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ボスニア・ウィンストン



 過去……自分がボスニア・ウィンストンとして生を受けてから二十年。今日ほど絶望を感じたことはなかったかもしれない。


 魔獣の群れに押し潰されて死を覚悟したことがあった。片足を噛み砕かれて失いかけたこともある。


 でも、目の前にいる少年から感じる絶望感はまるで別種のものだった。この感覚は、アルファ様に稽古をつけて頂いた時と同じで、どうあがいても敗北する未来を避けられない恐怖心だと思う。


 彼の速度は異常だった。たぶんだけど、あれは異常な強化率の身体強化術……。帝国の宮廷魔術師でも不可能な術を、こんな少年が当たり前のように使う事実がさらに絶望感を与えてくる。



 それに、彼の体から立ち昇る膨大な魔力が、戦士ではなく魔術師であることを教えてくるんだ。だからきっと、誰もが自分と同じ結論に至る。今すぐ逃げろと。



「オオオオオオァ!!」



 南方の守護者に退路無し。ここが自分の死に場所だッ。

 上段からの一撃に魂を込める。彼には油断がない。隙がない。きっと容赦もない。全てを捨てて歯向かうのみ。


 全身全霊をもって振り抜いた刃は当たらない。わかっている。薄皮一枚の見切りで避けられたからなんだ?剣先が地面に当たる寸前で切り返しを放つ。父から受け継ぎ、自分が唯一自慢できる音速の二段斬り――も、当たらない……か。



「……頬が切れたか」

「は、は、死んだ祖父に土産話ができたよ。最強の剣士と比肩するかもしれない化け物に切り傷を付けたと」

「俺はクロード。よかったら名を教えてもらえないか?」

「ボスニア・ウィンストンだ。覚えてもらえたら嬉しいよ」

「ウィンストン?じゃあバルト将軍は……」

「父だよ。未熟なこの身で息子を名乗るのは恥ずべきことだけど」

「…………南の防衛部隊って、みんなボスニア殿くらい優秀なのか?」

「い、いやいや……べ、別に自分なんて優秀じゃないけど……まぁ、それなりの、自負はあるかも……」

「なるほど。マリーネ殿が異常に評価していたのも納得だ」

「マ、マリーネ様が自分たちを!?」

「特にウィンストン親子だけは失いたくないと言っていた」



 本気で嬉しいっ。

 あ、まずい……気が抜けていく……ダメだダメだ――あれ?



「ま、待ってくれ。きみは自分を始末しにきたんじゃ?」

「彼女らを無事に送り届けると約束したんだ。だからその覚悟もしてきたんだが、ボスニア殿はちゃんと話を聞いてくれる人だとわかっちゃったからな……少なくとも、殺し合いだけは避けたいと考えている」

「…………きみは、帝国の現状を正しく知っているんだよね?」

「バルト将軍が第二皇子派閥であり、命令に反するのは難しいと聞いた」

「うん。大雑把だけど理解してもらえててよかった。父も殿下方の専横には怒りを感じているけど、昔気質(むかしかたぎ)の頑固者でね。みんなもこんな命令に従う必要は無いって毎日のように説得しているんだけど……」

「こちらと話し合ってくれる可能性はあるだろうか?」

「あるある!きみを間近で見れば父も考えを変えるかもしれないし、自分もいっぱい協力するよ!」



 希望が生まれた。彼と敵対せずにすむかもしれない。


 だけど意外だった。この少年は見た目に反してものすごく落ち着いた雰囲気を出している。相手に対して安心感を与えるというか、年上と話をしているみたいで不思議な気持ちになった。


 もう彼に剣を向けるのは嫌だなぁ。元より死を覚悟してたんだから、命がある限りはできることを精一杯やりたい。






 彼、クロードさんを砦へと案内することになったんだけど、アグネアの猛牛が大人しく人を乗せて歩く姿がちょっと怖い。それも特殊個体だし……群れを率いるような個体は、総じて何段階も力が増すと言われている。このゴズって牛も例に漏れず黒くて大きい。通常種は茶色で一回り小さいのが普通だったっけ。


 なぜか自分まで一緒に乗せてもらったんだけど、魔獣学者がいたら白目になりそう。



「あれだよクロードさん。あの砦が自分たちの拠点だよ」

「……遠くで見たときよりずっとでかいな。それにやたらと分厚い防壁だ」

「あれでも不安なぐらい魔獣が押し寄せてくることが珍しくないからね。帝国で一番危険な職場としても有名なんだ」

「就職を希望する新人さんが少なそうだ」

「毎年ゼロだよ。無理やり連れてくるけど」

「帝国軍やべぇ……」



 泣きわめく新人を馬車に押し込めるのは毎年恒例の行事だ。南方の防衛部隊に配属されたら遺書を書くのが通例になったくらいだし……生存率が低いから仕方ないよね。


 砦の前には部隊のみんなが武器を携えて整列してる。この光景を前にしてもクロードさんはどこ吹く風だ。まさに豪胆。実力に裏付けされた自信は、ここまで人を大きく見せるのだと思い知らされた。


 みんなの顔色が悪い……先触れを出しておいたのは正解だった。ほとんどの者がクロードさんの威圧感に圧倒されて武器を構えそうになってる。その気持ち、すごくわかるよ……。



「クロードさん、紹介するね。ここにいる全員が守備隊のみんなで、この人が父のバルト将軍だよ」

「突然の訪問ですがご容赦いただきたい。マリーネ殿とカサンドラ殿に協力しているクロードと申します」

「……南方の守備隊を任されているバルトだ。ボスニアからの連絡によれば、話があるそうだが?」

「見当はついているでしょう?どうかマリーネ殿と敵対しないでいただきたい」

「それができるような身分でないことは貴様も知っていよう」

「国を憂うのなら……と、マリーネ殿は言っていました」

「…………」

「父さん、ここが分水嶺(ぶんすいれい)だ。自分たちに差し伸べられた手を払うには遅すぎるってわかってるだろ?きっと、これが最後の機会なんだよ」

「……痛いほどわかっておる。だが、軍を感情で動かす愚か者に未来などありはせん。ありはせんのだ!」

「なら、子供たちの未来を守るためにと考えてみてはどうだろうか?」

「…………どういう意味だ?」

「味方同士で殺し合って未来を曇らせるのは簡単だ。だが将軍がマリーネ殿と敵対すれば無意味な犠牲を払い、魔獣に対する備えが疎かとなり、救えたはずの命が失われるかもしれない。その手で守れなかった子供たちを埋葬したとき、一番に後悔はなさるのは将軍では?」

「…………若造が、わかったようなことを言いよって」



 そう、そうだ。いくら帝国の未来を決める闘争だからといって、守れるはずの命まで失ったら本末転倒じゃないか。ただでさえ南方砦は激戦地なんだ。自分らの守備を疎かにしてまで、お偉方の命令に従うなんて馬鹿げている。それをわかるんだよ父さんッ。



「俺は他国の者だから、この国の未来に責任は持てない。権力闘争がどのような形に終わるのかもわからない。ただ、マリーネ殿なら信用できるはず。バルト将軍を失えば、帝国が終わると俺にまで伝えた彼女なら」

「あのお方は、貴様をそこまで信頼しておるのか」

「正確にはカサンドラ殿を、でしょうね。彼女には大きな借りがありまして」

「ミラー家の跳ねっ返りに借りとな?クハハハ!貴様も面倒な娘っ子に目を付けられたものよな」

「その、まぁ、色々と……」

「そうかそうか。あの人見知りな娘っ子が側におったのであれば貴様に問題はあるまい。まぁなんだ、茶でもしばいていけ。ボスニア、こやつを中に案内せい」

「う、うん。わかったよ父さん!」



 そういえば、クロードさんはミラー嬢とすごく仲が良さそうだった。あの娘って興味の無い相手には冷たいし、ほとんど話もできなかったんだよね。でも父さんは娘みたいに可愛がってたっけ?懐かしいなぁ。



「伝令!」

「む、どうした?」

「前線の警戒網が破られました。直ちに救援をっ!」

「突破された箇所は?」

「第三が破られ、現在は第四哨戒にまで及んでいる状況です。禁域からの地鳴りは未だ止まず、災害級の可能性も――」

「みな聞いたな?これより前線の救援に向かう。各部隊長は準備を急がせろ!そういうわけだ小僧。貴様は砦に避難しておれ」

「バルト将軍。どうやら禁域の奥から登ってきた魔獣がいるようですが、問題はありませんか?」

「禁域の奥だと?本当に災害級がきてしまったのか……」

「巨大グモが三匹ほど森を抜けてきたようですね」

「さ、災害級が三匹もやってくるというのか!?なんだ……なんなのだそれは…………民を蔑ろにした、帝国への天罰だとでもいうのか」



 災害指定魔獣。父さんが片目を失った戦いも、災害級がこの砦を地獄に変えた忌々しいあの日だった。そんな化け物が三匹?馬鹿げている。そんな天災みたいな状況をどうしろと言うんだ……。



「これは想定外の事態ですか?それなら俺も手伝いますよ」

「…………相手は災害級なのだぞ?いや待て、貴様は災害級を相手にしたことがあるのか?」

「それなりには。ただ、少し苦戦すると思います。あの巨大グモは面倒なので」

「災害級を面倒とは抜かしよるわ。クハハハッ!これも天命やもしれんな…………手を、貸してもらえるか?」

「もちろん。最善を尽くしましょう」

「感謝する。ボスニア、各隊に準備を急がせろ!」

「はい!」



 クロードさんが一緒にきてくれるのか。一度剣を向けたからこそわかるけど、彼は災害級を相手にするよりよっぽど怖いからね。安心感がすごいや……。


 でも彼と知り合った日に災害級がやってくるなんて、まるで運命が自分らを生かそうとしてるみたいで不思議な気持ちだ。ちゃんと生きて帰れたら、教会にお布施でもしようかな。



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