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パンの香り

 最初は優しかった抱擁が、時間が経つと共にゆっくり強くなってきた。

 エンフェルトは、ずっと何も言わない。

 ただ黙って、ギュッと、僕に抱き着いているだけだった。


 いつもと違う雰囲気に僕は何も聞けなかった。

 でも、嫌な感じはしない。

 そう思っていると、エンフェルトが今まで聞いた中で、

 一番辛そうな声を出した。



 「…優に、内緒にしてた事、あるんだ…」

 「なに?」

 「…私達は皆、犯罪者なんだ…。

  …悪い人なんだよ…」

 「…よく、わかんない」

 「…ふふ…優はまだ子供だもんね…」

 「…子供じゃないもん…」



 同じようなやり取りを昼間にした時は楽しかった。

 今の弱弱しいエンフェルトと話してると、どうしようもなく不安になる。



 「…悪い人には、見えないよ?」

 「…勝手に城を占拠して、勝手に色々に売りさばいて生きてきた…。

  …貴重な召喚石も無断で使って、あまつさえ、その転生者を手にかけた…」



 それを聞いて、最初の部屋の骨を思い出した。

 そうか、そういえば僕も殺されかけたんだと、今更ながらに思い出す。

 それでも、エンフェルトの腕から離れようという気は欠片も起きない。



 「…怖いでしょ…?」

 「怖くない」

 「…でも、王都に送り届けてあげるって言ったらどうする…?

  …優は可愛いから、聖女が大事にしてくれるはずだよ…。

  …贅沢が出来て、きっと甘い物もあって、今よりずっと幸せに暮らせるんだ…」

 「エンフェルトや皆の方がいい」

 「…。…そっか…」



 エンフェルトはそれだけ呟いて、僕から離れた。

 そう言えば歯を磨いてなかったねと言い出し、ランタンを持って食堂に向かう。


 そこにはもう誰も居なくて、部屋も真っ暗。

 奥に広がる暗闇に、何かが存在してる気がして、とても怖い。

 だからエンフェルトの手を、強く強く握る。



 「私は怖くないのに、暗い部屋は怖いの?」

 「…エンフェルトが、怖いんじゃないかと思って」

 「ふふ、そう言う事にしておいてあげる」



 暗い部屋。

 ランタンの明かりを頼りに綺麗そうな歯ブラシを探す。

 少し苦労して見つけたそれを使い、エンフェルトと並んで急ぎ、歯を磨く。


 時折、部屋の外から足音が聞こえて、それがまた恐怖を誘う。



 「ね、早く部屋に戻ろうよ」

 「もっとちゃんと磨いたらね」

 「だって足音が聞こえて怖いんだもん」

 「それはするよ。皆だってトイレに行ったりするんだし」



 結局、もう一度ちゃんと歯を磨かされた。

 今度から明るいうちに磨こうと心に決めて、食堂を後にする。


 エンフェルトの部屋に着くとやっと一息つけた。

 でも予想と裏腹に、エンフェルトは一人で早々にベッドに横になり、

 なぜかランタンまで消してしまった。



 「おやすみ、優。また明日」

 「…。…エンフェルト、また一緒に寝てもいい?」

 「…そう言ってくれると思った。おいで」



 おいでと言われ、エンフェルトのベッドに潜り込む。

 僕を抱き締めたエンフェルトは、いじわるだったねと申し訳なさそうに笑う。



 「こうしないと一緒に寝てくれないかと思ったから、ごめんね」

 「鍵、閉めた?」

 「閉めたよ。もう、誰も入ってこれないから安心して」



 昼間は賑やかで気付かなかったけど、暗くなってある事に気が付いた。

 此処は前の世界と違って、音が無さ過ぎる。

 だから暗闇で不意に聞こえてくる足音が、異常に怖い。


 でも、今はエンフェルトの心臓の音が聞こえているから、落ち着いていられる。



 「そんなに怖がらなくていいよ。私はずっと傍に居るから」

 「朝まで?」

 「朝まで」

 「…明日も?」

 「毎日こうやって、一緒に寝ようよ」

 「…うん…寝る…」



 明日もこうして眠る約束をすると、やっと心から安心できた。

 すると、少しずつ眠気を感じ始める。

 目を閉じると、エンフェルトから少し甘い匂いがする事に気が付いた。

 その匂いに包まれながら、だんだんと意識が遠くなる。 


 翌朝までぐっすりと眠れた。

 エンフェルトは約束通り、朝まで僕を抱き締めてくれたみたい。

 目が覚めたけど、もうちょっとだけこのままで居たい。



 「団長~、優~、おはようございまーす。

  開けますよ~って、…あれ?鍵が…。

  …ちょっと団長!鍵は掛けないって決めたじゃないですか!」



 この声はステラだ。

 ステラは鍵が掛かってる扉を、何度もガチャガチャと開けようとした。

 開かないとわかると、次は強めに扉を叩きながら叫び始める。



 「ちょっと!鍵掛けて何してるんですか!

  あっ!まさか優にやましい事してるんですか!

  ずるいですよ!ねぇ、ちょっと団長ー!」

 「…はぁー…。騒がしい朝になってしまったね。おはよう、優」

 「おはようエンフェルト。やましい事ってなに?」

 「うん?私にもわからないから、ステラに聞いてごらん。

  とりあえず、起きるとしようか」



 エンフェルトが声を掛けると、ステラは大人しくなった。

 鍵を開け、部屋に招き入れるとステラはすぐに布団を調べ始める。



 「何してるの?」

 「優が大人になったかなって」

 「どういう意味?あと、やましい事ってなに?」

 「わからないならいいんです!」



 ステラの説明はよくわからなくて、頭の中がハテナマークでいっぱいだ。

 やがてステラは満足したみたいだけど、

 僕の前で変な事を言うなって、エンフェルトに怒られてた。

 僕は何処が変なのかもよくわからないまま、話はうやむやにされた。



 「…なら、なんで鍵掛けてたんですか?

  閉じこもると気が滅入るから、鍵掛け禁止だって言ったじゃないですか」

 「優が鍵を掛けないと怖いって言うから仕方なくだ」

 「え?ぷぷ、もしかして優はおばけとか怖いんですか?」

 「ステラは怖くないの?」

 「まぁ大人になると、おばけより怖いものがわかるようになるんですよ」



 もしかして、おばけより怖いものがこの城に居るんだろうか。

 なら、やっぱり夜は鍵を掛けないとダメだ。

 ステラに笑われても、それだけは守っていこう。



 「それで、こんな朝っぱらから優に急ぎの用事でもあるのか?」

 「あっ!そうそう、皆のパンを焼こうとしてるんですけど、

  優が見たいかなって」

 「見たい!焼きたい!」

 「でしょ!手伝ってくれますか?」

 「うん!」

 「ステラの手伝いはいいけど、歯を磨いてからね」



 食堂に行くと、昨日のパン生地のほとんどは成形されて並んでいた。

 パンを焼く石窯にも既に熱が入っており、後は入れるだけの状態らしい。



 「優と団長が作ったのはそのままにしてありますから、

  まずは好きな形にしてくださいね~」

 「私のも?それじゃ一緒に作ろうか。その生地なら四つ分くらいだね」

 「こんな感じ?」

 「そうそう、上手だね」



 生地を成形しながら、時々ステラが焼いているところを見る。

 真っ白い生地が焼かれて、キツネ色になって出てくると香ばしい匂いが漂い始める。

 それを嗅ぐと、ぐぅ~っとお腹が鳴った。



 「パンが出来た!ステラ、僕もそれやってみたい」

 「お、やりますか?なら一緒にパンを入れてみましょうか」



 ステラと一緒に大きな木のヘラを使って、パンを石窯の奥に入れていく。

 焼く時間は思ったより長いけど、こんがり焼けていく様子が面白い。

 夢中になって覗いていると、いつの間にか僕の後ろにも人だかりが出来ていた。

 会話を聞いていると、パンの香りに誘われて集まってきたみたいだ。



 「優は皆にパンを配ってくれますか?

  …お水も一緒にいいかな?」

 「いいよ」



 ステラの発言に、皆が我に返ったように列を作った。

 トレイにパンを二個乗せて、水も一杯入れてあげる。

 誰も彼もが笑顔で、僕も嬉しくなった。



 「エンフェルトももう食べる?」

 「いや、私は今焼いている優が作ったパンが欲しい」

 「じゃ、僕エンフェルトが作ったパンがいい」

 「一個ずつ交換しようか」



 全員に配り終わった後、最後に焼いたパンをエンフェルトとステラと一緒に食べた。

 一口齧ると温かくて柔らかくて、とても美味しい。

 自分でパンを焼いたのは初めてだったけど、

 なかなか上手に焼けている気がする。



 「粉が古い割には、かなり美味しいですね」

 「聖域が近いから、ある程度は劣化を防ぐんじゃなかったか?」

 「試しに作ったパンを大聖堂に置いて、痛むのか、見てみましょうか」

 「そうだな…。試しにやってみるか」



 二人は真面目な顔で、難しい話をしていた。

 こんなに美味しいんだから、嬉しそうに食べればいいのにと僕は思う。


…。

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