S067 行為はフィードバックする
しばしの休憩後にエールトヘンが話し出す。話に参加したいのかマスター・ララも休憩中にやってきていた。
「まず休憩前のおさらいですが、社会の中に知識が膨大に存在してもなぜか失敗する事になり、原因は私達が生死のサイクルの中で知性を未熟から成熟へ、そして社会という環境の中で誰かに与えて貰った知識を使う事で判断能力を失い、知性も低い為に低下した判断能力を元に戻せない為になります。そして失敗から自身の間違いの原因を探る事でようやく判断能力が向上し失敗する以前の状態を維持出来るようになるというサイクルを繰り返します。それを抑えるには知性を示す必要があり、日々生活の中で行為の根拠を"なぜ"と思考して追求する必要があり、それを怠れば行為はやがて形だけを真似る行動へと近づき独りで荒野に居る時と同じと言えるようなルールや法規を無視した行動になっていくという事です。そして形だけを真似て行動してもその根拠を知らずとも手続きとして成立してしまえば成果としては生じ、それを罰せられない、もしくは何の問題も発生しない事で成功体験として記憶されやがてその行動が最も効率が良く正しいと錯覚するようになります。簡単に言いますと『殴らない』というルールがある社会で相手を殴って何も罰せられないとすれば殴る事で容易く相手から資源を奪えるならそれがより効率が良い方法だと判断しそれを繰り返そうとするという事です。ですが大抵の場合はそううまくいかず罰せられ同じ不利益を受けない為にも行動を見直し、何が悪かったのかを考え修正するという結果になります。また、殴られた側も殴ってくる相手がいる事に対して対処が必要だと考え対策を取るようになり行動は修正されます。ここまでは良いですか?」
エールトヘンの言葉にローレンシアは頷く。実の所ローレンシアは分かっているのか怪しいと自分でも思っているのだがここで首を横に振るのはエールトヘンに申し訳ないと思いただ頷くのみにした。
「ではその殴る側、殴られた側の行動の変化についてです」
そしてまたエールトヘンは話し出した。
「その前にまず対象を知性のある者からない物へと変更して考えてみましょう。主観の世界での話でまず始め料理を考えてみましょう。材料を用意し道具を用意し加工して場合により加熱処理し調味料を加えて完成、と考えます。ではその行動はどうやって精度を上げていくでしょうか。最初は簡単な所から入るかも知れません。材料を丁寧に切り加熱処理しやすくしたり食べやすくしたり、見た目を整えて綺麗に映るようにしたり、材料を厳選して良いものを使ったりするかもしれません。同じ様に道具も良いものや専用器具を使ったり、加熱処理も火加減の調整を密にしたり、調味料も高級なものを使ったりするかもしれません。あるいは栄養バランスを整えるという見た目には出てこない精度を上げるかも知れません。ですがそれらは試行錯誤の結果として現れます。まず試行し結果を見て自身の望む基準に達していないと判断したなら原因を調べその対策を考えて実行し、またその結果を判断するという繰り返し、つまりチャレンジアンドレスポンスです。繰り返しの中で問題点を修正し精度を上げていき基準を達成しようとするのですが、最初は目に見えて成果は出るでしょうがある程度精度が上がってからは精度の上昇も微差に近くなっていきますがその理由は精度を上げるにつれ精度を上げる為に求められる行動の基準が高くなるからです。結果として基準に達すれば良いのですが、個人の能力と資源の影響で到達しない可能性もあります。このように限界まで追求した場合、過渡応答のように過渡状態から定常状態へと移行するようにある一定の値へと近づくように収束していきます。ここで錯覚しやすいのは、既に誰かが解明した知識を得る中ではまるで比例関係のように精度を上げる事が出来ますが誰も到達した事のない基準やそれに近い基準を目標とした場合にはやはり費用対効果の面で効率が悪くなります。また、個人においてもまだ到達した事のない基準へと精度を上げようとする際も同様になります。このように対象が無機物のような意思を持たない為に一定のレスポンスを返すもの、つまりは能動的に行動してもその影響が対象物にとって無関係、無関心というような重要ではない場合にはこのように表す事が出来ます。
ですが互いに意思を持ち影響し合う場合には同じにはなりません。互いの利害が不一致な場合は互いが互いの利益を確保する為に相手の要求を受け入れる事はなくお互い要求を押し付け合います。結果として行動は互いの権利を侵害する形として発生し過度に侵害すればそれに比例した仕返しをされ、その仕返しの度合いに比例してまた仕返しを繰り返しそれが徐々に落ち着くなら一定の値へと収束します。これは過渡応答においてオーバーシュートからのリンギングが発生し収束する状態のようになります。しかしそれでお互いに了承したとは言えないのです。チャレンジアンドレスポンスの結果は罰せられないなら、問題が発生しないなら成功とみなしてしまうという問題点があります。そして2者間のやり取りが互いの利益を奪う形で行われ一方が不利になり受け入れさせられても結果としては落ち着いたように見えてしまいます。小は喧嘩、大は戦争を見れば分かりますように一方を降伏させて服従させた結果を服従させられた側が喜んで受け入れる事などないのです。そしてそれを過渡応答として表したとしても、その結果に他者の意見を取り入れないのなら主観でしかありません。
こういった状況の解決方法は古来より決まっていますがそれを大規模で実行できる人物はほとんどいません。私達が古来より行う解決方法は仲裁ですが、厳密には利害関係として無関係な他者が客観的な判断により根拠のない一方的な不利益が成されない為に行われます。そして更に厳密には経験的事実の集合と知性による推論における論理性に基づいた価値観を用いて客観的に判断を下すというものが本来の解決方法です。それが保証されれば仲裁という第三者の介入は必要ないのですがその証明も難しく、そして当事者は利益を優先して行動しますので大抵においてそのような高度な判断は出来ません。勝った側は効率と成果を考えてもう少し奪い取ればより利益が上げられると執着し、負けた側は少しでも奪い取られる分を減らそうと執着します。最初の時点でお互いに主張を変える事なく公平な譲歩案もない為にお互いが了承出来る点がないのです。その時点で出来る譲歩案は"お互いが何も利益を得ない"事だけになります。それでも遺恨は残るでしょう。
では私達はそもそもこのような状況ではどうすべきだったのかとなります。それは行動を起こす前に互いの利益を考慮して利害関係を一致させる方法を選択する事が争いを起す事なく行動して成果を出す方法になります。その場合は意思を持たないものに対して行うような行動をする事で精度を上げる事が出来ます。その行動が他者の利益を侵害しないために自身の利益も侵害されず行動を妨害されないからです。また利害関係が一致し他者への利益も大きいなら協力を得る事が出来、精度を上げる、もしくは成果が出る時期を早める事が出来る場合があります。
そのような状況にはどうやって近づければよいかを考えると、私達には今までの歴史という経験的事実とその結果の記録、リザルトセットがあります。このリザルトセットを用いて過去の教訓から当事者が了承出来る条件を模索し、それを基にして推論し解決案を導き出すというのが方法になります。かつての失敗からしてはならない事を見出し、かつての成功からどのようなものならより良い結果になるかを得てそれを現状に合わせて修正し更に良くならないかと思考する事で対処します。
この思考は初めはかつての模倣から始まりますがやがてその思考はかつての事例を体系化し状況を分析しそれぞれの状況を概念定義で表現しそれを抽象概念からの派生としてまとめ上げ法則化して因果律を客観的事実として定義する事で普遍的な価値観を構築する事を実現しようとします。簡単で極端な例えを挙げるとすれば、殺しの罪において、自らの欲望を満たしたいがために犯したかそれとも自らに襲い掛かる相手を撃退するために不可抗力として犯したかはその時の映像からは違いが付かない可能性がありますが、この違いを判断するためには分析の精度を高める必要がありその為に詳しい概念定義で因果律を作り上げ"本当の行為の形"、この場合は"本当の罪の形"、"本当の罪の価値"を知ろうとするのです。個人の感情や利益を優先した判断ではなくそれらを排除したものをその目的となる"争いをなくす"ために必要とするのです。」
エールトヘンの息継ぎに合わせてそこにマスター・ララが割って入る。
「しかしです。リザルトセットは悪用される事の方が多いのです。私達は社会システムにその活動の記録を残します。そうして権力を持つ者程、監視をする者程多くのリザルトを集約し扱います。もし権力者が自制の出来ない人物で欲望に忠実なものであったりすればどうなるかを考えてみますと集めた知識量が膨大な程、高度な程に社会の状況は悪くなりその集めた知識を用いて他者を屈服させようとし、利益を不正に得ようとします。リザルトセットの中から自身に都合の良い物を状況に合わせて選んでその選択が正しいと判断して本来あるべき結果から捻じ曲げ利益を得、それを批判する者を同じ方法で屈服させて黙らせるようになります。
例えば親が言う事を聞かない子供を仕方なく叩いたとします。その一度の例を根拠にして強調して常にその親は子供を叩いて虐待しているのだ、と解釈してその親の評価を下げラベル貼りをして立場を悪くして環境を使って追い詰める事が出来、その親は悪人だから仲良くすべきではないと周知するのも一例になります。この場合、あえて親が子を躾ける際にどうしても言う事を聞かずすぐにやめさせないとダメな場合に行う事と親が不機嫌で八つ当たりをする事が同じ映像や状況になりやすい為にリザルトセットとしては同じように見えてしまう事を悪用してあえて混同して間違った判断をする事で目的の結果を得るという方法になります。ここで仮にこの親がそのリザルトセットの悪用をした人物の批判をしていたり友好関係でない場合には脅迫して使用出来黙らせる事が出来る可能性があります。こうやって対象人物の行動にある錯覚されやすい部分をあえて強調して指摘する事でいいかがりをつけてその対象となっている行動以外の行動を抑制させる事が出来ます。批判的な行動を取れば立場や権力を利用して不利益を与えるぞ、と直接言葉に出さずとも暗示できるのです。
また、ある男が女を娶ったら幸せになり今までより一層仕事に頑張るようになって成果を出した、というリザルトがあったとしましょう。では女をあてがえば男はより利益を出すように頑張るのではないか、と考え女をあてがおうとします。それは単に男と女の相性が良かったか男が女に不自由な生活をさせたくなかったから努力したなどの根拠が別にあり、単に女を娶ったから男が頑張るようになったという法則が発生したわけではありませんし女を娶ったから頑張らなければならないという法則が発生したわけでもありません。しかし欲望を満たすために行動する者にとってはそんな事はどうでも良いのです。欲望を満たすために利益が出さえすればよくその根拠などどうでも良いのです。また、女をあてがう事で男が頑張り利益をより多く出すというならそれを仲介すればより利益を得る事が出来る為に状況を整えようともします。そして、より優位な立場に居る為にそれが間違いであっても相手を屈服させれば誰からも批判をされないならその失敗におけるリスクは少なく、間違いであってもリスクの少ない賭けをする事が出来、その失敗の悪影響は他者に押し付ける事が出来、責任も取らずに済むのでそういった行動を試し続けるようになるでしょう。そしてリザルトセットを分析し判断する能力が低ければ低い程、形だけを見てその状況を混同しやすく自身の都合の良い理由をリザルトセットの中の一例から持ち出せるので、知性や判断能力が低ければ低いほどリザルトセットを扱う事は魅力的に見えるのです。
不定解の集合の中から、もしくは条件を厳しく定義出来ない為に正しくない解も含む集合の中から任意に一つの解を選び出しそれを正解として良い、とするなら大抵の状況はとても都合が良く解釈する事が出来、利益を得る事が出来るでしょう。そしてその不都合や不利益は周囲に押し付ける事が出来るのです。これが間違いである事に気づけないか、薄々は気づけても気づいてしまえたり判断出来てしまえば欲望を満たす事が出来ない為にあえて気づかないままに行動を繰り返すようになるでしょう。誰かに論理的に間違いであると証明されない限りは。」
マスター・ララが話し終えるのを待ちエールトヘンが続ける。
「つまり行為行動において形のない概念を取り扱うためにどうしてもそれを実行する者の精神のパラメーターを完全に定義出来ずどのような判断をしたか、どのような判断をするべきであったかを定義出来ない為に実行者に自由度が生じるという事です。その客観的には不確かな要因が欲望の付け込む隙になり不正に利益を得る事が出来るようになります。行動で、形に見えるものだけで全てが定義出来るのなら何の問題もないですがそれが出来るのは獣の世界、形だけの行動のみで定義出来る世界であり単純な行為しか定義出来ません。"争わない"、"盗まない"などの抽象概念は成立出来ず、"噛んだらボスが噛みつくから噛まない"などの実質的な利害のみ、主観のみでしか定義が出来ません。ルールを破る事で未来で生じる損失などを予測出来ないという事であり、自分がするから自分もされるのだ、という他者と共に居るという前提を把握する事も出来ないという事でもあります。空間上、時間上で出来る事が限られ、行動が自由であるほどに概念は混同され細分化出来ず制限され、そこから行動を制限する事で行動の違いを示し行為を定義し細分化して社会において出来る事を増やします。これは盗んでいるのではなくて借りているのだ、これは脅して奪っているのではなく取引をしているのだ、これは押し付けているのではなく与えているのだ、これは相手を痛めつけたり殺したりする為に切り刻んでいるのではなく手術しているのだ、などの形だけでは定義出来ない概念は行動を制限するからこそ定義出来るのです。」
そしてまたマスター・ララが割って入る。
「そのようになっていますので定義を崩し規制緩和する事で行為を混同させて区別できないようにする事で不正行為の余地を生み出すのが人間です。欲望を正当化する為に「ちょっとだけ」、「自分は特別」、「自分は偉いから」、というような支える正当な根拠のない根拠でルールを破ろうとし、また、状況に追いつめられてルールを破ろうとするでしょう。更に、他者にルールを破らせる事で利益を得ようとするために「皆やってる」などと言う様になるでしょう。
そこに生じる差は、それまで誰かがルール化し社会を機能させていたものを崩す事で得られる差でありますしそれが是正されませんと社会は劣化いたします。しかし、劣化した社会程行為を混同しやすくその差を用いて利益を得ようとする者は多くなり社会の劣化に歯止めが効かなくなります。そして行為を混同する事で起きる問題から生じる損失が表面化してそこでようやくルールをもう一度厳しくしますが、そこまでの一連の流れにこそより多く利益を得るためのトリックがあるわけです。
そして利益の上げ方は直接その規制緩和された分野で行動しなくても良くコンサルタント、リソースの供給者という形態で利益を得る事が出来、その利益は規制緩和される事で他者に勝つ為に捻出した投資でありその分野での活動者の負担になります。また、規制緩和する事で新規参入者が現れますが、そういった者の大抵は経済的に追い詰められているなど打開策が欲しいために参入してくる場合がほとんどでしょう。そしてその新たな参入者も投資をしてコンサルタントやリソースの供給者に利益をもたらします。こうしてその分野のリソースを他の分野から搾取する事が出来、賭けの胴元が必ず利益を出し、損をしないという状況と同じになります。このように権力が行使されるようになり常態化いたします。
より多く利益を表面上は合法的に得ようとすれば規制緩和を大きくする事で新規参入者が掛け金をベットし、既存の活動者も投資せざるをえない状況になりベットします。一時的に活性化したように見えますが、そこで利益を得るのはその規制緩和を実行した側とそれを勧めた側になります。そして既存の活動者程、その分野でのリスクなどを経験として蓄積しているが故にルールを省き辛く経済的に追い詰められる傾向になります。新規参入者程ノウハウが不足し冒険をしがちでありハイリスクハイリターンとなり、そのノウハウがない為に生じる間を利用して騙す人物も出てきます。こうして規制緩和された分野を混乱させ利益を稼ぎそのリスクは活動者、末端の消費者へと転化するのです。」
エールトヘンが続ける。
「そのような不正を認めない為にも相克や円環というものは極力発生を抑える事で社会の揺動を少なくし、混乱を未然に防ぐ必要があります。そしてフィードバックが考慮される状況になります。料理の話でのチャレンジアンドレスポンスで分かるように求める基準に近づけるように何度も試行して精度を上げていきその基準を超えるか超えないまでも問題ないレベルでの誤差になるまで高める事が出来れば成功になります。それと同じ事を他者とのやり取りを含めた|系[システム]の中で行う必要があり、他者と利害が一致していないのであれば強い反動として他者の行動が発生し|系[システム]は安定しないか大きな円を描く形で安定します。
例えば規制緩和でコストを省いて利益を出しますが同時にモラルやマナーは低下します。規制で制限をかけていた部分がなくなるためにそこに自由度が生じ競争原理で効率を求める為にモラルやマナーなどは直接的に悪影響を及ぼすもの以外は省かれます。やがてそれが常態化しますが規制緩和する事で生じた需要はなくなり規制緩和前と同じ状況に戻りますが規制緩和でモラルやマナーは低下し末端の消費者へ負担を押し付ける形になるために規制緩和前より需要が落ち込みます。いわば前借りをしただけでありそれを他者と取り合う事で生き残ろうとしただけに過ぎません。そして他者と競争しますが互いに利益を下げながらも生き残ろうとし、ルールやモラルも含めて省けるだけ省いた者だけが残ります。しかし需要は前借りしたと同じ状態なので先に消費した需要分減っており、またモラルやルールが低下した影響で買い控えが発生し需要も更に落ち込みます。そしてこのままでは分野自体が駄目になる為に規制を厳しくする事で対応しようとしますが、一度省いたものをもう一度取り入れる為にまたコストが増大し利益は下がり、更に脱落者を生み出しながら元の状態へと戻ります。その時に残っているのはモラルやマナーなどを最大限省いた者達であり、能力があるかどうかとは別になります。しかし全く同じに戻ったわけではなく、パイのシェアは上がったかも知れませんがリソースの減少により市場全体の大きさは減少しています。そして円の形で表した|円環[サイクル]がそれだけで表されているわけではありません。先程も言いました様にコンサルタントなどに支払った分は市場から損失として失われており、グラフの奥行き方面に総量などを設定すれば変化をしている事になります。このように市場全体のリソースを減らしながらスパイラルダウンし総量の影響が円を描く安定を成立させなくします。得られる利益がなければ奪い合う事すら出来ないのです。
そういった状況を発生させない為に不必要な変化は避けたいのですが私達は未熟から成熟へと状態変化しますのでどうしても揺動は発生します。ではそれをどのように対処するかという考えになり状態が円を描くというのならその最下限が基準を下回らないようにする事になります。規制緩和で言うなら規制緩和はしたとしても一定のルールでどこまで緩和して良いかをあらかじめ決めておき、つまり事前に緩和出来る余裕を含めて現状の基準を維持しておく事になります。この余裕をあらかじめ用意もしないで規制緩和をするのはそもそもが間違いであり制限もなく緩和するのも間違いで、規制緩和というものをあえて用いるとするなら不況になったかどうかではなく現状のシステムの在り方が現実問題に対応できなくなったから行われるべきものです。大きく規制緩和せず新規参入者を受け入れる枠組みも含めて現状に対応できるシステムに組みなおす為にあり、そこからモラルやマナーやルールを再度引き締めていくものでありそれと混同させて利益を得るものではありません。そうしながら生じる円の大きさを徐々に小さくして変化をなくし安定した実績を出すのです。
私達は不完全であり全知ではありません。過去の結果を集めたリザルトセットがあるためにそれらを教訓として、判断材料として予測する事は出来ますが、人は思いもつかない事は実行出来ません。現状で対応出来ていないという事は過去の記録であるリザルトセットにないかその複合で複雑な為に認識出来ていないという事です。それゆえに一旦規制緩和をし可能性を模索して問題に対処するという方法が本来の規制緩和です。ここでは、リザルトセットを占有し、それを本来は公開するのが当然でありながら他者には公開せずにリザルトセットにある状況の中で自分達に都合良く欲望を満たせるものを選んで実行する集団については割愛します。
ここでフィードバック制御を考えてみましょう。フィードバック制御はチャレンジアンドレスポンスの結果を経験というリザルトセットとして蓄えたものを判断材料として以前と同じ失敗に到達しないように調整を行います。勿論他者の行った行動の結果を見る事でリザルトセットは更新されます。しかしそこには実行者の主観が欠け、どのような意図で行ったかが観測者の判断能力に依存する事になります。知性が足りず周囲も皆が欲望を優先して行動していると思ってしまった場合は行動に伴う行為を錯覚しますし、善性を示すがゆえに他者の行動を良い視点で見てしまう為に、悪人の行動を同じ行動でも違う行為が成立する事を理解できずに目の前で行われている犯行を見逃すかも知れません。
例として料理を考えてみましょう。スープを作っているとして、調味料を入れ過ぎたとします。既にその失敗を一度しており味見をするようになっているとして味見の結果、濃すぎる事が分かりました。ではどうするかとなり水を足します。これで丁度良い濃さ、味になったなら成功です。しかしここで今度は水を足しすぎて薄くなり過ぎたとします。このままでは失敗ですので味見をして薄すぎる事が分かり、今度は調味料を入れます。ここで丁度良くなれば成功ですがまた濃すぎたならまた水を、薄すぎたなら調味料を、と繰り返す事で求める基準に近づけていきます。そしてこの方法は意図的に失敗するようにしなければ必ず成功します。総量が増す事で同じ分量を入れたとしても比率が変わり細かい調整が出来てしまうからです。
次に商取引を考えてみましょう。客と交渉し価格通りで売れたら成功ですがそうもうまくいきません。欲しい利益分を確保するために予め価格にある程度の譲歩分を、と言っても罰や悪評を受けない程度の上乗せでどうとでも取り繕えるようにしているだけですがその分を交渉の材料にします。その余剰分で交渉がうまくいかなかったとしてそのままなら交渉失敗です。ではどうするかとなり他の商品を抱き合わせで売ろうとするでしょう。総量を増し利益の絶対量を増す事で多少の譲歩も問題ないようにするのです。抱き合わせが難しいなら在庫で余っているものや売れ残りの時価として価値が低くサービスに使っても問題ないものをつける事で交渉するでしょう。そうして互いの利害を基に均衡点を模索して上下させながら安定させていくのです。
ここで注意すべきは取引の場合はその取引量に制限がない場合には総量を増して良いのでどこかで折り合いがつくかも知れず、料理は作りすぎても良いなら総量を増す事で微差の調整が出来るという事で、規制緩和のように総量が減る方向のプロセスではない事で混同出来ない事です。つまり以前成功した方法は次には成功しない可能性があるのです。
ここまでは一行為についてのフィードバック制御です。次は行為のフィードバック制御を考えます。
ある共同体で共通に使用する道具があるとします。それを使って補助に使用する材料がなくなると最後に使った者がその材料を補填するというルールがあるとします。さて、共同体設立当初はその成立において生き残る為であったり明確な理由があったために誰も同じ共同体のメンバーを騙すような事はしないでしょう。そんな事をすれば共同体自体が崩壊し更なるリスクに晒されるからです。しかし共同体を継続させ周囲の状況も平穏になったり共同体内部でも諍いが発生するようになると善意を元に決められたルールは効果を失います。今回の例では最後の使った者というルールがあるのでそこを悪用する事で他者に負担を押し付ける事が出来ます。道具を使おうと道具のある場所に行くと後1回分の材料しか残っていないとして自身はその負担をしたくない。ではどうするか、となると簡単な事で、他の誰かが使うのを待つのです。そうして善人が道具を使用し材料を補填した後に道具を使う事で負担を免れます。やがて善人は同じような騙され方をして生き残れなくなるか悪人のやり方に気づいて負担しないために同じような方法を選ぶ事になり、道具の使用に支障をきたし、その影響が波及し、また他の行為にも影響が出ます。ではこれを防ぐにはどうするか、という事になり、期間あたりの消費量を割り出して皆からコスト代を徴収するようにするでしょう。これにより、最後に使った者が材料を補填する必要がなくなり、そこに悪人が詐欺行為を行う余地がなくなります。そして行為は最初に定められた行為へと収束し安定します。ですがまだ詐欺行為は行われるでしょう。次は皆で均等に割るのだから道具を頻繁に使用して利益が得られるようにしようと考えるものが出ます。結果としてその利益を得るためのコストは皆で均等割りになるという負担の押し付けが成立します。ではどうなるかと言うと共通の道具としての維持を諦めて皆でリスクを背負って個人で維持するか皆が競う様に道具を使用してより自分に利益がもたらされるようになるかのどちらかになるでしょう。ではどうするかとなり、管理をして従量制にする事で使用した分だけ負担させる方法になるでしょう。そして行為は最初の行為へと収束して安定します。」
マスター・ララが引き継ぐ。
「ここで注目すべき点はルールを悪用し騙す事で他者に負担を押し付ける存在がいる事でその詐欺行為をさせないためにコストが生じてしまうという事でしょう。全てが善人でそのような詐欺行為など行わないとするなら最も効率よく安価にものを供給できる状態が一人でも詐欺行為を行う者が存在するだけでその詐欺行為を予防するために多大なコストを支払う事になるのです。そしてそういった詐欺行為を行う者というのはそこにも詐欺行為を混ぜ込みます。その管理する費用を自分達に使わせれば良いと考えるのです。すると皆で負担する管理費用で詐欺行為を行う者かその仲間や縁者を養う事になるのです。こうして悪人は肥え太っていきます。行為そのものは収束し安定していますがそこに生じるコスト部分に問題の焦点が移ったに過ぎないという事も覚えておいてください」
エールトヘンが引き継ぐ。
「マスター・ララの話した問題については快感原則と競争原理上、コストの増大は避ける事が出来ないものであり、その状態を受け入れるなら恒常的にかかるコスト部分に悪人を寄生させないようにする必要があります。最善はやはり善人だけで構成された社会かその真逆の高い知性を持ちほんの僅かな悪事で小規模の利益を得ようとする浅ましい短慮な性格ではない人物で構成された社会のどちらかになります。元々神が望まれた社会というのはその善人だけで構成された社会を実現し、それを信仰という規制を用いて制御し、その恩恵を与えている間に高い知性を付けさせて社会を維持する事で得られるメリットと社会を混乱させる事で得られるメリットを比較しても前者を選べるだけの知性を得させる社会です。その社会が成立すれば社会を混乱させて利益を得ようとする者がいなくなるために外からのリスク以外の理由で社会が崩壊する事はなくなります。
これはフェムトシュタイン王家の掲げる意思でありますが、『世界の終わりまで得られる平穏の為ならば支配者にでもなるが、たかが一時の快楽の為に世界を支配するなどナンセンスだ』と開国王は助力を求める為にエルフに言ったそうです。
話を戻しまして今は行為をフィードバック制御により安定させる方法を進めます。このようにルールを追加もしくは改善する事で行われうる間違った行為自体をなくし望ましい行為へと収束させ安定させていく方法を私達は行います。不完全であり全知ではない私達はどうしても全ての事象を総当たりで考慮する事が出来ずその対策に瑕疵が存在しがちです。過去の結果の集合であるリザルトセットを使って現在を分析し未来を予測しますが未知の行動には対応し切れず、そして未知の行動とは現状を分析してルールを追加して行動を制限する事で生じた新たな現状が既に以前とは違う状態になるために発生するのです。それは技術レベルの違い、扱う者の違い、扱う物の違い、環境の違い、などリザルトセットをより詳細に分析する事で避ける事が出来るものもありますがそれでも全てを総当たりで調べる事も出来ず、また生じている違いによる影響がどれだけのものか把握しきれずに対応できない事が多いのです。しかしそれでも以前より状態は改善されその変動はあるも少量となる事もあります。そうしてリザルトセットを用いた推論と予測を基にチャレンジアンドレスポンスを繰り返し、社会の中で行われる行為をフィードバック制御して収束させ安定させます。
ここで生じる未知の行動には善意から来る予測されない行動も存在しますが悪意から来る予測されない行動も存在します。悪意から来る行動には偽装しないままのものもありますが偽装されて実際には行われていないように見せかけるものが大抵になります。偽装されるものはかつて行われリザルトセットにあり知識として持つ事が出来るゆえにそこにある不正をしてでも楽して利益を得る方法の誘惑に勝てずに実行され偽装されるものとなり、その偽装に気づけないと集約される情報と現実の乖離が生まれ現実に発生する問題に気づけないようになります。社会に利益をもたらす問題は見逃し、社会に損失を与える問題には対処が出来ず、社会は悪事が偽装される事で表面上と実状がズレて気づいた時には手遅れになります。ここでも必要なのは予防です。起きてから対処するのでは既に損失は発生しており効率の悪い話となり、1人が実行したという事は他者も同様の手法を思いついてはいるが躊躇するか拒絶している状況を繰り返している可能性があります。ならその誘惑が起こる|間[ま]そのものを先になくしてしまうのです。発生しうる可能性がなくなれば起こる事はなく社会はそれに気づく者も気づかない者も同じ行動を取るようになるでしょう。支配とはそういったものであり闇雲に規制緩和を実行したり強制執行したりするものではありません。
これは勇者の世界にある言葉らしいのですが「戦で分かりやすい劇的な勝ち方をしたからといって最高に優れた指導者とは言えない。太陽や月が見えるからと言って目が良いわけではない事と同じようにそれほど自然にそこにあり地上にいる人々と同じような価値観を持たず全ての民を照らすのが最高の指導者だ」などと言っていたそうです。個人の枠組みを超え社会全体を見据え客観的に判断し他者の状況を考慮し社会を一個の個体として考えその生存と成長を司る者を指導者と言うのです。細胞同士が殺し合うという間違いを出さずアレルギー反応を出さずがん細胞を発生させず栄養バランスを考え規則正しい生活を送るように日常を定義する者を支配者と言うのです。
そして規制緩和などを短慮に行なう事でこれまで間違った行為をする自由を作り出していなかった部分にその自由を生み出す間が生じ表現として「悪魔が封印を解かれた」と使う事があります。初めは誰も気づかないかも知れませんがその内に誰かが気づき、欲望を優先させて実行し不正に利益を得るようになります。ここではリザルトセットにその悪用の方法が残っている事をあえて隠蔽しながら規制緩和を行い不正に利益を得ようとする問題は割愛します。」
マスター・ララが引き継ぐ。
「往々にしてリザルトセットを悪用して欲望を満たそうとする者は知性が足りません。以前に誰かがそうやっていたから真似をすれば同じように利益を得られるのだ、と妄想しがちでリザルトセットにあったような自身に都合の良い結果にならないとそれに不満を述べたり相手に文句を言ったりします。こういった者は重大な事項を見逃しています。まず自身が見たのは自身が見たい部分だけだった、という事。欲望を満たそうとすることはそう言う事です。客観視するには欲望は邪魔でしかありません。そして一番重要なのは、自身がリザルトセットを見て行動を変えたのだから相手も変えてもおかしくない、という事です。自分だけが特別で偉いからリザルトセットにあるように形を真似れば必ず利益を得られる、と妄想するのがまず間違いなのです。そしてなぜ他者がしないのかという理由もまた自分が特別で偉いからという妄想であり他者が敬遠する理由を追求する事もないのです。基本的にこういった類の輩は長い年月を村人などであり組織に対して何の責任もないから組織の維持について考えた事もない為に行動の根拠が少なく細いのです。だからより簡単に行動を実行出来、そしてその責任の重さを知る事もなく高いリスクでチャレンジアンドレスポンスをし、成功したら自身が能力があると錯覚し、失敗するまで続け、失敗してようやく事の重大さを知るのです。そしてその後ではどうにもならないから隠蔽し逃避し相手が悪い事にすれば自身の罪から逃れられると思い込む事で自己正当化を図るのです。」
エールトヘンが引き継ぐ。
「ではその行為がなぜ悪いと言えるのかという部分から入り悪魔の世界まで進めましょう。」
->この思考は初めはかつての模倣から始まりますがやがてその思考はかつての事例を体系化し状況を分析しそれぞれの状況を概念定義で表現しそれを抽象概念からの派生としてまとめ上げ法則化して因果律を客観的事実として定義する事で普遍的な価値観を構築する事を実現しようとします。
<-これを昔の宗教は試みていました。曼荼羅もそうですし、キリスト教などの天使と悪魔の比喩もそうです。それらで心に潜む魔と心の善なる部分を現わそうとしていました。後世になればなるほど俗物化するのはどんなものも一緒ですが。




