↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/322

S054 約束の地は

うまく書きたかったが陳腐になりました。読んでる方には筆者の才能がなくてすいませんとしか言いようがなく。

長く、クドく、ほんとスイマセン。


そう言ってエールトヘンは話し出した。



人はそうやって社会の中で奪い合い、貶め合い、やがて破滅する運命を内包しております。しかし、状況によってはそうではない状態を作り出す事があります。それはリソースが欠乏した時です。例えば強大な外敵がいると集団が一つにまとまる、というのが一つの例です。これは内部でリソースの奪い合いをしている状態というのは外部からしてみれば内乱をしており無駄を生じさせている事と変わりなく、それだけの余裕が本来ある事を指します。そして集団内部でも外敵の存在により、ひとまず奪い合うより協力して外敵を排除しなければ敗北し大損失を被るため、要らぬ欲望を出さずに全体の効率を重視する行動へとシフトするという事です。しかし勝ってしまえば長続きしません。そのひと時だけ、全体の効率を重視して協力し合った美しい状況ではありましたが、その状態により得られる利益の内、特別に加算される利益というのは、新たな知識を得る、技術を開発する、外的資源を取得する、といういつ手に入るか分からない不確かな利益となり、それよりも目の前にある形ある利益を求める方がより確実であり効率が良いものとなり、また、競争原理によりそうしなければ負けるために協力し合った状態より以前の状態へと戻ります。

リソースが欠乏した時、賄賂、媚び、などの本来の社会活動とは違い実益を生まない行動は排除される傾向にあります。社会が大規模な場合は、その現状を把握出来ない者が現状無視して賄賂などを受け取って自身の周囲にまでリソースの欠乏を表す兆候が見えるまで悪化させる事がありますがここでは当事者はそれが分かる程度には判断能力があり、リソースが欠乏している状況を把握していると仮定します。そこで行われる社会活動はそれ以上劣化すれば環境を維持出来ないまでに追い詰められているとします。その際に、賄賂を受け取る事があるでしょうか。その賄賂がどれだけの額であっても、それに見合う利益を賄賂を渡す側が得られる可能性はないですが、生命の危機から賄賂を渡さざるを得ないようにはなります。しかし受け取る側もそれがどれほどの額であっても、そもそも賄賂に見合う利益から想定される賄賂の額はたかが知れていますので、賄賂を受け取る事で自身の属する分野や環境が崩壊しては損失が上回る事になり受け取る事はありません。勿論それが不都合だから仲間割れして規模を小さくして相対的にリソースを増やし奪い合う行為をするという選択肢もありますが、ここではそれ以上規模を縮小すれば維持も出来ない規模にまで既に状況は悪化していると考えます。また、周囲も賄賂を贈る者や受け取る者は自分達も巻き込んで社会を崩壊させる為に阻止するか排除するかして状況をこれ以上悪化させないようにします。また、これまで利害関係の一致からなれ合いながらも共に行動してきた者の能力が役割を任せるには不足している場合には最低限の能力を持つように指導したりもします。

ここに、必要に迫られてではありますが、神が示した教えと同じ状況が作られます。つまり、神が示した教えというのは、リソースが欠乏した終末を表す末期的な状態で崩壊しないための最低限のルールを示したものだという事です。それは同時に私達が集団を成し、社会の規模を拡大していく内に体験した経験則から生じたものであるとも言えます。社会の規模が小さく互いの信用が無い時に盗みを行えばすぐに殺し合いに発展しかねません。リソースが欠乏し、少しの損失が生死に深く関わる状況での盗みは殺し合いに発展するでしょう。そして、世界とは何を表すか、と言えば、その時々における個人もしくは集団から見た最大規模の空間、です。つまり、世界の拡張と終末の訪れは繰り返し起き、可能性を得て拡張しては可能性を失い枯死し崩壊して縮小し、その繰り返しにより経験を得て漠然と世界を理解し禁則事項を得て生き残った者達は禁則事項を守りながら同じ過ちを繰り返さないようにまた拡張しようとし、そしてまた崩壊します。

そのどの段階においても、人は人であり、人の生死に関わる条件は大枠として変わりありません。エネルギーは有限であり、自身の周囲からエネルギーが、資源が失われれば死にます。その身はたんぱく質から出来ており、たんぱく質が破壊される条件に変わりはありません。社会が高度になろうともそれに変わりはなく生死を分かつ条件は細分化されようとも別種の何かに代わるわけではありません。この拡張と縮小の繰り返しの中で、生き残った者達の中で禁則事項を確立し、その情報強度を高めた者が生き残り、また、生き残ったがゆえに情報強度を高めます。但し生き残っただけでは情報強度を高めない場合も多くありますがここでは割愛します。しかし社会が大規模になり個々人全てが運命共同体ではなくなり、また、わずかな間違いなど社会の総量からすれば微々たるものであるため、魔の誘惑に負け間違いを繰り返します。


ではその末期的状態においてそこから正常な状態に戻せるかと言えば別の話になります。維持出来ればいずれは末期的状態を改善して社会は上向くのではと考えますが、大抵はうまくいかず崩壊します。

理由は簡単です。それまでに行って来た悪事をいきなり止める事も出来ませんし、また、止める事を了承も出来ません。悪事を働く時、共犯者を作る際には「お前にも利益を分けてやる」、「俺の後任はお前だ」、「次はお前が利益を得る番だ」と口約束をして味方に引き入れるからです。その口約束も果たされない内に、リソースがなくなったから悪事を働いて不正に利益を得るのは止めよう、と言ってもその口約束があるがために損を請け負った側は納得できるはずもありません。また、正当に利益を得ていた側からすれば、不正に得た利益を返却しないなら信用も出来ないので協力も消極的になります。いつまた今までと同じ様に不正を行って利益を得ようとするか分からないからです。いわば、それまでに破滅に向かって突き進んだ勢いが残っているのです。それは社会が大きければ大きい程に蓄えられており、社会の規模に比例した重量のある球体がそれまでに加えられたエネルギーを相殺できなければ転がり続ける様なものとして表されます。

結果として生き残るための最低限の協調すら出来ずに破滅します。これはブレーキを掛けたが停まる事が出来ずに途切れた線路の先から落下する列車などで例えられます。

そしてその助長をするのがリソースがない為にコストを払えない事です。改善するにはリソースが必要です。例えば不況を脱する計画を建てるがそのためには予算が必要であり、どこかから捻出する必要が生じます。末期的状況ではその捻出が難しく、構成員を納得させる事も出来ません。また、一部の集団の利益として徴収するだけだと思われるからです。そして、エネルギーの基本的な考えとして、資源を消費してエネルギーを得る時は期待する量のエネルギーとそのエネルギーを得る為に使用するエネルギーが必要になります。しかしそれを元の状態に戻す時は、状態を戻す為に必要なエネルギーとそのエネルギーを得る為に使用するエネルギーの総和が必要になります。つまり、消費した時のエネルギーは実感としてコストとして使用したエネルギーを引いたものになりますが、それを返済する時はそのコストを含めたエネルギーの総和が必要になるという事です。

それだけのエネルギーを末期的状況で集める事が出来るのでしょうか、となります。勿論、それで社会のどこかに矛盾を押し付けるようでは意味がありません。一部を直すためのコストを他の部分を壊して作り出すという事は掛かる手数料分だけ悪化するという事です。

これは時間軸上においては非効率である事を示しています。ある時に浪費せずに、欲望を出さずにいれば、その後になって余分なエネルギーを使用して元に戻さなくて良かったのです。しかし、その利益享受者が元に戻す為にコストを支払った人物と違う事に問題があるのです。自らは利益のみを得て他者にその負担を押し付ける事が出来るという魔の誘惑に抗えない者もいるのです。そして、自分とはその一生限りの精神の表れ、海面に浮かぶ泡のようなものだと考え、自分が死んだ後がどうなろうと構わないと考え行動するのです。ここに生の捉え方の違いが生じています。遺伝子上に残した情報強度が充分であり社会にもそれを再現できるだけの準備があれば世代継承しても自分を再現できる、という考えではなく、自分はたった一回きりの人生を生きるだけに過ぎない、と考えます。

後者の考えではその行動における制限はより自由になり、取れる選択肢は大きくなります。ごみを集積させても自分が生きている間に問題がなければ構わない、資源を浪費しても自分が生きている間に枯渇しなければ構わない、などのように、長いスパンで考えた場合とは違い、長いスパンで考える者からすれば快楽主義者、刹那主義者のように振舞う事になります。

勿論ここには、嘘を教え洗脳してそういった人物を作り出し操りその人物を通して利益を得ようとする者達が現れますがここでは割愛します。

ではそのような考えが許されるのか、と言えば否です。社会の中にありその利益を享受するという事は自身が受けている利益を次の世代にも受け継がせる事が義務になります。社会における知識、技術は違いに助け合いながら先に生きる者から受け継ぎ、後に生きる者へと受け継がせるものです。つまり、自分が一生限りの存在であり浪費しても後の事など考えなくても構わない、と考えるのなら社会の恩恵を受けない事が条件となります。結果、どのように振舞うのが正しいかと言えば、獣のように爪と牙だけで食料を得る事から始め、社会が培ってきた知識、技術を"自分で"構築していく必要があります。全て自分で行ない手に入れる事が出来る範囲内なら構いませんがそれは明らかに非効率です。実際にはそのような場所など提供出来ませんので、子供の内にそのメリットとデメリットを把握できるように教える事になります。猿山のボス猿と、最先端技術でカバーされた社会の低所得者層、そのどちらがより快適な生活が出来るのか、を教える事と同じ事を教えるのです。しかしそれでも快楽主義者、刹那主義者は現れます。

その繰り返しの末、社会の構成員の行動は、リソースが欠乏した状態に陥る事で、賄賂を贈らず受け取らず、媚びる事で取り入ろうとせず取り入らせず、不正に対して厳しい態度を取るようになります。ですが自身の欲望は押さえきれず、僅かではありますが微差を求める行動を行います。ここではそれは割愛して、なんとかこれ以上の劣化をしない状態を維持出来たとします。それまでにリソースとそれを供給される集団の規模の縮小により均衡を得られたとして、その時、構成員はどのような状態へと変わっているでしょうか。それまでの生き残り競争の為に、相手が付け込む隙を作らず作らせず、簡単に殺し合いへと発展しかねないために注意はするも相手の弱みに付け込んでの攻撃は控え、だが相手を信用でき無い為に協調しているとは言えず、必要に迫られて互いに助け合い、必要でなければ自身の保身の為に状況に無関心になり守りに徹するようになります。そしてその行動は効率の良いものではなく、それゆえに状況を改善する、打開するための行動は遅々として進まず、常にギリギリのラインを這う様に社会は維持されます。協調するには今までの実績から互いを信用出来ず、かといってお互いが居なくなれば社会は維持できず自らの生活への影響が大きすぎ、離れる事も出来ない。対処しなければならない、という受動的な状況に陥ってようやく、罠を仕掛けるとお互いに破滅するしかない状況だから罠を仕掛ける事はない、という保証を元に協力体制を作る事が出来、そうでない状況では協調出来ないようになります。

例えとしては悪いですが、離婚間際の夫婦のような状況になります。それまでお互いがしてきた事からお互いを信用していないが、体裁や生活の為に離婚する事が出来ないという状況です。


さて、そんな状況にいずれ陥るとして、それを受け入れられるでしょうか。私達は何を間違ったからそんな状況に陥ったのでしょうか。そもそもそれを回避するためにはどうすれば良いのでしょうか。それが先人の経験の蓄積と神の教えとなります。

先人の経験の蓄積や神の教えは戒律として示されます。戒律は指針であり、それまでに私たちが過ごしてきた生活の中での結果の集大成のようなものになります。争わないために、殺しあわないために、どうすれば良いかの指針です。そこから外れたものはいなくなった、という実績を持つものとも言えます。それは私たちが生きていくために、滅びないために満たさなければならない条件を教えている、とも言えます。


自分は間違っていないか、これが最善か、神の教えに背いていないか、常に思考し自分を正して自制することで自らをまず律し、社会を維持する為に必要なだけ資源を消費し、むやみに浪費せず互いに助け合いながら能力を向上させ、現実が生じさせる問題に挑む。これが求められる行動指針です。


社会の黎明期には大抵リソースは豊富にあります。それを供給される構成員の数が少ない為に相対的に多くなります。戦争後の場合は極端に減少した生産能力により一時的に人口を支えるだけの食糧などの資源が枯渇しているために一部のリソースは減少していますが、やがて、望むも望まざるも人口の減少によりリソースは足りるようになります。リソースは消費すれば減少し、また、構成員の数が、人口が増えればリソースも必要な量が増え、一人当たりに分配出来るリソースも相対的に減少します。いずれ枯渇するのは運命です。余剰分があるうちは充分なだけのリソースが提供されますが、余剰分がなくなれば元々提供されていたリソースは減少し、そのリソースを使用して行う事が出来る行為の選択肢が狭まります。社会の規模が小さく社会レベルが低い時はより顕著になり、浪費する事がすぐに社会の破綻、生命の危機につながります。そして時間軸上に生じる差別が争いの元になります。『前任者は豊富にリソースを使用して快適な暮らしをしていたのに、後任の私達はわずかなリソースで貧しい生活をしなければならない。お前たちが浪費したせいだ』というようになります。では社会の規模が大きく社会レベルが高くなったとしてその問題は解決したかと言えば解決していません。問題はエネルギー、リソースが有限である事が原因だからです。単に社会の規模が大きくなり総量が、そして人間の認識限界により分かりづらくなっただけに過ぎません。つまり、争わない為に必要な行動と言うものは変わらず、規則は細分化、詳細になりはしても原則は変わらないのです。

また、リソースというものは、末期的な状況を説明した時に示したように、状況を改善する、打開するために必要になります。浪費してしまって後では、取る事の出来る選択肢は限られ、最善な計画を実行する事も出来ずに次善の策やその場しのぎの策、賭けに近い策に頼らざるを得なくなる可能性が高くなります。そして私達が世界の全てを解き明かすのははるか先、事象の終着点です。私達が安定して争う事なく生活出来る世界を築ける未来はいつ来るか、という部分は不確定です。それまでにリソースが不足すれば社会は崩壊するしかなく、期日が決まっているわけではないので、リソースを均等に配分する事も出来ません。よって、浪費を抑える選択をする事になり、贅沢をするなら社会が安定し争うことなく生活出来る基盤が出来上がってからすればよい、という事になります。その時はその贅沢もほんの僅かながらなささやかなものでも贅沢に感じる事が出来る状況になっているでしょう。それまでの生活から資源の大切さを知る事が出来ているでしょうから。

リソースの枯渇は社会の破綻を招き、浪費はそれだけ社会を早く崩壊させます。そしていずれリソースは枯渇しますが、いずれ枯渇するのだからといって浪費して良いものでもありません。リソースは生活に使用する以外に、生じた問題を解決するために使用するものです。消費を抑え、問題が生じた時に必要なだけ消費して問題へ対処しながら、安定し争いのない社会を実現する事が最も計画的です。

このようにリソースの消費を抑えながら、徐々に安定し争いのない社会を目指す。その指向性こそがいつしか私達を約束の地へと導きます。飽食する事が飢える苦しみを得る事を対価に求めるような事でしょうか。浪費する事がリソースの枯渇により不自由な生活をする事を対価に求める事でしょうか。


そして神の教えが示す事がまだあります。例えば、盗まない、を戒律だとします。これを守る者はどういった行動を取るかと言えば、盗む以外の方法を考えるのです。これが何を意味するかといえば、盗むための方法、手順、道具の調達などを一切考えない、という事であり、リソースを割り振らない、という事になります。つまり、自身の持てる可能性の全てをもって、禁止事項に抵触しない選択肢を模索する事にリソースを費やして状況の打開に挑む、という事です。つまり、盗みを考える時、既にリソースを割り振っており、本来あるべき行為からその時点で逸脱しているのです。盗む盗まないの選択肢が生じる状況というのは既に追い込まれている状況であり、状況に対して受動的に行動せざるを得ない状況です。その状況において自身の持つリソースを分割し、最善の行動を取る事が出来ていない状況は効率的なのでしょうか。状況を打開する可能性を低減し失敗する可能性を増やしながら挑み失敗した為に盗みなどの不正を働く。その為、教えは、盗まない、争わない、という絶対的な事項を掲げるのです。自らの保身から来る魔の誘惑に負けてリソースを分割してたどり着ける程約束の地とは安易なものではなく、そんな甘えが通用する程低い目標でもありません。

また、リソースが減少して崩壊間際の状態での行動をも指しており、その状況を打開するための指針だということです。自身の保身に走り、媚び、賄賂、裏切りなどにリソースを割り振る余裕があるなら、そもそもの現状を形作る問題を解決する事にリソースを割り振れ、という事です。

また、その崩壊間際の飽和した状態になるまでの行動の指針でもあります。

最初に浪費をして、飽和した時に神の教えの通りに行動すれば何とか維持できる、と考えたとし、それが成立するかと言えば否です。先程も言いましたが誰が『俺は良くてお前は駄目だ』という無条件な都合の良い言葉で納得するでしょうか。『前任者は浪費して、後任は節約を義務付けられる』事に根拠が必要だとして、『前任者が浪費したから』で納得できる者はいません。物理学と量子力学のように、その扱う対象がマクロとミクロであり、かつ、その中間の状態を考える必要がない程に切り離されているものならば切り替える事は可能でしょう。しかし、社会はつながっているのです。どこかで切り替える事は出来ず、強引にしようとすれば争いの原因にしかなりません。なので、こういった手法をしようとするものは、『お前にも良い思いをさせるから』と言って錯覚させようとし、その次に転換点を設けようとして責任逃れをし、その後任も同じ事を繰り返し、結局はどうにもならなくなるまで浪費を続け責任の押し付け合いに発展し争う事になります。そのため、そういった争いに発展して破滅するのが分かっているのだから、最初からそれを避けながら社会を形作るのが計画的だと教えは示します。


いずれ社会は飽和しリソースは欠乏します。その時にどういった状態なら良かったのか。それを神の教えは示します。戒律を守る事が出来る状態であるなら、互いの不信用から協調出来ないという事もなく、問題に立ち向かうために協調出来るでしょう。他者を疑う事をしないで済むのなら、盗まれない為、奪われない為に使用していたリソースも問題解決の為に使用できるでしょう。それはつまり、リソースの使い方も合わさって、私達が最も長く、最大限に利益を享受できる状態を続ける事が出来るという事です。これを私達は|千年王国[ミレニアム]などと呼ぶ事もあります。


さて、私達の転換点です。私達は生死のサイクルにより、知性の未熟な状態から成熟しながら、自身という情報を再現し、かつ現在の状況に合わせた情報を取得して現実問題へと対処するシステムを運用しています。その繰り返しにより情報強度を強め、行動を修正し精度を上げ、戒律を守り、生活する事でその再現率を高めていきます。その結果、これまでに言いました事を自らの遺伝子と環境情報のみで、新たに教えられる事なく再現する事が出来ればその時、世代継承し続けても間違いを少なくしていく事が出来るようになります。この転換点が約束の地へ旅立つ入り口です。戦争に巻き込まれて社会が崩壊しても、それまでに蓄えた遺伝子上の情報が強ければ、一世代なら乗り越えられるかも知れません。そうやって再現の確度を高めるのです。

この段階に到達した人の数が増す程に社会は良い方向へと向かうでしょう。



エールトヘンは一度そこで話を区切り、ローレンシアを見た後に申し訳なさそうに話し出す。


「お嬢様には謝らなければならない事があります。本来なら導くようにして問題を解かせながらお嬢様が自らこの状態へと辿り着くように計画を建てる必要がありました。しかしお嬢様の状況が特殊であった為にそういった計画を建てる事が出来ずに全て教える事になってしまいました。ですのでお嬢様は自らの成長の中で問題と向き合い、理解しているかを示す必要があります。それに関しては私共も精一杯助力しますので」


しかしローレンシアは既に頭が一杯でそれどころではなかった。それでも、やけに暖かい視線を送ってくるエールトヘン達にとりあえず『お、おう』とだけ返事をしたのだった。


魔法のランプからの続きはもう少し続きますが、私なりの宗教の現代語訳は大体書けました(結構いろんなところに派生しかけて端折りましたが)。

なので個人の気分的に第一部完ですw。


やはり時間が足りないし文才も足りない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。