読み聞かせ
小高い丘の上。
草の匂いとかすかな重みを感じる風が流れる。
そこにいるのは一人の少女と三人の子供だ。
少女を取り囲むように子供たちは地べたに座り、中心にいる少女は、一冊の本を持ちながら、その本の内容を朗読していた。
「——そうして、悲しみに満ちた村を救った二人の兄弟。兄は天の遣いとなって空へと旅立ち、弟は兄がいなくなった村をずっとずっと守り続けたのでした。めでたしめでたし」
パタン。
本を閉じて、少女は息を一つ吐く。
本を読み続けるというのは意外なほど体力を使用してしまう。
もちろん、集中して読めばという条件もあるが、それでも、こうして終わった後は、どことなく気持ちが良いと思う。
周りを見渡すと、子供たちは胸に握り拳を当てて、口をホゥとした形で、目をキラキラと輝かせている。未だ興奮冷めやらぬようだ。
「ノアねーちゃん! 今回の話すげー良かったよ!」
「うん! 英雄になった兄弟かー。ボクもそんな風にかっこよくなりたい!」
バッと二人の少年は立ち上がり、木の棒を持って「エイ!」「ヤァ!」と振り回す。
今あった話の兄弟のように棒をぶつけ合っていた。
「えー。アタシはもっとかわいいお話がいい〜。ねぇ、ノアちゃん、他のお話ない?」
三人からノアと呼ばれた少女は困ったように笑う。
ノアは、自らの深い碧色をした髪を撫でる。
たくさんの本を読んだのであろうその蒼い瞳には眼鏡をかけている。透き通るようなその瞳は子供たちを優しく見つめ、ゆったりとした白いワンピースに身を包んでいる。
「ほらほら。カルとアロアも楽しいのはわかりましたから暴れたらいけませんよ。う〜ん、そうですねー。あ、では、私の新しいお話の——」
悩む素振りをし、思いついたように何かを言いかけようとしたら、
『いや、それはないから』
一瞬で、三人に断られてしまった。
「さ、三人ともひどいですっ!? 何で話をねだったミロまで断るのですか!」
ガーンとショックを受けたノアは子供達に涙目になって文句を訴える。
だってさー、とカル、アロア、ミロの三人が目を見合わせる。
「ノアねーちゃんのオリジナルって大体なんか微妙だし」
「ビミョーというか独特すぎて付いていけないもんな〜」
「アタシもこないだの『チョコレート王国。太陽への反乱』はどうかなぁと思ったよ。何でチョコレート人が太陽に挑むのかわけわかんなかったもん」
「うっ……、あれは、自分たちの身を溶かす太陽が無くなれば、溶けることがなくなるという理不尽に対する抗いを空想したわけで——」
ぼそぼそと反論の言葉を述べるが、それすらも三人の感想に打ち消される。
「それでもなぁ、太陽に挑む方法がそもそもおかしかったよな?」
「うんうん。羽を使って飛ぶとか、高い建物を作るとかなら。まだわかるんだけどさ」
「そうだよね。太陽に挑む手段が皆の肩車で、しかも、登っているうちに溶けるって喜劇にしてもヒドイよね」
三人の総評。
総じて微妙な点が多すぎる、だそうだ。
その言葉に打ちのめされて、ズキズキと胸を痛めるノアだが、
「ふんぬーっ! そんなことを言う三人はもう知りません! 今日のお話はここまでにします!」
ついには怒ってしまった。
子供のように頬を膨らませてツーンとそっぽをむいた。
「えぇ! ノアねーちゃんのせいなのにひどくないっ!?」
「そうだよ! アタシまだかわいいお話聞いてないのに!」
「空想士志望しているのにボクらの感想を無視って——ふぐっ!」
「このバカっ!」
アルアが言ったことをすぐに遮ったが、その場に変な空気が流れる。
ミロは、アルアにたしなめるような視線を送りノアを見るが、言葉が喉に引っかかり出ないようだ。
——気を使わせちゃいましたね。
ノアはついそんなことを思ってしまう。
自分が目指していた——空想士としての夢が断たれた今でもなお、こうして物語だけでも皆に聞いてもらいたいと思っているのだ。
それは、ただの自分のわがままでしかない。
なのに、この三人は楽しみにお話を聞いてくれている。
それなのに……それだけでも十分なのに、心配をかけさせてしまった。
ダメなお姉さんだな。
心の中だけで反省し、顔には出さないよう努力する。
「ほらほら、喧嘩してはいけませんよ!」
「いや、でもさ……」
アルアの口をふさぐカルが口ごもる。
「確かに、空想士にはなれないかもですけど、こうして物語を聞いてくれるあなたたちがいるだけでも私は幸せなんです」
そして、ノアはイタズラをする子供のように笑って言う。
「だから、明日は私の新作の空想物語を披露するので、心して聞いてくださいね!」
少しかがんで子供たちの目線に合わせ、ウィンクする。
三人は、ノアの言葉を聞いて思わず吹き出してしまった。
「しゃーねーなぁ。まっ、ねーちゃんがどれだけ成長したか聞いてやるよ!」
「うん。ぼくたちがちゃんとダメ出ししないと、ノアねえすぐ変な話にするもんね」
「アハハ! 言えてる〜!」
「もう、あなたたちってば!」
ヤイヨヤイヨとさっきまでの空気はどこ吹く風と笑いあう。
丘に満ちる笑い声に、ノアはこれでいい——いや、これがいいんだと思う。
昔、憧れたあの人のようまでとは到底言えない。だけど、目に見えるこの子たちには、こうやって楽しい空想を教えることができるこの瞬間は、間違いなく幸せなのだろう。
素直に——そう思えることが嬉しい。
「あ、ギル兄ちゃんだ!」
ミロが丘の下を歩いている、ギルを見つける。
若い村人が少ないウェレミーア村で、ギルは同い年で幼馴染だ。ギルは貴重な労働力として農作業や牧畜などの力仕事が必要なものによく呼ばれている。
今は、また違うところへ行く途中なのだろう。
そんなギルを見かけて四人は近くまで駆け寄る。
「ギル。これからお仕事ですか?」
「……あぁ、おじさんのところで収穫があるらしいからな。その手伝いだ」
ぶっきらぼうな風に聞こえる答え。
でも、それは彼の不器用な性格からくるものだとノアは知っている。
もちろん、それは子供たちにとっても同じで、特にカルとアロアにしてみれば、年の近いよきお兄さんとして日頃から慕っている。
「ギルにぃ! それが終わったらオレたちと遊んでよ!」
「うん! ボクたちノアねーちゃんから新しい物語を聞いたんだよ!」
ノアの時とはまた違う反応を示す二人。
同じ男の子だからか、外で遊ぶ時は活発に村中を走り回り、ギルは二人が怪我しないようにしたりしていた。
つい、最近までは——それは村でよく見かけた光景だった。
「二人ともすまないな……。仕事が忙しいからまた今度な」
やはり、とも思うし、もしかしたら、とも思っていた。
ギルの言葉に落胆を隠せないカルとアロア。
けれど、その二人よりもノアはギルの様子が気にかかっている。
彼の顔を見れば、少しばかりやつれて昔より大人に近づいた感じがした。
でも、それは——
「あのね、ギル。身体とか無理してませんか? ちゃんとご飯食べてますか? お仕事とか大変なら休んだって大丈夫なんですよ」
ノアが心配するには十分すぎることであった。
「……大丈夫だ。こうしておじさんや、村の皆から仕事をさせてもらっているだけでも感謝しているんだ。俺が休んだら……それこそ申し訳ない」
「でも……」
「ノア。俺なら大丈夫だ。こっちこそ、最近はお前の話を聞けなくてすまない」
「そんな。私のことなんていいんです! だって、今はギルの方がよっぽど——」
くしゃっと、ノアの頭にギルの土の香りがする手が乗せられる。
畑仕事で手の皮がごつごつと厚くなっているのに、彼の温かさが直接伝わるようだ。
「心配してくれて、ありがとうな。いつかまた、お前の作った物語を聞かせてくれ。ノアが作る話は変わっているが……温かい優しさが詰まっているからな」
泣いたら——ダメだ。
そう、自分の心にノアは言い聞かす。
ここは泣く場面ではない。
「はい。今度の新作は自信があるんです。だから、ちゃんと聞いてくださいね」
ニッコリとノアは笑う。
ちゃんと、笑えているだろうか?
ぎこちなく表情がこわばっていないだろうか?
ギルが泣かないのだから、それならば自分は笑っていなくてはいけない。
彼は泣かないことを決めた。
だから、自分は笑っていよう。
そう決めたんだ。
「あぁ、楽しみにしているよ。……それじゃあな」
ギルを見送り、彼の姿が遠ざかる。
それは、どことなく寂しげな後姿で、今にも消えてしまいそうで……。
——ううん。そう思ったらいけませんよね。
自分の出てきた考えとは裏腹に、その考えを打ち消す。
残念そうに見送った三人は、その後も遊んでいくらしい。ノアは遅くならないうちに帰るようにと告げて、村へと帰っていった。
ギルはきちんと生活をしているだろうけど、せめて、ご飯ぐらいは作って届けてあげようと思いノアは駆け足でと家へ帰る。食事で少しでも元気を取り戻してくれれば——そんな風にご飯を食べてギルの喜ぶ顔を空想した。