが民衆、いわゆる弱者と呼ばれる集団です。

これは救世主の出現と同じ典型的な問題です。自身が生成に参加していない事でどのような事が行われたかを知らない為に、物事を外側から眺め、内部事情も知らずに自身の勝手な思い込みで物事を解釈する例と言えます。この様に知性が低い者は自身の欲望を満たすために必要な利益や保身に必要な利益しか見ない為に、後になって問題を発生させます。参加する時は形だけ真似てでも参加する事で、他者を錯覚させて成りすまし、利益を得られなくなれば途端にルールを破る、という行動を繰り返します。

そして権力者に媚び、権力者に都合良く操られる事で自身の権利を含めた集団の権利を売り渡す行為をしばしば行います。自身の欲望を満たすために必要な利益や保身に必要な利益という、形しか見ていない為に"行動"を基準に考え、罰せられない様にしか行動しないからです。実際にそこに求められるものが正当な行為を表現した行動である必要性が分からないままであったり、気づいていても利益を得るのに不都合な為に目を逸らして分からない振り、気づかない振りをしたまま行動します。誰かに指摘されれば不都合な為にその話題から逃げようともし、指摘する人物とは関わりを持たないようにして、指摘しない人物は不都合な知識を持っていない、気づいていないと思い、そういった人物とだけ関わりを持つようにして利益を得ようとします。これは当然の様に思われますが、相手側が間違いに気づいていない事を悪用している部分が本来の行動とは違います。互いに情報を共有し合った上で取引を行うのが正しいやり方で、相手側が情報を持たない事を悪用する時点で加害する意図があるのです。これを許せば大人が子供に、権力者が民衆に、専門職が他職に、と生を営むシステムと役割分担するシステムを悪用して利益を得る事を認めてしまい、私達の社会は崩壊する事になります。


そして忘れる事で、ルールを取り決めた根拠を失い、最初に参加していたはずの者も同様の行動を行い、社会は更に崩壊する結果へと辿り着きます。


これらを止める為には"考える"事、知性を高める事が必要になります。知性を高め、知ろうとする事で、経験せずとも推測する事が出来、未然に間違いを修正出来ます。社会とはそうやって間違いを修正して未然に行動を慎み、間違っていない行動を行う集団により構成されていますが、知性の低い者にはそれが分かりません。自身もそうやって行動はしているのですが、間違いを修正した後の自身が行おうとしている行動もまた、誰かにとっては間違いを修正して未然に対処した事により行なわなかった行動である可能性を気づけないのです。その差は形に現れる事は非常に稀で、形だけ見て行動する者にとっては、その差が自身の知識不足、推論不足である事に気づく事が難しいのです。未然に防ぐという事は形として発生しない為に、ルールを守る為に実行していたりする、行為の基準を満たすために"しない"選択をしている事は、表面上は"していない"為にそれを見ただけでは分からないのです。そして自身の行動が利益を生み出すものであれば、自身が賢い、能力がある、強いと錯覚して実行するという間違いを繰り返します。

その際に、以前にも言いましたがアイドルという存在になるにはどれだけの確率に該当しなければならないかという問題と同じ状況になる事を知る必要があります。大抵において新しい発想というものは滅多に出てこず、本人が錯覚しているだけです。理由は簡単で、誰かにとってその方法は、間違いを含む、欠陥を含むために選択しなかった方法である事がほとんどになるからです。自身から見て誰もしていないのは、そこに間違いが含むからだと気づけないからこそ自身は新しい発想を得たと思う事がほとんどになります。まず考えるべきは、世界に存在する人口とこれまでに存在した人口の誰もがそれを考えなかったのか、という事です。自身の考えがありきたりであればある程、そう考える必要があります。それだけの人間が居て思いつかない発想だったのか、という部分に焦点を当て、発想そのものがありきたりなら、それは誰かが実際に試して失敗したがその結果を知らないだけか、そもそも考えれば間違いに気づける為に実行していないから、自身から見た世界に存在しないのかという単純な発想が出来ているかがまず必要になります。アイドルの話をした時に言いましたように、簡単であればある程、他との明確な違いが必要になり、それだけの違いを有している事なのかが重要になります。

そして競争原理は"考えない"様にシステムを仕組みます。自身の判断能力が欠如した状態である認識すら持たず、それは周囲を見ても皆が同じであるから気づく事も難しく、自身から見た世界の外から変えられている可能性がある事も気づけない者の知性では正しく判断出来るかどうかも分からない事です。自身がそういった曖昧な基準で物事を見ている事に気づけるかどうか、しかし競争原理が考えさせない様に行動を迫る為にその知性は得られないままに選択をする事になります。

勿論、新しい発想であり実現可能なものはあります。その際に知るべきことは、かつて同じ様に発想したが、社会が未熟な為に個人とその周囲の知識量が足りずに実現不可能であったり、技術力が足りずに実現不可能であったりしたものもあるという事です。それを理由に社会では実現せず、自身から見た世界には存在していないものもあるでしょう。そして新たに実現するもののほとんどがこのパターンになります。

その例としては株式などの権利があります。本来株式という概念は起業する人物や集団の将来性を担保に融資する制度でした。しかし制限を設けなかった為に所有権の部分が強調され、取引されるようになります。さて、株式はその会社への干渉権とも言い換える事が出来、筆頭株主になれば会社の経営自体を操れます。最初の時点での株式という概念は起業するための資金を集めやすくして経済の活性化につなげるためにありました。しかし、それは有名無実化し、金の力で干渉出来る制度へと変えられています。さて、では株式という概念はなぜ受け入れられたかという問題になります。株式という制度を使い容易に資金を集める事が出来れば他者より優位に立てます。同じものを開発しようとして、株式を利用する者としない者では株式を利用した者の方が有利になるでしょう。そうして競争原理に基づき株式を利用する者だけになります。ではこの状況は誰にとって利益になるかです。起業する段階で財産を多く有しているのは既得権益層です。そして新たに起業する者は新規参入者です。株式という制度で新規参入者に対して干渉する事が出来、自分達に都合の良い側を残す事も出来ます。都合が悪ければ株式を売る事で影響を与える事も出来るし買い占めて経営陣を挿げ替える事も可能です。いわば、自分達に都合の良い者だけを選別する事が出来る状況を作り出せます。それを理由に名称は違っても同じ事を実行しなかった者も居たでしょうし、実行しようとした者を阻止した者もいるでしょう。しかし逆に実行させる事で、いわば相手側から生存権もしくは生殺与奪の権利を与えてくれるというのだから援助しようと考える者も居り、その利害関係の一致で株式という制度が実現したとも言えます。この場合は最初の時点で制限を設けなかった事が株式という制度を堕落させた原因とも言えますが制限を含めていれば実現していなかった可能性もあり、そしてあったとしてもなし崩し的に制限を取り払うでしょう。そして、例えば新規参入者がその分野や社会の腐敗を是正したいと思っていても株式という制度がその行動を阻害し既得権益層は安泰になります。こうして支配を確立する方法がまた一つ増える事になり、更に腐敗した時に腐敗を正す為の条件が増し実現が困難になります。


この様に、新たな発想として出現し実現してきたものには、間違っているからこそ実現させられたものが存在し、その存在により本来あるべき制度は間違った制度があるために実現出来ないという状況になります。


このように、気づけないからこそ行うものも含めて、民衆側が、救世主を待ち望む側が自分達で自分達の状況を悪化させ環境を劣化させている状況を正さない限り、救世主の出現は難しいでしょう。その劣化が酷ければ酷い程に救世主に求められる能力とそれを育む環境の質が高くなければならず、そして私達という存在はその限界から能力や知性の高さには限界があります。私達という存在が達成する事の出来る能力の高さよりも救世主という存在に求められる能力の高さが高いなら救世主は出現しません。可能性のないものは可能性がないのです。救世主を望む程に苦しむ側はそうならない様に自身の生活を過ごす必要があります。ただ祈っているだけで救世主は必ず出現するという考えは、救世主を出現させたくない側が植え付けた嘘だという事に気づけるかも問題になります。そして気づけない者は自身がこれだけ祈っているのに救世主が出現しない事に怒りを覚えたり嘆いたりもしますが、実際には本来やるべき事を何もせず怠慢に過ごしながら他者が自身の望む様に動かない事に起こっていたり嘆いているという状況でしかなく、その状況こそ権力者の望む状況だと言う事を知る必要があります。


神にとって救世主とは救世主システムというモデルの一つに過ぎません。腐敗し間違った中である人物を中心にもう一度正しい社会を作る事が出来るかの手法でしかありません。神にとってそもそもが救う必要があるかという部分に私達は、救われねば自身が永遠に苦しめられるから救われなければならない、そうでなければならない、と無条件に妄信しようとする為に考え違いをしてしまいます。自分達はちゃんとしているのだから救われて当然だ、と言いながら実際には怠慢をするのです。その傲慢な弱者には救われる価値があるでしょうか。救世主システムとは神が救うべき価値があるかを調べるものであるとも言え、神は救世出来る人物を送り込むかも知れません。しかし、それを実現可能にするのはその周囲に居る私達です。私達が怠慢に、傲慢に過ごしているのなら救世主は大成せずに救世は実現しません。高い能力が求められるのならその基盤として支えて持ち上げる必要があり、怠慢して環境を劣化させて基板を下げ相対的に基準を上げるのでは誰も達成出来なくなるでしょう。そして神は私達が救われる価値がない存在だとみなし、私達は救われるべき存在ではない事を実証します。どれだけ私達が救われる事を望んでもその行動が自虐的であり救われる事を拒絶しているからです。

そして神はただ黙して時を待ちます。私達が苦しみ救世主の出現を諦め、自分達のしていた行為が自滅する為のものでしかない事に気づき、行為行動を変え、自分達で状況を改善しようとする時まで。それは何度も行われるでしょう。私達は自身の利益の為に何度も裏切り、そして苦しみ、改心し、また裏切り、その繰り返しの末に最低限のルールを思い出し、それを自身の知性で認識出来るようになり、そして救世主が出現出来る環境を作り出すでしょう。最初から分かりきっている事も、私達の知性ではそうしなければ分からない事を神は嘆くのです。」


エールトヘンが話を切ると、今日は出掛ける用がなく話を聞いていたマーガレットが話し始める。


「例えば、争いになり相手側が優勢であり多数であったとするわね。味方の兵が裏切ったり、同僚を見捨てている状況ではまず勝てない。数に劣る側はその不利を補うだけの行動が必要で、連携したり相手より練度を高めたりするの。けれども味方同士で信用出来ないのではそれも難しく容易く相手に打破されるわ。だから最低限のルールを守れる者同士で作られる集団でなければ勝てる可能性はないと言えるの。例え率いる将軍が有能でも将軍に付いていける兵が、将軍をサポートする兵が居なければ勝てない。将軍が居ればどうにかしてくれると思っているだけで、訓練も自分達ではちゃんとやっていると言っているだけ、少しでも不利になれば容易く見捨てる兵では将軍の実力を充分に発揮できないわ。時には相手の攻勢を止める為に命を賭け、時には味方を助ける為に危険に身を晒す事も出来ないなら良い様に蹂躙されてどんどん不利になっていく。

そんな弱兵を持つ相手こそ戦うに選ぶ相手でもあり、"常勝"の基本と言えるの。そして相手をその状態に持っていくのが戦略で、その状態にした相手を実際に処理するのが戦術って呼ばれるものよ。戦略面で負けている側が例えどれだけ訓練したり連携しても劣勢を覆すのは難しく、そもそもが戦略面で負けている為にその実現が難しい。

エールトヘンの言っている祈るだけの状況とはこの状況で誰かがなんとかしてくれる、幸運な事が起こって状況が有利になるのを待つ事に等しいから思考停止している様なもので、打破する為の思考も放棄しているからそのまま相手に蹂躙されるのがほとんど。勝つためには時間上空間上のどちらかだけでも力を一点に集約して相手を上回るか常に相手を自分達より弱い状況にするかのどちらかが必要になって劣勢側が勝つには力を一点に集約する以外に方法はないし、そうさせなければ優勢な側は時間をかけて削り続ければ特に何も新しい事をせずともいずれ勝ってしまうの。

弱兵だからそれに気づかず、相手の思惑に騙され混乱して間違った行動をし、そして誘惑に負け裏切る事で強者の側に立ったつもりで単に利用されているだけの状況にも気づかないままの兵が居れば居る程に劣勢になって勝つ事は難しくなる。そうなるともし救世主が出現しても、自棄にも見える単騎突撃で相手の将軍を倒す以外に方法がなくなり、無謀な策以外での勝利への可能性は潰えて、相手もそれを理解しているからそういった策だけ気をつけていれば楽に勝てるような状況を作る事が出来る。その時点でその弱兵は自虐的に自身を苦境へと追いやっているとも言えるわ。

さっきローレンシアが言っていた仲間同士で助け合い困難に打ち克つという展開もそこにしか可能性が見いだせない事を無意識にでも知っているからその展開を好む様になってる、と言えるかも知れないわね。僕としてはローレンシアがそんな子で良かったと思う。誰だって知り合いが卑屈で負け犬根性が染み付いているなんて思いたくないから。」


マーガレットはそこで話を切り、エールトヘンが引き継いで締めくくる。


「お嬢様の領地でもそういった者はいるかも知れません。全てが全て正しい者とは限りません。だからこそお嬢様はそれを見分ける判断能力と、そういった者を正しい方向へと導く能力を身に付ける必要があります。知性の低い者が居れば居る程逆恨みされるでしょうし、知性の低い者を騙して操ろうとする敵に付け込まれる事になります。そしてそのような者が錯覚しやすい様な言動は避け、能力を向上させた姿を見せて形にして示す必要があります。相手が分かってくれると甘えるのは最早それ以外に方法がない時だけにして常に相手に分かるように行動する事を心がけてください。そこに混同する余地があり相手に悪意があれば容易く言い掛かりを付け襲ってくるでしょう。それに対処するためにもさあ、お嬢様、今日も頑張りましょう。」


前話がなぜストーリーだったのかというのが少しわかるかと思います。



ひと昔前、漫画で「孔雀O」というものがありまして、その中で語っていた話と同じなんですが、その表面を語る部分に内部の事情を書いたつもりです。該当する所は「弥勒菩薩が救済に訪れるが、弥勒菩薩は時間をかけて力を蓄えてから救済に来る。しかし連中はその弥勒菩薩を強制的に救済に来させる事で、力を蓄えていない弥勒菩薩に救済させようとし、力を蓄えていない弥勒菩薩は救済に失敗する。そして世界は二度と救済されない暗黒世界となる。」だったかこんな話がありました。それと主旨は若干違いますが、救世主が誕生するためにはどういった状況でなければ誕生出来ないのかを書いたつもりです。

後、どの漫画だとかは忘れましたが、仏が衆生を救おうとするが、救われたい亡者の数があまりにも多すぎて救えないばかりか亡者に襲われて自身も亡者と同じようになり下がるというような話もありました。そういった状況では救世主のような存在なんて出て来やしないのです。


時々、弁護士ものを流行らせようとしますが、その理由は、昔から良く言っている方が多い言葉ですが「日本はアメリカの10年、15年後をなぞっている」というものです。そうすれば規定路線で起きた物事の利益をそのまま得られるし、失敗した事があれば修正出来る、から楽して(特定の集団が)利益を得られる、という状況になります。そして訴訟社会と呼ばれる状況にしてしまいたいという流れになっています。ではなぜそうなるかと言えば、もう搾り取る所は充分搾り取ったからその出涸らしを探したらそこだった、という事です。特定の集団に比率が多い弁護士などのインテリに仕事を与える必要があるわけです。そして、その需要部分の増加に、特定の集団の縁故就職の先を見つけるわけです。

先細りの経済を作り、争う方法でしか、どちらかしか生き残れない状況を作り、その争いに仲介役のような形で入り込み利益を得る、という「持たない者の錬金術」を行うという事です。本来弁護士が居なくともどうにか解決出来ていたものでも、不況も悪化してくると自身の生存をかけてきっちりと利益を得る必要が出てきますから相手と険悪な仲になっても押し通す事になります。その際に確実性を、そして法的な手続きが必要のなかった事では当事者が不慣れな為に法律のスペシャリストが必要になり、さあ、特定の集団に属する弁護士さんの出番です、となります。

これは、元々の「世界の全てを明確に表す」計画を実行して「世界の全てを予測し計算できるようにする」目的を悪用したものです。そこに携わる人物などを、利己益の為に選別する事で偏向させて作る、似て非なる悪魔の世界です。

争う事で弁護士を雇い、その報酬は元々関係のなかった第三者だった集団に入る。しかしその集団からの還元はない。特定の集団とそれ以外で更に持つ資源の差が開き、持たない側は更に目減りした資源の奪い合いが激化し、更に弁護士などを雇い入れて利益を外部へ漏らし続ける、というようになります。

今の社会の在り方自体がそう出来るように組まれているのでそうにしかなりません。だから「金はある所にはあるんだなぁ」というような言葉が生まれます。


-->獣が自身が努力しなくとも美味しい餌を食べた事が忘れられないか、もしくはそうなった他の獣を見て自分も同じ状況にならないかと終始考えている状況と同じになります。

<--ヘミングウェイ著作、「|誰[た]がために鐘は鳴る」でゲリラさんが拠点を襲った時の感想を述べているような状況と同じです。ラッキーでおいしい経験が出来て、そんなものは滅多にないがその旨味が忘れられない、というやつです。


-->それはあたかも草食動物が肉食動物から逃れる状況に似ています。群れを成す草食動物は肉食動物から逃れる際に状況により、最も弱った個体を生贄として残す形で逃れる事で肉食動物の脅威から逃れます。

<--少し上に書いたアメリカ云々と同じで、これらは「見せる事でそれが当たり前なんだ」と思わせる為にあえて見せられます。そう思わせる事が出来れば詐欺をやりやすくなるからです。しょうがない、しょうがない、と思わせると反抗する気を失くさせる事が出来るのでそういった映像を見せてそれが当たり前、だから加害側はしても良い、と思わせる手法、これも常套手段です。少し前の話で書きましたが、抽象概念を意識下に植え付ける、という手法です。弱者は強者に食べられるのが当たり前だと思わせるのです。そのどちらに自分を重ねるかという部分で弱者は草食動物側に自分を重ねます。そして、そういった状況だからこそその映像を見せられる、わけです。そうやって徐々に貶めていくのが現代社会です。この手法だと|強者[・・]であっても貶める事が出来ます。社会の大きさに対して、その権力に対して個人の能力は小さいです。そう思わないのは自身の強さと権力の強さを混同して錯覚出来る者だけです。物事を解決しようとしてそれに賛同しない側が居たとして、自身が弱者と呼ばれるか少数の側だとして解決するには強者もしくは大多数と対峙しなくてはならない。世界そのものを相手して勝てるか、という錯覚を与える事で従わせようとする手法と言えます。だからどのような|強者[・・]にも通用します。その人物が全ての分野において一番で、他者が束になってかかっても勝てないというなら別ですが。そんなスーパーマンはいません。そして問題の焦点をずらす事も出来ます。その問題を解決するには物理的に他者を上回らないとだめだ、という状況をまず解決しなければならないが、その状況を解決するには物理的に上回らないとだめだ、という状況になり、だからこそ物量作戦で既成事実を作る者ばかりが増え、根本的な問題を解決せず先送りし破綻します。しかしそれまでの期間が長ければ長いだけ旨味を得る事が出来、それが出来るからこそ物量作戦で乗り切ろうとします。自分が生きている間だけ維持出来れば良い、と考え、その血統は常にどの世代でもそう考えるのが基本になります。そしてリザルトセットを見て得られた情報を用い、保身と利己益に重み付けされた行動セットとなります。

アメリカ云々の話も、そう言ってそれが当たり前だと思わせたらしても良い、と考えて実行し、既にどうやれば利益が得られるか分かっているものを既得権益を使って独占して稼ぐ、というのがやり方になっています。主張を伝えて異論がなければ受け入れた、と暴論を繰り出すのです。これについては別の所で書くかも知れません。ここには錯覚が存在し、その錯覚はリザルトセットを見て勝手に錯覚した者が行動する事で出来上がるデファクトスタンダードであり、その根拠はなく、そして瑕疵が存在します。

元々の考え方では、成功したとされるものはさらなる改善案で不満がないようにして、失敗したものは改善して代替え案を出して試すのが正しいのですが、利益を稼ぎたいだけの集団にはそういった事を言っても無駄です。なぜならアメリカの15年後に続けば良いのなら利益の出し方は確定し、その利益を得るのは容易く、その影響で被害する立場にならないから問題ない、と考えるからです。考え方、発送が既に権力を持つべきではない者の考え方なんですが、利益を稼ぎたい者にとってそんな事は関係ありません。それを実行して罰せられなかった結果が既に出来上がっているのです。なら自分も実行して利益を稼ぐだけ。あいつの様に俺もやるんだ、と自らの知性で表面だけ見てそこに判断能力はなく、ただ欲望に流されるだけの集団が出来上がります。

少し前にエジ〇トなる国の一般市民が騙されて革命してましたが、それで利益を得るのは革命を率先して煽った一部と後発ながらもモラルやルールを潰してでも競争に勝とうとする者だけになるでしょう。そしてテンプレの如く、時代遅れの近代民主主義的革命をした国の末路として、その終末を進む先進国と名乗る国に言い様に搾取される事になります。見た目はその国の一般市民が行いますが、その者が利権により癒着している、という状況になるでしょう。どのタイミングならどこに利益を求めれば効率が良いか、そして搾り取った後はどうすれば利益を更に搾り取れるかのノウハウが、革命を起した国の一般市民にはありません。良い様に扱われて搾取されるでしょう。丁度、革命をしたロ〇アでもそうであった様に(映像を見ただけですのでここはあまりあてにしないでください。私が間違った映像を見て誤誘導されている可能性も考慮してください)。ただし、それがその一般市民にとって、弱者にとって王制であった事とどちらがましなのかは、当事者ではないので私は知りません。その結果を受けるのも彼ら当事者です。自由という餌で釣り出されただけではない事を祈りたいと思います。


-->では救世主はもう出現しないのか。いつかは必ず出現するでしょう。それはそこに居る集団がもう救世主などは夢物語で訪れやしない、と思う様になってからです。

<--ヨーロッパの方でキリスト教信者の数が90年代から減っていたそうで。"みつばちの失踪"なんて出来事も何か風刺に聞こえてきます。結局の所、問題に対処しない事が原因でキリストの救済を信じる事が出来なくなった、そして科学が主張する生活が楽して利益を上げる為にそちらを信仰するようになった、という部分が面白いなと思います。しかしそういった旨い話には裏があるもの。宗教を信仰しなくなる事で、制限が外れ、浪費するように、垂れ流すようになった結果から問題は溢れる様に発生し、解決できないから誰か、スーパーマンを求めるようになる。結局は救世主に縋りつく事しか頭にないわけです。そしてそういった存在は縋り付くのを止めた者が増えた後にしか現れる環境が作り出されない。自分達で自分達の首を絞めて「助けてくれ」と言っているようなものです。


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