第一章 慰謝料人生の始まり
大学時代、当時付き合っていた男がいた。
名前は斎藤義弘。
とある地方で家業を営む家の跡取り息子だった。
最初にその話を聞いた時、私は正直ちょっと身構えた。
跡取りとか、老舗とか、そういう言葉には独特の重さがある。
でも義弘本人は、そういう空気を嫌っているように見えた。
「跡を継ぐとか考えてないんだよね」
「親はうるさいけど、俺は自分の力でやっていきたい」
そう言って笑っていた。
都会の大学へ出てきて、古いしがらみから抜け出したい。そんな雰囲気をまとっていた。
私は、そういうところが好きだった。
見た目はそこそこ整っていたし、話も面白かった。
少し頼りないところもあったけど、それが逆に「支えてあげたい」と思わせるタイプだった。
「お前が支えてくれれば頑張れる」
そんなことを言われて、当時の私は本気で嬉しかった。
若かったのだと思う。
私は義弘の部屋へ通って、食事を作った。
洗濯もした。
掃除もした。
風邪を引けば看病して、レポートを溜めれば徹夜で手伝った。
頼まれもしないのに、勝手に尽くしていた部分もあったと思う。
でも、好きだったから苦じゃなかった。
いずれ結婚して、二人で頑張っていくんだろうな、とその頃は本気で思っていた。
――そして、大学卒業。
義弘は地元へ戻った。
最初の頃は普通に連絡を取り合っていた。
でも少しずつ返信が遅くなり、電話も減った。
嫌な予感はしていた。
そして、ある日。
義弘から一通のメールが届いた。
『突然で悪い。実は結婚することになった』
一瞬、意味が分からなかった。
頭が真っ白になるって、本当にあるんだなと思った。
しかもメールには、ウェディングドレス姿の奥さんとの写真まで添付されていた。
よりによって、私より胸が大きかった。
いや、そこは別に重要じゃないんだけど、当時の私は変なところばかり目についてしまった。
私はしばらく抜け殻みたいになった。
友人たちが心配して家に来てくれたくらいだ。
「は!?メールで別れ!?」
「最低なんだけど!」
「玲子、あいつにどんだけ尽くしてたと思ってんの!?」
みんな本気で怒ってくれた。
でも、もっとショックだったのは別の話だった。
人づてに聞いたんだけど、義弘の友人たちは義弘寄りだったらしい。
そして私のことを、
“都合のいい家政婦兼性処理便器”
と言っていたそうだ。
あまりの言われように、めまいがした。
でも同時に、妙に納得してしまった。
ああ、そういう扱いだったんだな、と。
そうじゃなければ、あんな簡単に捨てられない。
あれだけ世話になっておいて、最後がメール一本なんて普通は出来ない。
私はしばらく男そのものが嫌になった。
それから半年ほど経って、義弘のことなど忘れかけていた頃。
突然、義弘からまたメールが来た。
最初は近況報告みたいな内容だった。
でも読み進めるうちに、全部、奥さんへの愚痴だと分かった。
どうやら義弘の父親は、義弘が卒業する少し前に病気で倒れていたらしい。
さらに家業を手伝っていた母親も亡くなった。
それで経営が傾き、支援が必要になった。
義弘の父親は、羽振りの良い同業者の娘と義弘を見合いさせた。
義弘は写真を見て、その気になったそうだ。
――結局、顔かよ。
私はメールを読みながら、乾いた笑いが出た。
話はとんとん拍子に進み、私はメール一本で切り捨てられたという訳だった。
しかも、その結婚生活は上手くいっていないらしい。
『嫁が俺を見下してる』
『料理がまずい』
『玲子の料理が恋しい』
『お前は優しかった』
知らんがな、である。
奥さんに料理の文句を言ったら外食ばかりになったとか、夜の生活でも比較して嫌な顔をされたとか、延々と愚痴が続いた。
私はもう義弘に未練なんて無かった。
でも、せめて裏切ったことを後悔させてやりたいとは思った。
だから適当にメールの相手をしていた。
すると義弘はどんどん調子に乗っていった。
『お前が恋しい』
『会いたい』
そう送ってくるようになった。
私は、
『今更遅いよ』
と返した。
でも義弘は、
『会いたい』
としか返してこない。
なので私は、はっきり書いた。
『奥さんと別れない限り、お付き合いは無理です』
すると、
『分かった。妻とは別れるから』
と返してきた。
でも別れない。
そして数日後にはまた、
『会いたい』
と送ってくる。
無限ループである。
しかも内容はどんどん卑猥になっていった。
一人で処理した写真まで送りつけてくる始末。
気持ち悪い。
本当に気持ち悪かった。
私は義弘が本当に離婚したら、
「ざまぁみろ、バーか、バーカ」
と言って逃げるつもりだった。
せめてもの復讐。
でも、流石に埒が明かない。
なので私は、義弘の父親と、奥さんの両親へメール内容を全部暴露した。
私は終始、不倫を拒否する立場を貫いていたので、堂々と抗議出来た。
結果。
義弘の父親は激怒して義弘を追い回し、階段から転落。
入院して、そのまま要介護状態になった。
奥さんの両親も激怒。
家業には奥さんの弟が送り込まれ、実権を全部握られた。
ただ、予想外だったのは、奥さんが離婚を選ばなかったことだ。
後から聞いた話だと、元々結婚願望が無い人だったらしい。
でも親戚や両親がうるさいから、仕方なく結婚した。
だから“夫”という看板だけあれば十分だったそうだ。
義弘が「見下されてる」と感じていたのも、多分その辺りが理由なんだと思う。
結局、義弘は義弟の下で下働きをさせられながら、少ない給料から慰謝料を天引きされ、さらに一人で父親の介護をする羽目になった。
お父さんには少し申し訳ないことをしたと思っている。
でも義弘に関しては、
ざまあみろ。
本当に、それしか感想がなかった。
ちなみに奥さんの両親からは、お詫びとして慰謝料百万円を頂いた。
これが、私の“慰謝料人生”の始まりだった。




