開戰の謀略(上)
5
ミシェルは浮かない顔でノリウム張りの廊下を歩いていた。
定例の職員会議とは面倒なものなのだ。
学生の本分は勉学にあるだのなんだのと。そんなこと知ったことではない。そんなものは好きな奴にやらせていればいいのだ。
ただでさえ、魔狩人の候補生はSIMとソーマプログラムによって生体コンピュータと化している。超高速の演算処理能力を体内に宿した彼らが必要な勉強といえば、幻魔の効率的な倒し方ではないだろうか。
頭の固い連中にはそれがわからないのだ。いや、社会的な目もあって体裁が大事なのもわかるが。
平和ボケした国民が槍玉に挙げたのは、何を勘違いしたのか魔狩人の候補生だった。彼らの言い分は、年端もいかない子供に武器や兵器の類を持たせて戦闘の訓練や戦闘そのものに加担させるのは道徳的に間違っていると言うものだ。
何を馬鹿な、と思う。
戦争孤児と言う言葉がある。今は聞かないが、昔はあった。
地上がまだ人類の物だった頃、各地の至る所で紛争が跋扈し無情にもその戦火は罪なき人々へと降りかかった。
戦火に巻き込まれ、両親や友人を失い、戦争孤児となる。そして絶望の中で生き延びるためだけに銃を手に取り、何も生まない戦いに身を投じたのだ。
首謀者たちは少年兵が戦果を挙げるのを首を長くして待っているだけでいいのだ。代わりの戦争孤児など幾らでも居る、と。
それに比べ、魔狩人は国を守ると言う大義名分がある。
それが分からないというのであれば、国民の中から無作為に選出してみようか。或は、前時代の何処かにあった国のように徴兵制度を設けてみようか。そして、明日から魔狩人として地上に上がり幻魔を掃討して来いと命令書を突きつけてやるのだ。
いかんな。どうにも卑屈な考えばかりが出る。
軍部の連中はおろか、教職員たちとも反りが合わない。それはまあ、いい。ミシェルがここに居るのは候補生を一人前の魔狩人に仕立てるためだ。その為には、どんな犠牲も厭わない覚悟ではある。
現役時代、目の前で多くの死に触れてきた。見殺しにした命もあれば、助けてやれなかった命もある。その中には戦友だって居た。
その度に滂沱の涙を流し、やがて涙は枯れて悲しみは憎しみに変わり、ひたすらに戦場を駆けた日々。
地獄の淵を歩くような毎日だった。いや、戦場とは正真正銘の地獄だ。空は紅蓮に燃え上がり、大地は血の海に沈む。
阿鼻叫喚が入り混じり、赤と朱に染まる世界。
ミシェル自身も幾度となく死にかけた。服の下には生々しい傷痕が幾重にも刻まれ、綺麗な素肌を探すほうが難しいかもしれない。
――この躰を見て、喜んでくれる殿方は居ないかもしれないな。
それでもいいと思った。
仲間の命の上に生かされている。それを忘れた時は片時もない。
幻魔を討つと決めた日から、ベッドの上で死ぬことは諦めたのだから。
――私に幸せな人生は赦されない。
魔狩人は皆、いつ散るともわからぬ徒花だ。死体が見つかるのはまだ運が良い方だ。墓を建ててもらえる。運のない奴は死体すら残らない。死亡報告さえされない奴だっているのだ。そんな過酷な状況の中で生きる魔狩人だからこそ、ミシェルはひとりの人間として彼等に接してやりたいと思っているのだ。
ふぅ。とため息をひとつ漏らし、会議室のドアを開く。
「ミシェル先生。時間は厳守でお願いいたします」
開口一発。先制してきたのは一年生の学年主任。後退気味の頭頂部は蛍光灯の光を砂漠色に反射させている。本人には内緒だが、ミシェルは彼のことをサハラハゲと読んでいる。
教員の面々は、どこにでもある長机に既に雁首を揃えて各々の席に着いていた。
「申し訳ありません。資料の作成に時間がかかりまして」
「しっかりしてください。先生がそんなのでは、生徒に示しがつきませんよ」
「善処いたします」
黙れ。サボテンを植えるぞ。
作成した資料を叩き付けたくなったが我慢しよう。
そもそも魔狩人の教育担当官であるミシェルは教員資格すら持っていない。
アガルタ国第一陸軍特務大尉。ミシェルに与えられた肩書きはそれだけだ。兼任して防衛学院の教育担当官をしているが、何の事はない。そういう命令だから仕方がないのだ。
――何故、私が資料の作成までせねばならないのだろうか。
そう出かかった言葉だが、溜飲を下げる。
幾つか申し立てたい事はあるが、無駄な発言は無駄な会議を無駄に長引かせるだけだと知っている。無駄の豪華盛。まさに無駄の無駄使いだ。
かれらは教師であって、軍人ではない。
あてがわれた席に座ると、サハラハゲこと梅木学年主任が会議の開始を告げた。
「本日の議題は、特科生の教育方針についてです」
うんざりだ。
その議題は、月一で行われる定例の職員会議に三回連続でノミネートレされている。いい加減に次の議題に移ってはどうだろうか。
特科生が特別の扱いを受けることに抗議する訳ではないが、彼等とて貴重な青春時代を大人の都合で無理やり掻き回されているのだ。もう少し、自由を与えてやってもいいはずだ。
さて、どうしたものか。
せめて冬休みくらいは与えてやりたい。その為には目の前のサハラハゲとその部下をどうにか説得しなくてはならない。
資料に纏めた擬似訓練の戦果報告書だけではその内容を議題の中にねじ込めるか不安だ。
「少しは彼らのことも考えてあげてはどうですか?」
ミシェルの思考を読んだように、紙コップのお茶で唇を湿らせてからそう言ったのは、一般教育担当の松前教諭だった。確か受け持ちは倫理だ。まだ二〇代後半でミシェルとそう歳は変わらないが、くたびれたスーツ姿は実年齢よりも少し老けて見える。
生徒の視点に立った考え方をしてくれる最近にしては珍しく良く出来た先生だ。もちろん、生徒からの評判も悪くない。
ミシェルも彼には好感を持っていた。あくまでも仕事上でだが。
「彼等はまだ一〇代です。普通なら遊びに恋愛。色々な事を経験したい年頃でしょう。それを手助けしてあげるのも教師としての仕事だと僕は思っています。あまり缶詰にしてしまうのは可哀想じゃないでしょうか?」
渡しに船。
松前教諭に加勢してこのまま一気に畳み掛ければ、この事案は通るかもしれない。
「そうは言われましてもね、松前先生。国の指定したカリキュラムを終了させるには、長期休暇を削るしか無いでしょう。特科生のカリキュラムは特に多いのですから、仕方がないですよ」
「それで生徒が登校拒否でもしたらどうするのですか?」
すかさず横槍を入れてやる。組織とは人があってこそ成り立つのだ。その前提が瓦解してしまえば、そこに残るのはただの抜け殻としての組織だ。
「登校拒否? それこそ有り得ないでしょう。この学院に回される生徒の殆どが身寄りのない孤児院の出身。彼等はここ以外のどこでも生きていく事が出来ない。まぁ、中にはモノ好きにも入学している者もいますが、幸い特科にはいない事ですし」
下卑た笑顔を梅木が浮かべる。
魔狩人の候補生を育成する教育機関には国から莫大な援助を受けることができる。とは言え簡単に言ってしまえばそれもビジネスの一種だ。私立の教育機関はあの手この手で入学生を引き込もうとする為、設備の他にあらゆる面で魅力的な工夫がなされている。結果として国立が請け負う生徒は大概が孤児院から流れてくる子供達に偏るのだ。
デザインに一線を画すアガルタ防衛学院と言え、その例外からは漏れず入学してくる生徒全体の八割が孤児院の出身だった。
特別な理由でもない限り平日は半強制的に寮から追い出される。彼等が登校拒否したところで行く宛など、どこにもない。
――なるほど。保身に走るとは最悪だな。
確かに一年次の終了過程を満了できなかった時、その責任の一旦を被るのは学年主任の梅木になるだろう。
国の未来や生徒の精神的な負担をすり潰してまで、自分の未来がそんなに大事か。
「私は彼等の一般教育を担当していませんので分かりませんが、松前先生。彼等は出来の悪い生徒ですか?」
言いだしっぺの松前教諭なら助け舟も出しれくれるだろうと踏んでの質問だ。
「……磯城君に関して言えば、その。倫理の方はあまりいい方ではありませんが、それ以外の教科はむしろ優秀なほうだと思います」
予想通り。いや、それ以上の高評価にミシェルは満足気に頷いた。やはり松前は良い教諭だ。
しかし磯城くんか。うん、直情的な彼は確かに苦手そうだな。倫理とか古典とかそう言う、まどろっこしいの。
そうだ。そのくらいがちょうど良いのだ。そのくらいの方が人間らしくていい。
なんでもかんでも完璧になってしまったのなら、それはもう機械なのだから。
「梅木学年主任。カリキュラムの見直しをしてみてはいいかがでしょうか。今の成績で問題が無いのならば、少しくらい進行を進めてみても良いのではないのでしょうか」
その言葉に梅木の表情が僅かに曇った。
明らかに不満がある顔だ。彼はどうにもカリキュラム通りに予定を勧めたいらしい。
――さて、どうやって畳み掛けたものか。
思案を巡らせている時間はあまりない。梅木が妙な意見を口に出す前に一方的に言いくるめるのが理想だ。
ならば、と手にした資料を配る。
そして資料がちょうど、全員の手に行き届いた時を見計らったかのように。
[本部よりミシェル・ブラウン特務大尉に通達。
至急、特別研究室に来られよ。繰り返す――]
ノイズ混じりのスピーカーから緊急招集がかけられた。
やれやれ。神様って奴も彼らの冬休みには反対なのだろうか。
嘆息を吹きながら、ミシェルは忙しない足を研究所に向けた。
基地内の研究施設内の一室。
国軍基地特別研究室。大仰な名前が付けられた部屋だが、ちょっと規模のでかい研究室だ。防衛学院の生徒寮とは反対方向にあり、距離も同じほど離れている。
結局、なんの解決にも至らず定例会議を抜け出して来たミシェルは今、急ぎ足でこの部屋にたどり着いた。
電子ロックの前に取り付けられた電子ロックに無駄に長いキーコードを入力すると各センサーが認証コードを読み取り、音もなく上方向へと扉がスライドして開く。
本来、ID登録されたSIMをかざせば苦もなく電子ロックは解除されるのだが、国民の普及率が九割を超えているそれをミシェルは持っていない。
単に装飾品を身に付けるということが苦手なのも理由の一つ。
よって彼女がしている物といえば、ゴム製のバンドで留められた男物の腕時計だけだ。
扉をくぐると、一人の男性隊員が駆け寄ってきた。目出し帽を被っているため表情は窺い知れないが、まだ若い。下士官の徽章を付けている。
「ミシェル・ブラウン特務大尉。お待ちしておりました」
背筋をピンと張った敬礼は音が出そうなくらいに綺麗だ。
研究所だと言うのに隊員は白衣も着けず、それどころか軍服のままである。軍人の規則で勤務中は必ず制服を着用することになっているが、こんな場所でまで軍服とはひどく場違いに見える。
基地内に敷設された研究施設は対幻魔用に設立された物だが、多くの一般人が雇用されている。
軍の研究班だけでは人手が足りないから、民間人からも研究員を公募しているのだ。
しかし、周りを見渡せば白衣を来た研究員の姿は一人も見つからず、研究室自体も稼働しているようには見えなかった。
ミシェルも居住まいを正して敬礼する。
「ご苦労様です。他の方たちは?」
「は。非常時により避難しております」
「ああ。なるほどね。それで、何がありました?」
「申し訳ございませんが、私には何も聞かされていません。ただ、大尉を案内するようにと」
「そうですか。ではお願いします」
「は。こちらです」
互いに敬礼を解いて向かった先は研究室の奥に据えられた大扉。
そこから何重にも仕掛けられたセキュリティを解除して更に奥へと進む。
そこには一層大きな無骨な鉄扉が来訪者を拒むように、威圧的な態度で鎮座していた。
いかにもこの先に重大な機密がありますといった感じの場所だ。
先導していた隊員が長いパスコードを打ち込み、船の操舵輪に似たホイールを回すと鈍重な音を響かせてロックが解除される。
まるで大型の金庫のようだ。
「私は、これより先の立ち入りを禁止されています」
「わかりました。ありがとうございます」
「は。失礼します」
もう一度、敬礼をした隊員に軽く手を挙げて応えると彼は踵を返して下がっていった。
扉の先にはつづら折りの階段が地下へと続いていた。
ミシェルはこの場所を嫌という程に知っていた。と言うよりはミシェルが国軍に配属されるきっかけとなったものがこの先にある。
あまりいい思い出ではない。
この先にあるもの。それは特機密事項の存在。
もう、何年も前の話だが、地上に張られた国内侵入経路の阻止限界線を数十体の幻魔が越えたことがあった。
緊急編成された特別討伐チームの魔狩人が出撃してこれを撃滅したのだが、内一〇体の幻魔の再生能力が以上に高く殺し切るに至らず、軍の科学班が下した大規模な捕獲作戦の準備が整うまでの半日間をひたすら殺し続けたのだ。
危ういところで国内への侵入は防いだものの、たかだか数十体の幻魔に国軍が誇る最高峰の防衛ラインを突破されたのだ。この事実は軍上層部を大きく揺るがした。
捉えた幻魔はより強固な防波堤を築くための研究対象として地下最深部の研究施設に搬送される事となった。
当時、戦局に参加していたミシェルもそのまま護衛として付き合わされたのだ。
少将に引き抜かれたのもその時だったはずだ。
いくら研究のためとは言え、生きた幻魔を都市部近隣の研究施設に搬送するなど、国民の反感を買わない筈がない。事は秘密裏に進めなければならなかった。
踊り場を三回過ぎたあたりで終着点に着く。
先程までの頑丈な扉が嘘のように簡素な扉が一つ。電子ロックも何もないその扉のドアノブを回す。
最初に感じたのは冷気とともに流れ込んだ鼻をつく薬品の匂いだ。研究施設なのだからそのくらい不思議でもなんでも無いのだが、さっきまでいた部屋の何倍も濃い匂いが開け放った扉の先から溢れ出してくる。
その先にある部屋の中を見てミシェルは愕然とした。
「なんだ、これは!」
ガンと後頭部を殴られたような衝撃だった。脳の奥がチリチリと熱を持ち、現実を受け入れることができない。
「遅いぞ。特務大尉」
情報の整理が追いついてない内に、抑揚に欠けた声がかけられる。
ほんの一時間ほど前まで顔を合わせていた井上出雲だった。
彼は散乱した部屋に転がっているのと同じ簡素なパイプ椅子に腰掛け、盛大に紫煙を吐き出している。その後ろには数人の護衛が付いている。
「申し訳ありません。しかし、少将。これはいったい?」
敬礼をしたミシェルに対して片手を上げて返答する。
「まことに由々しき事態だ。時は一刻を争う。わかるな?」
視線で人が殺せそうだ。出雲の言葉こそ相変わらず抑揚に欠けているが、その視線には怒りにも似た何かが込められていた。
辺りを見渡してひとつ頷く。
この惨状を目にして、よくもそこまで冷静で居られるものだと感心してしまうが、お陰でこちらの平静を取り戻すことができた。
部屋には十基の巨大なカプセルがある。中には捕獲した幻魔が収容されているのだが、本来は液体窒素の極低温の中に閉じ込められ擬似的な冬眠状態にさせられている。内三基のカプセルが破壊され内部の液体が飛散していた。最初に感じた冷気はそのせいだろう。室内の至るとこに霜が降りている。
しかし、問題はそこではない。中に収容されていたはずの幻魔の姿がどこにもない。その上、部屋は散乱し、あらゆる物が破壊されている。床には赤い絵の具をぶちまけた様な跡まであり、壁には大穴が空いている始末だ。
それはまるで、ここで幻魔が暴れたことを如実に語っているように。
奇妙なことに部屋の片隅だけは綺麗に片付けられていて、そこには黒い大きなバッグが置かれていた。
「原因は不明だが、おそらく生命維持装置の不具合だろう。一〇体全てが覚醒しなかったのは全く、運がいいとしか言いようがないな。しかし、起きてしまったことは事実だ。三体の幻魔は現在、地下整備フロアより北上中。このままではセントラルに甚大な被害がでるだろう」
「上層部の判断はどうなっているのでしょう?」
「この状況をどうやって説明しろと? 上に報告するのは全てが片付いた後だ。奴らが書類に判子を押すのを待っていたら都市どころか国が滅ぶぞ」
とてもではないが楽観視できる状況ではない。
もし都市部に甚大な被害が出た場合、誰かの首が飛ぶだけは済まない。最悪、フロア全体の隔壁を閉じて上層と切り離す必要もある。
もちろん、この誰かとはアガルタ国軍基地最高責任者の井上出雲少将に他ならない。
「既に一人殺されている。幸いにも民間の研究者ではなく。内輪の研究員だったが、目標が都市部に出た場合の被害は想像もつかん」
出雲の視線が部屋の片隅に置かれた黒塗りのバックに移る。なるほど、あのバッグはコープスバッグだったのか。
死体袋の前まで行き膝を折って静かに黙祷を捧げた。
「少佐。本件を私に預からせては頂けないでしょうか?」
「……貴様。何を言っているか解っているのか?」
ミシェルの進言に出雲が眉根を顰める。
無理もない。大尉階級に大隊を指揮する権限はなく、越権行為も甚だしいのだ
「全責任は私が負います。この首でよければいつでも差し出しましょう」
「馬鹿が。有能な人材を無駄に失うことに何の意味がある」
慎重な男だ。それに優秀でもある。でなければ、一兵卒のこの男がこの若さで少将にまで上り詰める事などできなかっただろう。秀吉並みの出世街道だ。
おそらく、今のアガルタ軍に於いてこの男ほど状況を理解し、適切な判断を下せる者はいない。だが、適切な措置が最善の措置であるとは限らない。
それを知ってこそ出雲は判断を下せずにいるに違いない。もし、この男が状況を軽視し独断を下したのならば、ミシェルはこんなしみったれた地下の研究室ではなく、兵士たちと肩を並べてブリーフィングルームのヘビーデューティな椅子に腰を掛けているはずだ。
「守るべき時に何も守れないのなら、既に私がここに居る意味を失っています」
「リスクの問題だ」
「……いえ、覚悟の問題です」
「なに?」
しかし悪手が好手に化ける事もある。
戦場で生死を分けるのは一秒も掛からない。わずか二〇グラムの銃弾で人は死ぬ。そういう生き物だから仕方がない。相手が人外の魔物なら尚更だ。
日常の一秒をバラバラに切り刻み、七五回の連続したシーンへと変換する。その刹那の時間にも運命の歯車は着実に廻っていて、その小さな連続が寄せ集まり再び一秒として再生され世界を構築していく。
あたかも、蝶の羽ばたきが地球の裏側で竜巻を引き起こす要因になるように。
授業を早めに切り上げていなければ彼らは都市に足を向けなかったかもしれない。
「決断が遅れればそれだけ後手に回ります。幻魔相手に後の先など通じません。奴らを相手にするのであれば常に先の先。機先を取らなければいけません。これは魔狩人として(、、、、、、)の忠告です」
咥えていたタバコの先からこぼれ落ちた灰が出雲の制服を汚した。彼はそれを不快そうに眺めながら僅かに逡巡する。
「……責任は私が持つ。が、そうだな。指揮権は君に譲ろう」
どうやら、出雲の琴線に触れることには成功したようだ。
つまり、この先の失敗は赦されない。
「了解しました。それではまず、報道規制を。それから物資輸送班を至急セントラルに向かわせてください。細かい場所は追って連絡します」
「セントラルに? 何故だ」
「特科の生徒たちがいます」
「ほう。運の良い偶然があったものだな。しかし、勝てるのか? これはかつて君が……」
「勝ちます。そうでなければ人類に未来はないでしょう」
殺しきれず、封印した幻魔。出雲はそう続けようとしたに違いない。そんなことは分かっているのだ。だが、今から部隊を整えて出撃したのでは到底間に合わない。
無論、特科生を殺すつもりも毛頭ない。
「当時とは科学力が違います。彼らならきっと殺しきるでしょう。報告が遅れましたが、彼らの擬似訓練の結果はタイムアップの引き分けでした」
「そうか。彼等はやってくれたか。そうだな。それでいい」
「少将は熱い珈琲でも飲みながら、上層部連中を言いくるめる言い訳でも考えていてください。心配いりません。もしもの場合は私も出ます」
研究棟を離れて現在、隣接された軍基地本部のブリーフィングルーム。
時刻は一七三五。
都市到達までおよそ二時間。
決断が下されて以降の行動は実に迅速だった。
立体スクリーン全面には地下整備フロアからセントラルまでの地図が簡略化されて映し出されている。その道筋を赤く点滅した三つのポインターが微速前進している。
眼前にはヘビーデューティな椅子を軋ませた数百人からなる軍人の群れ。今では全員がアガルタ人だが、半分以上は日本の血を引いていない者ばかりだ。
緊急召集がかけられて、ものの五分でこれだけの軍人が集まるとはさすがである。
「諸君、事態は深刻です。アカガルタ国内の整備フロアより幻魔らしき敵影を三体捉えました。目標位は我が基地直下の整備フロアを通過し依然、北上中です。このままいけば八〇二二にセントラル直下の整備フロアに辿り付きます。」
ポインターを指しながら簡単な作戦内容を説明していく。
隊員達にどよめきが走る。
当然だ。
アガルタに幻魔の侵入を決して許してはならないのだから。
地上より侵入し、最下層までにたどり着いたと言うのなら、どんなに説明がしやすいだろうか。
言えるはずもない。研究施設より捕縛した研究対象が逃げ出した等とは口が裂けても許される発言ではないのだ。
ましてや、この基地で起きた失態だなんて。
そうでなくても、出雲に口止めされているのだが。
「目標は第一種封印指定のウッドガル。極めて治癒能力の高い幻魔です。討伐方法は大きく分けて二種類。高火力もって一撃で屠るか、再生時間を与えず連続した攻撃を加えて撃破することです。当然ですが。戦闘区画は地下整備フロアなので、地上とは勝手が違い広範囲型の化学兵器などの使用は制限されます」
もともと、アガルタの地下整備フロアとは日本列島特有の激しい地殻変動から国内を守るために創られた抑震専用のフロアだ。三階層毎に一層分の整備フロアが敷設されているのだが、広大なフロアまるまる一つを地殻変動抑震装置だけではもったいな過ぎるとガスや水道といったパイプラインが併設されている。
そんな場所で爆発物などを使用すればどうなるか。
簡単な話だ。仮に幻魔の討伐に成功してもライフラインが止められ、都市の大部分が機能不全に陥る。
まったくこれ以上、状況が悪くなることはないだろう。
この作戦は、国民に真実を知られることなく完遂されなければならないのだ。
整備フロアは地下をアガルタの中心部であるセントラルから放射線状に伸び同心円のラインで全ての部屋に繋がる円形の階層だが、半年に一回の点検期間外はメインルート以外の殆どの隔壁が閉ざされていてセントラルまで完全な一本道となっている。つまり、どのルートを選択しても終着点はセントラル直下だ。
そうなれば後はもう、上に登るしかない。
もし奴らが市街に出れば甚大な被害を被る事になる。
「今から整備フロアに資材を搬入していても目標に会敵する頃には市街地に到達している可能性が高いです。よって全部隊は通常ルートを使って都市部に先回し、これを邀撃します。既に現地には防衛学院の特科生が待機しています。第三部隊までは彼らの援護に回ってもらいます。報道規制も少将の計らいで済んでいますが、第四部隊から第六部隊は国民の避難および警護に当たって下さい。何か質問は?」
特科性の名前が出た途端、兵士たちの表情が曇った。
ひとりの隊員が手を挙げる。
「そこ、どうぞ」
「その特科生ってのは、使えるのですか」
やはり出たか。という質問。
「私は彼らに全幅の信頼を置いています」
「特務大尉の武勇伝は聞き及んでおります。大尉殿が太鼓判を押すならそうなのでしょうが、実戦経験のない候補生をこのような緊急の作戦に宛てるのは我々の士気に関わります」
なるほど。戦術も戦略もおぼついていない上、団体での作戦などしたことのないヒヨっ子は邪魔か。しかも魔狩人ときたものだ。
隊員の顔の色が変わるのも無理はない。
だが、好き嫌いで収まる問題でも無い。
「皆さんはプロです。対テロ組織のスペシャリストです。いま、人間同士が戦争を起こせば我がアガルタ軍は世界最強の軍であると証明することができるでしょう。しかしそれは、あくまで人間が相手の話です。幻魔が相手では軍隊は防戦の一手しか知りません」
パンと乾いた音を立ててミシェルが手を叩いた。
「さぁ、無駄口を叩くな。靴紐を結べ。楽しい、楽しい狩りの時間だ。化物どもに教えてやれ、ここは人間の国だということを!
オペレーション――ダンシングオーガを開始する」