拷問部屋の女
結局、シリウスは朝になっても戻ってこなかった。イリスは昨夜の事を思い出しながら、甲板で溜息を吐いた。
「いい風ね。」
「メアリー船長!」
「私も隣、いい?」
「は、はい!」
長い黒髪を靡かせるメアリーは乱れた髪も美しい。イリスは思わず見惚れてしまう。
「アラン。アロイスが迷惑をかけて悪かったわね。あの子は歳が離れた弟だから少し甘やかしてしまって…、でも、だからってあなたを傷ついていい理由にはならなかったわよね。姉として、謝るわ。」
「え、そ、そんな!メアリー船長が謝る事では…、それに、私もう気にしていませんから大丈夫です。」
気にしていないのは嘘になるが船長がわざわざ謝ってくれているのだ。そんな事は言えなかった。
「許してくれるの?優しいのね。」
「そんな…、メアリー船長の方が余程…、」
優しいのは彼女の方だ。イリスの言葉にメアリーはくすりと笑った。
「あ、あの!メアリー船長とアロイスは兄弟だったのですね。シリウス様から聞くまで知りませんでした。」
「そう。血は繋がってないけどね。でも、私にとっては大切な弟なの。」
「素敵ですね。血は繋がってないのに家族のような存在がいるなんて。」
「そうね。血が繋がっている家族よりも可愛い子だわ。」
「え?」
イリスはメアリーの暗い声に違和感を抱いた。どういう意味だろう。メアリーはにこりと微笑むと、
「それより、船での生活は慣れた?」
「は、はい!大丈夫です。少しずつではありますが大分、この生活も慣れてきました。」
「シリウスに無体な事はされてない?彼は氷みたいに冷たい男で何事も無関心な奴だから大変でしょう。」
「いえ、そんな事は…。その、シリウス様は色々と気遣って下さっているので…、」
「へえ?」
メアリーは興味深そうに眉を吊り上げた。
「なら、良かった。前も言ったけど、何かあったらいつでも頼ってね。力になるわ。」
「メアリー船長…、ありがとうございます。」
「シリウスに弱みでも握られているのかと思って、無理強いされてるのかなって思ってたけど違うみたいね。安心したわ。」
メアリーは安心させるように微笑んだ。彼女から悪意は感じられない。優しくて、思いやりのある気さくな女性に見える。でも…、イリスはアロイスの件があって慎重になっていた。疑いたくはないがメアリーもアロイスのように二面性の顔を持っているかもしれない。それに、シリウスからは、船長には近づくなと言われている。やはり、彼女も他の海賊のように残忍な性格なのだろうか。でも、シリウスのように話の分かる良心的な人かもしれない。イリスは迷った。
「あ、あの…、」
イリスは思い切ってシリウスの事を聞いてみようかと思った。船長なら何か知っているかもしれない。
「船長。少しいいですか?」
「何?ミハイル。」
船長はミハイルに話しかけられてしまい、話すタイミングを見失ってしまった。ミハイルに小声で何かを伝えられ、船長はそう、と頷いた。
「分かった。すぐ行くわ。アラン。私はこれで失礼するわね。」
「あっ…、」
行ってしまう。イリスは引き止めようとしたがミハイルの水色の瞳と目が合い、ビクリと固まった。慌てて視線を逸らした。彼を見ていると、あの戦闘シーンを思い出してしまい、怖い。船長以外の船員は皆、苦手だった。そう思っていると、二人が去った後もイリスはその場を動けなかった。そんなイリスに近づいた男がいた。
「アラン。」
呼ばれた声に顔を上げると、シリウスが立っていた。
「船長と何を話していた?」
「いえ、別に何も…。」
シリウスはイリスをじっと見下ろした。
「何を言われたかは知らないが…、船長には近づくな。」
「え…?」
「お前が近付いていい相手じゃない。」
「ど、どうしてですか?」
「…何だっていいだろう。お前は黙って俺の命令を聞いていればいい。」
「っ…、」
「返事は?」
「は、はい…。」
あまりにも横暴な命令にイリスは思わず反発しそうになったがシリウスに睨まれ、イリスは俯くしかなかった。イリスの返事を聞いて頷くと彼は言いたいことだけを言ってその場を去った。
―分からない…。優しい所もあるのかと思えばああして、私を所有物みたいに従わせようとする。私にはあの人が何を考えているのか分からないよ。
イリスはシリウスの事が気になった。彼はどうして、船長に近づくなと言ったのだろう。それに、いつも船長に呼ばれることが多いのだがそこで何をしているのかはイリスには話さないし、イリスを連れて行ったことは一度もない。一体、何をしているのだろう。一度そう考えると、好奇心を抑えきれずに確かめたいと思った。
「確かこっちに…、」
イリスはメアリーとミハイルが去った方向を記憶を頼りに追いかける。
「この部屋って…、」
そこは、見覚えがある部屋だった。忘れる訳がない。この部屋の先は牢屋と拷問部屋…。シリウスに捕まって尋問された場所だ。イリスはギュッと胸の前で手を握りしめる。怖い。あの時の恐怖が甦る。船長はどうしてこんな所に…、一体何をしているのだろう。イリスはそっと中に入る。しかし、牢屋と拷問部屋を覗くがそこに船長たちの姿はなかった。あの拷問部屋…。イリスも実際に拘束され、拷問されそうになった部屋だ。鎖や鞭、ナイフ、何に使うか分からない拘束器具の道具にイリスはぞっとした。鉄の匂いと蒸れたような匂い…。それが何だか独特で生々しく、イリスは気分が悪くなった様な気がした。
「う…、あ…、」
不意に誰かの声が聞こえる。イリスが慌てて声のする方に視線を向ける。見れば、牢屋の奥に人影があった。
「だ、大丈夫ですか!?」
イリスは牢屋の柵に手をかけ、中を覗き込む。暗くてよく見えない。中にいる人は呻き声を上げるだけで動くこともできない状態みたいだ。牢屋には鍵がかかっている。イリスは拷問部屋の壁にかけられていた鍵束を取り出し、どの鍵が分からないが片っ端からそれを試してみた。やがて、古びた黒い鍵がカチリ、と音を立てて開いた。急いで牢屋に入ると、人影に駆け寄った。身体中、傷だらけで血塗れの姿にイリスは口を手で覆う。あまりにも惨い姿だった。ただ一度乱暴されただけでこんな傷にはならない。きっと、この人は長時間に渡って拷問され、痛みをじわじわと味わされたのだろう。何て酷い…。イリスはそっと怪我人に手を伸ばした。
「あ…、み、水…、」
掠れた声だが水が欲しいのだとは分かった。イリスはすぐに水を持ってきた。
「どうぞ…。」
イリスは一人では飲めないであろう怪我人の身体を起こし、切れてカサカサになった唇に水を流し込んだ。こくり、と喉が嚥下したのを確認し、イリスはほっとした。よく見れば、怪我人は女性だった。けれど、長い髪は所々がざっくりと短く切られ、胸も潰れてしまい、顔が原型を留めていない。一見、女だとは分からなかった程に酷い有様だ。肉が抉れてその姿は目を背ける程に痛々しい。まさか、シリウスが?ううん。もしかしたら、グレンかジャミールかもしれない。イリスはそう想像した。何せ、人を殺しても笑っていたような猟奇的な彼らだ。それに、捕虜の目玉に指を突き刺して抉るという恐ろしい所業も平気でやっていた。シリウスは笑いはしないだろうがあの氷のような目で表情を変えずに悲鳴を上げようが泣き叫ぼうか容赦なく拷問を行いそうだ。
「一体、誰がこんな…、」
「…じょ…。」
「え?」
「あ、たしは…、何も、してない…。それ、なのに…、あいつは…、悪魔…、よ…。」
「だ、誰の事なんですか?悪魔って…、」
女の口がパクパクと魚のように開くがそれは声にならない。誰かの名前を伝えようとしているのは分かるが聞き取れずイリスはもう一度聞き返した。しかし、女はそのまま力が抜けたように崩れ落ちる。慌てて呼びかけるが女は返答しなかった。ピクリとも動かない女は既に息をしていない。死んでいる…。イリスは腕の中で息を引き取った女の姿に愕然とした。




