S055 それでも約束の地は遠い
ちょいと後半で厳しい批判めいた言葉があるのでお目汚しかもしれません。
「しかしですね。エールトヘン」
マスター・ララがそう言ってエールトヘンに話を振る。
「本当に到達出来ると思いますか?帝国を御覧なさい。彼らは争う事を積み重ねているのです。そして争う事に違和感を覚える事すらなくなった血統です。彼らに可能性があると思いますか?」
マスター・ララのその問いにエールトヘンが答える。
「世界とは拡張と縮小を繰り返し、人はそこで生死を繰り返します。その時々に実は機会が存在するのです。過去に社会が崩壊した経験から次こそはそんな事態には陥らない、という意思を持ちます。崩壊した事で利便性が失われ苦しい状態になり、かつ元に戻す為によい多くの労力を必要とするからです。そんな労力は二度と味わいたくないと思いそれは自分達が努力をしていれば避けれたはずだ、と考えます。そうやって新たな社会の構築を始めます。そして、日々の生活の中で、以前から感じていた違和感を頼りにその原因を探ります。結果としてある割合で自分達が争う事になる原因に気づく者が出ます。ですが競争原理により負ける要因が強いため、能力が強くなければ生き残れずその数はなかなか増えません。そしてまた崩壊し縮小します。そして生き残った者は、また同じような過ちを繰り返さない、と誓い、新たに社会を構築し始めます。そして原因に気づく者の数はその繰り返しにより増していき、社会の中で一定数を確保して争いの原因を排除して社会を安定させようとします。競争原理を言い訳にして、考えないようにしていてもその繰り返しにより積み重なる誤りより問題が発生し深刻化する状況から目を逸らし続ける事は出来ないのです。目をそむき続ける事は薄々とでも気づいていればまるで真綿で首を絞めるかのように状況を悪化させ不安を煽ります。そして他者と敵対するか争いの原因をなくすように行動するかの選択を迫られ、場合によってはまた崩壊し、ですが崩壊するよりは増しだと考えて行動を改めるものもいます。そしてまたラグナロクを迎え、行動の改善を余儀なくされ、遺伝子に刻み、いつしか安定する状態を作り出します。到達するしないではなく、どう到達するかであり、その時にどれだけの技術力を持ち到達したかで利便性が変わりその社会を維持したいかの基準となります。しかし、リソースの需要と供給は均衡しており欠乏していると言えます。ですが社会は安定し、足りなくなるリソースの代替物を見つける事が出来ればそれだけ社会は長く維持できます。それでも何事も例外があります。」
マーガレットが引き継ぐ。
「悲しいけれどその結末を妨害する要因があるの。それは崩壊する事で利益を得てしまった者。崩壊する事で大抵は損失を受けるのだけれど、社会は一律に崩壊するわけではないわ。たまたま軽度の崩壊で、他より優位に立ち、次の時代の支配者や権力者になるものも現れるの。そうなるとそれは成功体験として記憶され快感原則に則り、優先度の高い行動とみなされるの。なぜなら、罰する為の機関は崩壊してしまっているから罰せられることがないの。なら、社会が存続している間は不正に利益を上げて楽をして、都合が悪くなれば社会を崩壊させてしまえば相対的に大きな利益を上げ続ける事が出来ると考えてしまうようになるの。利益は自分達に、損失は他者に、成果物は自分達に、廃棄は他者に、と考えるの。商売で荒稼ぎをしてその社会がダメになると資産を持ち逃げする者などは良い例とも言えるわ。そして気づかれないように社会に細工をして社会が潰れる事も厭わずに利益を上げようとして、自分達に都合の良いタイミングで崩壊させようとするの。そしてそれを許してしまえばさらに同じ選択を繰り返そうとし、更にそれに気づいた者の内から賛同者を発生させてしまう事になるわ。では彼らはどのように利益を上げるかと言えば、神の教えに従う者や善性を示す者を狙うの。善人は社会を良くしようと奉仕活動をする事を厭わない。なら自分達の分の負担もやらせてしまえばよい。善人は欲を出さず控えめに資源を消費する。なら自分達が代わりにその分多めに消費すればよい、と考えるの。そして善人はその負担により生き残る事が出来なくなっていき数を減らし悪人が数を増す。そして神の教えに従っても社会は良くならないから神の教えを捨てる、救いはないと諦める者が現れるの。原因は神の教えにあるのではなく社会の瑕疵を利用して悪人が利益を得ている事だとしても、それは規模の大きい、仕組みが複雑化した社会では分かりづらいから原因が分からないの。そして善人は悪人がする悪事を深く考えた事がないから悪人がどこまでの悪事を働くかを気づけないの。善人は社会をいかに良くするかを考えるけれど、悪人はその間にいかに社会の抜け穴を見つけて不正に利益を得るかを考えるから。例えとしては火事場泥棒と言われるわ。社会の皆が手分けして火元、つまり問題の要因を管理して火事、つまり問題、事故にならないように気を付け、それでも火事になれば火消し、つまり問題解決を行っている最中に、その火事の対処に皆の注意が向けられている間に気づかれないように不正行為を行う、場合によっては不正行為を行うために火事を起す、そんな火事場泥棒のようだと言われる事があるわ」
エールトヘンが引き継ぐ。
「それでも到達はするのです。善人がほとんど消え、悪人だけが残り、互いに騙し合い、貶めあう、だがリソースの欠乏からそうするわけにもいかず、騙して利益を荒稼ぎしたいが出来ず、相手の瑕疵に付け込みたいが自身の瑕疵に付け込まれない為に付け込めず、しかし社会の問題解決には目も向けず、自己の保身と利益のみに注力する状態になります。そしてかつてのように騙す相手がいないかを探すようになり、また、その相手が見つかりにくいのなら作り出そうとします。洗脳、誤誘導、錯覚、ありとあらゆる方法を試します。しかしそれもそれぞれ個々人が経験してしまえば騙される事もありません。やがて、その手法も通用しない、もしくは効率の悪い手法となります。それでも彼らは"昔の夢よもう一度"とばかりにその幻想から離れる事はないのです。一度味わった至上の甘露を忘れる事が出来ないのです。なぜなら自身の能力では正当な方法を用いては手に入らず、不正によってしか手に入れる事が出来ないからです。
しかしその幻想も見続ける事は出来ません。幻想にしがみついて不正を行い続けようとして社会を崩壊させて滅ぶか、その幻想を捨てて社会を崩壊させない現実的な方法を模索するかの選択に迫られ、現実的な方法を選ぶ事になります。そして社会を構築しようとし、また崩壊させ、その繰り返しの末に、不正により利益を得るという甘い夢を見なくなる、という状態に移行します。ただし、その過程までに滅びないという根拠はありません。幸いにも滅びずに生き残った社会では厳格な法の下に不正を排除する為の管理がなされる事になります。先程述べたようにその社会では互いを信用出来ず、形ある保証を求め、そこに自由はありません。どのようなものにも資格が求められ、間違った動作をすれば何か別の意図があると思われるために社会の中では常にストレスを感じます。善性に基づいて、神の教えに基づいて行動し形作る事が出来た社会と最終的に同じ状況に到達するとしてこの差こそが私達にとっては問題になります。快適な生活を求めた為に始めた社会において社会そのものが不自由さを与えるようになるのです。そしてその状態は知性の無い獣の時と同じだと言えます。
その結末に至る時、私達は私達が知識を得ても知性のない獣と大差ないと証明した事になります。手に入れた機会も権利も私達自身の手で台無しにしたという事です」
エールトヘンが話し終えるのを待ってマスター・ララが話し出す。
「たとえそこに辿り着いたとしても救いはないと言えますね。民衆は互いの不信感から付け込まれない為の行動だけを取り、権力者はなぜ社会が発展しないか計画通りうまくいかないかが分からない。そして権力者はそれが今までの自身の行いの結果だとは気づけないし気づいてもどうしようもない。過去に戻せるなら戻したいとは思うのでしょうがそんな事は不可能です。した事はしなかった事にならず、後で取返しがつかないわけですか」
それにマーガレットが答える。
「まるで弱軍のようね。全体の統制が取れず指示にも従わない。指揮官の目から離れた場所では不正が横行し、物資は横流しされる。戦闘に至っては、それぞれが保身のために隊列を乱し、不利だと判断すれば勝手に戦線離脱する。利益が得られると分かっているものには忠実に命令をこなそうとし、そして指揮官の目が離れるとそこでまた不正に利益を得ようとする。日々の日常そのものが闘いという事をまるで分っていないから簡単にルールも破れば、同じ戦列にある味方を襲い奪おうとする。自身の場所を守るために詐欺や犯罪をしてでも守ろうとし自身の属する集団を劣化させる。なまじそれで生き残ってしまうから自身の行動が正しいと思い込んでしまう。しかし社会が闘うのは環境、現実、世界という仮想敵であって、仮想敵は人間の裏切りや寝返りなど必要ともしないし受け入れる事もない。そして現状を打開するだけのリソースを失い防戦一方になる。そうなれば死神の鎌が罪という栄養でたわわに実った麦を無慈悲に刈り取って収穫していくだけになる。」
その言葉にマスター・ララが頷きながら話す。
「そのような者達はそれまで民衆であった時からの性質が抜けていないのでしょう。全体の事などどうでもよく、そもそもが社会とは誰かが、雲の上の人がどうにかしてくれるものであって、自分達はそこで生活していれば良く、どうやれば生活出来る環境を作る事が出来るかなど考えた事もないのでしょう。だから個人の規模では行動出来るが集団でのルールがなぜそうなのか分からない。分からないから欲を満たすために破り、そして罰せられる事でしてはいけないものだとようやく分かる。その繰り返しによりどうすれば罰せられないかだけに特化するという事ですね。そしてそのまま権力を握ればやはりその根本的な性質は、社会とは誰かが作ってくれるという甘えのままに行動する事になる。そして形だけを真似て、"自分は悪くない"と発言して互いに責任を押し付け合う」
またエールトヘンが話し出す。
「そういった行動は自ら地獄に落ちていく、とも言われます。知性は私達に有益なものですが同時にその概念に囚われて間違ってしまう危険があります。これを"括られる"などと表現します。括られる一例として"時間"について話しましょう」
競争原理というのは、誰かがルールを破って不正に利益を得るようになると、他の者も"ルールを破らなければならなく"なります。結果、誰もがその意思と相違してもルールを破る必要が生じ、競争原理はそもそもが社会の仕組みと相性が悪いです。ですが、"勝ってマウントポジションを取れば総取り"というのは、獣には最も分かりやすいルールです。自分自身の知性が低く何を信じればよいか分からない状態では最も魅力的に見え、そして1人がルールを破り、"勝ってマウントポジションを取れば総取り"というルールで動くようになると、皆がそれに合わすように劣化するしかなく、その原理は形質の維持に最も都合が良いのです。後付けで根拠を示す事が出来るのですからなんでもありになります。こうやってなだれ現象は起きます。そしてなるようにしかならなかった結果としてデファクトスタンダードへと行き着きます。




