旅人レオン
ウェレミーア村は、農作物と牧畜で生計を立てている村だ。
村で採れた野菜や牛乳などを出荷し、それほど不自由なく過ごすことができている。
もちろん、不作の時もあれば苦しいこともあるし、豊作の時は村中上げてのお祭り騒ぎだってする。
そんな村だからこそ、人が人を助け合う土壌ができ、温かな人間関係を築いているものだとノアは思っている。
ゆえに、村を訪れる者は、基本的には商人や近隣の住人ぐらいのもので、物見遊山する旅人なんて一年に一度現れれば運がいいほうだともいえる。
そんな時は、村を挙げてまではいかないが、訪れた旅人をねぎらい、旅をしてきた彼らの話を肴に酒宴の席を設けることで、平凡な村にも明るい活気が灯る。
いや——灯っていたというのが正しいだろう。
昔ならば、旅人が訪れることはイコールあることを意味していた。
空想士という、ノアが夢見た——素敵な職業の人間たちの来訪だ。
だが、戦争によって国中が疲弊した今となっては、旅人が出歩くなんてこと自体が珍しいを通り超した出来事となっている。
なのに、そんな珍しい出来事が、まさに今ノアの目の前で起きていた。
帰り道の途中、ノアの目の前……というか、目の下にはうつぶせのまま人間が倒れていた。
これが、ただ木に寄りかかった状態ならば休憩していると判断しただろうが、どこをどう見ても明らかに倒れたとしか思えない。
——た、大変です!
キョロキョロと周りを見回しても、頼りになりそうな人間はいない。
すぐさまノアは倒れている旅人の側に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
屈みながら身体を少し揺らしてその人物を見た。
旅をしてくすんだかのような灰色の髪に、擦り切れた枯れ草色の旅装束。荷物を入れているであろう大き目の袋は頭の前方に置かれたまま、力尽きたと思われる。
時折、うぅ〜ん、と呻き声は聞こえるので意識自体は失っていないようだ。
「あ、あの。しっかりしてください! 私の声が聞こえますか!」
慌てながらも、こういう時、どうすればいいのかをノアは考えていた。
意識はあるようだけど何らかの病気ならば医者が必要だし、動けない状態ならば大人の男の人を呼ばなくてはいけないが時間がかかりすぎる。
いくつもの可能性を頭に浮かべては消し、倒れている人物になおも問いかけ、ようやくその人物から返答が来た。
「お……お腹が減った……」
思いがけない返答に、一瞬ポカンとしたノアは、
「た、大変です————————!!」
「え……?」
持っていたクッキーを、その旅人の口に勢いよく全部突っ込んだ。
そして、十数分後。
「いやっはっは! まさか、クッキーで死にかけるとは思わなかったよ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
ペコペコと何度もノアは頭を下げる。
あの後、口の中のクッキーで窒息しかけた旅人に水を飲ませてことなきを得た。
結果的には助かったわけだが、あまりにも申し訳なくてノアは旅人を自分の家へと招待したのであった。
「いやいやこちらこそ申し訳ない。こうして命を助けてもらったことだし。本当に感謝をしているよ。ありがとう」
紅茶をすすりながら、先ほど自分の喉を詰まらせた原因であるクッキーを頬張り喉へと流し込
む。簡単な軽食であるが、旅人の腹事情を考えれば手の凝ったものを作るよりも、すぐに食べられる保存食に近いクッキーを振舞うことにしたのだ。
すると、紅茶を飲みながら旅人は「おや?」といぶかしむ顔をした。
「あ、あの。何かお気に召しませんでしたか?」
「そうではないよ。クッキーも紅茶も凄くおいしいよ。ただ、さっきまでは空腹で気づかなかったけど、この紅茶は何か入れているのかな?」
旅人は紅茶を入れた木製のカップに口を近づけ、何度も味わうように舌を転がす。
その様子は何だか子供のようでノアの表情がようやく緩んだ。
「あ、はい。お腹が空いていたようなので、紅茶にハチミツとレモンを加えてみました。紅茶の本来の味わいは薄れますが、クッキーは甘さ控えめなので、バランスが取れるかなと思いまして。あの、甘いものは大丈夫ですか?」
「あぁ、とてもおいしよ。紅茶の味も濃いから、これぐらいの甘味が丁度いいね。うん。クッキーがより美味しく感じられるよ」
「そうですか。まだ、クッキーはありますからどうぞ遠慮なく!」
旅人は何度目かの「ありがとう」を述べる。
空腹と渇きを癒すために、紅茶とクッキーを頬張り、カップの紅茶と皿に盛ったクッキーをペロリと平らげた。
「ごちそうさまでした。本当に助かったよ。えぇと——……」
「あ、自己紹介が遅れましたね。ノア=フェルナンっていいます」
「ありがとうノアさん。私はレオン=クラストハート。見ての通りの旅をしているものだよ。いつもならば行商人相手に買いながら旅をしていたのだけれど、ここのところ誰とも出会えなくてね。村が見えて安心した途端倒れてしまって、もうダメかと思ったよ」
あっはっは! と豪快に笑うレオンを見る。
どうやら、空腹の程度もそれほどではなかったらしく、もう回復をしているようで一安心をした。
こうして改めて向かい合って見ると、色々なことに気づいた。
最初はもっと歳を召したおじさんが倒れていたのかと思っていたのだが、どうもそうではなかった。レオンの髪の毛が灰色だったことから、そう推察していたのだが、どうやらもっと若そうだった。
無精髭をはやし、パッと見では判断つかないが、よく見ると顔の造形がよく整っているし、肌も若い人間のそれだ。
だが、それよりも何よりもノアが目を奪われたのは——レオンの瞳であった。
その空色の澄んだ彼の瞳の色は、全てを見透かすかのように穏やかである。
これが、つい先ほどまで死にかけていた人間とは思えないぐらい蒼く澄み渡っている。
「——これは、君のものかな?」
ノアが少しの間、見蕩れてぽけっとしているとレオンから問いかけられた。
はっと意識が戻って、レオンが何をしているのか一瞬わからなかったが——レオンが手にしているものを見て青ざめた。
それは——ノアが書きかけの物語を書きとめた紙の束だったからだ。
「わぁ〜〜〜〜! あ、あの、それは、その! 私のですけど私のじゃなくて! その、えぇと、ち、違うんです! いや、違うわけじゃないんですけど————」
言い訳にならない言葉が羅列する。
何を言いたいのか自分でもわからなくなったところで、レオンが意外な一言を言った。
「楽しい空想物語だね」
ノアは「ほぇ!?」と、驚きの声を上げた。
というのも、ノアは子供たち相手に朗読会などを開いているものの、村の皆に一度聞かせた時に苦い笑いが満ちたことがある。
その時に、自分の考えたものはまだ誰かに聞かせられるものでないと思い知ったのだった。
そのことがあってからというもの、子供たちやギルといった気心が知れた面々にしか読み聞かせをしなくなり、他の大人たちに披露する時はもっと成長してからと決めていたのだ。
つまるところ、自信を喪失していた。
「まだまだ荒削りで突拍子もないところがあるけど、君が何を伝えたいかはわかるよ。人柄とでもいえばいいのかな。雨の後に架かる虹のような優しさに満ちているね」
レオンの落ち着いた声音に、ノアは胸がドキっとした。
本来ならば、助けてもらった恩人に対してのリップサービスだと思ってもいいはずなのに、そんな疑念なんて何一つ抱かないぐらい——彼は真面目に真摯に答えてくれたのがわかる。
不意に、唐突に、なぜだか涙が出そうになった。
「こっちは……『チョコレート王国。太陽への反乱』か。なかなかにユニークなタイトルだね。ふむふむ。これは、理不尽に対する抗いを書いているのかな。はは、太陽を目指す手段が可愛らしいね」
わかるんですかっ!
叫びだすのをグッとこらえてノアは、息を呑んだ。
人が本を読んでいる時は、できる限り邪魔をしないというのが信条であり、かつ、今レオンが読んでいるのはノア自身が書き上げたもの。一抹の恥ずかしさはあるが、もしかしたら何らかの助言や感想をもらえるかもしれないと口を挟まないことに決めた。
なおも、レオンがペラペラと紙の束を捲っていき、
「他には何かないのかな?」
それが当たり前のように、他の作品がないかを尋ねてきた。
「あ、はい。この棚に色々とあるので、ぜひ読んでください」
「では、遠慮なく……っと、客人の身なのに厚かましいことをしてすまないね。昔のクセみたいなもので、新しい空想物語があるとじっとしていられなくてね」
「それは——何となくですがわかります。私も、他の人に読んでもらえるのは貴重な経験なので、お、お構いなくどうぞっ!」
「ありがとう。ノアさん」
ひょいとレオンが棚においてある紐で包んである紙の束を取る。作品ごとにまとめているので、一つ一つ紐を解き、汚さないように手にとって味わうように一文字一文字を読んでいっているようだ。
そして、静かな沈黙が部屋に現れる。
レオンが物語を読んでいる間、ノアは彼をじっと見ていた。勉学を学ぶ学生が、師に教えを請うようにじっと待っている。
思えば、こうして会ったのはついさっきであるのに、不思議と息苦しさみたいなものはノアは感じなかった。むしろ、心地よい緊張感さえある。
カタリ、レオンがカップを置き、ペラペラとページを捲る。紅茶がなくなるたびにノアがトポトポと、静かに紅茶をカップに注ぐ。
そうしたことが何回か続いて、
「これは……」
「はい?」
新しい紙に手を伸ばしたところで、レオンの手がピタリと止まった。
何を気になるようなものでもあったのだろうか。
まじまじと見つめながら、レオンは驚いた顔をしている。
「今までの君の作品ではないようだけど、違う人のものかい?」
「あ、それですか」
レオンから手渡された作品を見る。
見た瞬間、懐かしさが溢れてきたのを感じた。
「それは、私が小さいころ都に住んでいた時に、空想士の方がやっていた作品を思い出しながら書いたものなんです」
懐かしむように顔を上げ、過去を思い出す。
何もないところから、自分の空想一つだけで周りの人間を幸せにし、温かな気持ちやドキドキハラハラさせてくれた——空想士のお姉さん。
「こんなご時勢で、物語を書いた本や華やかな空想劇も見られなくなりましたから……。せめて、子供たちに楽しいものを教えてあげたくて。それで今もこうして書いているんです。——でも、空想士自体もう世界にいないんですけどね」
もういない。
口に出したら、それは余計に心に重荷を感じた。
いくらよい作品が残っていようと、ノアが昔感じたあの鮮烈な感動が味わうことがないのだ。
ずっと。ずっと。これからも、ずっと。
——ノアの夢が叶えられることはない。
ただ、それを自覚していても……時折、フッと心の隙間に風が吹くと、ノアの何かが冷めていくのを感じる。なのに、こうしていつまでもしがみついている自分がいるのは、どうしてなのだろうか。わかっているのは、自らがまだ諦めきれないからだ。
昔、強く夢見た空想士の姿が忘れられない。
「————————げんか……」
「え?」
レオンの口から、独り言のようにポツリと呟やかれた言葉。
うまく聞き取れなかったが、なぜかそれはひどく懐かしいことのように記憶が刺激され、レオンに尋ねる。
「あの、レオンさん。今、何て?」
「ん、私が何か言ったかな?」
何事もなかったかのように、レオンはペラペラと物語を読んでいた。
「——あ、いえ、何でもありません」
気のせいだったのかな、とノアは頭の隅に引っかかるものを追いやる。
すると、一通りの物語を読んだレオンが、ノアの顔を真っ直ぐに見つめた。
「ノアさん。君は、空想士になりたいのかい?」
レオンの空色の瞳が、見透かすようにノアの碧玉の瞳を捕える。
その問いはとても真っ直ぐで嘘やごまかしを言う気になれなかった。
「『なりたかった』……が正しいですね」
伏目がちに、堪えきれず右下に目線が落ちる。
なりたかった。
そして、なれなかった。
なぜなら、
「この世界から、空想が無くなろうとしているんです。私が空想を使うことで、他の人に迷惑をかけられませんから」
「空想禁止法、だね」
「はい」
空想禁止法。
それが、ノアの夢を奪うことになった——法律だ。




