グレゴリー・マクドナルド
「待たせたねグレゴリー卿」
「いえ、お時間をいただけて感謝しております」
「評議会でも会ったはずだけどまるで別人のようだ。表情が明るくなったね」
「リオンにも言われました。仕事から離れたからかもしれません。それにクロ嬢と出会ってから見ようとしなかった現実を教えられました。ですが、まだ理解することを拒む自分もいます」
「なにを知ったのかは想像できるよ。君の根幹が揺らいでいるのもね」
「お茶をお持ちしました。どうぞ」
「あぁ、感謝する。む、この香りは雪花ですね」
「わかるかい?君も通だな」
本当に懐かしい……初めて味わったのはもう十年以上前か。
北の出身だと話してくれた初恋の人。理由もわからないまま姿を消してしまったが、本当に大切な人だった……。
いかんな。これを飲むとつい思い出してしまう。
「公爵様は、騎士団の不祥事と商業組合の件をご存じですか?」
「ヴィンスが関わっていることなら大体は知っている。副団長が帝国人と接触していた件だろう?でもそれは的外れだよ。奴は派閥に手を出したサウスの夜会を潰すつもりだったのだろうが、副団長の件とは繋がらないからね」
「はい。クロード・シルバーを筆頭とする犯罪組織だそうですが、盗賊団の一件以来音沙汰がありません。それどころか、かの夜会は最近になって慈善事業にも力を入れ始めたようで、その活動に賛同する貴族からの支持を集めていました」
「夜会には貴族方面にも明るいジョゼ・フーシがいる。なかなかのやり手だよ彼は」
「おかげで強引な捜査には踏み切れませんでした」
「それが正解。今や破落戸だらけの夜会が秩序を保っているからこそのサウスポイントなんだ。君には受け入れがたい話だろうけどね」
「……お恥ずかしい限りです」
「それが君の美徳だ。恥じる必要はない」
いつお話しても穏やかなお方だ。このお方を前にすると本心をさらけ出してしまいそうになる。
「災厄の扉、副団長の背信疑惑、サウスの夜会、貴族の惨殺事件。そして公爵様がおっしゃっていた魔石の件も含めますと、その全てがクロード・シルバーとの関連性を示唆されているように思えてなりません」
「うんうん」
「クロード・シルバーとは何者なのでしょうか?どれだけ調べても伯爵家の長男としか――」
「クロだよ」
「?」
「クロード・シルバー殿は、左腕が取れて、可愛らしい外見に変身して、左腕を生やして、君と一緒に戻ってきてくれたクロだよ」
「…………は?」
は?
「クロ嬢が、クロード・シルバーですと?」
「うん」
「…………左腕が取れたのに生やしたと言われましても、それはさすがに」
「まぁそうなるよね。君はクロが戦ったり、彼の力を少しでも見たことはあるかな?」
「いえ。ただ、凄まじい殺意を浴びたことはあります。ただ者ではないことだけはわかりました」
「うん。君になら話してもいいだろう。私たち家族が、アウタールフ家の者がどれほど彼に救われたのかを――」
――それはまるで神話の一節。公爵様のお話はなにもかもが衝撃的だった。
コランダム殿に虐待されていたディーネ嬢を救い出し、開かれた災厄の扉に単身で立ち向かい、二日間に渡って休みなく戦い続け、ついには伝説とされる牛鬼の集団をも撃退した。
とても信じられない内容だが、誰でもない公爵様ご自身がその目で見ていたという。
代償としてクロ嬢は左腕を失い、その腕が目の前で大切に保管されている。まさに完全なる証拠であった。
信じられない話はまだ続く。元々アウタールフ家と災厄の扉との戦いは絶望的だった。だがそこへ現れたクロ嬢は挨拶とばかりに第五階梯魔術を行使。天変地異というものを初めて知ったと公爵様は笑いながら語る。
それでも数万を超える化け物があっという間に地上を埋め尽くし、絶え間なく襲い掛かってきたそうだ。
そんな地獄の戦場でクロ嬢は楽しそうに笑っていたという。最前線を縦横無尽に走り回り、殴り、蹴り、動きながら魔道具も使用せずに魔術を行使した。それも第四階梯級の魔術を何度も何度も。
なんだそれは……もはや人の範囲で収まっていいはずがない。神の領域ではないか。
「…………」
「信じられないだろう?アルテナに彼がどうして姿を変えたのかを聞いてみたら、確実に魔術の使い過ぎによる後遺症だと断言していたよ。今の彼は微量な魔力さえ放出できない状態で、一切の循環ができなくなっているらしい。私には理解できなかったけど、人なら絶対にありえない状態だと教えられた」
「な、それは……まさか……」
「あの日から私もそう思っている。だけど彼は自分を人だと言っているんだ。だから私も、家族として迎えるんだよ」
人としてね――そう言った公爵様の幸せそうな顔が全てだった。
あぁそうか。アウタールフ家の方々は恩を感じているだけではないのだ。ここまで聞いていながらようやくわかるとは……自分の察しの悪さに呆れる思いだった。
「……クロ嬢は、大丈夫なのでしょうか」
「側に妖精さんがいただろう?彼女が言うには、彼はあらゆる情報を持つ知識でさえ理解できない存在らしいよ?よくわからないよね」
「フ、フフフ。本当にわかりませんね」
「だろう?彼は私たちに気を使って事実を言わないけど、確かに魔術を使うことができなくなってしまったそうなんだ。けど魔石があれば簡単な魔術を使えるとも言っていた」
「…………魔石で魔術を?魔道具に装填して、ではないのですか?」
「そう思うだろう?私もそう聞いたよ。でも違う、彼は魔石の魔力を代用して魔術を使えるみたいなんだ」
「ちょっとなにを言っているのかわからないのですが……」
「ははははは!」
……魔術は自分の魔力を術式に通さなければ発動しないのでは?もしや私の認識が間違っているのか。
「つまり彼は、魔石の魔力を自分の魔力として扱うことができるということだ」
「…………」
「クックック。わかるよその気持ち。魔術の常識がひっくり返る話だ。もしもこれが彼の特異性によるものではなく、純粋な技術であったとしたらもっと大変だよ。アルテナも第五階梯の術書を焼いた剣聖の気持ちがわかると嘆いていたからね」
その話も初耳だが……聞かなかったことにしよう……。
それにしても、ここまで楽しそうに話をされる公爵様は初めて見た。ディーネ嬢をかわいがる時と同じくらい楽しそうだ。
「とにかく君もゆっくり考えるといい。知りたい事があれば草の手配もしよう。それを許されるくらい君は国に尽くしてきた」
「感謝いたします。どうかそのお言葉に甘えさせてください」
「あらためて歓迎するよグレゴリー卿。アウタールフ家にようこそ。あ、そうそう明日のことなんだけど、ディーネがおねだりしてくれたおかげでクロが魔術を教えてくれるみたいなんだ。興味があったら見にくるといい」
「真ですか!?」
なんという僥倖か。神の御業をこの目で見られるとは……なんとしても参加しなければなるまい。
その後、話が盛り上がって酒も入ってしまい、夜中にアルテナ夫人から怒られるまで楽しい夜を過ごした。
翌日。心を躍らせながらクロ嬢による講義の時間を迎えた。
ご本人はなにを大げさなと仰っていたが、ここに参加している全員がありえないほど幸運なのは言うまでもないことだ。大したことはないと思っているのはご本人だけという、なんとも不思議な構図であった。
「じゃあとりあえず、ディーネの結界術を見せてもらえるか?」
「はいお兄様。いきます!」
かざした手の甲に術式が浮かび上がり、ディーネ嬢の前に透明な壁が出現した。
これが獣人国の王族にだけ受け継がれてきた結界術……。
おそらく消費される魔力も相当なものだろうが、それを補ってあまりあるほどの魔術なのは間違いない。
詠唱を必要とせず一瞬で展開できる強固な盾……なるほど、ヴィンス公爵殿や王家がなんとしても欲しがるわけだ。
場所、範囲、強度。それらを自在に調整し、即座に発動できるなど一般的な魔術士からすればペテンだと叫びたくなる光景だろう。まるで魔道具のように行使することができるのだから。ゆえにディーネ嬢の価値は計り知れないものとなるのだ。
「凄いなこれ。あぁ、血の契約で縛っているから強度も確保できているわけか。この前見た魔道具とは格が違いすぎて比較にもならないな」
「ど、どうでしょうか?」
「本当に凄いぞディーネ。これはさすがにマネできない魔術だった。応用しても大した強度は確保できそうにない」
「ま、待つのだクロちゃん。応用……もしやそなた、似たような結界を再現できるのか?」
「これほどの完成度は絶対に無理です。俺ができるのはせいぜい――」
そしてなんの気負いもなく神の御業が振るわれた。
侍女から受け取った魔石を片手に持ち、空中にありえない速度で術式を描いていく。その間わずか五秒。なにをどうすれば複雑極まる結界術の術式を模写できるというのか……。
そして浮かび上がった小さな壁。それは、確かにディーネ嬢が発動した結界にそっくりなものだった。
「――この程度しか再現できませんね。これじゃ役に立たない」
ここにいる全員が信じられない表情で固まっていた。伝説のような第五階梯魔術を見たという者たちでさえ驚きで声が出ないのだ。今の行為にはそれほどの衝撃があったのだが、ご本人はなにもわかっておられなかった。
やはりこのお方は……間違いなくそうだと確信した。
「お兄様。訓練が必要なのはわかりますが、いったいどうすればそのように高速で術式を描けるのでしょうか?」
「もちろん身体強化しているからだ。速度を得るにはやはり筋肉、筋肉は全てを解決する」
「まぁ!筋肉が必要なのですね!」
「そういうことだ。だからまずは簡単な身体強化の調整から覚えていこうか」
「よろしくお願いしますお兄様!」
「待て待て待て、クロちゃん我もお願いします!」
「私たちは家族だろう?だから――」
「旦那様はいけません。お仕事がございますゆえ」
「…………おぉなんという」
執事長に引きずられていく公爵様を尻目に、私も手を挙げて参加した。当然である。
偉大なる御業を直に教わることができるとは夢にも思わなかった。
あぁ、偉大なる慈愛の女神・ヘティアの化身よ……貴女様の慈悲に感謝いたします……。




