影使い=強者
鋭い突き、から手首を返しての切り上げ。俺が間合いを取ったら一歩踏み込んで突きを放ってくる。この隙を与えないような連撃、どこかで見たような……。
あぁそうか、あの時もこんな風に踏み込んできて大振りをわざと外してから逆手に持ち替えて――やっぱりそうだ。
鼻先を掠めるように戻ってきた刃を避けつつ、リーナの動きがカサンドラそっくりなことを思い出した。もしかしたらあの子の親戚だったりするのか?最悪の場合は恨まれることも覚悟しないといかんな。
「クソァ!逃げんな!」
「反撃してもいいのか?」
飛び込もうとした姿勢でリーナの動きが止まった。
これは本能的なもので、体が自分の意志とは裏腹に死を回避しようと距離を取りたがっているんだ。
俺も死の谷でしょっちゅうこうなったからよくわかる。
「もういい。あんた、殺すわ」
「切り札ってわけか。見せてみろ」
「…………バカにしてッ。リーナを見下したこと、後悔しても遅いから」
まだ怯えは消えていないが、殺意がより静かで鋭利なものに変化した。
リーナが左手の甲に指先を触れると、見たことのない術式が浮かび上がった。
小さくて詳細は不明だが、あれもディーネの結界術と似たような構成か?そうなると血の契約によって効率と専用化に特化した魔術だろう。
「人が相手のときはなるべく使わないようにしてたんだけどね。だって、すぐに死んじゃうからぁ――目覚めろ、プラムの亡霊!」
最後の言葉がトリガーとなって術式が発動。リーナの体内をそこそこの魔力が激しく動き回った。
細い腕の筋肉もわずかに膨張し、体全体が一回りほど大きくなった。瞳の色も青から緑色に変化しており、恐怖は怒りによって完全に消え去っている。
なんて素晴らしい魔術だろうか。男なら誰もが憧れるパワーアップ系の切り札とは……。
「あっははははは!こうなったら自分でも止められないからぁ!文句なら数分前の自分に言ってねッ!」
「いいだろう。先手は譲ってやる」
「……は?あんたってまだ自分が上だと思ってるわけ?」
「これは戦いではない、セミナーだ。お前のダメな部分を教えてやるからさっさとこい」
「…………死ねァッ!」
怒りのポップコーンと化したリーナが悔し涙を浮かべて飛びかかってきた。
先ほどよりも速い突きと斬撃が右に左に幾度となく振われる。激情に狂いながらも的確に急所を狙っているようだ。
必死なリーナを見ていると、なんとなくボスニア殿の燕返しを思い出した。あの一瞬で放たれたような二連撃は本気で避けてなお鼻に傷をつけられた。あの剣技には彼の研鑽と魂が宿っていたんだ。
だがリーナを比較するならカサンドラが一番わかりやすい。俺も間近で見たからわかるが、短剣術に関してはカサンドラの方が明らかに上手だ。リーナにはこのパワーアップもあるが、四割の身体強化を付与したカサンドラはこんなものではなかった。
あいつはちゃんと身体強化を習得できただろうか?無理をしていなければいいが。
「グ……ガァ!なんで、当たら、ないの!?」
この子は精神的に弱すぎる。なんせ軽く煽っただけでこれだもの。俺が余裕を持って回避できているのがなによりの証拠だしな。
しかしリーナには伸びしろが……いや、伸びしろしかないんだ。身体強化とは別の魔術による強化なんて考えたこともなかった。あれが俺にも使えれば多少はマシになるんだが。
「……はぁ……はぁ……なん、なのあんたッ!」
「もったいない奴だなお前は。仕方がないから教えてやるが、とりあえずその状態で身体強化してみろ」
「…………」
「どうした?はやくやれ」
「…………無理に決まってるでしょ」
「なぜだ?どうみてもできるだろう」
「あんたは血の契約を知らないだろうけど、これを発動しちゃったら魔術なんて使えないの!」
「お前の手に刻まれた式にはそんなこと書いていないが?」
「は?あ、あんたこれが理解できるの!?」
「グダグダ言ってないで早くしろ。消されたいのか?」
「な……なんでリーナが脅されてんのよ……」
性格はどうにもならんが、この素質だけはもったいなくて仕方がない。これからリーナが引き起こすかもしれない二次被害に目をつぶればの話だが。
「普通は魔道具で身体強化するんだろう?それで試してみろ」
「この腕輪を見なさいよ……いつもならこの魔道具で発動するけど、今はうんともすんとも言わないの。リーナの一族だってとっくに試しているに決まってるでしょバカ――あ、ちょっと返してよ!!」
「これが身体強化の魔道具か」
なるほど、セーフティロックだ。
魔石がはめ込まれた腕輪を見れば、芸術的なまでに安全性を考慮した術式が刻み込まれているのがわかった。多重起動を防ぎ、暴走させない仕組みがこれでもかと編み込まれていた。この式を組んだ奴は徹底したリアリストだな。
ちなみに俺は自力で術式を理解しているのではなく、全自動で翻訳されているだけだ。エーテル化が進んだら自然とこうなったのだが、これもいわゆる適合者の特権ってやつだろう。
「確かにこれだと発動しないな。どれ、俺が強化してやるからちょっとこい」
「…………行くわけないでしょ。それ返してよ」
「――ほら、ちゃんと返したろ?わかったらさっさとこい」
「近づいたリーナを殺す気でしょ?誰か行くもんか!」
「力が欲しいか?」
ビクン、と反応して動きを止めるリーナ。わかる、わかるぞ。このセリフに抗える者はきっと少ない。
「さぁ、俺の手を取るんだ。そして新たな扉を開こうじゃないか」
「…………本当にこの状態から強化なんてできるの?」
「むしろなぜできないと思う?お前にそんな法螺話を吹き込んだ奴は誰だ?つまるところ、固定観念に囚われた老害か、頭でわかったつもりの無能に決まっている。頭脳が皇帝ペンギンなアホの意見なんぞ聞く価値も無い。忘れてしまえ」
「――頭脳がペンギンとは、好き勝手言ってくれますねぇ」
「ん?」
リーナの影からズルズルと這い出るように姿を現した謎の人物。緑の豪華なローブを着ているが、フードを深々と被っていて表情は伺えない。
その身に宿る魔力はかなりのもので、ディーネのお母さんと比較しても上回るレベルだった。しかも影から出てくるとか、強者感が凄まじいな……。
「あ、あんたがどうしてここに!?」
「遅いのでお迎えに。もちろん、あなたもですよ?」
くだらんな。俺はハチミツをよこさない奴に尻尾は振らんぞ。
影を察知した瞬間からアサガオちゃんはガチモードで肩に戻っている。つまりはそれだけの相手ってことか。
「ところでイプシロン。なぜあなたがここにいるんです?そちらの英雄殿とはとても仲がよろしいようですが……」
「ベータ。このひとはボクのごしゅじんさまで、てきごーしゃです」
「…………適合者ですって?」
ん?んん?
アサガオちゃん、本名はイプシロンって名前なの?いやいや。そういうことは早く言ってよ……すっかりアサガオちゃんで定着しちゃったじゃん……。
しかしまぁ厨二臭い設定だこと。
確かアルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンだったか。アサガオちゃんは体の大半を失って今の姿になったと言っていたから、誰かに保護されてからイプシロンになったのだろうか?さすがにヘビーな話題はおいそれと聞くことはできなかったが。
「……なるほど、なるほど、適合者とはね。災厄の扉と戦えたのはそれが理由でしたか」
「は?あんたさっきからなに言って――」
「リーナさんはお静かに。今は大事なお話の途中ですので」
「っ!?」
この場でアサガオちゃんの姿が見えているのはアイシャさんとコイツだけだ。隠ぺいを見破るには特殊な目を持つか、対象よりも魔力量が多いことが最低条件だと聞いている。
「まさか適合者が実在するとは思いませんでした。しかしながら、我々の仲間を引き込もうとはいけない御仁のようだ」
「ベータもごしゅにひざまずくです。えーえんのちかいをたてて、ごしゅのやくにたつです」
「…………やはり捨て置けませんねぇ。あのイプシロンを危険な思想に染めるとは予想外ですよ」
いえ、この子は最初から危険ですけど――と思った瞬間、体に異常なほどの重さを感じた。“明鏡止水”は発動していないから攻撃ではない?じゃあこれはいったい……。
そして、いつの間にか細いツタのように体を締め付ける影に気がついた。なるほど、こっち系の魔術師か。
「……ごしゅになにしてるです?」
「魔術を使えないとは知っていますが、油断はしません。なにもさせません。運が悪かったと思って諦めてください」
「は?アサガオちゃんのお仲間じゃないのか?」
「確かに同胞ではありますが、元から使命を受けて生まれた我々とは行動理念が違います。さておしゃべりはここまでとしましょうか。怖いお兄さんたちがこちらにきていますからねぇ」
「ベータ。ごしゅをおこらせるなです」
「怒らせたらどうなるのですか?自力で魔術を使えなくなったクロさんの分析は既に終わっています。膨大な魔力があっても使えないのでは宝の持ち腐れですからねぇ」
ギチギチと首を締め付ける影のツタを外そうとしたが、今の腕力ではビクともしなかった。




