S052 ノブレスオブリージュとは
その意地悪な質問にエールトヘンはわずかに目を細めたが答える。
「無論です。それは神の予言が示しています。その状況が問題ですが。しかしまず精神の作られ方を語る必要があります。ある集団が互いに助け合って神の教えに従い、知識を高めて文化を築いて他のものより快適な暮らしを得たとします。その者たちにおいては知識を高めるという方法は互いに助け合いながら生活する、という事が当然のように繰り返されます。その集団をAとします。さて、その集団の外はどうでしょうか。当然、自分達との差が明確な形として生じます。自分達が飢える若しくは不便な暮らしをしている事に比べてより安全で快適な暮らしをしているのです。そうするとその集団をBとして、集団BはAに対してアプローチをかけます。自分達が同様の過程を繰り返して同じ知識を得て同じ状況になる、という想像の難しいものより、より目の前にある形を得ようと行動するのが自然となります。本来は前者が理想なのですがほとんどがそうなりません。生活における不利は生命の危険に直結しかねず、より快適であるという事は快感原則上もっとも求められるものです。そうすると集団BはどうにかしてAからその秘密を聞き出そうとします。対価として物品を差し出す、もしくは同じ集団に入れてもらう、という手段があるでしょう。そしてこういった選択の中に良くないものが含まれます。媚びて教えて貰う、盗む、相手を襲って奪い取る、などです。これらの方法で成功した場合、その方法により成功体験が更新され、その選択をしやすくなります。本来求められるのは集団Aの行った行動の結果という実績ですが形として証明してみせた後はその他の方法でも同じ事が可能になってしまうのです。そしてそれはより単純で容易な方法になります。まだ見ぬ技術や概念や計画の成功例よりも誰かが作ってくれた技術や概念や計画の成功実例を真似る方が、手に入れる方がはるかに楽だからです。そうして手に入れたものにとって、新たな知識を得る、自らの生活水準を高める、というのは、媚びる、盗む、奪う、といった方法であると誤認識していく事になります。これは空間上の問題です。
では時間軸上の問題です。私達は忘れます。また、自らが属する社会の全ての知識を持っていませんし、全ての知識を習得できるとは限りません。その際に、生命の危険に晒された状況で、最初の集団Aが行った方法で知識を得て生命の危険を回避する方法を選択する事は出来るでしょうか。これもまた、その自身に足りない知識を繰り返す思考の末に手に入れるより、既に社会の中にいる誰かが持っている知識を手に入れるほうが容易になります。そしてその際にもやはり状況によっては、媚びる、盗む、奪う、といった方法を行う可能性があり、成功すればその成功体験により情報を更新し選択肢として生じる自身の行動の優先順位が変わりやすくなります。例えばテストで問題を自力で解くより解き方を教えて貰うほうが楽、答えを教えて貰うほうが楽、そしてカンニングする方が楽、であり、そこにそれら行動を制限する根拠がなく罰せられないとしたらもっとも簡単なカンニングが選択される結果に辿り着くでしょう。しかしそれでは次が続かないですし、そもそもそこにいる皆が誰かが何かを、知識を、技術を、開発しなくなるでしょう。そして奪う事がもっとも簡単な知識を得る方法、生活水準を高める方法になったとしたら誰もが類似の行動を取るでしょう。長い思考の末に多大なコストと労力を費やして得られる知識よりも、誰かがそうやって手に入れた知識を奪うほうが比べ物にならないくらい容易いですから。これは以前にも申し上げたように、一年かけて作った収穫物を、奪って得るのは一日もあれば出来、それが罰せられないのなら奪うほうを選ぶのが快感原則上もっとも優先される行動になってしまいます。そして誰も作らなくなり、世界は発展に限界を迎えます。しばらくはそれまでに生じた発展による推進力の残りで進みますがやがてそれも新たに供給されないので尽きるでしょう。そうなると今まで作られた知識の亜種しか生まれない事になります。新しい技術として"刃物"が作られたとしたら、剣が作られるかも知れません。剣が作られたとしてらさらに細分化され、レイピア、ロングソード、サーベルが作られるかもしれません。しかしその後のものになればなるだけ最初の"刃物"が作られたという事実に比べれば些細な事であり、"新しい"ものではありますがそれほどの影響力もないのです」
そこでエールトヘンは一度話を区切る。するとマスター・ララが話し出す。
「そうですね。ある学問でもその黎明期に確立された式や概念から将来発見されると予想されたものが示され、それを後世の研究者が証明する事はありますが、それでもその構成の研究者が最初にその学問を唱え、また確立していった人物達と同じかそれ以上の能力を有しているとは言えないですし。証明する事は出来てもそれは誰かが作ってくれた知識の延長上を辿っただけに過ぎず、初期の人物たちが有していた発想力や認識力を有しているとは言えないのです。そして往々にして後世の魔導学者は、誰かが発見したものの延長上にあるものを研究さえしていれば魔導学者であると錯覚し、それはかつてそうやって行動していた魔導学者が居た名残、残骸、形骸でしかありません。だから彼らは証明される事で、やる事がなくなる事を恐れ、最大限の時間稼ぎをしたり、見つかっていないように振舞う事すらあります。利益を最大限にするにはそれも方法だという事です。モラルやルールを外してしまえばそのような選択は簡単な事になりますから。発見したものを周囲に提供する、というのが個人の利害と一致する事は極めて珍しいのです。たとえそれが国や自治体から予算を貰っていてもです。そもそも彼らは"自分達の能力で"予算を勝ち取ったと思い込む事が多いので貰って当然だと考える事も多いです。その場合も最大限の利益を上げるには長い期間かかった事にするのがもっとも利益につながります」
マスター・ララの話が逸れ始めたのでエールトヘンが割って入る。
「その黎明期の学者と後発の学者の違いはリーダーとメンバー程の差という事です。リーダーは全体がどのように行動するか、その目的、目標をどうするかを"世界を見て"情報を集め識別してある程度の案を出しますが、メンバーはどのようにリーダーがその案を出したのか知る必要もなく、また知る事が出来ないかも知れません。メンバーとしてはその目標を達成するにはリーダーの指示に従うだけで良いからです。そこには目標達成の為に協力する、という能動的な意思はありますが、その目標がどのように決定されたか、という根拠を知らない事で、指示された行動がどのような根拠を基に決定されたのかを知る事がないため、受動的に行動する事になります。与えられた指示をこなすだけになる、という事です。多少自身で違う選択肢の方が良いと思ってもそれが目標に与える影響が分からなければ変えるリスクを選べない事になります。それでも多少は理解するものがいて改善はされますが改善出来るからと言って、最初に案を出したリーダーと同じだけの思考を行っているとは限りません。
また、別の例えとして、ある地点に到達するために地図を作成できる者とその地図に従って地点に到達できる者との差、とも言えます。地図が作成できる者はその作成方法と何を識別すれば必要に足るかを知って作成します。しかし地図を見て行動する者はそのような知識がなくとも地図の内容を理解する能力があれば良いだけです。地図を見て地点に到達したものが、もし仮にその先へも到達する必要があったとして同じように地図を作成する事が出来るかどうかは分かりません。地図には"必要ないから"記されなかったものやなくとも良いが情報の補完の為に記されたものもあり、それは複数の判断の成果物です。それを逆算する事は難しく、それを行うには地図を作成した者と同等程度の知識が必要になり、それを下回る程に間違いを発生させやすくなります。
別の例えでは、料理を考えましょう。栄養学を学んでカロリー計算、栄養計算をしている者が献立を作ったとしましょう。そしてそれを実行するだけの料理人が居たとします。料理人はその献立を修正は出来ますが、その結果として献立を作った者の期待した結果を変えずに修正出来るでしょうか」
エールトヘンがローレンシアに確認の意味を込めて目線を向けると、またマスター・ララが話に割って入る。
「魔導学においてもそれ以前も世界の見方は変わりないですが魔導学では世界をエンコードされたものとして捉える事があります。今の世界が出来上がるまでに世界を司る法則により生じた結果物が互いに干渉し合い現在の形へと収束したと考え、それは形に見えるものが色々な法則によりエンコードされたものだと仮に定義します。つまり、最初に新たな知識を得る、技術を開発する、者は世界そのものを一部なりともデコードして解明した、とも捉える事が出来ます。そしてデコードした結果を五感で認識出来、かつ人間の身体で実行出来る形式へと変換していると言えます。そしてその後に続く者はその変換された形式である手順や知識をなぞるだけで良く、最初に新たな知識を得た者と同じだけの能力を持っているとは言えません」
「つまり世界の起源は神しか知らず私達は知らない為に私達の見るものはいくつかの原因により発生した結果が混ざり合ったものであり、そのものが生じた要因を知りたい時は、つまり"なぜそうなったか"を知りたい時は現在あるものから推測する事になり、結果を見て原因を推測する事になります。これを'Vの視点'と言います。例えばある製品があるとして、その形状や材質からその製品がどうやって作られたかを知る事は予想出来る事はありますが、手に入れられる情報では予想する事が出来ない要因は知る事が出来ません。つまり情報の不可逆性です。ですが、その製品を作る過程で手に入る情報だけではどうしても作成できない事から、他の要因があると過程し推測する事で製品の作成に必要な足りなかった情報を導き出す、これが新たな知識を得る、という事の端的な例です。
私達はその法則性を導き出す時、常に"Vの視点"で物事を見ています。なぜなら世界の始まりを、その構成要素の全てを知らないからです。ですが相対的には部分的にそうではない事があります。ある物事が始まる時からその事象を見ているとその成立過程、原因を知っているために時間経過した後にその事象に関連する事象が起こる要因というものをある程度は把握しやすくなります。ですが、その情報がないもの、途中から参加した者などは、現在あるものの情報と起こった事象とでどう解決すれば良いのかを考えるしかありません。ない情報は活用できませんので。つまり、この視点が"Vの視点"になります。その視点の短所を少なくし、より多くの情報で問題を解決するには、なぜそう取り決められているのか、なぜその事象は起こったのか、と"なぜ"を繰り返し、少しずつ情報を集めるしかありません。そしてこれは世代間継承にも言える事です。生まれた時には既にある環境の中にいるものはその成立過程を知らない為になぜそう取り決められているかなどを知る必要もない事からその情報を得ようとしなければ情報が足りないままになります。遺伝子上に残る情報から再現できる事もありますし、それが補強となり情報を集める事と相まってより早く根拠を知る事は出来るかも知れませんが、やはり"Vの視点"でいる事には変わりません」
マスター・ララの話に補足する形でエールトヘンが話を引き継ぎ、一息ついてから話を続ける。
「では話を戻しまして、集団Aは集団Aのまま知識や技術を高めてより快適な生活を送る事が出来るようになるかもしれません。時折ある地域にだけ突出した集団や文明が生じる事があるのですが大抵はこのパターンです。なぜなら、他から奪うという事は出来ず、またそんな事も考えずに自分達で乗り越えていくパターンです。次に他の集団と提供し合い互いに高め合うパターンです。ですがもっとも多いのは他の集団から奪って高めるパターンです。新たな知識を得る、技術を開発する事を自らで行う事は奪う事よりはるかに非効率であり、また、成功と失敗でははるかに失敗が多くなります。つまり、ある地域に複数の集団が居たとして、その中の1集団が成功した際に周囲には試行に失敗した集団或いはそもそも試行しなかった集団がいる事になります。ではその周囲の集団は成功するまで同じようにするかと言えばするはずもなく、途中でその技術から出来る成果物を物々交換などする過程は生じますが最終的には奪ってしまえばよいという考えになります。その繁栄を見る彼らは同じように繁栄するためにはその方法しかない、と考えるのです。
盗みで流出、戦争で強奪、方法はともかく、手に入れます。この時から、彼らにとり新たな知識を得る、技術を開発する、というものは誰かから奪うものである、と認識され、その結果により繁栄を見た周囲は"自分達も"同じように繁栄したいがために同じ行動を行おうとします。その行動は"誰にでも"出来、目に見える形で示されます。そして罰せられないから制限するものもないのです。そして、繁栄とは"自分達で能力を高め合い得る"ものではなく"他者から奪い得る"ものだと誤りは蓄積されていきます。内側からは世代間継承時の欠損もしくは偏りにより、外側からは他の集団が新たな知識の獲得、技術の開発により優位に立ち差が生じる事により、知識、技術面で不利になり生命の危険に晒されたがためにそのリスクを排除するため、現実的な形ある実績を持つ効率的な方法を選んでしまいます」
エールトヘンの話を補足するためにマーガレットが引き継ぐ。
「つまり、本来新たな知識を得るために能力を向上させる必要があり、向上させた者が新たな知識を得たとして、それを奪う事が出来れば、同レベルの能力は必要ない事を表してしまうの。誰かが魔導学の1分野を極めてあるものを作ったとして、そのものを盗む、奪うには同等の知性は必要なく、また、その方法を盗む、奪う場合も同様になるの。それが成立した時から、快感原則にのみ従い深く物事を考えない者にとっては、知識や技術は奪うものであり、また取引により得るものだとなるわ。それがより楽であるから。そして、誰かが知識や技術を得たら、それを貰うだけで良いと考え本来のレベルでの思考を止めてしまうの。それはつまり形だけを、誰かが作ってくれた知識、技術、環境だけを見るだけになり、自分の能力では"世界"を見る事を止めるの。これを盲目と表現するわ。その状態に依存している状況を「揺りかごに揺られている」とも表現するの。状況がより事態を悪化させる時に保身の為に自らの得た知識や技術だけにこだわり、現実的に問題に対処しない場合は「自閉症」とも表現されるわ。そしてその誰もが自身の能力で、五感で、ありのままの世界を見て情報を識別する能力が不足している。だから、現実の問題を正しく認識できず、正しい解決方法を得る事が出来ないの。そしてそれまでにある形ある実績に依存しそれを選択してしまうの。媚び、盗み、強奪、脅迫、戦争、かつてあり状況次第では罰せられずに目的を果たし生命の危険もしくは不利な状況を回避できる選択をしてしまう」
どこか悲しそうな表情を浮かべるマーガレットを横目にエールトヘンが引き継ぐ。
「そういった者たちの"世界"は実際の社会の規模が示す世界より小さく単純であり低い知性でも維持でき、低い知性だからこそ間違いに気づかない、もしくは気づいても修正出来ない事が多いです。しかしこの部分はまたの機会にしましょう。
では精神の在り方ですが、ある社会に一人の人間が生まれたとします。その者はその血統により、体力に恵まれ反射神経なども良かったとします。しかし同時に荒事ばかりを経験してきたためにより物事を物理的に処理しやすいと考えます。彼は自身の限界を迎えた時、或いは新たな知識を得ようとする時、どのような行動を取るでしょうか。自らの力で能力を向上させて得るかも知れません。ですが、誰かを脅して、或いは盗んで、或いは奪って得るかも知れません。先ほどまで述べたように成功は失敗より難しいです。条件の組み合わせの内、その一部のみが"成功"とみなされるからです。
ではより高度な知識になっていけばどうでしょうか。条件は増え、成功確率は低下し続けます。ではその非効率な方法を永遠に繰り返していけるでしょうか。大抵は出来ません。能力を向上させるという行為がニーズから生じている場合には失敗すれば不利な状況に陥ります。その失敗により生命の危険に晒される場合、それを受け入れられるでしょうか。そして人は形ある実績を持つ現実的な方法に、それがその場しのぎであってもリスクを回避する可能性を求め、そこにある魔の誘惑に勝てずに間違いを犯します。
それを抑制する要因は低い知性にあっては盲目的な信仰、高い知性にあっては、論理的に間違いである選択肢を排除出来る事でありしかしそれでもリスクは排除出来ない場合が大きくやがて間違いを犯します。つまりどのような知性の高さであっても間違いを犯すリスクは生じます。間違いが知性の低い時に生じた場合、それはより物理的に偏り、知性が高い時にはより社会活動に生じる瑕疵に偏る傾向があります。物理的な方法は証拠が残りやすく、また明確である事も多い為に、他の物事と同じであるかの様に錯覚させて実行する事が難しくなります。高度で複雑な手続法に抜け穴があってもその手続法を熟知していなければその欠点は把握できませんがそれを把握するだけの知性がなければその間違いを指摘出来ません。それだけ誰かに気づかれる可能性が無くなるため、物理的な暴力という方法で解決するよりそちらを選択します。そして失敗は成功より容易く、それだけコストがかからないために利益も大きい。つまり、その魔の誘惑に負けたものはそれを繰り返そうとし、また、競争原理により、その間違いが放置される事になればいずれ正当な手段を行う者は居なくなるか極端に数を減らします。その残った者も、その行為の結果生き残っているのではなく、別の要因による利益が不利益を相殺しているから、となります。
そうした間違いを放置した結果、個人はその間違いを犯しても罰せられる事がない、もしくはその可能性が低いと考えるようになれば、リスクと利益を天秤に掛け実行するようになります。そして、知性の低い段階で物理的な暴力で物事を解決するようになれば、知識とは他者から奪い取るものだ、他者に実行させてその結果を奪い取るものだ、と思い、それが当然だと思うようになります。そうならないだけの思考の繰り返しを行い、論理的に否定するだけの根拠を持たず知性を発達させていないからです。もしくは、欲望がその論理性を上回るからです。罰せられなければ何をしても良い、と思える程度の知性では欲望を抑える事は出来ません。つまり子供の内にそうならないようにしっかりと論理教育が必要で、魔導学だけを詰め込んでも社会行動の根拠は出来ません。ですが、競争原理においては、その根拠を思考の繰り返しにより自らで得る、というのは非効率であり負ける要因になる、という事です。競争原理に必要な条件そのものに論理教育そのものを組み込む事でしか達成出来ないでしょう。社会行動の根拠が分からず基準がどういった理由で設定されているかを理解出来なければ競争自体に参入出来ない、という考えですが、当然そこにも抜け穴と悪用が存在するので説明は必要ですが割愛します。
しかし例えそうしても達成できない可能性があります。大は戦争、小は迫害による機会の喪失です。戦争により荒廃した土地に住む人々は教育を受ける事も困難になり、また、資源も少ない為に奪い合い、早い者勝ちになります。そうした社会で成長したものはその行動原理として、恐喝、押し付け、強奪、媚び、賄賂などの手段を実行しやすくなります。それの何が間違いかを考える余裕がなく、また、間違いを知っていたとしても正しい行動を現実的手段として選択出来ないのです。しかしそれが局所的だったとしても、やがてその混乱が治まっても、違う地域に移動しても、最終的に行動原理は先ほど示した方法に偏りやすくなります。そして他の地域における行動基準を同じレベルにまで引き下げながら利益を得ようとします。
お嬢様に申し上げますのはしっかりと勉強なされて社会とはどうやって成り立っているのかを良く理解してください。お嬢様は貴族です。誰よりも社会を理解し間違いを正す必要があります」
エールトヘンはそういって締めくくる。ようやく終わったかと思ったローレンシアだが最後の部分が気になり思わず聞いてしまう。
「それ知ってる。ノブレスオブリージュとかいうやつじゃな?貴族は民を守らなければならない義務がある、というやつじゃな?」
その言葉にエールトヘンも含めローレンシアとローラを除く一同がピクリと眉を顰める。『あ、マズイ』と思うローレンシアをローラは黙ったまま面白そうに眺め、エールトヘンが続きを話し始める。
「ノブレスオブリージュとはそういった意味ではありません。それは恐らく民から見たそうであって欲しい、そうでなければならない幻想、というものです。民は弱者であり危険に晒されやすいです。民からすれば貴族がいつでも守ってくれれば不安が取り除ける、そして貴族は民から税や奉仕を受け取っており、民は義務を果たしている。だから貴族は同じように義務として民を守らなければならない、という自身の不安を取り除くための無条件に成立する確約が欲しいという幻想です。|高貴さは現実問題への対抗を伴う《ノブレスオブリージュ》とは飢餓、争い、その他全ての問題に対して、貴族としての権利を持つ者でしか対処しえない規模の問題に対して対処をし、対処をするからこそ貴族足り得、貴族に選ばれる条件にはその高貴さが必要だと言う事です。まるで民を守るのが無条件に、義務的に、絶対的な事項として存在しているわけではありません。そこを間違えますと問題に対処する時、自由度が失われ、より不利な状況へと陥る可能性が高くなります。ですので個人の視点で、より規模の大きい問題に対処しようとしてはいけません。それぞれの規模にはそれに応じた基準と条件があり、安易にそれを個人の規模での基準や条件と混同しては相手の思惑通りに動く事になります」
エールトヘンがそう言い、マーガレットが付け足す。
「例えば戦争の際に逃げ遅れた1人を守るために城門を開け続けて敵に侵入され全滅しました、では本末転倒になるの。先程のローレンシアが言っていたノブレスオブリージュではそうなってしまうわ。それが絶対的な義務であるならそうなってしまう。だからそんなものは成立しない。でもそれは同時にもっとも理想的な状態から劣化すると言う事でもあるわ。だから貴族には最善性が求められるの。最も良い、最も善い結果を得るための行動が求められるの。それこそが"高貴さ"であり、人が最終的に手にいれる必要になる要素の一つよ。その指標となるために貴族はそうあるべきでありその姿を示し、形として見せる必要があるの。知性がある程度高くなるまではそうやって見せる必要があり、その結果として現実社会が正常に機能している結果と合わせて、間違っていない、という事を示す必要があるの。でも安心して、ローレンシア。あなたなら大丈夫よ。1人で世界の全てを背負えだなんて誰も言っていない。あなたはあなたの役割の分だけ背負えばよいの。そこから始めればいずれはもう少しだけ背負えるようになる。その時に、高貴さで以て倒れそうな誰かの分を背負えばよい。ただそれだけよ」
マーガレットの言葉に頷くエールトヘンの柔らかい笑顔がローレンシアを安心させている所にマスター・ララが話を引き継ぐ。
「これは精神の在り方でしたね。ならまだ知っておく必要があります。その高貴さとは反対側に位置する者は居ます。誰かが助けてくれるだろうと努力を怠る者と誰かに助けてもらおうと演技をする者です。ノブレスオブリージュを心に掲げ行動しているとすれば、その心に付け込んで、あえて弱者の振りをして物乞いをしたり、援助を受けようとしたり、代行してもらおうとする者が現れます。彼らは実際にそういった状況に陥っている者と同じ様に振舞い錯覚させて利益を得ようとします。故にお嬢様はその違いを見分けるだけの判断能力と識別能力を身に付ける必要があります。だからこそ彼らはお嬢様のおっしゃっていたノブレスオブリージュ、貴族は民を守らなければならない義務だと決めつけたいのです。そうであるなら同じ状況を作り出せば無条件に救ってもらえ、利益を得る事が出来るシステムとして利用出来るからです。お気を付けください。ある程度の知性を有さない段階ではそういった物事の何が悪いかを明確に理解できません。そしてある程度の知性を有して何が悪いかを理解できても違いを識別できずに分離できないなら、罰せられないからしても良いとして行動する者もいます。そのような悪用を見逃せば見逃しただけ彼らは増長し、そして正当な評価を受けるべき者が不利益を被ります」
「お嬢様なら出来ますよ。前世の記憶がある時点で、ない者より既にアドバンテージがあるのです。ない者が同じ基準に辿り着くだけの時間を更に費やせるのです。少しずつ高めましょう。ここまでで精神の在り方を知る事が出来たと思います。魔の誘惑に負けないように、そしてそれを退ける根拠に論理性を求めるようになってください。では神の予言へと繋ぐためにもう一つ役割分担について話します」
今回の主題のために、"戦争により強奪した知識、技術が拡散して広まり全体としては進歩する"という事実は省きました。銀行強盗した犯人が奪った金をばらまいてそれを拾った集団の生活が向上したとして、強盗自体が良かったのかと言えばそんなはずはないので。




